6 / 17
6話
しおりを挟む
深い溜息が、夜の静寂に溶けていく。
ガンツは、自分の寝台を占領して熱にうなされている「黄金の厄介者」を眺め、本日何度目か分からない後悔を噛み締めていた。
普段はうるさいほどに跳ね回っているルカだが、今は青白い顔をして、時折苦しげに眉を寄せている。金色の短髪は汗で額に張り付き、宝石のような青い瞳は固く閉じられたままだ。
「……まったく、世話の焼ける王子様だぜ」
ガンツは無骨な指先で、ぬるくなった手拭いを絞り、ルカの額に乗せ直した。
SSSランクの元傭兵が、深夜に王子の看病。バズが見れば腹を抱えて笑い転げるだろうが、当の本人にそんな余裕はない。ルカが熱に浮かされて握りしめたガンツの服の裾は、無理に引き剥がそうとすれば破れてしまいそうなほど強く握りしめられていた。
そのまま、ガンツは寝台の横に腰を下ろし、ルカの寝顔を見つめる。
熱い吐息と共に漏れる「ガンツ様……」という呟き。
その声を聞いているうちに、ガンツの意識は、忘れていたはずの十年前の記憶へと引き戻されていった。
十年前、ガンツはまだ二十代前半の、血気盛んな若手傭兵だった。
実力こそ頭抜けていたが、今よりもずっと刺々しく、他者との関わりを拒絶していた時期だ。そんな彼に舞い込んできたのが、隣国の盗賊団に拐われた「第三王子」の奪還という極秘任務だった。
嵐の夜だった。
ガンツはたった一人で盗賊の砦に乗り込み、立ちはだかる敵を次々と力でねじ伏せた。返り血を浴び、死神のような面構えで最奥の檻を壊した時、そこにいたのが十歳のルカだった。
豪華な衣装は泥と涙で汚れ、小さな身体は恐怖でガタガタと震えていた。
「……おい、迎えに来た。立てるか」
今の自分よりもさらに恐ろしい形相をしていたはずのガンツを、幼いルカは怯えた目で見つめていた。だが、ガンツが差し出した、血で汚れた大きな手を、少年は縋り付くようにして両手で握りしめたのだ。
その時の、凍えるほど冷たかった小さな手の感触。
崩れ落ちる砦から少年を抱き上げ、雨の中を走り抜けた時の、背中に感じた微かな鼓動。
王宮の騎士団に引き渡す際、少年は泣きじゃくりながら「また会えますか」と、ガンツの服の裾を掴んで離そうとしなかった。
あの時も、今と同じように……。
「……あ、う……」
不意にルカが声を漏らし、睫毛を震わせた。
ガンツは慌てて過去の追憶を振り払い、ルカの顔を覗き込む。
「おい、ルカ。気がついたか」
ゆっくりと開かれた青い瞳は、まだ熱で潤んでいたが、目の前にいる大男を認めると、ふにゃりと力なく弛んだ。
「……ガンツ、様……。僕、まだ、生きてますか……?」
「馬鹿言ってんじゃねえ。たかが知恵熱で死なれてたまるか。ほら、水を飲め」
ガンツはルカの背中を支えて起こし、水差しから器に注いだ水を口元に運んだ。
ルカは喉を鳴らして水を飲み干すと、満足そうに吐息をつき、そのままガンツの逞しい胸板に頭を預けてきた。
「……温かい。やっぱり、ガンツ様は……あの時と同じ、匂いがします」
「匂いだぁ?血生臭い傭兵の匂いだろうが。早く寝ろ」
「違います……。あの日、真っ暗な檻の中で、僕を救い出してくれた……僕だけの、英雄の匂い……」
ルカの声は次第に小さくなり、再び眠りの淵へと沈んでいく。
しかし、その顔には先ほどまでの苦悶はなく、どこか安らかな微笑みが浮かんでいた。
ガンツは、預けられた頭の重みを心地よく感じている自分に気づき、慌てて首を振った。
「(英雄、ねぇ……。あんたの中じゃ、俺はいつまで経っても、あの時のままなんだな)」
自分は年を取り、傷は増え、心も枯れ果てた。
だが、この王子は十年前のあの日から一歩も引かず、まっすぐに自分の背中を追い続けてきたのだ。その事実が、岩のように硬いガンツの心を、少しずつ、しかし確実に削り取っていく。
窓の外では、夜明けの光がうっすらと差し込み始めていた。
ルカの熱は、峠を越えたようだ。
握られた服の裾を解こうとしたガンツだったが、王子の寝顔があまりにも幸せそうだったため、結局、そのまま朝日が昇るまで隣に座り続けることにした。
静かに暮らしたいという願いは、もう叶いそうにない。
だが、この騒がしくて熱い「邪魔者」が隣にいない朝を想像した時、ガンツの胸に去来したのは、かつて味わったことのない妙な寂しさだった。
「おやすみ、ルカ。……いや、もうおはよう、か」
ガンツの呟きは、誰にも聞こえないほど小さかった。
伝説の元傭兵は、自分が無意識のうちにルカの髪を指先で整えていることに、まだ気づいていなかった。
ガンツは、自分の寝台を占領して熱にうなされている「黄金の厄介者」を眺め、本日何度目か分からない後悔を噛み締めていた。
普段はうるさいほどに跳ね回っているルカだが、今は青白い顔をして、時折苦しげに眉を寄せている。金色の短髪は汗で額に張り付き、宝石のような青い瞳は固く閉じられたままだ。
「……まったく、世話の焼ける王子様だぜ」
ガンツは無骨な指先で、ぬるくなった手拭いを絞り、ルカの額に乗せ直した。
SSSランクの元傭兵が、深夜に王子の看病。バズが見れば腹を抱えて笑い転げるだろうが、当の本人にそんな余裕はない。ルカが熱に浮かされて握りしめたガンツの服の裾は、無理に引き剥がそうとすれば破れてしまいそうなほど強く握りしめられていた。
そのまま、ガンツは寝台の横に腰を下ろし、ルカの寝顔を見つめる。
熱い吐息と共に漏れる「ガンツ様……」という呟き。
その声を聞いているうちに、ガンツの意識は、忘れていたはずの十年前の記憶へと引き戻されていった。
十年前、ガンツはまだ二十代前半の、血気盛んな若手傭兵だった。
実力こそ頭抜けていたが、今よりもずっと刺々しく、他者との関わりを拒絶していた時期だ。そんな彼に舞い込んできたのが、隣国の盗賊団に拐われた「第三王子」の奪還という極秘任務だった。
嵐の夜だった。
ガンツはたった一人で盗賊の砦に乗り込み、立ちはだかる敵を次々と力でねじ伏せた。返り血を浴び、死神のような面構えで最奥の檻を壊した時、そこにいたのが十歳のルカだった。
豪華な衣装は泥と涙で汚れ、小さな身体は恐怖でガタガタと震えていた。
「……おい、迎えに来た。立てるか」
今の自分よりもさらに恐ろしい形相をしていたはずのガンツを、幼いルカは怯えた目で見つめていた。だが、ガンツが差し出した、血で汚れた大きな手を、少年は縋り付くようにして両手で握りしめたのだ。
その時の、凍えるほど冷たかった小さな手の感触。
崩れ落ちる砦から少年を抱き上げ、雨の中を走り抜けた時の、背中に感じた微かな鼓動。
王宮の騎士団に引き渡す際、少年は泣きじゃくりながら「また会えますか」と、ガンツの服の裾を掴んで離そうとしなかった。
あの時も、今と同じように……。
「……あ、う……」
不意にルカが声を漏らし、睫毛を震わせた。
ガンツは慌てて過去の追憶を振り払い、ルカの顔を覗き込む。
「おい、ルカ。気がついたか」
ゆっくりと開かれた青い瞳は、まだ熱で潤んでいたが、目の前にいる大男を認めると、ふにゃりと力なく弛んだ。
「……ガンツ、様……。僕、まだ、生きてますか……?」
「馬鹿言ってんじゃねえ。たかが知恵熱で死なれてたまるか。ほら、水を飲め」
ガンツはルカの背中を支えて起こし、水差しから器に注いだ水を口元に運んだ。
ルカは喉を鳴らして水を飲み干すと、満足そうに吐息をつき、そのままガンツの逞しい胸板に頭を預けてきた。
「……温かい。やっぱり、ガンツ様は……あの時と同じ、匂いがします」
「匂いだぁ?血生臭い傭兵の匂いだろうが。早く寝ろ」
「違います……。あの日、真っ暗な檻の中で、僕を救い出してくれた……僕だけの、英雄の匂い……」
ルカの声は次第に小さくなり、再び眠りの淵へと沈んでいく。
しかし、その顔には先ほどまでの苦悶はなく、どこか安らかな微笑みが浮かんでいた。
ガンツは、預けられた頭の重みを心地よく感じている自分に気づき、慌てて首を振った。
「(英雄、ねぇ……。あんたの中じゃ、俺はいつまで経っても、あの時のままなんだな)」
自分は年を取り、傷は増え、心も枯れ果てた。
だが、この王子は十年前のあの日から一歩も引かず、まっすぐに自分の背中を追い続けてきたのだ。その事実が、岩のように硬いガンツの心を、少しずつ、しかし確実に削り取っていく。
窓の外では、夜明けの光がうっすらと差し込み始めていた。
ルカの熱は、峠を越えたようだ。
握られた服の裾を解こうとしたガンツだったが、王子の寝顔があまりにも幸せそうだったため、結局、そのまま朝日が昇るまで隣に座り続けることにした。
静かに暮らしたいという願いは、もう叶いそうにない。
だが、この騒がしくて熱い「邪魔者」が隣にいない朝を想像した時、ガンツの胸に去来したのは、かつて味わったことのない妙な寂しさだった。
「おやすみ、ルカ。……いや、もうおはよう、か」
ガンツの呟きは、誰にも聞こえないほど小さかった。
伝説の元傭兵は、自分が無意識のうちにルカの髪を指先で整えていることに、まだ気づいていなかった。
114
あなたにおすすめの小説
侯爵令息セドリックの憂鬱な日
めちゅう
BL
第二王子の婚約者候補侯爵令息セドリック・グランツはある日王子の婚約者が決定した事を聞いてしまう。しかし先に王子からお呼びがかかったのはもう一人の候補だった。候補落ちを確信し泣き腫らした次の日は憂鬱な気分で幕を開ける———
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
初投稿で拙い文章ですが楽しんでいただけますと幸いです。
【16話完結】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている
キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。
今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。
魔法と剣が支配するリオセルト大陸。
平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。
過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。
すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。
――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。
切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。
お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /チャッピー
AI比較企画作品
貧乏子爵のオメガ令息は、王子妃候補になりたくない
こたま 療養中
BL
山あいの田舎で、子爵とは名ばかりの殆ど農家な仲良し一家で育ったラリー。男オメガで貧乏子爵。このまま実家で生きていくつもりであったが。王から未婚の貴族オメガにはすべからく王子妃候補の選定のため王宮に集うようお達しが出た。行きたくないしお金も無い。辞退するよう手紙を書いたのに、近くに遠征している騎士団が帰る時、迎えに行って一緒に連れていくと連絡があった。断れないの?高貴なお嬢様にイジメられない?不安だらけのラリーを迎えに来たのは美丈夫な騎士のニールだった。
愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない
了承
BL
卒業パーティー。
皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。
青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。
皇子が目を向けた、その瞬間——。
「この瞬間だと思った。」
すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。
IFストーリーあり
誤字あれば報告お願いします!
優秀な婚約者が去った後の世界
月樹《つき》
BL
公爵令嬢パトリシアは婚約者である王太子ラファエル様に会った瞬間、前世の記憶を思い出した。そして、ここが前世の自分が読んでいた小説『光溢れる国であなたと…』の世界で、自分は光の聖女と王太子ラファエルの恋を邪魔する悪役令嬢パトリシアだと…。
パトリシアは前世の知識もフル活用し、幼い頃からいつでも逃げ出せるよう腕を磨き、そして準備が整ったところでこちらから婚約破棄を告げ、母国を捨てた…。
このお話は捨てられた後の王太子ラファエルのお話です。
陛下の前で婚約破棄!………でも実は……(笑)
ミクリ21
BL
陛下を祝う誕生パーティーにて。
僕の婚約者のセレンが、僕に婚約破棄だと言い出した。
隣には、婚約者の僕ではなく元平民少女のアイルがいる。
僕を断罪するセレンに、僕は涙を流す。
でも、実はこれには訳がある。
知らないのは、アイルだけ………。
さぁ、楽しい楽しい劇の始まりさ〜♪
出戻り王子が幸せになるまで
あきたいぬ大好き(深凪雪花)
BL
初恋の相手と政略結婚した主人公セフィラだが、相手には愛人ながら本命がいたことを知る。追及した結果、離縁されることになり、母国に出戻ることに。けれど、バツイチになったせいか父王に厄介払いされ、後宮から追い出されてしまう。王都の下町で暮らし始めるが、ふと訪れた先の母校で幼馴染であるフレンシスと再会。事情を話すと、突然求婚される。
一途な幼馴染×強がり出戻り王子のお話です。
※他サイトにも掲載しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる