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ケモノはシーツの上で啼く Ⅱ

4.斎賀の災難

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 呼ばれた斎賀の名前に、ぴくりと耳が動く。

 柴尾は今歩いてきた方向を振り返った。
 何だか胸騒ぎがした。気になって、すぐに踵を返す。

 斎賀と別れた角まで戻ると、周囲の視線が一ヶ所に集まっている。その中心に、二人の男がいる。
 鱗人の男の背中と、男を振り返る斎賀の姿が目に入った。

 不穏な空気が漂う。柴尾は様子を見守った。

「失礼だが、どのようなご用件だろうか」
 突然見知らぬ男に怒鳴られ、斎賀は冷ややかな視線を男に返す。

 あの綺麗な顔で冷徹にあしらわれる者たちを、柴尾は何度か見たことがある。綺麗なだけあって迫力があり、思わず相手は威圧されてしまう。
 ファミリーの者たちには決して見せない、もう一つの斎賀の顔だ。

「俺の女に色目を使うんじゃねえ!」
 鱗人の言葉に、斎賀は眉をひそめた。
「申し訳ないが、私は貴方の女とやらを存じ上げないし、色目など使ったこともない」

「ぬかせ! お前が、いなければ……!」
 誰の目から見ても、それは逆恨みだった。
 恐らく鱗人の男の恋人が、斎賀に惚れてしまったのだ。呆れた理由に、柴尾は溜め息をついた。

「馬鹿馬鹿しい。自分の恋人を繋ぎ留められなかった己の力量不足を、人のせいにするとは」
 淡々とした斎賀の口調は、男の怒りの炎に油を注ぐようなものだった。

「くっ……」
 言葉が出ないのか、男は悔しそうに拳を握る。その手が、ズボンのポケットに差し込まれた。

 男が何かをするつもりだと、柴尾は危険を察知した。
「斎賀様!!」
 柴尾は斎賀を守ろうと、斎賀の方へ走った。

 次の瞬間、男は斎賀に向けて腕を大きく振った。

「お前なんぞ、恥をかけ!!」

 叫んだ直後、男の体が斎賀に向かって突進した。
 しかし、柴尾が男を止める前に、男は掴みかかったはずの斎賀にいとも簡単に腕を封じられていた。
「い、痛ぇっ」

 一瞬の出来事だった。

 斎賀は何の躊躇いもなく、襲い掛かった男の腕を掴むとその体を反転させ、後ろに回した腕を押さえ込んだ。
 それはまるで武術だ。
 回復魔法士なのに、斎賀は武術にも長けているようだ。柴尾は呆気にとられた。

 腕を後ろで押さえ込まれ暴れる男を、斎賀は冷めた目で見下ろした。
「私をどうにか出来ると思ったのなら、勘違いも甚だしい」

「く、くそぉっ」
 斎賀が男の腕を離すと、男は逃れようとして前につんのめった。
 周囲の視線に気付き、男は転がるようにしてその場から逃げ出した。

「まったく、馬鹿馬鹿しい」
 斎賀が吐き捨てるように呟いた。逃げた男にすら興味がないようで、男を見ることもない。

 緊張した空気が日常に戻り、その場で様子を見守っていた者たちが動き出す。

「斎賀様」
 柴尾が駆け寄ると、斎賀はようやく柴尾に気付いた。

「ご無事ですか。お怪我は……ないですね」
 訊ねるまでもない。

 斎賀が銀の髪を梳いた。顔と髪が少し濡れていた。男が腕を振り上げたのは、斎賀に何かの液体をかけたようだ。

「ふん。私を見かけだけの優男と、侮っているからだ」
 口調に、少し冷たい響きが残る。

「刃物でなくて良かったです。あの鱗人に何をされたのですか」
「例え刃物を持っていたとしても、私の相手ではない。何やら酒を掛けられた」
 くん、と斎賀は鼻を動かした。

「口に入ったが、毒ではないようだ。だが、ベタベタするな。一度屋敷に戻り、出直すとしよう」
 害のあるものではなかったと分かり、柴尾は安堵した。

 しかし、恥を知れではなく、恥をかけと言った男の言葉が少し気になった。

 恥をかけとは、どういう意味だったのか。単に言い間違えたのかもしれないが、妙に引っ掛かる。

「僕も一緒に戻ります」
 あんな場面を見た後では、心配だ。斎賀が強いのは分かったが、傍についていたい。

 隣を歩く柴尾を、斎賀がちらりと見た。
「自分の身くらい、自分で守れる。私を女性のように扱うのではない」
 正面を向き直ると、斎賀は静かに告げた。

 思いがけない言葉に、柴尾は瞠目する。
 周りに人がいないことを確認してから、真剣なまなざしで斎賀を見た。

「僕は斎賀様をお慕いしていますが、女性のように思っているわけではありません。斎賀様はお綺麗ですけど、それ以上に男らしいと思っているんですから」

 抱きたいなどと言ったことで、斎賀を女扱いしているように思われていたのだと分かった。

 男らしい斎賀からすれば、さぞかし不満なはずだ。そんなことにも気付けずにいた。

 柴尾が抱く感情は、そうではない。
 女性の代わりとして、斎賀を好きになったわけではない。女性のように思ったこともない。

 綺麗だけれども、かっこよくて優しい、芯があって強い斎賀だから、こんなにも惹かれているのだ。

「あんなことがあったんですから、心配なんです。お傍にいさせて下さい」
「………」
 斎賀は見向きもせず、言葉を発しない。

 怒っているのだと、不安になる。
 気付くと、斎賀の歩調が速くなっているのか、二人の間に距離が生まれ始めた。柴尾は慌てて斎賀の歩調に合わす。

「そういうことか……」
 忌々しそうに斎賀が呟いた。

「斎賀様?」
「……。少々急いで屋敷に戻る」

「え?」
 振り向くこともせずに、さらに斎賀が足早になる。
 黙々と歩く斎賀に、柴尾は理由が分からないまま追いかけるように屋敷へと歩いた。
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