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11.新しい生活
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王都より遠く離れた地方の農家出身の身で、この国の王の居城がある場所に足を踏み入れることがあるとは、夢にも思わなかった。
高い城壁の中は、外から見た以上に広かった。
花や緑が溢れ、いくつもの建物がある。建物に通じる道も整備されている。
城は城壁内をまっすぐに伸びた道の向こうに大きくそびえていた。遠目からでも、その厳かさと佇まいに圧倒される。
城壁の中には城が一つあるだけと想像していた。初めて見る那岐には、町の中に新たな町が生まれたように見えた。
城門をくぐってもまだ馬車に乗ったまま移動し、那岐はただ呆然と窓の外を見ていた。
まっすぐに城へ行くのかと思っていたら、馬車は途中の道を曲がる。
いくつかの建物を通り過ぎ、やがて馬車は停まった。
二階建ての大きな建物の前で馬車を降りると、那岐は建物を見上げた。
城というよりは、立派な邸宅である。状況が理解できず、那岐は老人を見た。
老人が建物に向かって歩き出すと、合図もしていないのに大きな両開きの玄関扉が開いた。
「おかえりなさいませ」
数人のメイドが出迎える。
ここは老人の住まいなのだと、建物の中を見回した。
遊華楼は洋館だったが、内装も衣装も和を基調としていた。ここはそんな要素は一切なく、遊華楼に慣れた那岐には少し落ち着かない。
二階から階段を伝って広がる赤い絨毯が、遊華楼の赤い毛氈を思い出させた。一緒にしては失礼なことだ。
那岐は一階にある部屋の一つに案内された。ただテーブルと椅子があるだけの部屋なのに、無駄に広い。
老人と向かい合って座ると、待たせることもなくメイドがお茶を運んでくる。メイドが去ると、ようやく老人は口を開いた。
「儂の名は、仙波と申す」
「は、はい。仙波様」
身分が高いとは思っていたが、まさか城に住む者だとは思いもしていなかった。思わず背筋が伸びる。
「今日からここに住まうことになる。まず、お主には礼儀作法を覚えてもらう」
「はい」
那岐は頷いた。
仙波は茶を口にした。
「この国に王子が三人いることは知っているな?」
突然の質問に、返答に間が空く。那岐とは縁のないことなので気に留めておらず、人数までは記憶していない。
国民なら当然知っているべきだという態度に、とりあえず頷いた。
「お主には、第三王子であられる祥月様の愛人となってもらう」
「は……」
返事をしかけて、那岐は固まった。
王子の愛人と、仙波は言ったか。
「ええ!? 爺さ……仙波様の愛人じゃなくて!?」
驚きのあまり大きな声を出し、椅子から立ち上がった。その反応に仙波の方が驚く。
「この年で、儂が男の愛人を作るか!」
「はわっ」
仙波に怒鳴られ、那岐は椅子にすとんと座り直した。
これから老人の慰み者として過ごすのだと、ずっと思っていたのだ。
そうでないと知り、気が抜けた。
橘宮のトップに立った身でありながら、屈辱的で情けない日々を過ごすことを憂いていた。抱かれる側ということに変わりはないようだが、想像していたものとは違ったようだ。
「は……はは。なんだ、てっきり……」
気が緩み、笑いが漏れる。
心底、ほっとした。心配してくれた衛士にも伝えたい。
咳払いが聞こえ、仙波が睨んでいることに気付く。那岐は慌てて背筋を伸ばすと頭を下げた。
「申し訳ありません……」
「とにかくだ。祥月様に今のような無礼のないよう、礼儀作法を学ぶように」
「かしこまりました」
祥月という名を、頭の中で繰り返した。
天上にあるものの名は、王族しか付けることができない。
本当に、王子なのだ。
まさか、遊郭から身請けされた先が王子だとは思わなかった。身請けに破格の金を支払えたのも納得できる。
貧乏な農家に生まれ、遊郭に売られ体を売り、その先にこんなことがあるなんて人生何があるか分からない。
しかし、わざわざ遊郭から身請けせずとも、王族であれば相手など望むままのように思えた。
「ここでのお主の役目は、祥月様に無礼のないようお勤めすることだ。しっかりと、励みなさい」
「はい」
第三王子はどんな人なのか、訊いてみたかったが我慢した。これまでも、顔も知らない客を相手にしてきたのだから、初対面でも問題ない。
その後、仙波は簡単に説明をしてくれた。
仙波は、第三王子の世話係という役職に就いているという。仙波が遊華楼に訪れたのは、代理だったのだと納得した。
愛人は他に二人おり、那岐の他は女性である。男が好きということではないようだ。
それならば何故、三人目も女性を選ばなかったのかと不思議に思えた。
「これまでも祥月様には愛人が三人おった。だが、一人が使い物にならなくなった」
仙波は溜め息をついた。
使い物にならないという言い方が、引っ掛かる。仙波の物言いが人を物のように言ったということもあるが、それよりもその女性に何があったのかという方が気になった。
もしかして、第三王子は暴力をふるうタイプの人間なのではないかと不安になる。権力者にありがちだ。
那岐は小さく身震いした。
「新しい愛人を探そうとした折、男遊郭の話を聞いての。男なら体が丈夫なのではないかと考え、お主を選んだのだ」
「……」
仙波の言葉に、那岐はこの先の生活を不安に感じた。
暴力ごとは好きではない。むしろ、苦手だ。そんな那岐に、第三王子の相手は務まるのか。
だが、出来るかどうかではなく、しなければならない。それが那岐の役目なのだから。
老人の慰み者でないことに安堵したのも束の間、一難去ってまた一難とはこのことだった。
仙波の前で溜め息をつくわけにもいかず、那岐は心の中でだけ盛大に溜め息をついた。
最後に仙波は、大事なことを約束させた。
「寝所で知ったことは、誰にも漏らしてはならぬ」
そのまなざしの迫力に、那岐は大きく頷き返事した。
遊華楼では、客の愚痴や表には出せない話を聞くこともあった。
那岐は口が堅い。
けれど、いかにも秘密があるというような言い方をされると、嫌な予感しかしなかった。
高い城壁の中は、外から見た以上に広かった。
花や緑が溢れ、いくつもの建物がある。建物に通じる道も整備されている。
城は城壁内をまっすぐに伸びた道の向こうに大きくそびえていた。遠目からでも、その厳かさと佇まいに圧倒される。
城壁の中には城が一つあるだけと想像していた。初めて見る那岐には、町の中に新たな町が生まれたように見えた。
城門をくぐってもまだ馬車に乗ったまま移動し、那岐はただ呆然と窓の外を見ていた。
まっすぐに城へ行くのかと思っていたら、馬車は途中の道を曲がる。
いくつかの建物を通り過ぎ、やがて馬車は停まった。
二階建ての大きな建物の前で馬車を降りると、那岐は建物を見上げた。
城というよりは、立派な邸宅である。状況が理解できず、那岐は老人を見た。
老人が建物に向かって歩き出すと、合図もしていないのに大きな両開きの玄関扉が開いた。
「おかえりなさいませ」
数人のメイドが出迎える。
ここは老人の住まいなのだと、建物の中を見回した。
遊華楼は洋館だったが、内装も衣装も和を基調としていた。ここはそんな要素は一切なく、遊華楼に慣れた那岐には少し落ち着かない。
二階から階段を伝って広がる赤い絨毯が、遊華楼の赤い毛氈を思い出させた。一緒にしては失礼なことだ。
那岐は一階にある部屋の一つに案内された。ただテーブルと椅子があるだけの部屋なのに、無駄に広い。
老人と向かい合って座ると、待たせることもなくメイドがお茶を運んでくる。メイドが去ると、ようやく老人は口を開いた。
「儂の名は、仙波と申す」
「は、はい。仙波様」
身分が高いとは思っていたが、まさか城に住む者だとは思いもしていなかった。思わず背筋が伸びる。
「今日からここに住まうことになる。まず、お主には礼儀作法を覚えてもらう」
「はい」
那岐は頷いた。
仙波は茶を口にした。
「この国に王子が三人いることは知っているな?」
突然の質問に、返答に間が空く。那岐とは縁のないことなので気に留めておらず、人数までは記憶していない。
国民なら当然知っているべきだという態度に、とりあえず頷いた。
「お主には、第三王子であられる祥月様の愛人となってもらう」
「は……」
返事をしかけて、那岐は固まった。
王子の愛人と、仙波は言ったか。
「ええ!? 爺さ……仙波様の愛人じゃなくて!?」
驚きのあまり大きな声を出し、椅子から立ち上がった。その反応に仙波の方が驚く。
「この年で、儂が男の愛人を作るか!」
「はわっ」
仙波に怒鳴られ、那岐は椅子にすとんと座り直した。
これから老人の慰み者として過ごすのだと、ずっと思っていたのだ。
そうでないと知り、気が抜けた。
橘宮のトップに立った身でありながら、屈辱的で情けない日々を過ごすことを憂いていた。抱かれる側ということに変わりはないようだが、想像していたものとは違ったようだ。
「は……はは。なんだ、てっきり……」
気が緩み、笑いが漏れる。
心底、ほっとした。心配してくれた衛士にも伝えたい。
咳払いが聞こえ、仙波が睨んでいることに気付く。那岐は慌てて背筋を伸ばすと頭を下げた。
「申し訳ありません……」
「とにかくだ。祥月様に今のような無礼のないよう、礼儀作法を学ぶように」
「かしこまりました」
祥月という名を、頭の中で繰り返した。
天上にあるものの名は、王族しか付けることができない。
本当に、王子なのだ。
まさか、遊郭から身請けされた先が王子だとは思わなかった。身請けに破格の金を支払えたのも納得できる。
貧乏な農家に生まれ、遊郭に売られ体を売り、その先にこんなことがあるなんて人生何があるか分からない。
しかし、わざわざ遊郭から身請けせずとも、王族であれば相手など望むままのように思えた。
「ここでのお主の役目は、祥月様に無礼のないようお勤めすることだ。しっかりと、励みなさい」
「はい」
第三王子はどんな人なのか、訊いてみたかったが我慢した。これまでも、顔も知らない客を相手にしてきたのだから、初対面でも問題ない。
その後、仙波は簡単に説明をしてくれた。
仙波は、第三王子の世話係という役職に就いているという。仙波が遊華楼に訪れたのは、代理だったのだと納得した。
愛人は他に二人おり、那岐の他は女性である。男が好きということではないようだ。
それならば何故、三人目も女性を選ばなかったのかと不思議に思えた。
「これまでも祥月様には愛人が三人おった。だが、一人が使い物にならなくなった」
仙波は溜め息をついた。
使い物にならないという言い方が、引っ掛かる。仙波の物言いが人を物のように言ったということもあるが、それよりもその女性に何があったのかという方が気になった。
もしかして、第三王子は暴力をふるうタイプの人間なのではないかと不安になる。権力者にありがちだ。
那岐は小さく身震いした。
「新しい愛人を探そうとした折、男遊郭の話を聞いての。男なら体が丈夫なのではないかと考え、お主を選んだのだ」
「……」
仙波の言葉に、那岐はこの先の生活を不安に感じた。
暴力ごとは好きではない。むしろ、苦手だ。そんな那岐に、第三王子の相手は務まるのか。
だが、出来るかどうかではなく、しなければならない。それが那岐の役目なのだから。
老人の慰み者でないことに安堵したのも束の間、一難去ってまた一難とはこのことだった。
仙波の前で溜め息をつくわけにもいかず、那岐は心の中でだけ盛大に溜め息をついた。
最後に仙波は、大事なことを約束させた。
「寝所で知ったことは、誰にも漏らしてはならぬ」
そのまなざしの迫力に、那岐は大きく頷き返事した。
遊華楼では、客の愚痴や表には出せない話を聞くこともあった。
那岐は口が堅い。
けれど、いかにも秘密があるというような言い方をされると、嫌な予感しかしなかった。
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