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5話
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静寂が売りの辺境の朝は、今や遠い記憶の彼方だ。
ガンツが昨夜から煮込んでいた特製いちごジャムの甘い香りが漂う室内。そこには、エプロン姿で必死に床を磨く「黄金の仔犬」こと、王子ルカの姿があった。
「ガンツ様!見てください、床が僕の顔を映すほどに輝いています!」
「……あんたがさっき派手に転んで、磨き粉をぶちまけたからだろうが。これ以上、俺の家を不自然に光らせるんじゃねえ」
ガンツは溜息を吐きながら、戸棚の奥から古びた木箱を取り出した。
その中には、傭兵時代に命を預け合った相棒、バズから渡された魔導通信機が入っている。滅多なことでは鳴らないはずのそれが、先ほどから不気味な鈍い光を放ち、小刻みに震えていた。
「(嫌な予感しかしてねえ……)」
ガンツが意を決して通信機の蓋を開け、魔力を流し込む。
すると、空間に青白い光の幕が広がり、そこに無精髭を生やした軽薄そうな男の顔が浮かび上がった。
『よぉ、地獄の番犬様!隠居生活はどうだい?熊とダンスでも踊ってるか?』
映像の中のバズは、相変わらず人を食ったような笑みを浮かべていた。
「バズか。……何の用だ。俺は今、人生最大の『邪魔者』の相手で忙しいんだよ」
『ははっ!お前のその強面がさらに険しくなってるぜ。だがな、ガンツ。笑い事じゃねえ。お前、今すぐそこから逃げろ。あるいは、その王子様を袋に詰めて王宮の前に捨ててこい』
バズの言葉に、ガンツの眉間が深く寄った。
「……何を知ってやがる」
『いいか、よく聞けよ。王都は大パニックだ。第三王子ルカ・フォン・グランディアが、書き置き一つ残して失踪した。しかも、目撃情報によれば「顔に大きな古傷のある、山のような大男に拐われた」ってことになってるんだよ!』
「拐ってねえ!勝手に付いてきたんだ!」
『世間様はそう見てくれねえんだよ。今、王宮騎士団はお前のことを「国宝を盗んだSSS級の誘拐犯」として指名手配した。宰相のレオンが泡を吹いて倒れたらしいぜ』
バズの言葉に、ガンツは思わず自分の額を押さえた。
静かにジャムを作って暮らすはずが、いつの間にか国家反逆罪の片棒を担がされている。
「ルカ!おい、あんた、自分が何をしたか分かって……」
叱り飛ばそうと振り返ったガンツの言葉が、途中で止まった。
床を磨いていたはずのルカが、その場に力なく膝をつき、肩を激しく上下させていたからだ。
「……ルカ?」
「あ、れ……?ガンツ様、なんだか、あなたの顔が三つくらいに見えます……。やっぱり、あなたは何度見ても、かっこいい……」
そう呟いたのを最後に、ルカの身体がぐらりと傾いた。
「おい、しっかりしろ!」
ガンツは咄嗟に駆け寄り、倒れる寸前のルカをその太い腕で受け止めた。
腕の中に収まった王子の身体は、驚くほど熱い。
「うわっ、熱いな……!バズ、一旦切るぞ!」
『おい待てガンツ!まだ重要な話が……』
通信機を強引に閉じ、ガンツはルカを横抱きにして寝台へと運んだ。
顔を真っ赤に染め、苦しげに呼吸をするルカ。どうやら、慣れない長旅と不慣れな家事、そして慣れない「恋」の緊張が限界を超えてしまったらしい。
「まったく、あんたって奴は……」
ガンツは悪態をつきながらも、手早く手拭いを水に浸し、ルカの額に乗せた。
王宮から逃げ出した挙句、指名手配の原因を作り、挙句の果てにはこの忙しい時に倒れる。どこまでも手のかかる、文字通りの「お荷物」だ。
だが、熱に浮かされながらも、ルカはガンツの服の裾をぎゅっと握って離そうとしなかった。
「……行かないで……ガンツ、様……。僕を、置いていかないで……」
消え入りそうな声。
その弱々しい姿に、ガンツの胸の奥がわずかに疼く。
俺は傭兵だ。合理的に考えるなら、こいつを縛り上げて騎士団に突き出すのが正解だ。そうすれば隠居生活は守られる。
だが、この震える手を振り払うことが、今のガンツにはどうしてもできなかった。
「……分かってるよ。俺の邪魔をするって決めたんなら、最後まで責任持ちやがれ。こんなところでくたばるんじゃねえぞ」
ガンツは不器用な手つきで、ルカの頭を乱暴に、しかし優しく撫でた。
窓の外では、夕闇が迫り始めていた。
静かだったはずの家には、病人の苦しげな吐息と、それを守る元傭兵の静かな気配だけが満ちている。
指名手配、追っ手、そして王子の熱。
ガンツの隠居生活は、もはや後戻りできないほどに、波乱の渦中へと飲み込まれていった。
ガンツが昨夜から煮込んでいた特製いちごジャムの甘い香りが漂う室内。そこには、エプロン姿で必死に床を磨く「黄金の仔犬」こと、王子ルカの姿があった。
「ガンツ様!見てください、床が僕の顔を映すほどに輝いています!」
「……あんたがさっき派手に転んで、磨き粉をぶちまけたからだろうが。これ以上、俺の家を不自然に光らせるんじゃねえ」
ガンツは溜息を吐きながら、戸棚の奥から古びた木箱を取り出した。
その中には、傭兵時代に命を預け合った相棒、バズから渡された魔導通信機が入っている。滅多なことでは鳴らないはずのそれが、先ほどから不気味な鈍い光を放ち、小刻みに震えていた。
「(嫌な予感しかしてねえ……)」
ガンツが意を決して通信機の蓋を開け、魔力を流し込む。
すると、空間に青白い光の幕が広がり、そこに無精髭を生やした軽薄そうな男の顔が浮かび上がった。
『よぉ、地獄の番犬様!隠居生活はどうだい?熊とダンスでも踊ってるか?』
映像の中のバズは、相変わらず人を食ったような笑みを浮かべていた。
「バズか。……何の用だ。俺は今、人生最大の『邪魔者』の相手で忙しいんだよ」
『ははっ!お前のその強面がさらに険しくなってるぜ。だがな、ガンツ。笑い事じゃねえ。お前、今すぐそこから逃げろ。あるいは、その王子様を袋に詰めて王宮の前に捨ててこい』
バズの言葉に、ガンツの眉間が深く寄った。
「……何を知ってやがる」
『いいか、よく聞けよ。王都は大パニックだ。第三王子ルカ・フォン・グランディアが、書き置き一つ残して失踪した。しかも、目撃情報によれば「顔に大きな古傷のある、山のような大男に拐われた」ってことになってるんだよ!』
「拐ってねえ!勝手に付いてきたんだ!」
『世間様はそう見てくれねえんだよ。今、王宮騎士団はお前のことを「国宝を盗んだSSS級の誘拐犯」として指名手配した。宰相のレオンが泡を吹いて倒れたらしいぜ』
バズの言葉に、ガンツは思わず自分の額を押さえた。
静かにジャムを作って暮らすはずが、いつの間にか国家反逆罪の片棒を担がされている。
「ルカ!おい、あんた、自分が何をしたか分かって……」
叱り飛ばそうと振り返ったガンツの言葉が、途中で止まった。
床を磨いていたはずのルカが、その場に力なく膝をつき、肩を激しく上下させていたからだ。
「……ルカ?」
「あ、れ……?ガンツ様、なんだか、あなたの顔が三つくらいに見えます……。やっぱり、あなたは何度見ても、かっこいい……」
そう呟いたのを最後に、ルカの身体がぐらりと傾いた。
「おい、しっかりしろ!」
ガンツは咄嗟に駆け寄り、倒れる寸前のルカをその太い腕で受け止めた。
腕の中に収まった王子の身体は、驚くほど熱い。
「うわっ、熱いな……!バズ、一旦切るぞ!」
『おい待てガンツ!まだ重要な話が……』
通信機を強引に閉じ、ガンツはルカを横抱きにして寝台へと運んだ。
顔を真っ赤に染め、苦しげに呼吸をするルカ。どうやら、慣れない長旅と不慣れな家事、そして慣れない「恋」の緊張が限界を超えてしまったらしい。
「まったく、あんたって奴は……」
ガンツは悪態をつきながらも、手早く手拭いを水に浸し、ルカの額に乗せた。
王宮から逃げ出した挙句、指名手配の原因を作り、挙句の果てにはこの忙しい時に倒れる。どこまでも手のかかる、文字通りの「お荷物」だ。
だが、熱に浮かされながらも、ルカはガンツの服の裾をぎゅっと握って離そうとしなかった。
「……行かないで……ガンツ、様……。僕を、置いていかないで……」
消え入りそうな声。
その弱々しい姿に、ガンツの胸の奥がわずかに疼く。
俺は傭兵だ。合理的に考えるなら、こいつを縛り上げて騎士団に突き出すのが正解だ。そうすれば隠居生活は守られる。
だが、この震える手を振り払うことが、今のガンツにはどうしてもできなかった。
「……分かってるよ。俺の邪魔をするって決めたんなら、最後まで責任持ちやがれ。こんなところでくたばるんじゃねえぞ」
ガンツは不器用な手つきで、ルカの頭を乱暴に、しかし優しく撫でた。
窓の外では、夕闇が迫り始めていた。
静かだったはずの家には、病人の苦しげな吐息と、それを守る元傭兵の静かな気配だけが満ちている。
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