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そしてケモノは愛される

50.旅の行商人<斎賀>

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「いい加減にしろ。私は男とどうこうする趣味はない」
 斎賀が冷ややかに告げると、阿影は縦長の瞳孔をきょとんと返した。

「こんな美形なら、経験あると思ってた」
「どんな思い込みだ」
 つい舌打ちしてしまう。阿影は、ははっと軽く笑った。

「聞いた話では、男同士ってすげーイイらしい。いくら悦くても男は……て思ってたけど、斎賀さんみたいな美形ならぜひお願いしたいね」

「寝言は寝て言え」
 どういう環境で育てば、こんなにも人の話が通じない大人になるのだ。呆れて溜め息が出た。

「商売をする気がないなら帰れ。私は忙しい」
 時間の無駄でしかなかった。斎賀はソファから腰を上げた。

「ちょ、ちょっと待って! ここはハンターの集団だって聞いたから、ハンター向きだと持ってきたものもある!」
 阿影が慌てて引き留める。

 どうやら役立ちそうなものも持ってきたようだ。
 真面目に話をするのならと、斎賀はソファに座り直した。

 阿影は机の上の小箱から、すももほどの大きさの黒くて丸いものを取り出した。見慣れないものに、興味を惹かれる。
 阿影はそれを右手に乗せるとソファから立ち上がった。
 そして何故か、斎賀の座るソファの右隣に腰掛けた。

 阿影に近付かれ、咄嗟に身構える。
「これこれ。最近開発された目潰し道具」

 手の平に乗せたものを見せようと、阿影が少し体を寄せてきた。
 わざわざ隣に座らずとも手渡せばいいのにと、つい眉間に皺が寄る。

 酒場での経験から、阿影に隣に座られ離れたくなった。しかし今席を立てばまるで逃げているようで、斎賀はその場に留まった。

 女扱いされたことで不快になり態度に出てしまったが、普段の斎賀であればこんな男くらい、そつなくあしらっている。
 いつもの冷静な自分に戻ろう。斎賀は小さく息を吐いた。

「どういうものだ?」
 阿影の手の上の球体を眺めた。

「この中には墨ってのが入ってるんだ。これをぶつけたら球が割れて、中から真っ黒な墨が飛び散る仕組みだ。ニオイもついているから、魔族に投げつけりゃ混乱させられる」

「ほう」
 阿影の説明に興味を惹かれる。
 魔族を倒す時だけではなく、いざ逃げなければならないような事態になった時にも使えそうだ。

 斎賀は黒い球体に触ろうと、手を伸ばした。
 球体に触れかけた瞬間、阿影の指先が下から斎賀の指に絡んできた。予想だにしない行動に、ぎくりとする。

「斎賀さん、手の形もキレイだな……」
 阿影が呟いた。

 互いの手の平の間に球体を包んだ状態で、指先を握られる。拒絶のあまり、思わず力を入れそうになった。

「あんまり力入れると、この部屋真っ黒で大変なことになるから」
 寸前のところで注意され、斎賀は慌てて力を抜いた。

 何が悲しくて、球体越しではあるが男に手を握られなければならないのか。
 斎賀は阿影を睨み、離せと口を開きかけた。

「本当にキレイだ……。造形だけじゃなく、肌もキレイだし。ふさふさした尾も高級な毛皮みたいだ。この銀髪も、すげーキレイで似合ってる」

 後ろで束ねていた髪を、阿影の左手が掴んだ。
 手触りを確認するようにするりと動いた手が首筋を掠め、ぞわりと肌が粟立つ。

「震えてる? 意外に可愛いね」
「触るな……っ」
 不快感から、握られていた手を振り払った。

 阿影の手が離れ、ソファの上に球体が落ちる。斎賀の髪を掴んだまま、阿影がそれを見た。
「あっぶね。床に落ちたらヤバかったって!」

「私に触れるな」
 怒りを湛えた目で睨むと、阿影の視線が斎賀に戻る。
 その手は、長い銀髪をするすると毛先に向かって移動した。

 もう少しで離れるというところで、髪を持ち上げられる。阿影の口許に髪が引き寄せられ、斎賀はそれを凝視した。
 唇を斎賀の髪に触れさせ、阿影は唇の端を上げた。

「俺、普段ツンツンしてるオンナが、ベッドの上では可愛くなっちゃうのとか超好みなんだよな」

 わざと斎賀の逆鱗に触れるような言い方をされたとしか思えないほどに、侮辱されたと感じた。

 斎賀はわなわなと震え出す。
 いつもなら気に入らないことを言われても、冷ややかな視線と侮蔑の言葉で一蹴するところだが、怒りが沸点に達するのが早く、苛立つ感情が抑えられなかった。

 もう我慢できそうにない。むしろ、この男を相手に我慢する必要はない。これほど侮辱されたのだ。
 斎賀は指先に力を入れた。

「何をしているんですか!!」

 パリンと食器の割れる音とともに、その場の空気を変えるような叫び声が聞こえた。

 指先に集まりかけた魔力が消える。驚いた斎賀が声の方を向くと、柴尾がドアの前に立っていた。その足元には割れた茶器が散らばっていた。
 男に意識が集中しすぎて、お茶を運んできた柴尾がドアをノックしたことにも気づかなかったらしい。

 柴尾は凄い勢いでソファへと近付き、阿影を後ろから引っ張り斎賀から引き剥がした。

「おわっ」
 襟を掴まれたまま、阿影が後ろ向きに離れていく。

 圧し掛かられていたわけでもないのに、男に迫られていたという圧迫感から解放される。無意識にほっとした。

「斎賀様に無礼は許しません!」
「まだ何もしてねえって!」
「お帰り下さい! 直ちに!」

 柴尾に襟で首を締め付けられたのか、阿影は両手を振り回す。
「分かった、分かったから。暴力反対! 離してくれ!」

 最初に座っていたソファまで連れて行かれ、阿影は解放された。
 死ぬかと思った、と大袈裟に言いながら首をさする。傍らに立つ柴尾を横目に、阿影は持参した荷物を担いだ。

 ドアまで歩く阿影を見張るように、尾を高く上げたまま柴尾は後ろをついていった。
 おい、と斎賀は阿影を呼び止めた。ドアを出ようとした阿影が振り返る。

「この墨の球はどれくらい持っている?」
 置き忘れられた球を手にして、斎賀は訊ねた。

 阿影の顔が少し嬉しそうに変わった。
「仲間も売りに回ってるけど、二十個は確保してる」

「では、それを全てもらおう」
 行商人に腹が立っても、商品に罪はない。狩りで役立ちそうなものなら、買っておくべきである。

 斎賀の注文に、阿影は満面の笑みを浮かべた。
「お買い上げ、どうも! じゃあ、明日納品に来るから。またな、斎賀さん」
 手を振りながら、阿影はドアを出て行った。

 しかし、姿を消したと思ったら、ひょいと顔だけを覗かせた。
「この町にはあと五日いるから。じゃあな、斎賀さん」

 喋っている途中で後ろから柴尾に押し出されるようにして、阿影は出て行かされた。廊下から、柴尾が阿影に何やら言っている声が聞こえた。

 静かになると、斎賀は疲労の溜め息をついた。ソファに深く座ると、足を組む。
 明日は男と顔を合わさないよう、屋敷の者に納品があることを言付けておくことにした。
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