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52,犬のうなり声
しおりを挟む夭逝した加護持ちの王女で、本物の王女様や私に似ておられた。
私がクローシェル様について知っているのは、本当にそれくらいです。
「愚王であった先代王は、禁忌を犯したことを隠そうとしてクローシェル様の子を自分達の間に生まれた子としました。でも、その子供こそ禁忌を犯した証でした」
「禁忌を犯したのは……」
「先代王妃の親族らしいですね。どこぞに幽閉されて……その先は知りません」
禁忌を犯した結果子供が生まれたとは……。
考えることだけでも同じ女性としては、あまりにも恐ろしく感じました。
「私の父は犯人が分かっても殺すことが出来ないことを嘆いていました」
禁忌を犯した者は寿命以外で殺せない。
最近何度も聞いたことです。
「『黒い犬』の名折れだと、私にほとんど語ることもなく死んでいきました」
犬?
私はメイローズ侯爵の顔を凝視しました。
メイローズ侯爵は悲しそうに笑って、
「元々は国の暗部を『黒い犬』と言ったんですよ。今の犬は得体の知れない烏合の衆ですが」
黒い犬は加護持ちを守る存在、と聞きました。
「クローシェル様を守れなかったのですか?」
思わず尋ねてしまった私の顔は見ず、メイローズ侯爵は無表情に先代王妃の墓の残骸を見下ろしながら、
「私の親達も先代王が賢王になる夢を見てしまった。先代王がどれ程加護持ちの王女を疎ましかったか知っていたのに、実の妹でもあるからと楽観視した。結果、性根の腐った者をクローシェル様に近付けてしまったのですよ」
先代王妃の実家は北部にあると聞きました。
先代王妃の親族が禁忌を犯し……それが北部の災害に繋がる真実ですか。
そして、女王になるのを望まれた凡庸な王女を押しのけ、優秀だと持て囃されて王位に就いた兄の王子は、後の時代には愚王と評さることとなったのですね。あまりにも滑稽なことではないですか。
「疎ましいのなら早くに嫁がせてしまえば良かったのに、自分達から祝福が消えることが恐ろしかったんですよ。尤も、あんなことになってしまっては、先代王と先代王妃も禁忌を犯した扱いになりましたけどね」
先代王と先代王妃そのどちらも、国中が自然災害に毎年襲われるようになり困窮対策と立て直しで奔走し、疲れ果ててかなり早くに亡くなられております。
「先代王だけかと思っておりましたが、先代王妃も禁忌を犯したと天から見なされていて、私は漸く胸がすっきりいたしました」
メイローズ侯爵は、先代王妃が禁忌を犯したと判定されていたか知りたかったのですね。
「……今、どうして私達に真実を語るのですか?」
「私のような者でも、時代が変わって行くことぐらい分かりますよ。そのときに誰が判断することになるのか、それだけです」
足下に転がっていた墓石の欠片をメイローズ侯爵は遠くに蹴飛ばしました。
「私が知らないことを暴いて下さったなら、次は私が貴女の知らないことをお教えしましょう」
黒い老犬はそう言って去って行きました。
いくつもの小さな墓石の影から、私も含めた誰も黒っぽい犬達が見つめていることに気が付かないまま。
影の奥からひっそりと様子を窺っている犬が、加護持ちを待っていたと私が知るのは、まだ先のこと。
取り残された私達はどう帰ったのか、あまり記憶はありません。
有名な昔話があります。
欲にまみれた者が心優しき加護持ちの姫を殺しました。
癒やしの加護を持っていた姫が亡くなって、犯人の周囲の者は怪我がほとんど治らなくなってしまいました。
その国の者達は犯人に気付いて、犯人を処刑しました。
その後、国中の者が穢れて一切怪我が治らなくなってしまい、国は滅んでしまいました。
分かりやすく禁忌を犯した結果と、禁忌を犯した者を殺した結果を語った昔話です。
禁忌を犯した者を殺せない。
先代王も先代王妃も、殺せなかった。
「禁忌を犯したら、もうどうしようもないのね……」
離宮に戻った私はどっと疲れて何もする気にもなれず、窓辺で椅子に座って外を眺めておりました。
「……まあ、寿命を待つ以外に方法がないわけではないのですけど」
「まさか?」
私とウィルマの声が珍しく重なりました。
物知りのディル(仮名)さんは「神殿では絶対に口にしてはいけませんよ」と前置きした上で、
「死んだことにすれば良いのですよ。自分の家族や友人知人との縁を絶ち、持っていたもの全てを捨てて消えれば『死んだもの』と判定されて、禁忌を犯した扱いから外れるそうです」
「そんな方法があるのね……有名な話?」
「権力者ならそれなりでしょうか。一般ではあまり有名ではないでしょう。直接殺した場合は通用しないそうですし。間接的に関わった場合などは、そうやって免れた者がいるというだけです」
「2度と戻れないの?」
「はっきり必要な年数は分かりません。私が訊いた話では、数十年後には戻れたということです。神殿ではどの道破門扱いになるので、完全に罪がなくなった訳にはなりませんが」
先代王と先代王妃も、姿を消して死んだことにしていたら……きっとこの国に起こっている自然災害は少なかったかもしれません。
知っていて権力にしがみついていたら、過労で亡くなっても自業自得です。巻き込まれた国民こそ気の毒です。
他国出身のディル(仮名)さんは関係ありませんが、ウィルマは以前から王城に勤めておりますよね。先代王と先代王妃のことは御存知でしょうか。
「ウィルマはいつから王城に勤めているの?」
「私ですか? 王妃殿下がお輿入れなさる少し前ですね」
王妃様は王妃として嫁がれたので、その頃には先代王も先代王妃も亡くなっておりますね。
ちょっと残念に思いましたが、今となっては先代王の先代王妃が関係している部分の影響は基本的に終了しておりますから、この件の深掘りの必要は今の私にはないかもしれません。
では、現在影響を受けていることは、やはり西のことを考えることがが一番重要でしょう。
「その頃……」
微かにどこからか犬のうなり声が聞こえた気がしました。
私は口から出かけていた言葉を引っ込めました。
突然、苦しいほどの不安に駆られました。
ディル(仮名)さんを目だけ動かして見ると、口の前に人差し指を立てる動作をしておりました。マーガレットも窓と扉が見える位置に移動しておりました。
唯一ウィルマだけは気付いておりません。
「どうなさいました?」
今の状態では説明は出来ません。
私に出来るのは、出来るだけ何も気付いていないようにやり過ごすだけです。
「見習いの頃のウィルマは大変だったでしょう。元メイローズ侯爵令嬢のような人はまだ上手くあしらえなかったでしょうね」
ギリギリの会話の流れになった気がいたします。
ウィルマもちょっとだけ怪訝な顔になりましたが、
「そうですね。あの頃はあの頃で変わった方が王城に来られて大変でした」
「そんなに変な方は昔からいたのね」
「ええ、一番記憶にあるのは、第1王子殿下のお生まれになった頃に、殿下の未来の婚約者を名乗る未亡人の方がいらっしゃったときでしょうか」
未亡人……。
赤子の婚約者を名乗るにしては、結構危険な香りがします。
「その方、大丈夫だったの?」
「まだ一介の侍女だった現在の侍女長と殴り合って理解をしていただいてお帰りになりました。侍女の仕事の厳しさの一端を知りました」
「殴り合いとは侍女の仕事だったのね……」
私の知らない仕事事情ですね。
そうやって話している内に不安感も消えていき、ディル(仮名)さんもマーガレットもいつも通りに戻っておりました。
先程の突然湧き上がった不安は一体何だったのでしょう?
犬のうなり声はもう聞こえません。
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