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華夏の巻
五千里への一歩
公孫脩の乗った舟は、どこをどう流れたのか、倭の対馬国に漂着した所を捕まえられた。脩の他は、雇われた濊人の水夫を除くと、男四人・女六人の供回りの者が従っていた。張政がこの第一報に接したのは、韓地の港市を経巡って帯方郡へ還る途上の事であった。張政も梯儁もこの任務を受けて已来、郡と諸方を往来する忙しい日々を過ごしている。張政と梯儁は、帯水の湊で難斗米たちを待った。そこは海岸からは少し内陸に入っているが、入り江がずっと切り込んでいて、大きくない海舟はそのまま入って来られるのである。
湊に一団の舟が向かって来る。倭人の作る舟は、独木に舷側板を付けた程度の簡単な物だが、その土地は良質の木材を産するので、頑丈に出来ていて乗り心地も悪くない。先頭の舟には難斗米と都市牛利が立って手を振っている。張政と梯儁も手を振り返す。他の舟に囲まれた中の舟に、縄で身を縛られて窶れた顔を項垂れさせた十人ほどの姿が見える。倭人の服を着させられているが、明らかに漢人だと分かる。その内の一人は、人相書きと照らし合わせれば、確かに公孫脩に間違いない様に見える。この時は景初二年閏十一月初めであった。
難斗米と都市牛利が岸に上がって、張政や梯儁と一通りの挨拶を交わす。張政は、
「あのことは、劉太守に申し上げておいた。いずれ御沙汰があるだろう」
と伝える。と謂うのは、公孫脩を確保したという第一報とともに、難斗米たとから張政に、一つの申し出が有った事についてである。それは、
「ひめおうより、罪人どもは我ら二人が京師まで連れて行って確かに天子に献上せよ、との御下命を受けた。これにつき子文さんのお手を煩わせることになる」
というのであった。罪人の引き渡しに洛陽まで行こうとは、大袈裟に過ぎると張政は思った。とはいえ、こちらの頼みに応えてくれたのだから、仁義として断る事は出来ない。しかしそれには外交上の手続きというものが有る。張政としては、帯方太守の劉昕に言上するより他に出来る事は無い。これは劉昕にとっても好い話しだ。もし倭人の代表が朝廷に詣るとなれば、それは漢の安帝の時より已来、およそ百三十年ぶりの慶事であり、魏王朝の徳がそれだけ遠くに及び、しかも前代に劣っていないという証明になるのである。実現すれば、招致をした者として、劉昕も功績が得られるはずなのだ。
「遼東へ行って、新城郷侯殿の指図を仰げ」
という劉太守の指示を張政たちが受けたのは、それから六日後の事だった。遼東郡の襄平県には、帰還する司馬仲達の名代として、その次男の昭が留まり戦後処理に当たっている。司馬昭は、字を子上という。まだ二十八歳の青年だが、父の功績に与って、新城郷侯という爵位を授かっている。難斗米たちが、公孫脩已下の囚人を連れて遼東へ向かうとなれば、張政と梯儁は当然これを引率する。倭人たちの世話や通訳をするのに、二人よりも適任という役人はいない。梯儁は欣喜雀躍して準備に取りかかる。洛陽へ行ける! 梯儁の心は五千里の彼方へ飛んだ。
張政と梯儁、難斗米と都市牛利、公孫脩ら囚人、護衛、水夫、その他の用を弁ずる者たちは、一団の舟に乗り込んで、帯水から西海に出て北を指した。楽浪郡を経て、遼東半島を迂回せず、浿水が海に注ぐ辺りで上陸する。浿水は昔の朝鮮国と燕国が境とした川で、今は遼東郡と楽浪郡がここで接している。季節は寒気が身に徹える頃合いで、連行される囚人たちは殊更に冷えの苦しみを顔に表す。襄平城に近付くと、その郊外に京観が見える。京観というのは、人間の死体を積んで土を被せた物で、司馬仲達が公孫淵を討ち取って城に入った時、男子七千人を殺してこの京観を為ったと宣伝されていたから、実際には七百人程度の敵兵を埋めたのである。賊に克てばその戦果を十倍に誇張するのが相場であった。
襄平城に入った張政たちは、早速司馬子上に引見され、囚人たちも検めを受ける。
「あれは確かに公孫脩でしょうか」
と梯儁は訊いた。
「ああ、そうだな――」
と子上は何か含みの存る言い方をする。ある種の政治家がする、皮膚の下で筋肉を蠢かせる様な表情を張政は看た。
「――いや、脩めの首はな、もう腌にして洛陽へ送ったことになっている」
と子上は言った。
「は、しかし――」
あの男は人相書きとそっくりではないか、と言いかけた梯儁を遮って、子上が続ける。
「いや、もう送ってしまったのだな。あの男は、己が公孫氏の跡継ぎだと思い込んでいる哀れな狂人に違いない。こちらで引き取ろう。しかし你らが脩めを捕まえるために骨折りをしてくれたについては、十分にその功績を認めずばなるまい。あとの虜囚十人は、姫氏王とやらから陛下への貢ぎ物ということにして、洛陽へ連れて行くがよかろう。それについては後日沙汰をするであろう。宿を取らせるから待っておれ」
子上はそう言って、大儀であった、と付け加えると、さっさと奥へ引っ込んでしまった。張政たちは宿に下がるしかなかった。張政は、政治的事情という物を呑み込んだ。梯儁としては、どうやら洛陽へは行けるという事で、脩の事は気にしないという顔をした。難斗米と都市牛利も、君命を果たせるだろうという見通しを得て安堵していた。
湊に一団の舟が向かって来る。倭人の作る舟は、独木に舷側板を付けた程度の簡単な物だが、その土地は良質の木材を産するので、頑丈に出来ていて乗り心地も悪くない。先頭の舟には難斗米と都市牛利が立って手を振っている。張政と梯儁も手を振り返す。他の舟に囲まれた中の舟に、縄で身を縛られて窶れた顔を項垂れさせた十人ほどの姿が見える。倭人の服を着させられているが、明らかに漢人だと分かる。その内の一人は、人相書きと照らし合わせれば、確かに公孫脩に間違いない様に見える。この時は景初二年閏十一月初めであった。
難斗米と都市牛利が岸に上がって、張政や梯儁と一通りの挨拶を交わす。張政は、
「あのことは、劉太守に申し上げておいた。いずれ御沙汰があるだろう」
と伝える。と謂うのは、公孫脩を確保したという第一報とともに、難斗米たとから張政に、一つの申し出が有った事についてである。それは、
「ひめおうより、罪人どもは我ら二人が京師まで連れて行って確かに天子に献上せよ、との御下命を受けた。これにつき子文さんのお手を煩わせることになる」
というのであった。罪人の引き渡しに洛陽まで行こうとは、大袈裟に過ぎると張政は思った。とはいえ、こちらの頼みに応えてくれたのだから、仁義として断る事は出来ない。しかしそれには外交上の手続きというものが有る。張政としては、帯方太守の劉昕に言上するより他に出来る事は無い。これは劉昕にとっても好い話しだ。もし倭人の代表が朝廷に詣るとなれば、それは漢の安帝の時より已来、およそ百三十年ぶりの慶事であり、魏王朝の徳がそれだけ遠くに及び、しかも前代に劣っていないという証明になるのである。実現すれば、招致をした者として、劉昕も功績が得られるはずなのだ。
「遼東へ行って、新城郷侯殿の指図を仰げ」
という劉太守の指示を張政たちが受けたのは、それから六日後の事だった。遼東郡の襄平県には、帰還する司馬仲達の名代として、その次男の昭が留まり戦後処理に当たっている。司馬昭は、字を子上という。まだ二十八歳の青年だが、父の功績に与って、新城郷侯という爵位を授かっている。難斗米たちが、公孫脩已下の囚人を連れて遼東へ向かうとなれば、張政と梯儁は当然これを引率する。倭人たちの世話や通訳をするのに、二人よりも適任という役人はいない。梯儁は欣喜雀躍して準備に取りかかる。洛陽へ行ける! 梯儁の心は五千里の彼方へ飛んだ。
張政と梯儁、難斗米と都市牛利、公孫脩ら囚人、護衛、水夫、その他の用を弁ずる者たちは、一団の舟に乗り込んで、帯水から西海に出て北を指した。楽浪郡を経て、遼東半島を迂回せず、浿水が海に注ぐ辺りで上陸する。浿水は昔の朝鮮国と燕国が境とした川で、今は遼東郡と楽浪郡がここで接している。季節は寒気が身に徹える頃合いで、連行される囚人たちは殊更に冷えの苦しみを顔に表す。襄平城に近付くと、その郊外に京観が見える。京観というのは、人間の死体を積んで土を被せた物で、司馬仲達が公孫淵を討ち取って城に入った時、男子七千人を殺してこの京観を為ったと宣伝されていたから、実際には七百人程度の敵兵を埋めたのである。賊に克てばその戦果を十倍に誇張するのが相場であった。
襄平城に入った張政たちは、早速司馬子上に引見され、囚人たちも検めを受ける。
「あれは確かに公孫脩でしょうか」
と梯儁は訊いた。
「ああ、そうだな――」
と子上は何か含みの存る言い方をする。ある種の政治家がする、皮膚の下で筋肉を蠢かせる様な表情を張政は看た。
「――いや、脩めの首はな、もう腌にして洛陽へ送ったことになっている」
と子上は言った。
「は、しかし――」
あの男は人相書きとそっくりではないか、と言いかけた梯儁を遮って、子上が続ける。
「いや、もう送ってしまったのだな。あの男は、己が公孫氏の跡継ぎだと思い込んでいる哀れな狂人に違いない。こちらで引き取ろう。しかし你らが脩めを捕まえるために骨折りをしてくれたについては、十分にその功績を認めずばなるまい。あとの虜囚十人は、姫氏王とやらから陛下への貢ぎ物ということにして、洛陽へ連れて行くがよかろう。それについては後日沙汰をするであろう。宿を取らせるから待っておれ」
子上はそう言って、大儀であった、と付け加えると、さっさと奥へ引っ込んでしまった。張政たちは宿に下がるしかなかった。張政は、政治的事情という物を呑み込んだ。梯儁としては、どうやら洛陽へは行けるという事で、脩の事は気にしないという顔をした。難斗米と都市牛利も、君命を果たせるだろうという見通しを得て安堵していた。
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