役立たずと捨てられた薬草聖女、隣国の冷酷王太子に拾われて離してもらえません!〜元婚約者が「戻ってこい」と泣きついてきても、もう遅いです〜

きみつね

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19.一週間前からは水すらろくに飲もうとしないのです

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 翌朝。
 私はアレクシス様の用意した馬車に揺られ、帝都の郊外にある竜騎士団本部へと向かっていた。
 竜は流石に王都の中心部に置いておくには危険らしい。

 窓の外には荒々しい岩山が広がっている。
 帝都の中心部とは違う、乾いた土と鉄の匂い。
 そして時折、空を巨大な影が横切っていく。

「……すごい。本当に竜がいるんですね」

 私が空を見上げて呟くと、隣に座るアレクシス様が苦笑した。

「帝国の守護神だからな。だが、あれを御せる者は限られている。ジークフリートはその筆頭だ」

 今日のアレクシス様は昨日のアレックスの変装ではなく、いつもの王子様姿だ。

「しかし、あのジークフリートがここまで追い詰められるとはな……。よほどのことだぞ」

 アレクシス様が沈痛な面持ちで溜息をつく。
 昨夜のジークフリート様の悲痛な表情。
 『家族を失いたくない』という叫びが、耳に残っている。

(私に何ができるだろうか……)

 膝の上でギュッと拳を握りしめる。
 するとアレクシス様がその手を上から優しく包み込んでくれた。

「気負うな。お前はただ、あいつらの声を聞いてやればいい。あとは俺たちが何とかする」

「……はい」

 彼の温かい手に勇気をもらい、私は大きく頷いた。

 やがて馬車は巨大な石造りの門をくぐり、広大な敷地へと入っていった。
 あちこちから地響きのような唸り声や、翼の羽ばたく音が聞こえてくる。
 竜舎だ。
 岩山をくり抜いて作られたその施設は要塞のようだった。

「お待ちしておりました……」

 出迎えてくれたのは昨夜よりもさらにやつれた様子のジークフリート様だった。
 目の下には濃い隈があり、頬のこけ具合も深刻だ。
 自慢の強面も今はただの疲れ切った中年男性のように見えてしまう。

「ジークフリート、顔色が悪いぞ。まさか寝ていないのか?」
「……そのようなこと、言っていられる状況ではありませんので」

 彼は力なく首を振り、私たちを案内した。

「こちらです。……暴れることはないと思いますが、くれぐれも刺激しないようにご注意ください」

 案内されたのは竜舎の中でも特に厳重に隔離された特別房だった。
 鉄柵の奥、薄暗い洞窟の中に巨体は横たわっていた。

「……っ」

 私は思わず息を呑んだ。
 大きい。
 見上げるほどの巨躯を持つ、漆黒の竜。
 その鱗は黒曜石のように鋭く光り、背中には剣のような棘が並んでいる。
 帝国の最強戦力、黒竜――。

 けれど、その姿には覇気がなかった。
 本来なら黄金に輝くはずの瞳は濁り、呼吸も浅く不規則だ。
 前に置かれた山積みの肉や果物には、手を……いや口をつけた形跡すらない。

「……一週間前からは水すらろくに飲もうとしないのです」

 ジークフリート様が愛竜を見つめ、声を落とす。

「名前はファフニール。俺が卵から孵し、三十年連れ添った兄弟だ。なのに俺の声が届かない。何が不満なのか、どこが痛いのか……何も答えてくれないんだ」

 彼の手が白くなるほど強く鉄柵を握りしめている。

「グルルゥ……」

 私たちの気配に気づいたのか、ファフニールが低く唸った。
 それは威嚇というよりは、拒絶。
 『放っておいてくれ』と言っているかのような、弱々しい響きだった。

「ファフニール! 俺だ、ジークフリートだ! 頼む、何か食ってくれ……! このままじゃお前は……!」

 ジークフリート様が呼びかけるが、黒竜はプイと顔を背け身体を丸めてしまった。
 完全に心を閉ざしている。

「ダメか……」

 絶望に肩を落とす騎士団長。
 私はそっと前に進み出た。

「ジークフリート様。……柵の中に入ってもよろしいですか?」

「なっ!? 危険です! いくら弱っているとはいえ、腐っても竜! 一撃で人間などミンチになる!」
「でも、近くで見ないと『声』が届かない気がするんです。……目を合わせて、触れてみないと」
「しかし……!」

 躊躇する彼を遮るように、アレクシス様が口を開いた。

「許可する。……ただし、俺も一緒だ」
「殿下!?」
「リリアーナにならできる。俺はそう信じている。それに万が一の時は俺が全力で守る」

 アレクシス様の瞳には揺るぎない信頼があった。
 ジークフリート様はしばらく私たちを交互に見つめ、やがて深く息を吐いて鍵を開けた。

「……分かりました。ですが、少しでも危険な素振りを見せたら即座に撤退してください」

 重厚な鉄の扉が開く。
 ムッと立ち込める獣の臭気と、張り詰めた空気。
 私は一歩、また一歩と、暗闇の中へ足を踏み入れた。

 カツン、カツン……。

 私の足音が響くと、黒竜の耳がピクリと動いた。
 巨大な頭部がゆっくりと持ち上がり、濁った瞳が私を捉える。

「グルルッ……!」

 明確な敵意。
 鼻孔から黒い煙が噴き出し、喉の奥で炎の種が赤く明滅した。
 怖い。
 本能が「逃げろ」と警鐘を鳴らしている。
 足が震える。

 でも――。

(……泣いてる?)

 その瞳の奥に深い悲しみと、焦燥感が見えた気がした。
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