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第四部 少年少女と王侯貴族達 第一章 王都への行程

8.覇道への路

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 それから、事態はめまぐるしく動いたらしい。
 ブッターヤ領主が降伏したことで、それ以上その場で血が流れることはなかったが、問題はこの地を誰が治めるかである。
 アル様やレイクさんにはその余裕も力もない。もちろん、僕やリラやルアレさんにもだ。

 ブッターヤ領主は王女を殺そうとしたとして現在捕えられている。アル様とレイクさんは事後処理で大忙しなので、見張りはルアレさんとキラーリアさんが交代でおこなっている。

 そして、僕とリラとバラヌとピッケは……完全に蚊帳の外だった。

 バラヌはいつのまにか僕の腕の中で気を失っていた。
 僕とリラ、ピッケ、それに気を失ったままのバラヌには一室が貸し与えられ、今は4人でそこにいる。

 ピッケは何を考えているのかいまいち分からないけど、リラは今回の件のショックから抜け出せていない様子だ。

 僕も相当ショックを受けていたのだと思う。
 何度忘れようとしても、血の海と化した晩餐会の会場が脳裏に蘇る。
 同時に、誰も殺さないように戦おうなどと思っていた自分の甘さっぷりにも反吐が出そうだ。
 僕とリラは薄暗い顔で押し黙っていた。

 リラがボソッと呟く。

「結局、最初からルアレさんに頼んでいたのよね……」
「うん」

 僕は力なく頷いた。

 アル様やレイクさんは最初からブッターヤ領主が毒物を仕掛けてくる可能性を考えて、ルアレさんに毒を口に含んでも大丈夫な仕掛けをしてもらっていたらしい。
 なぜ致死量の毒でなかったのか不思議だったが、僕らの知らないところで対策済だったのだ。
 毒を避けた方法の詳細は聞いていない。聞く気も起きなかった。

 むろん、確信があったわけではないだろう。あくまでも用心程度の話。
 だが、もしもそういう事態になったら、あの程度の血が流れることは想定内だったのだ。

 僕らは何も聞かされていなかった。
 ただ、無邪気にアル様の後についてきただけ。

「兵士にだって、家族はいるわよね」
「リラ、それは……」
「アル様を殺そうとした領主が裁かれるのは分かるわ。でも、兵士は命令に従っただけよ。たぶん、私たちと同じように……あるいはそれ以上に状況を理解しないまま殺された」
「リラっ」

 ――ダメだ。
 ――それ以上考えちゃダメだ。
 ――それ以上考えたら、僕らは本当に立ちなおれなくなっちゃう。

 そう思う一方で、考えなくちゃいけないことだとも思う。

 あの戦いで死んだ――キラーリアさんが殺した――兵士達にだって、もちろん家族がいるだろう。
 家に帰れば良い父親かもしれないし、良い息子かもしれない。
 そんなのは当たり前のことだ。

「思い出したの。お父さんが殺されたときのことを。
 あの時、私は里の皆を恨んだ。運命を恨んだ。自分を呪った。
 兵士達の家族は誰を恨むのかなって」
「……リラ」
「私たちが恨まれて当然よね」

『それは違う』と言いたかった。
 アル様やレイクさんやキラーリアさんはともかく、僕やリラが恨まれる筋合いはない。そう思う気持ちもどこかにあって、たぶんその考え方も間違ってはないかもしれない。

 でも、それはあまりにも無責任な言い分に思えて。
 わけのわからないまま里を出てきたバラヌはまだしも、僕やリラはハッキリ自分の意志でアル様の味方になったのだ。
 今さら自分たちは聞かされていなかったから関係ありませんなんて、都合のいいことは言えない。

「きっと、この後ももっともっと血は流れるわ」

 そのリラの言葉は、多分正しい。
 今回の戦いは前哨戦にすぎない。
 本丸の王子達や諸侯連立の盟主はまだ登場すらしていないのだ。

 これから先、もっともっとたくさんこういうことは起きる。
 アル様達について行くというのは、そういうことだったのだ。

 これからアル様達が歩んでいくのは覇道だ。
 僕達は、ようやく本当の意味でそれを知った。

 今回、僕は誰も殺さずにすんだ。
 僕もリラもバラヌも死なずにすんだ。

 でも次は?
 今度は誰かが死ぬかもしれない。殺さなくちゃいけなくなるかもしれない。
 僕らにその覚悟はあるのか?
 僕自身はともかく、バラヌは?

 そこまで考えたときだった。

「では、ここでりますか?」

 部屋に入ってきたのはレイクさんだった。

「レイクさん、どうして?」
「時間があいたので、あなた方の様子を見に来たのですが、少し話が聞こえたもので」

 りる。
 アル様の手伝いをするのをやめる。

 やめてどうする?
 今さらラクルス村に帰るのか?
 それともエインゼルの森林かテルグスの街に?
 バラヌはまだしも、僕やリラに帰る場所なんてない。
 お母さんのことだってある。

「リラさんの仰るとおり、ここから先はもっと血が流れるでしょう。できるだけ無駄な血が流れるのは避けたいですが、無血で先に進めるほど状況は甘くありません。
 それに耐えられないというなら、今ここで去った方がいい」

 レイクさんの言葉に、僕は尋ねる。

「龍族やエルフを味方につけた以上、もう僕らがりても問題ないってことですか?」
「いいえ。パドくんやリラさんの存在はアル様にとって大きいですよ。バラヌくんも含め、3人の出自はこれから亜人種と手を結ぶ時に役立つでしょう。
 それにルシフと『闇』に対抗するためにも、パドくんやリラさんの力は必要です」
「だったら、どうして?」

 僕の問いに、レイクさんは右手で眼鏡を押し上げつつ言った。

「今回の件ですら耐えられないというなら、ここから先は2人にとって地獄だからです。私もアル様もキラーリアも地獄に進む覚悟はすでに持っています。
 ですが、あなたたちにそれを強要はできない。そんなことをしたら、アラブシ先生にも顔向けできません。
 そして、りるなら、おそらく、今が最後のチャンスでしょう」

 レイクさんの言葉に、僕らは押し黙る。

 ――覚悟。

 レイクさんは問うているのだ。
 僕らに覚悟はあるのかと。
 それがないなら、今この場で去れと。

「そろそろ戻らないとまずいですね。3人ともこれからのことをよく考えてください」

 そう言い残して立ち去ろうとするレイクさんに、リラが尋ねた。

「どうして、私たちには黙っていたの?」
「何のことでしょうか?」
「本当に毒を盛られるかもしれないと思っていたんでしょう? そのための対策をルアレさんに頼むくらいに。それなのに、私もパドも知らされていなかった」

 レイクさんは足を止め、こちらを振り向かずにこう言った。

「同じことを、キラーリアにも尋ねられましたね」

 キラーリアさんも知らなかったんだ。

「キラーリアにはこう答えました。『アル様の護衛でありながら、毒殺への警戒心が薄すぎです。護衛として、自分の不明を恥じなさい』と」

 うーん、それは無理なんじゃないかな。
 あの人、剣士としては天才だけど頭の方は色々ポンコツなのは、さすがにもう僕も気づいている。

「ですが、あなたたちには別の言葉を贈りましょう」

 レイクさんはそこで言葉を切った。
 僕らに背を向けたまま、こう言う。

「ここから先は、児戯ではありません。覚悟のない人は不要です」

 ――ああ、そうか。そういうことか。

 レイクさんは僕らに選択を迫るためにこんなことをしたのだ。
 王都に着く前に、僕らに現実を見せつけるために。

 もちろん、それだけじゃないだろう。
 この地に降り立ったのは色々な偶然が重なっただけだし、ブッターヤ領主の行動だって読み切れてはいなかったはずだ。
 だが、こういう結果になったなら、僕らに最後の選択を通告することも考えていたんだ。

 きっと、さっき言った『時間があいたので』というのも嘘だ。
 僕らの覚悟を確認するために――僕らに忠告してくれるために時間を割いてくれたんだ。

 リラもきっと僕と同じように考えたのだろう。

「私は……私はりないわ。今さらありえない。確かに血まみれの部屋を見て吐き気を覚えた。でも、必要だっていうなら人殺しだってしてやるわ。
 そうじゃなきゃ、私はお父さんと師匠に報えないもの」
「アラブシ先生もあなたのお父様も、それを望んでいなかったとしてもですか?」
「ええ。私が選んだ道よ」

 リラははっきりとそう答えた。

「僕も同じです。人殺しは――そう簡単にはできないけど、すでに自分はリリィを殺したと思っていますから」

 リリィは『闇』になった時点でルシフに殺されていたんだと思い込むのは気楽かもしれない。実際その通りなのかもしれないし。
 だが、そんな無責任な考え方はしたくない。

 問題は。

「でもバラヌは……」

 僕は気絶したままのバラヌを見る。

 リラは12歳。僕は前世とあわせて18歳。立派な大人だとは言わないけど、自分で物事を考えて判断できる年齢だ。ピッケはアル様より年上らしいし。

 だが、バラヌは違う。まだ5歳。
 自分で判断するのは難しい。
 こんな幼い子を、こんな戦いに巻き込んでしまった責任が僕にはある。

 確かにあのままエインゼルの里にバラヌを置いておきたくはなかった。
 だが、それでも、ここに連れてきたのは間違いだったと今なら言える。
 ここから先の道は、ただ弟と一緒にいたいなんていうだけで共に歩める道じゃない。
 今回の件でそれを思い知った。

 かつて、お師匠様はリラに言った。

『あんたがどんなに不幸な身の上であったとしても、パドや他の子ども達を巻き込む権利まではないんだよ』

 僕はあの時のリラと同じ過ちを犯してしまったのだ。

「彼のことは、これからここに来る人に相談されるといいですよ」
「ここに来る人?」
「あなたもご存知の方です」

 レイクさんはそう言い残すと、今度こそ部屋から出て行ったのだった。
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