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30,誰が悪いと言うなかれ
しおりを挟むとは言え、豊穣の加護が金を生むというのは私の持ちネタでも、今まで領地でしか使っていなかった冗談なので、他の人、まして他国の人相手では加減が分かりませんね。
「金、金と申しておりますが、これは私的には冗談ですよ。冗談返しをやってみました」
「冗談返しって初めて聞きましたよ……。いやまず、王侯貴族の令嬢の冗談のネタが金というのは、どうなんでしょう……」
顔色が何だか悪いディルさんは、どうやらお疲れのようですね。話の後半が小声過ぎて私には全然聞こえません。
疲労困憊の方にむち打つ真似は出来ませんので、話を手早く進めた方がいいかもしれません。
「冗談返しは貴方の冗談で楽しめましたって示す貴族の礼儀の一つでしょう。途中で貴方が私のことを『嬢』から『様』に変えたことも、ちゃんと気付いているわ。私も貴族ですもの」
「貴女に謎な貴族の常識を植え付けたのは誰ですか。しかも細かいことには気付いているし」
ディルさんは大きく頭を振りました。
「取り敢えず、あまり貴女はそういう態度を取らない方が良いですよ。変人に気に入られてしまいますよ」
「まあ。どんな変人も常識人も等しく民として扱わないと、貴族などやっていられませんよ? それこそ王侯貴族の常識よ」
「もう貴女には心底感服いたしましたよ。いい加減許して頂けませんか?」
「許すも許さないも、冗談よ?」
「……」
「後、本気での冗談よ」
「…………」
完全にディルさんは沈黙されました。
これは……。
私の冗談は付け焼き刃ですから、きっとあまり面白くはなかったと仰りたいのですね。
今後も長い人生、精進していかないといけません。
と、私は決意を新たにしたのですが、ディルさんはいつまでも眉間に皺を寄せて黙っていらっしゃるので、私は困りました。
「冗談が下手でごめんなさい。王妃の話は全部冗談だったのよ」
「全部ですか……」
私の冗談は余程下手すぎたのですね。
何故かディルさんは胡乱な者を見るような目を私に向けておられます。
これでも頭をかなり絞った渾身の冗談でしたのに、まるきりディルさんに伝わっておられなかったようで、ちょっと残念です。
「まあ……そうですね。王妃と直接金って結びつきませんよね」
「そこは密接なものでしょう。王妃が金を握って公共事業でぶいぶい言わせるものだって私は習いました」
「……まず、ぶいぶい言わせるって意味、分かっておられますか?」
私は知識より基本イメージを保つのを優先した教育を受けておりましたが、幼少期にいた家庭教師がこれだけは覚えておけと、いくつか貴族の常識は教えてくださいましたよ。おかげで自信を持ってお答えできます。
「大量の金貨の詰まった袋で汚職文官をひたすら殴って働かせるって意味よね。あら? 金の延べ棒でたこ殴りにして言うことをきかせる、だったかしら。まあ、どちらも似たようなものね」
「ホントに貴女に教育したのは誰ですか? それは駄目でしょ。いや、駄目ではないのですが……! いや、やっぱり誰ですか?」
ディルさんは情緒不安定ですね。王族の従者の仕事は心身追い込まれる程に激務だからでしょうね。
そのまま頭を抱え「淑女の笑みを浮かべて言っているのが怖い」ってディルさんは小声で呟いておられますね。
「凄いねぇ。あのディルが追い込まれて混乱してるよ」
「本当に珍しいですね。あの取り敢えず王侯貴族を見ると馬鹿にしとけと思っている男がやり込められてる」
王侯貴族を見たら馬鹿にするってどういう発想なのでしょうか。
それを従者にして他国に連れて行く発想の方も大概分かりませんね。
レイディス様だけでなくアリウス様も笑っておられますが、従者のことが他人事って、本当に腹心の部下と上司なのでしょうか。
もしかして互いの常識が違うのかもしれません。
他国の方のことは全く分かりませんね。
「それで、私がアウリス様にお目にかかることには一体何の意味があったのでしょうか?」
「今さっきまでの会話の主とは思えないほど的確な質問が来たね」
アウリス様もさっきの実のない会話を延々続けていたとは思えませんよ。
レイディス様も何事もなかった顔をしておられますし、王族の方々の思考は理解しがたいです。
「君がクローシェル様にそっくりって聞いたから、実際に会ってみたかったんだよ」
はて、アウリス様とクローシェル様に繋がりってございましたでしょうか?
ところで、私とクローシェル様が少し似ているからそっくりになってますね。どちらが正しいのでしょうか。クローシェル様の肖像画って王城に不思議に一枚もないらしいのですよ。
「僕の父の元婚約者がクローシェル様なんだ。当時は縁が結ばれなかったから、今度こそと思ってね」
アウリス様の父というと、隣国の現王弟殿下ですか。
そこが私に婚約を打診したことに繋がるのですね。
しかし、私はもっと前から隣国の王弟一家とは縁がございました。
「先日のレイノス様からの手紙には、婚約など何も書かれてはおりませんでしたよ」
「その手紙は向こうでは1ヶ月以上前の内容だからね。息子も予知はできないから仕方ないんだよ」
確かにいただいた手紙に記載されていた日付は、収穫の始まる準備をしている夏の終わりでした。今はもう冬ですね。
手紙は重さこそ軽い物なのですが、運ぶのは隣国を行き交う商隊です。行商の計画や天候に左右されやすく、届くのも稀にとんでもなく遅かったり、後で送った手紙が先に付くこともしばしばあります。
誕生日の手紙のように怖いくらい正確に特定の日に届けたいなら、結構大きい金額を払えば不可能ではないそうですが、国同士の重要なやりとりならともかく、普通はあまり使いません。
「うちの息子とずっと文通続けているくらい仲いいじゃない。別に婚約もいいんじゃないの?」
「文通で婚約ですか。生憎、先日の婚約破棄で、手紙の印象から人柄を想像する妄想力豊かな方とは婚約しないことに決めました」
「遠い地同士の婚約だと手紙しかないよね」
「それでもです。相手を見ずして決めるのはどうかと痛感したのです」
私は一度もレイノス様にお目にかかったことはございません。
かれこれ10年以上文通を続けてはおりますが、それは婚約を期待してとのことではありません。
「えー。いいじゃない。最初の縁も結び直せるし」
「最初の縁はフルレット侯爵令嬢で、今の私は入れ替わった王女です」
昔、それこそ私がとても幼く王都で暮らしていた頃に、隣国の王家から王弟の孫息子との縁談がフルレット侯爵家に持ち込まれました。
当時既にこの国は異常気象から徐々に作物が取れなくなっており、隣国からの援助を期待した国はフルレット侯爵家を説得し、縁組みを前向きに検討していたそうです。ただ私は当時よく倒れていたので、婚約の話自体はゆっくりと進んでいたそうで、顔合わせも急ぐことはないと、まずは文通を勧められたのです。
その後、私に加護があると分かり、援助を受けるより領地で加護を使った方がいいと判断され、縁談はまとまることなく立ち消えとなりました。
「息子の送ったブレスレットも大事にしてるみたいだし、いいじゃないか」
「それはそれ、これはこれです」
今の私がただのオラージュ公爵令嬢なら考えるのですけど、今のソニア王女の身代わりではそうそう迂闊なことは言えません。
「君が息子と結婚したら、君は王妃になれるよ?」
「私は王妃になれませんよ。妖艶な美女ではありませんから」
「そこは本気の話なんですね……」
この言葉はディルさんの呟きです。
ちょっとは正気に戻られたでしょうか。
「息子は振られちゃった。可哀相で泣いちゃう」
「振るも振らないもなく、婚約に私の意見など関係ないでしょう。王女の婚約を決めるのは国ですよ」
「そうだね」
これまで散々巫山戯た態度を取られていたアウリス様の表情がすっと切り替わりました。
酷く真っ直ぐな目を向けられると、隠していた心の奥底まで覗き込まれる気がして、私は少し恐怖を感じて思わず後退りました。
「この国は君を留めたいのかな? 外に出したいのかな?」
アウリス様は私をじっと見ておられます。
「もう君は自分の状況に気がついているよね。このままずっと王女の振りをし続けないと行けない。フルレット侯爵令嬢にもオラージュ公爵令嬢にも戻れないって」
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