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後日談
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隠居生活の再契約、もとい事実上の婚約という名の終身雇用が決まってから数日。辺境の一軒家には、かつてないほどの緊張感が漂っていた。
理由は単純である。国王陛下から「一度顔を見せに来い」という、断れば反逆罪になりかねない招待状――呼び出し――が届いたからだ。
「――おい、ルカ。これ、本当に着なきゃならねえのか。腕を少し動かしただけで、背中の縫い目が悲鳴を上げてるんだが」
鏡の前で、ガンツは苦悶の表情を浮かべていた。彼が身に纏っているのは、王宮から急ぎで送られてきた最高級の礼服だ。漆黒の生地に銀の刺繍が施されたそれは、確かに気品に満ちている。だが、SSSランクの傭兵として鍛え上げられた岩のような筋肉を詰め込むには、あまりにも繊細すぎた。
「似合っていますよ、ガンツ様!まるで闇夜を統べる暗黒騎士のようです。あぁ、その窮屈そうな胸板のラインが、僕の理性をじわじわと削り取っていきます!」
背後で自分の正装を整えながら、ルカが頬を染めて叫んだ。
「あんたの理性の心配はしてねえ。俺の、この、布切れ一枚隔てた向こう側にある殺意の心配をしろ」
「まぁまぁ、ガンツ殿。今日一日だけの辛抱です。殿下が毎日書き送る結婚予算案のせいで、陛下は半分ノイローゼ気味ですから。穏便に、あくまで穏便に挨拶を済ませましょう」
横で胃薬をボリボリと噛み砕きながら、レオンが死んだ魚のような目で告げた。
こうして一行は、豪華な王宮馬車に揺られて王都へと向かった。
王宮の巨大な正門に到着した瞬間、立ち並ぶ衛兵たちの顔が一斉に引き攣った。馬車から降りてきたのは、王国の愛されキャラである第三王子ルカと、その背後に控える、死神を具現化したような巨漢である。
ガンツはただ、窮屈な襟元が苦しくて周囲を睨みつけただけだった。しかし、その鋭い眼光と右目の古傷は、経験豊富な衛兵たちに「暗殺者が堂々と正面突破してきた」という錯覚を抱かせるに十分だった。
「ひ、引くな!殿下をお守りしろ!」
「馬鹿、あの男が特別騎士のガンツ様だ!……って、本物かよ。あんなのと戦わされる騎士団の身にもなれってんだ」
小声で交わされる恐怖の言葉を耳にしながら、ガンツは重い足取りで深紅の絨毯を進んだ。
そして、ついに謁見の間。
玉座に座る国王陛下は、ガンツが姿を現した瞬間、持っていた扇を床に落とした。
「……ル、ルカよ。それが、お前が一生を添い遂げると言った『優しくて刺繍が趣味の隠者』か?」
国王の問いに、ルカは胸を張り、これ以上ないほどの笑顔で答えた。
「はい、父上!僕の英雄で、僕の最高に愛おしいガンツ様です!見てください、この威圧感。並の刺客なら視線だけで消し飛びますよ!」
「威圧感、ではない。もはや呪術の類ではないか」
国王は震える手で眼鏡を掛け直した。
ガンツは、あらかじめレオンに叩き込まれた礼法を思い出し、不器用に膝をついた。筋肉がミシミシと鳴り、礼服のボタンが一つ、弾け飛んで王座の足元まで転がっていった。
「――王国の、第三王子付特別騎士、ガンツだ。……殿下には、その、いつもお世話になってる」
精一杯の敬語だった。だが、地響きのような低音で発せられたその言葉は、まるで「お前の息子は俺がもらった」という宣戦布告のように謁見の間に響き渡った。
静まり返る場内。国王の頬を冷や汗が伝う。
そこでルカが、追い打ちをかけるように一歩前に出た。
「父上。挨拶の印に、ガンツ様が丹精込めて作った特製ジャムを持ってきました!これ、世界一美味しいんですよ。僕、このジャムのためなら王位継承権も、おやつのプリンも全部捨てられます!」
ルカが差し出したのは、昨日ガンツが徹夜で瓶詰めした、真っ赤な苺ジャムだった。
国王は恐る恐るその瓶を受け取った。その瓶を握るガンツの指先が、あまりにも繊細に動くのを見て、国王は妙な違和感を覚えた。
「……ジャム。この男が、作ったのか?」
「はい!刺繍もすごく上手なんです。僕のハンカチに、可愛いウサギさんを縫ってくれたんですよ!」
ルカが懐から、確かに精密な(そしてどこか力強い)ウサギの刺繍が施されたハンカチを取り出した。
そのギャップに、謁見の間にいた貴族たちが一斉にざわついた。
「……ほう。この、一振りで城壁を壊しそうな男が、ウサギを」
国王はジャムの瓶を開け、用意されたスプーンで一口だけ口に運んだ。
瞬間、国王の表情が劇的に和らいだ。
「……甘い。あぁ、なるほど。レオンが言っていた『王子の情緒の安定』とは、このことだったのか」
国王は深いため息を吐き出し、ようやくリラックスした様子で玉座の背もたれに身を預けた。
「ガンツよ。お前が我が息子をどうにかしているのではないかと疑っていたが、どうやら逆だったようだな。……このバカ息子が、お前の平穏な隠居生活を台無しにしているのだな?」
「全くだ。俺はただ、静かに暮らしたかっただけなんだがな」
ガンツが本音を漏らすと、国王は初めて声を上げて笑った。
「同情する。我が家系は一度惚れたものには執念深い。……よい。三ヶ月と言わず、終身、その職を全うせよ。ただし、あまり王都には来るな。騎士団の士気が、恐怖で下がる一方だからな」
こうして、史上稀に見る「威圧的な挨拶」は、一瓶のジャムによって円満に解決した。
帰り際、王宮の裏庭を通る際、ルカは嬉しそうにガンツの腕に抱きついた。
「見ましたか、ガンツ様!父上も、ジャムの美味しさに降伏していましたよ!僕たちの愛の勝利です!」
「うるせえ、ジャムの力だ。……それより、早く帰らせろ。この服のせいで、肩が凝って死にそうだ」
「えへへ、お家に着いたら、僕が特製のマッサージをして差し上げますね。あ、ついでに夜の再契約も……」
「あんたは余計なことをするな!」
夕闇の中、王宮を後にする馬車の中で、ガンツは再び窮屈な襟を緩めた。
王宮の煌びやかな装飾よりも、辺境の不便な一軒家の方が、今の彼にとってはよっぽど居心地がいい。何より、隣でうるさいほどに幸せを語る、このバカ王子のいる場所こそが、今の自分にとっての唯一の居場所なのだ。
ガンツは不器用な手つきで、ルカの髪を乱暴に撫でた。
静かな隠居生活はどこへやら。
だが、煮詰まったジャムのように濃厚で、騒がしい日々は、これからもずっと、この王都から遠く離れた森の中で続いていくのだった。
理由は単純である。国王陛下から「一度顔を見せに来い」という、断れば反逆罪になりかねない招待状――呼び出し――が届いたからだ。
「――おい、ルカ。これ、本当に着なきゃならねえのか。腕を少し動かしただけで、背中の縫い目が悲鳴を上げてるんだが」
鏡の前で、ガンツは苦悶の表情を浮かべていた。彼が身に纏っているのは、王宮から急ぎで送られてきた最高級の礼服だ。漆黒の生地に銀の刺繍が施されたそれは、確かに気品に満ちている。だが、SSSランクの傭兵として鍛え上げられた岩のような筋肉を詰め込むには、あまりにも繊細すぎた。
「似合っていますよ、ガンツ様!まるで闇夜を統べる暗黒騎士のようです。あぁ、その窮屈そうな胸板のラインが、僕の理性をじわじわと削り取っていきます!」
背後で自分の正装を整えながら、ルカが頬を染めて叫んだ。
「あんたの理性の心配はしてねえ。俺の、この、布切れ一枚隔てた向こう側にある殺意の心配をしろ」
「まぁまぁ、ガンツ殿。今日一日だけの辛抱です。殿下が毎日書き送る結婚予算案のせいで、陛下は半分ノイローゼ気味ですから。穏便に、あくまで穏便に挨拶を済ませましょう」
横で胃薬をボリボリと噛み砕きながら、レオンが死んだ魚のような目で告げた。
こうして一行は、豪華な王宮馬車に揺られて王都へと向かった。
王宮の巨大な正門に到着した瞬間、立ち並ぶ衛兵たちの顔が一斉に引き攣った。馬車から降りてきたのは、王国の愛されキャラである第三王子ルカと、その背後に控える、死神を具現化したような巨漢である。
ガンツはただ、窮屈な襟元が苦しくて周囲を睨みつけただけだった。しかし、その鋭い眼光と右目の古傷は、経験豊富な衛兵たちに「暗殺者が堂々と正面突破してきた」という錯覚を抱かせるに十分だった。
「ひ、引くな!殿下をお守りしろ!」
「馬鹿、あの男が特別騎士のガンツ様だ!……って、本物かよ。あんなのと戦わされる騎士団の身にもなれってんだ」
小声で交わされる恐怖の言葉を耳にしながら、ガンツは重い足取りで深紅の絨毯を進んだ。
そして、ついに謁見の間。
玉座に座る国王陛下は、ガンツが姿を現した瞬間、持っていた扇を床に落とした。
「……ル、ルカよ。それが、お前が一生を添い遂げると言った『優しくて刺繍が趣味の隠者』か?」
国王の問いに、ルカは胸を張り、これ以上ないほどの笑顔で答えた。
「はい、父上!僕の英雄で、僕の最高に愛おしいガンツ様です!見てください、この威圧感。並の刺客なら視線だけで消し飛びますよ!」
「威圧感、ではない。もはや呪術の類ではないか」
国王は震える手で眼鏡を掛け直した。
ガンツは、あらかじめレオンに叩き込まれた礼法を思い出し、不器用に膝をついた。筋肉がミシミシと鳴り、礼服のボタンが一つ、弾け飛んで王座の足元まで転がっていった。
「――王国の、第三王子付特別騎士、ガンツだ。……殿下には、その、いつもお世話になってる」
精一杯の敬語だった。だが、地響きのような低音で発せられたその言葉は、まるで「お前の息子は俺がもらった」という宣戦布告のように謁見の間に響き渡った。
静まり返る場内。国王の頬を冷や汗が伝う。
そこでルカが、追い打ちをかけるように一歩前に出た。
「父上。挨拶の印に、ガンツ様が丹精込めて作った特製ジャムを持ってきました!これ、世界一美味しいんですよ。僕、このジャムのためなら王位継承権も、おやつのプリンも全部捨てられます!」
ルカが差し出したのは、昨日ガンツが徹夜で瓶詰めした、真っ赤な苺ジャムだった。
国王は恐る恐るその瓶を受け取った。その瓶を握るガンツの指先が、あまりにも繊細に動くのを見て、国王は妙な違和感を覚えた。
「……ジャム。この男が、作ったのか?」
「はい!刺繍もすごく上手なんです。僕のハンカチに、可愛いウサギさんを縫ってくれたんですよ!」
ルカが懐から、確かに精密な(そしてどこか力強い)ウサギの刺繍が施されたハンカチを取り出した。
そのギャップに、謁見の間にいた貴族たちが一斉にざわついた。
「……ほう。この、一振りで城壁を壊しそうな男が、ウサギを」
国王はジャムの瓶を開け、用意されたスプーンで一口だけ口に運んだ。
瞬間、国王の表情が劇的に和らいだ。
「……甘い。あぁ、なるほど。レオンが言っていた『王子の情緒の安定』とは、このことだったのか」
国王は深いため息を吐き出し、ようやくリラックスした様子で玉座の背もたれに身を預けた。
「ガンツよ。お前が我が息子をどうにかしているのではないかと疑っていたが、どうやら逆だったようだな。……このバカ息子が、お前の平穏な隠居生活を台無しにしているのだな?」
「全くだ。俺はただ、静かに暮らしたかっただけなんだがな」
ガンツが本音を漏らすと、国王は初めて声を上げて笑った。
「同情する。我が家系は一度惚れたものには執念深い。……よい。三ヶ月と言わず、終身、その職を全うせよ。ただし、あまり王都には来るな。騎士団の士気が、恐怖で下がる一方だからな」
こうして、史上稀に見る「威圧的な挨拶」は、一瓶のジャムによって円満に解決した。
帰り際、王宮の裏庭を通る際、ルカは嬉しそうにガンツの腕に抱きついた。
「見ましたか、ガンツ様!父上も、ジャムの美味しさに降伏していましたよ!僕たちの愛の勝利です!」
「うるせえ、ジャムの力だ。……それより、早く帰らせろ。この服のせいで、肩が凝って死にそうだ」
「えへへ、お家に着いたら、僕が特製のマッサージをして差し上げますね。あ、ついでに夜の再契約も……」
「あんたは余計なことをするな!」
夕闇の中、王宮を後にする馬車の中で、ガンツは再び窮屈な襟を緩めた。
王宮の煌びやかな装飾よりも、辺境の不便な一軒家の方が、今の彼にとってはよっぽど居心地がいい。何より、隣でうるさいほどに幸せを語る、このバカ王子のいる場所こそが、今の自分にとっての唯一の居場所なのだ。
ガンツは不器用な手つきで、ルカの髪を乱暴に撫でた。
静かな隠居生活はどこへやら。
だが、煮詰まったジャムのように濃厚で、騒がしい日々は、これからもずっと、この王都から遠く離れた森の中で続いていくのだった。
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