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森の飼い猫
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森の端にあるハロルドの家から中心にある巨大な古木のところまでは、私の足で走り続けてもそこそこ時間がかかる。
(飛んでいったマクシムスはもう着いてるかな?)
不安に思いながら考える。あの古木は周りの木より大きいから、空から見たら見つけやすいはず。
(でももう暗くなってきたから、まだ見つけられてない可能性もある)
森の中は灯りもなくて真っ暗だから、マクシムスも動けなくなっているかも。
そんな期待を抱きながら私は走り続けた。いつもならこんなに頑張ったらすぐに疲れて寝転んじゃうけど、今は焦りと不安がエネルギーになって不思議と疲れを感じない。
そうして息を切らせながら森の中心部に着いたところで、私の瞳にいくつもの光が映った。
(何だ、あれ……?)
森の中を無数の赤い光の玉が照らしている。光はリンゴほどの大きさで、それこそ木に実が生るように、あちこちの枝で光を放っていた。
そしてその光を受けているのは、巨大な古木とマクシムスだ。
(もう着いてた!)
私は慌てて彼の元へ向かう。マクシムスは指で古木を中心とした地面にびっしりと文字を描いている。古木の幹にまで描いているし、変則的な魔法陣って感じがした。たぶん周囲の赤い光もマクシムスが魔法で作り出したものだろう。
「ミー!」
人の寝床に何するんだ! と怒ると、マクシムスはフッと笑ってこちらを見る。
「おや、君も来たの? これから面白いものが見られるよ」
そんなの見たくないと、私は地面に描かれた文字を前足を使って消そうとした。しかしそこで、文字は地面や古木の幹に直接描かれているわけではないと気づく。
よく見ると、文字は地面から数十センチ、古木の幹からも数センチ離れたところに描かれていて、文字だけ浮いている状態だったのだ。
しかも淡く発光している文字は私が前足で消そうとしても触れられない。
「この文字は僕の魔力を使って描いたものだから、こんなふうにでこぼこの地面や草を避けて浮かせて描くことができるし、簡単には消えないんだ」
ハロルドやリュリーでもこんな魔法陣の描き方はできないはずだ。マクシムスは単に魔力をたくさん持っているというだけでなく、魔法にも詳しいようだ。きっと長年研究してきたのだろう。
「この古木を一目見て分かったよ。星降る森の神はこの古木だ。強大な力がこの木に眠っているのを感じる」
マクシムスは静かに言ったが、赤い瞳には興奮と喜びが表れていた。
「さぁ、できた。これでこの古木に宿る力を吸収できる」
「ミャア! ミャー!」
「何を怒っているの?」
私はマクシムスのそばに立ってうるさく鳴くが、彼は自分がしたいことをやめるつもりはないだろう。私だって、目の前を虫が飛んでいたら手を出さずにいるのは難しい。好奇心は止められないのだ。
でも、この木には手を出してほしくない。
「ミャア!」
「君がどうして怒っているのかは分からないけど、もう魔法を発動させるから離れた方がいいよ。巻き込まれたくないならね」
マクシムスが呪文を唱え始めると、辺り一面に描かれている文字が一斉に光り出した。ここだけ昼間みたいに明るくなり、古木の枝で休んでいた鳥やリスといった動物たちが一斉に逃げ出す。
(どうしよう……)
私も思わずマクシムスから離れて魔法陣の外へ出てしまった。本能が逃げろと命令してくる。
(でもこのままじゃ古木が……)
この大きな古木は私にとって安心できる存在なのだ。静かに見守っていてくれる、親のような存在なのかもしれない。
(きっとそうだ)
こんな土壇場で気づいて、やはりマクシムスを止めないとと私は魔法陣の中へ足を踏み出した。
しかしその瞬間、後ろから木の枝が伸びてきて私の胴体に巻きつき、引き戻される。
(え、何?)
伸びてきたのは、古木とは別の木の枝だ。どうして止めるの?
「ミャア」
私が前へ進もうと足をバタバタさせても、木の枝がしっかり巻きついていて進めない。そうこうしているうちにマクシムスは呪文を唱え終わり、魔法陣の文字が一層強く光り出す。眩しくて目を開けているのも難しい。
古木を中心に渦を巻くように風が吹き、マクシムスは髪や服をなびかせながら片手を伸ばして古木に触れる。
「ミャー!」
私も風に煽られながら『やめて!』と叫んだ。古木からものすごい量のエネルギーがマクシムスに流れていくのが分かる。
「……っ、すごい力だ……!」
マクシムスは目を見開き、体を硬直させながら途方もない力の圧に耐えている。表情には少しの恐怖とそれを凌駕する好奇心が浮かんでいて、瞳は獲物を見つけた猫のようにギラついていた。
しかしつぎの瞬間、マクシムスはぐらりと倒れそうになり、すんでのところで足を踏ん張る。視線が定まらなくなったかと思えば白目をむき、表情をなくして咳き込むように言葉をこぼす。
「体が……っ、脳が、侵食されて、っ……! 僕がっ、僕で、なくなる……」
「ミャーン!」
ふと気づくと体に巻きついていた木の枝がなくなり自由に動けるようになっていたので、私はとっさに駆け出した。
私が走り出したところで魔法陣の光は収まり、渦を巻く風とエネルギーも消えた。一瞬で暗闇と静寂が戻ってくる。
「ミャア!」
古木はエネルギーを取られても枯れはしなかった。もしかしたら全ての力を奪われたわけじゃないのかもしれない。
一方でマクシムスは、一切動かずに突っ立っている。
「ミィ……?」
どうなったの? と不安に思いながら声をかけると、マクシムスはゆっくりこちらを振り返った。
その顔には表情がなかったので、私は思わず毛を逆立てて後ずさりする。マクシムスは何者になってしまったんだろう?
次の瞬間にもマクシムスの力が暴走するんじゃないかと恐怖したが、それは起こらなかった。代わりにマクシムスは驚くほど優しくほほ笑んで、私の大きな体にぎゅっと抱き着く。
「――一度、こうやって抱きしめてみたかった」
え? と私が固まっている間に、マクシムスは私の体をもふもふと撫でてくる。
「ミ?」
戸惑いながらマクシムスを見下ろす。マクシムスは私をもふもふしながらとても穏やかな笑みを浮かべていた。
何だか顔つきが変わっている。体は同じなのに別人になったような……。
(まるで憑炎(メラフ)がグィレロ王の体を乗っ取った時みたい)
私がそう考えた時、マクシムスはもふもふしていた手を止めてこちらを見上げた。
そして優しい声で名残惜しそうに言う。
「もっと撫でていたいが、それはこの体が耐えられないだろう」
そうして私の体にもう一度触れると、マクシムスは突然意識を失って地面に倒れた。
「ミ、ミャーン!?」
今度は何が起こったんだと、倒れたマクシムスの顔をペロペロ舐める。し、死んだ……?
「……うぅ」
しかしマクシムスはすぐに目を開け、ゆっくりと上半身を起こしたので、私はホッとして自分の鼻を舐めた。
「顔が濡れてる……」
マクシムスは私に舐められていたことに気づいていないのか、不思議そうに袖で顔をぬぐった。ちょっと舐めすぎたかな。
そして小さく息を吐いて古木を見上げた後、私の方を見て言う。
「今、僕の体に入っていたのは星降る森の神だ……。ただのエネルギーの塊ではなく、意思を持っていた。やはりこの森の神はこの古木らしい」
「ミー?」
私は首を傾げつつ、納得もした。さっきマクシムスが一瞬別人のようになったのは、やっぱり体を乗っ取られてたってことか。
でもこの古木が星降る森の神? 意思を持っている?
マクシムスは神妙な顔をして言う。
「一つ分かったことがある。星降る森の神は――……猫好きだ」
「ミャ?」
「そう、猫。猫が好きなんだよ、この神は」
「ムー」
私は眉根を寄せ、口を尖らせて鳴いた。困惑して変な顔になってしまう。
マクシムスは冷静に続ける。
「一瞬、森の神と一体化した時、神のことが少し分かったんだ。とても穏やかで、神に成り代わろうとした僕のことも怒ってはいなかった。老人がいたずらしている幼児を見るように、危険だよと心配している感じさえあった。基本的には優しい神で、そして猫が好きだ」
いや分からない。優しい神なのは分かるけど、最後だけ分からない。
「森の神は猫が好き過ぎて、自分で巨大猫(ギャンピー)という幻獣を作り出したらしい。大きい方がよく見えるから体を大きくしたようだ。この神、君が森を散歩したり日向ぼっこしてるところをニコニコしながら毎日見てるよ」
私はただでさえ大きな瞳をさらに大きく丸くして、目の前に立っている巨大な古木を見上げた。
(この古木が森の神で、そして私を作り出したってこと?)
古木は私を『静かに見守っていてくれる、親のような存在』だって思ったけど、やっぱりそれはあながち間違いじゃなかったんだ。
「星降る森の神が猫好きだって、誰が知ってる? きっと世界で僕だけだよ。満足だ」
神の力を得ることはできなかったマクシムスだけど、新しい知識を得られて愉快そうに笑っていた。
でもそんなどうでもいい情報を知っただけなのに満足なの? 森の神が猫好きなんて、本当にすごくどうでもいい知識じゃない? いいの?
私の方が戸惑ってしまったが、マクシムスは神の正体を知ることができて嬉しそうだ。
その後、私たちが二人でハロルドの家に戻ると、すでに時刻は真夜中になっていた。しかしハロルドは私たちを心配して起きていて、マクシムスを再び家に招き入れた。
家に入れない私は開け放たれた扉の前で伏せをして、マクシムスがハロルドに結果を報告している様子を眺める。新しい知識を誰かと共有することが楽しいのか、マクシムスは上機嫌でお喋りしていた。
「星降る森の神が三日月を作り出したのなら、三日月が森で迷わず自由に歩けることにも納得がいく」
ハロルドは温かそうなお茶を飲みながら言う。
「三日月は神の知識の一部を分け与えられているのだろう」
ハロルドの言葉に私もハッとする。頭の中に星降る森の地図があるみたいに迷わないこともそうだけど、ケンタウロスやエルフのような森に住む妖精や幻獣のことを知っていたのも、神様の知識を分け与えられていたからなのかも。
ハロルドは私の方を見ると、楽しそうにほほ笑んで言う。
「こうなると巨大猫(ギャンピー)には巨大猫(ギャンピー)よりも相応しい呼び名が必要だな。森の神に生み出されて、愛され、知識を一部分け与えられた猫――森の飼い猫《フォレスト・ヴィッピー》という名はどうだ?」
「いいね」
マクシムスもお茶を飲みながら頷いてこちらを振り返った。
森の飼い猫《フォレスト・ヴィッピー》ね。まぁ、呼び名なんて何でもいいけどね、と思いながら、私は大きなあくびをしたのだった。
今日は頑張って走ったから疲れたー。
翌日、昨日の疲れから一日中ごろごろしていた私は、夜になってやっと体を起こした。今日はずっと、寝床である古木の根元で眠っていたのだ。
改めて古木を見上げてみても、特に動いたり喋り出したりすることはなく、一見すると大きくて古いだけのただの木だ。
でも根っこが一本不自然にくるんと丸まって私の寝床としてちょうどいいサイズになっているのも、よく考えると偶然ではないのかもと思う。私をここで眠らせるために根っこを丸めたのかな。
そんなことを考えながらぐいーっと伸びをしたところで、空が明るくなったような気がして顔を上げた。
すると夜空を照らす満天の星が、いつもより美しく煌めき、瞬いているのに気づいた。私はお座りをしてしばらく空を眺める。
(もしかしなくても今日、星が降る日?)
瞳に星の輝きを映しながら頭上を見上げた。金と紫の光を放つ星たちは、前回と同じようにゆっくりと地上に振ってきている。
「ミャーン」
私は嬉しくなってしっぽを振った。この美しい光景を半年に一度も見られるなんて贅沢だ。
――なんて、私が感動していた時だった。
突然頭の中に見てもいない景色が浮かび上がる。
森の外で、レオニートとその妻のレイラが仲良く寄り添いながら空を見上げていた。これから星を拾うために集まっているであろうキーラやイサイ、セドといった竜騎士たちも近くにいるし、ドラゴンたちも落ちてくる星を静かに見ている。レオニートのドラゴンであるエレムも、地面に座ってのんびりと空を鑑賞していた。
(あ、ロキもいる!)
ロキはエレムの隣で夜空を見上げている。幸せそうな顔で、半年前のことを懐かしんでいる様子でエレムに何か話しかけていた。
相変わらず細いけれど健康的になって、髪も綺麗になり、上等な服を着せてもらっていて、以前のみすぼらしい姿とは全く変わっている。
(せっかく森の外に来てるなら、やっぱり後で会いに行こう)
マクシムスが来て一騒動あったことですっかり忘れていたけど、ロキたちに会いに行こうと思っていたんだったと思い出した。
(だけどこの映像は何だろう? どうして森の外のことが見えるのかな)
疑問に思っている間に、頭の中の景色は違う場面に切り替わった。今度はエミリオやリセ、シズクやカイルがいるから、森の東、トルトイの景色だろう。
みんな空を眺めて「綺麗だ」なんて言い合いながら盛り上がっていて、エミリオとリセは手を繋いで良い感じの雰囲気だ。
そして次は南東のパールイーズ。リュリーも臣下をたくさん連れて星降る森にやって来ているようだ。何か飲み物を飲みながら星を見て、みんなで談笑している。この場面だけ見ると、王族と臣下という区別なく仲良くやっているように感じた。
次に見えたのは南のジーズゥで、憑炎(メラフ)が騎士たちと森に入る準備をしていた。こちらもみんな楽しく笑い合っていて、その様子を見るだけで憑炎(メラフ)の親しみやすい人柄が分かる。ジーズゥは良い国になってきているようだ。
そして今度は西のオルライトに景色が変わる。森の外には星を拾うために集まった人たちがいるようだけど、女王であるクローディアやその娘のアンネリーゼは王城に残ったようだ。そして城の窓から、一緒に星降る森がある方角を見ている。
アンネリーゼは病気で死にかけていたけど、今ではすっかり元気そうだ。親子で何か話をして、ほほ笑み合っている。
最後に見えたのはハロルドとマクシムスで、二人はハロルドの家の外に出て空を眺めていた。
マクシムスはまだハロルドの家に滞在していたみたい。昨日も私は先に寝床に帰ったけど、二人は話が盛り上がっていたからずっと喋っていたのかもしれない。経験と知識が豊富な二人だから、話題は尽きなかったのだろう。
二人は仲良くなったようだから、マクシムスはきっと定期的にハロルドを訪ねてくるようになるんじゃないかな。
幸せな光景をたくさん見ることができて、私は満足してため息をついた。見える景色は、空から降る無数の星に戻っていた。
(もしかして、神様が見せてくれたのかな。私の友達たちの幸せな様子を)
私はちらりと古木を見て思った。何となくそんな気がする。
「ミャー」
ありがと、と鳴いて私はにっこり笑った。
寝て、食べて、散歩して日向ぼっこして、気が向いたら友達と会って、またごろごろして――。
私を猫として生み出してくれたことにも感謝したい気持ちだ。
自由で気ままな毎日がこれからもずっと続きますように、と流れ落ちてくる星にお願いしながら、私は古木にスリスリと頬を擦りつけたのだった。
【おしまい】
(飛んでいったマクシムスはもう着いてるかな?)
不安に思いながら考える。あの古木は周りの木より大きいから、空から見たら見つけやすいはず。
(でももう暗くなってきたから、まだ見つけられてない可能性もある)
森の中は灯りもなくて真っ暗だから、マクシムスも動けなくなっているかも。
そんな期待を抱きながら私は走り続けた。いつもならこんなに頑張ったらすぐに疲れて寝転んじゃうけど、今は焦りと不安がエネルギーになって不思議と疲れを感じない。
そうして息を切らせながら森の中心部に着いたところで、私の瞳にいくつもの光が映った。
(何だ、あれ……?)
森の中を無数の赤い光の玉が照らしている。光はリンゴほどの大きさで、それこそ木に実が生るように、あちこちの枝で光を放っていた。
そしてその光を受けているのは、巨大な古木とマクシムスだ。
(もう着いてた!)
私は慌てて彼の元へ向かう。マクシムスは指で古木を中心とした地面にびっしりと文字を描いている。古木の幹にまで描いているし、変則的な魔法陣って感じがした。たぶん周囲の赤い光もマクシムスが魔法で作り出したものだろう。
「ミー!」
人の寝床に何するんだ! と怒ると、マクシムスはフッと笑ってこちらを見る。
「おや、君も来たの? これから面白いものが見られるよ」
そんなの見たくないと、私は地面に描かれた文字を前足を使って消そうとした。しかしそこで、文字は地面や古木の幹に直接描かれているわけではないと気づく。
よく見ると、文字は地面から数十センチ、古木の幹からも数センチ離れたところに描かれていて、文字だけ浮いている状態だったのだ。
しかも淡く発光している文字は私が前足で消そうとしても触れられない。
「この文字は僕の魔力を使って描いたものだから、こんなふうにでこぼこの地面や草を避けて浮かせて描くことができるし、簡単には消えないんだ」
ハロルドやリュリーでもこんな魔法陣の描き方はできないはずだ。マクシムスは単に魔力をたくさん持っているというだけでなく、魔法にも詳しいようだ。きっと長年研究してきたのだろう。
「この古木を一目見て分かったよ。星降る森の神はこの古木だ。強大な力がこの木に眠っているのを感じる」
マクシムスは静かに言ったが、赤い瞳には興奮と喜びが表れていた。
「さぁ、できた。これでこの古木に宿る力を吸収できる」
「ミャア! ミャー!」
「何を怒っているの?」
私はマクシムスのそばに立ってうるさく鳴くが、彼は自分がしたいことをやめるつもりはないだろう。私だって、目の前を虫が飛んでいたら手を出さずにいるのは難しい。好奇心は止められないのだ。
でも、この木には手を出してほしくない。
「ミャア!」
「君がどうして怒っているのかは分からないけど、もう魔法を発動させるから離れた方がいいよ。巻き込まれたくないならね」
マクシムスが呪文を唱え始めると、辺り一面に描かれている文字が一斉に光り出した。ここだけ昼間みたいに明るくなり、古木の枝で休んでいた鳥やリスといった動物たちが一斉に逃げ出す。
(どうしよう……)
私も思わずマクシムスから離れて魔法陣の外へ出てしまった。本能が逃げろと命令してくる。
(でもこのままじゃ古木が……)
この大きな古木は私にとって安心できる存在なのだ。静かに見守っていてくれる、親のような存在なのかもしれない。
(きっとそうだ)
こんな土壇場で気づいて、やはりマクシムスを止めないとと私は魔法陣の中へ足を踏み出した。
しかしその瞬間、後ろから木の枝が伸びてきて私の胴体に巻きつき、引き戻される。
(え、何?)
伸びてきたのは、古木とは別の木の枝だ。どうして止めるの?
「ミャア」
私が前へ進もうと足をバタバタさせても、木の枝がしっかり巻きついていて進めない。そうこうしているうちにマクシムスは呪文を唱え終わり、魔法陣の文字が一層強く光り出す。眩しくて目を開けているのも難しい。
古木を中心に渦を巻くように風が吹き、マクシムスは髪や服をなびかせながら片手を伸ばして古木に触れる。
「ミャー!」
私も風に煽られながら『やめて!』と叫んだ。古木からものすごい量のエネルギーがマクシムスに流れていくのが分かる。
「……っ、すごい力だ……!」
マクシムスは目を見開き、体を硬直させながら途方もない力の圧に耐えている。表情には少しの恐怖とそれを凌駕する好奇心が浮かんでいて、瞳は獲物を見つけた猫のようにギラついていた。
しかしつぎの瞬間、マクシムスはぐらりと倒れそうになり、すんでのところで足を踏ん張る。視線が定まらなくなったかと思えば白目をむき、表情をなくして咳き込むように言葉をこぼす。
「体が……っ、脳が、侵食されて、っ……! 僕がっ、僕で、なくなる……」
「ミャーン!」
ふと気づくと体に巻きついていた木の枝がなくなり自由に動けるようになっていたので、私はとっさに駆け出した。
私が走り出したところで魔法陣の光は収まり、渦を巻く風とエネルギーも消えた。一瞬で暗闇と静寂が戻ってくる。
「ミャア!」
古木はエネルギーを取られても枯れはしなかった。もしかしたら全ての力を奪われたわけじゃないのかもしれない。
一方でマクシムスは、一切動かずに突っ立っている。
「ミィ……?」
どうなったの? と不安に思いながら声をかけると、マクシムスはゆっくりこちらを振り返った。
その顔には表情がなかったので、私は思わず毛を逆立てて後ずさりする。マクシムスは何者になってしまったんだろう?
次の瞬間にもマクシムスの力が暴走するんじゃないかと恐怖したが、それは起こらなかった。代わりにマクシムスは驚くほど優しくほほ笑んで、私の大きな体にぎゅっと抱き着く。
「――一度、こうやって抱きしめてみたかった」
え? と私が固まっている間に、マクシムスは私の体をもふもふと撫でてくる。
「ミ?」
戸惑いながらマクシムスを見下ろす。マクシムスは私をもふもふしながらとても穏やかな笑みを浮かべていた。
何だか顔つきが変わっている。体は同じなのに別人になったような……。
(まるで憑炎(メラフ)がグィレロ王の体を乗っ取った時みたい)
私がそう考えた時、マクシムスはもふもふしていた手を止めてこちらを見上げた。
そして優しい声で名残惜しそうに言う。
「もっと撫でていたいが、それはこの体が耐えられないだろう」
そうして私の体にもう一度触れると、マクシムスは突然意識を失って地面に倒れた。
「ミ、ミャーン!?」
今度は何が起こったんだと、倒れたマクシムスの顔をペロペロ舐める。し、死んだ……?
「……うぅ」
しかしマクシムスはすぐに目を開け、ゆっくりと上半身を起こしたので、私はホッとして自分の鼻を舐めた。
「顔が濡れてる……」
マクシムスは私に舐められていたことに気づいていないのか、不思議そうに袖で顔をぬぐった。ちょっと舐めすぎたかな。
そして小さく息を吐いて古木を見上げた後、私の方を見て言う。
「今、僕の体に入っていたのは星降る森の神だ……。ただのエネルギーの塊ではなく、意思を持っていた。やはりこの森の神はこの古木らしい」
「ミー?」
私は首を傾げつつ、納得もした。さっきマクシムスが一瞬別人のようになったのは、やっぱり体を乗っ取られてたってことか。
でもこの古木が星降る森の神? 意思を持っている?
マクシムスは神妙な顔をして言う。
「一つ分かったことがある。星降る森の神は――……猫好きだ」
「ミャ?」
「そう、猫。猫が好きなんだよ、この神は」
「ムー」
私は眉根を寄せ、口を尖らせて鳴いた。困惑して変な顔になってしまう。
マクシムスは冷静に続ける。
「一瞬、森の神と一体化した時、神のことが少し分かったんだ。とても穏やかで、神に成り代わろうとした僕のことも怒ってはいなかった。老人がいたずらしている幼児を見るように、危険だよと心配している感じさえあった。基本的には優しい神で、そして猫が好きだ」
いや分からない。優しい神なのは分かるけど、最後だけ分からない。
「森の神は猫が好き過ぎて、自分で巨大猫(ギャンピー)という幻獣を作り出したらしい。大きい方がよく見えるから体を大きくしたようだ。この神、君が森を散歩したり日向ぼっこしてるところをニコニコしながら毎日見てるよ」
私はただでさえ大きな瞳をさらに大きく丸くして、目の前に立っている巨大な古木を見上げた。
(この古木が森の神で、そして私を作り出したってこと?)
古木は私を『静かに見守っていてくれる、親のような存在』だって思ったけど、やっぱりそれはあながち間違いじゃなかったんだ。
「星降る森の神が猫好きだって、誰が知ってる? きっと世界で僕だけだよ。満足だ」
神の力を得ることはできなかったマクシムスだけど、新しい知識を得られて愉快そうに笑っていた。
でもそんなどうでもいい情報を知っただけなのに満足なの? 森の神が猫好きなんて、本当にすごくどうでもいい知識じゃない? いいの?
私の方が戸惑ってしまったが、マクシムスは神の正体を知ることができて嬉しそうだ。
その後、私たちが二人でハロルドの家に戻ると、すでに時刻は真夜中になっていた。しかしハロルドは私たちを心配して起きていて、マクシムスを再び家に招き入れた。
家に入れない私は開け放たれた扉の前で伏せをして、マクシムスがハロルドに結果を報告している様子を眺める。新しい知識を誰かと共有することが楽しいのか、マクシムスは上機嫌でお喋りしていた。
「星降る森の神が三日月を作り出したのなら、三日月が森で迷わず自由に歩けることにも納得がいく」
ハロルドは温かそうなお茶を飲みながら言う。
「三日月は神の知識の一部を分け与えられているのだろう」
ハロルドの言葉に私もハッとする。頭の中に星降る森の地図があるみたいに迷わないこともそうだけど、ケンタウロスやエルフのような森に住む妖精や幻獣のことを知っていたのも、神様の知識を分け与えられていたからなのかも。
ハロルドは私の方を見ると、楽しそうにほほ笑んで言う。
「こうなると巨大猫(ギャンピー)には巨大猫(ギャンピー)よりも相応しい呼び名が必要だな。森の神に生み出されて、愛され、知識を一部分け与えられた猫――森の飼い猫《フォレスト・ヴィッピー》という名はどうだ?」
「いいね」
マクシムスもお茶を飲みながら頷いてこちらを振り返った。
森の飼い猫《フォレスト・ヴィッピー》ね。まぁ、呼び名なんて何でもいいけどね、と思いながら、私は大きなあくびをしたのだった。
今日は頑張って走ったから疲れたー。
翌日、昨日の疲れから一日中ごろごろしていた私は、夜になってやっと体を起こした。今日はずっと、寝床である古木の根元で眠っていたのだ。
改めて古木を見上げてみても、特に動いたり喋り出したりすることはなく、一見すると大きくて古いだけのただの木だ。
でも根っこが一本不自然にくるんと丸まって私の寝床としてちょうどいいサイズになっているのも、よく考えると偶然ではないのかもと思う。私をここで眠らせるために根っこを丸めたのかな。
そんなことを考えながらぐいーっと伸びをしたところで、空が明るくなったような気がして顔を上げた。
すると夜空を照らす満天の星が、いつもより美しく煌めき、瞬いているのに気づいた。私はお座りをしてしばらく空を眺める。
(もしかしなくても今日、星が降る日?)
瞳に星の輝きを映しながら頭上を見上げた。金と紫の光を放つ星たちは、前回と同じようにゆっくりと地上に振ってきている。
「ミャーン」
私は嬉しくなってしっぽを振った。この美しい光景を半年に一度も見られるなんて贅沢だ。
――なんて、私が感動していた時だった。
突然頭の中に見てもいない景色が浮かび上がる。
森の外で、レオニートとその妻のレイラが仲良く寄り添いながら空を見上げていた。これから星を拾うために集まっているであろうキーラやイサイ、セドといった竜騎士たちも近くにいるし、ドラゴンたちも落ちてくる星を静かに見ている。レオニートのドラゴンであるエレムも、地面に座ってのんびりと空を鑑賞していた。
(あ、ロキもいる!)
ロキはエレムの隣で夜空を見上げている。幸せそうな顔で、半年前のことを懐かしんでいる様子でエレムに何か話しかけていた。
相変わらず細いけれど健康的になって、髪も綺麗になり、上等な服を着せてもらっていて、以前のみすぼらしい姿とは全く変わっている。
(せっかく森の外に来てるなら、やっぱり後で会いに行こう)
マクシムスが来て一騒動あったことですっかり忘れていたけど、ロキたちに会いに行こうと思っていたんだったと思い出した。
(だけどこの映像は何だろう? どうして森の外のことが見えるのかな)
疑問に思っている間に、頭の中の景色は違う場面に切り替わった。今度はエミリオやリセ、シズクやカイルがいるから、森の東、トルトイの景色だろう。
みんな空を眺めて「綺麗だ」なんて言い合いながら盛り上がっていて、エミリオとリセは手を繋いで良い感じの雰囲気だ。
そして次は南東のパールイーズ。リュリーも臣下をたくさん連れて星降る森にやって来ているようだ。何か飲み物を飲みながら星を見て、みんなで談笑している。この場面だけ見ると、王族と臣下という区別なく仲良くやっているように感じた。
次に見えたのは南のジーズゥで、憑炎(メラフ)が騎士たちと森に入る準備をしていた。こちらもみんな楽しく笑い合っていて、その様子を見るだけで憑炎(メラフ)の親しみやすい人柄が分かる。ジーズゥは良い国になってきているようだ。
そして今度は西のオルライトに景色が変わる。森の外には星を拾うために集まった人たちがいるようだけど、女王であるクローディアやその娘のアンネリーゼは王城に残ったようだ。そして城の窓から、一緒に星降る森がある方角を見ている。
アンネリーゼは病気で死にかけていたけど、今ではすっかり元気そうだ。親子で何か話をして、ほほ笑み合っている。
最後に見えたのはハロルドとマクシムスで、二人はハロルドの家の外に出て空を眺めていた。
マクシムスはまだハロルドの家に滞在していたみたい。昨日も私は先に寝床に帰ったけど、二人は話が盛り上がっていたからずっと喋っていたのかもしれない。経験と知識が豊富な二人だから、話題は尽きなかったのだろう。
二人は仲良くなったようだから、マクシムスはきっと定期的にハロルドを訪ねてくるようになるんじゃないかな。
幸せな光景をたくさん見ることができて、私は満足してため息をついた。見える景色は、空から降る無数の星に戻っていた。
(もしかして、神様が見せてくれたのかな。私の友達たちの幸せな様子を)
私はちらりと古木を見て思った。何となくそんな気がする。
「ミャー」
ありがと、と鳴いて私はにっこり笑った。
寝て、食べて、散歩して日向ぼっこして、気が向いたら友達と会って、またごろごろして――。
私を猫として生み出してくれたことにも感謝したい気持ちだ。
自由で気ままな毎日がこれからもずっと続きますように、と流れ落ちてくる星にお願いしながら、私は古木にスリスリと頬を擦りつけたのだった。
【おしまい】
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