[完結]加護持ち令嬢は聞いてはおりません

夏見颯一

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65,狂犬は食い殺したことを知る

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「久しぶりね、もう私の事なんて忘れたのかと思っていたわ」

 かつてこんなに美しい人がいるのかと驚いた美貌。
 少しやつれ血の気が失せて肌もより一層白くなり、その美しさも相まって、人を水の底に引きずり込むと語られる水の精を思わせました。
 ただ、その瞳は炯々として、人しか持ち得ない何かほの暗い情念を宿しておられました。
 側妃様の視線は私やレイではなく、真っ直ぐに王妃殿下を捉えており、
「……忘れるわけがないでしょう」
「どうだか。王妃となったら忘れてしまったのよ」
 穏やかで物静かな女性に私の目には映っておりましたが、攻撃的とも言えるかなり強い口調で話されて、王妃殿下もたじろいでおられます。
「だから、私に何があっても分からなかったのよ」
「言ってくれれば良かったでしょう!」
「貴女に私がどうやって言うことができるの? 貴女にはどれだけ侍女やメイド、騎士がついていたか理解していたの? 私は何度も会おうとしたけれど、皆私の事を無視したり責めたりして、貴女から遠ざける」
 ああ……私も王女殿下と入れ替わるときにも、側妃様に気をつけろと言われておりましたが、それは『誰かのねじ曲げた都合』だったのですね。
 悲しいかな、あの老いた侍女を追い出すほどの王妃殿下も、全てを正しく精査して判断できていなかった。側妃様を避けるように誘導され、いつしか側妃様を勘違いされてしまった。
 この王城で、王妃殿下は陛下の無関心から2人の我が子を守るためにかかりきりになっておられたのでは、致し方ないかもしれませんが。
「私は陛下の寵愛なんか望んでないし競っていない。そもそも私はここに来ることさえ嫌だったのに、何故私が周囲から貴女を脅かす存在だと言われるの? 私は所詮実家の力もない格下の令嬢だったのよ。何が出来るというの?」
 恐らく陛下が無理に側妃として望んだことが、王妃殿下の周りの人間は気に食わなかったのでしょう。
 王妃殿下のそば近くに侍り盤石な地位に居続けるには、側妃様の存在が目の上のたんこぶ……の幻影に周りは踊っていたのでしょうね。何も持っていない側妃様をさも悪の女王のように仕立て上げ、王妃殿下に自分達は必死に味方ですよとすり寄っていた。
 王妃殿下は言葉をなくして立ち尽くしておられました。
 ただ会いに来ていたら分かったことですから。
「学園に通っていた頃だって、最初の内は貴女から来なければ私に会えなかったでしょう。それと同じ。立場の弱い私からは会いに行けないから、立場の強い貴女から来てくれなければ、私達は会うことも満足に出来ないのよ」
 ほんの少しの違和感に王妃殿下が気付いておられたなら、何かが違っていたのかもしれない。
 側妃様は何度も手を伸ばしたのに、王妃殿下には届かなかったのです。
「……ごめんなさい、ケイティ。貴女は何も変わっていなかった。代わってしまったのは私の方だったのね……」
 王妃殿下も必死だったけれど、結果的に友の手を振り払っていた事実に呆然とされました。
 ひとしきり王妃殿下には言いたいことを仰ったのか、側妃様の目は私の方に向けられました。

「貴女がもしフルレット侯爵領にいたままだったら、危なかったわね」
「え?」
「アルブラニアは手段を選ばず貴女を連れ去ろうと計画して、陛下がそれに協力していたもの」
「何ですって!」「ちょっと待て!」
 驚きの声は私ではなく、王妃殿下とレイです。
「そんなに驚くこと? 陛下は王家の血を引く加護持ちの女性には国にいて欲しくないでしょ」
 それは、知っていましたけど。
 ここに来たのは王女様と入れ替わりで……いえ、最初に王都に来たのは。
 まさか、婚約破棄の以前から。
「もっと早くに偽物には気付くと思ったのだけど」
 ねぇ、と側妃様はレイを見ますが、レイだって流石に管轄外のそこは分かりませんでしょう。
「貴女ね……助けようとしても、やり方があるでしょう」
 少し呆れて王妃殿下が仰いました。
「私では小石を投げてさざ波を立てることしか出来ないのよ。これでも何処に小石を投げ込むかは悩んだのよ」
 偽物、あるいはトーラス様の周囲に側妃様が投げ込まれた小石は、私に届き私は王都にたどり着いた。
 あの出来事は、私の不幸ではなく、私のためだった。
 私にも言葉は出てきませんでした。
「それでも残念ね。前任の騎士団長もいらっしゃるから、もっと事は早く進むと思ったのに、全ては計画外ね。私も頭がいいわけじゃないから、しょうがないわね」
 悲しそうに微笑まれました。
 計画外とは、まさか。
 じっと見つめている私に気が付いた側妃様はにっこり笑って、少しだけ話を逸らしました。
「死んだことにすれば、穢れから逃れられるなんてことも知らなかったわ。死人は喋らない。だからあの方も誰にも話せなかった」
 実はウィルマの話で当時の騎士団長の事が出てきたとき、私はその部分だけ考えることを放棄しておりました。
 多くを知っておられたのに、何も語らず何もしないことも含め、私は味方ではなかったのかもしれないと考えるのがずっと怖かったのです。

 外が少し騒がしくなりました。
 ディルさんが誰かと言い争う大きな声が聞こえ、扉が乱暴に開かれました。
「王女殿下、ここにいてはいけません。至急離宮にお戻り下さい」
 ここには王妃殿下も第2王子殿下もおられるのに関わらず、真っ先に私の事ですか。
 ズカズカと女性の寝所に入ってくる騎士団長にも、若干呆れてしまいました。
「まあ、私の寝所はそんなに汚らわしいかしら」
 息子を亡くし自殺未遂まで起こされた方にまず非礼も詫びない騎士団長から、私を守るようにレイが前に出て私を背に隠してくれました。
「……そういう意味ではございません」
「あら、じゃあ、どういう意味? ねえ、オルト・レクスタ殿?」
 騎士団長をわざわざフルネームで呼ぶ意味は?
「やっと会えたわね。騎士団長さん」
 満面の笑みですが、嬉しいとはまた違った目に、私は側妃様の自殺未遂の真の目的が何処にあったのか理解しました。
 同じく気付かれたらしい王妃殿下は後退り、私達と並んで様子を窺うことにされたようです。
「何でしょうか……」
 ここ何日も続く異常な状態に疲れを溜めておられるようですが、騎士団長は血色も良く健康そうで、側妃様には怪訝な目を向けています。
 鈍い私でも、騎士団長が側妃様に何の敬意も持っておられないことに気づきました。
「とうとう私の息子まで殺したのね。そんなに穢れた血が嫌だったなら、陛下の渡りをお止めすれば良かったのに。そうすれば、生まれずに済んだのにね」
 話を聞いた騎士団長は大仰にため息をついて、
「……何を仰るかと思ったら。第3王子殿下はアルブラニアの者が殺したのですよ。心も病まれたようですね。王城から離れる手配をいたします」
「そのような権限、お前にはない」
 この場には王妃殿下もおられます。
「……陛下は何と仰るか」
「陛下なら側妃を留めよと仰るに決まっている。当たり前ではないか」
 陛下の執着は並々ならぬものだとは、王城の者なら誰しも知っていることですよね。
 騎士団長も王妃殿下の言葉には反論できませんでした。
 フレイ兄様の時とは違いますからね。飽くまでオラージュ公爵に会いたいから陛下も動いて上手くいっただけで、今回は全く陛下の心は動かないどころか拒否なさるでしょうね。
「しかし……」
「しかしではなく、まず穢れを加護持ちの王女に近付かせたくないなら、貴方が身を消すのが先ではなくて? 禁忌を犯した団長さん」
 冷たく見下すように側妃様は騎士団長を見つめておられました。
「は? 失礼にも程がある! やはりこんな穢れた女……」
「貴方の穢れで家族を殺しておいて、自分が身綺麗だと思っていらしたの?」
 そう、私は、騎士団長とは、騎士団長の奥様の葬儀で初めてお目にかかったのです。
 騎士団長の言葉は止まり、側妃様を見る目には疑問と怯えがありました。
「貴方も私の娘を見殺しにした1人でしょう。前任の騎士団長は責任を全うできなかったと辞任して身辺整理をして『亡くなった』とか。でも、貴方は目の前にぶら下げられた餌に飛びついたのね」
 前任の騎士団長は、穢れから家族や友人知人を守るために、自分を死んだことにしました。
 例え加護持ちを直接害したわけではなくても禁忌を犯したと見做されてしまったら、寿命まで生きて穢れをまき散らすことになります。それを防ぐための唯一の方法が、『死んだことにする』です。
 おかげで私は……イグニスさんから何も感じませんでしたし、フルレット侯爵領では周りも何事もなく暮らしておりました。
「加護持ちの王女を見殺しにしたのだから、汚れた血を引いてしまった私の息子を殺しても、貴方の理想とする正義の騎士にはなれないわよ。まして黒い犬なんてこともあり得ない。ただの小汚い野犬が烏滸がましい」
 怒りに思わず手を上げかけて、私達の目があることに気付いた騎士団長は、一歩、後退りました。
 イグニスさんが消えたことで騎士団長の座が空いて、自分が座れるかもしれないとなった時、当時の副団長だったこの方は騎士団長が消えた理由も頭から消えたのでしょうね。
 禁忌を犯したと見做されたかどうかは、人の目には分かりません。加護持ちでも気付いたり気付かなかったりするもののようです。だから、騎士団長は自分の家族が相次いで亡くなっていくのを、ただ不幸が続いているとだけ考えておられたのかもしれません。
 もしかすると、気付いていても目を逸らしていたのかもしれませんが。
「加護持ちの王女を既に殺している貴方には、加護持ちの王女を守護する資格がないとはっきり言わないと分からない?」

 誰もが黙っておりました。
 誰かが何かを知っていたのに、それぞれの保身とほんの少しの欲が、大きく歯車を狂わしていました。
「貴方の家族は何人亡くなったかしら? 貴方も『死ねば』家族は今も生きていたのにね。貴方の欲が、殺したのよ」
 側妃様は、陛下と騎士団長を憎んでいたのですね。
 助けてくれなかった王妃殿下より、直接関わった者を許せなかったのでしょう。
 恐らく、陛下も騎士団長も側妃様に謝罪したことはないでしょう。イグニスさんはどうされたか分かりませんが、この2人は加護持ちの王女のことを当然の如くなかったことにしたのですから、存在もしていない者のことで謝る必要も感じていなかったでしょうね。

 糸が切れたように力をなくした騎士団長は、フラフラと部屋から外に出ると、途端に勢いよく走り去って行かれました。
 誰もそれを追いかけません。

「ふふっ、私の娘は見殺し、私の息子は殺させて、あの方はどうして私を愛していると言うのかしらね。私の死んだ子供達のように私自身など必要ともしていないくせに……あの方の愛って一体何なのかしら」
 呟くように仰って、
「貴女は知ってる?」
「私にも分からないわ……」
 王妃殿下も小さな声で答えられました。
「少なくとも私だって陛下のことなんかこれっぽちも愛していないわ」
 ただ、王妃殿下はどこかすっきりとされた顔をなさいました。
「愛していたのはベルくらい?」
「過去でしょ。過去なら」
「ふふっ、でも貴女も2人も子供を産んだじゃない? 好きかと思っていたわ」
「まさか。私の子供はロクスの子供よ」
 置物になっていたら、とんでもない事実が発覚しました。
 思わずレイの腕を引っ張りました。
「知ってた?」
「初耳だよ……。レイディスが喜ぶだろうな」
 私達が小声でやりとりする向こうでは、王妃殿下と側妃様が楽しそうに話されております。
 本来はこういう関係だったのでしょうね。
 いつか、きっと養母や実母も輪に入って、昔のようにお茶会で楽しく過ごせる日がくるといいと思いました。
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