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氷の王女の誕生
書庫でのひととき
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書庫には、時間の音があった。
古い頁を繰る音、羽ペンの走る音、薪のはぜる音。
そのすべてが呼吸のように整っていて、あまりに静かだった。
だからこそ、そこに踏み込む一歩は、ほんの少しの足音さえ──
「……アイリス様、ですか?」
カイル・アルヴァレス
ローエン公爵家分家筋のアルヴァレス伯爵家の三男であり、7歳という幼い年齢ながら次期ローエン公爵家当主候補としてこの家にて暮らしている幼いながらに聡明な男の子である。
彼は机の上に開いた帳面から目を上げた。
扉の前に小さな影があった。
「おにいさま、あのね……」
アイリスだった。
ほんの少し汚れたスカート、泥のついた指先、でも表情はまっすぐ。
誇らしげに胸元で何かを抱いている。
「これ……つくったの。おにいさまの、ために……」
言葉に、かすかに緊張が混じっていた。
けれど、その言い方は驚くほど自然で王女らしく──
彼女はまだ三歳なのになぜか“完成されて”いた。
「お花のかんむり。おにいさまの、あたまに……にあうと、おもって……」
手の中にあったのは、シロツメクサで編んだ花冠。
解けかけていて形も不格好。けれど──
──どんな王冠より、尊かった。
カイルは言葉を失ったままその小さな手を見つめた。
その手が彼の胸の奥をノックした気がした。
「……私に、くださるのですか?」
自分の声が思っていたよりずっと低く震えていた。
「……うん。わたしね、カイルおにいさまのことだいすきだから!」
その一言にカイルの全身が硬直した。
思考が追いつくより早く体が勝手に動いていた。
「では、ありがたく──戴きます」
そう言って膝をつき両手でその花冠を受け取った。
まるで王配が王冠を戴く儀式のように。
「……にいさま、にあう!」
ぱあっと笑うアイリス。
その瞬間、彼女のまわりだけ光が集まったように見えた。
カイルは目を伏せた。これは耐えられない。
(だめだ。この感情は……私よりも幼い彼女に向けるには、純粋すぎる)
けれど、否応なく思ってしまう。
この子がいつか成長して
この笑顔が“意図的な魅力”を持つようになったとき──
後宮を持ち多くの男性を従わせるようになったら、もしその中に自分がいなかったら──
果たして自分は正気でいられるのか、と。
少し目を離した先に足音が、小さく響いた。
カイルのそばを通り抜けたアイリスが、椅子によじ登ろうとしている。
「ア、アイリス様、お手伝いを……」
「のぼれるの。がんばるの……!」
片足を椅子に、両手を机にかけて、ぐい、と体を引き上げる。
それがまたあまりに健気で息をのむほど愛らしくて──
カイルは完全に敗北を悟った。
「では……アイリス様、今日はどんな本をお読みになりたいですか?」
椅子の上でちょこんと座ったアイリスは、口を尖らせて考えこむ。
「んとね、きょうは……“うつくしいおひめさま”のおはなしがいい」
「……美しい姫、ですか」
それは、あなたのことでは──
その言葉が喉まで出かかったが、カイルはぐっと飲みこんだ。
「……それならば、この本はいかがでしょう」
彼は古びた革装の童話集を取り出す。
アイリスは、ぺたんと両手で表紙をなでて、きらきらと目を輝かせた。
「おにいさま、よんで……?」
声がやわらかくて、甘くて、
それが頼みごとであることに気づくのに、時間がかかった。
「もちろんです。姫さまのために、喜んで」
カイルは静かに本を開き、読み始めた。
けれど、心の中では一行も進んでいなかった。
隣で嬉しそうに身を乗り出してくる少女。
時折、「それ、なんのいみ?」と無邪気に尋ねる声。
すべてが──心に刺さる。
この可憐さに、礼儀に、美しさに、
どれほどの“男”が忠誠を誓うのか。
けれど彼女は、まだ何も知らず、
ただ小さな掌で、世界を優しく包んでいる。
花冠が、カイルの額に乗っていた。
春の香りが、ほんのかすかに鼻先をかすめた。
──この瞬間だけでも、永遠になればいいのに。
そう思ってしまった自分に、カイルはそっと目を伏せた。
古い頁を繰る音、羽ペンの走る音、薪のはぜる音。
そのすべてが呼吸のように整っていて、あまりに静かだった。
だからこそ、そこに踏み込む一歩は、ほんの少しの足音さえ──
「……アイリス様、ですか?」
カイル・アルヴァレス
ローエン公爵家分家筋のアルヴァレス伯爵家の三男であり、7歳という幼い年齢ながら次期ローエン公爵家当主候補としてこの家にて暮らしている幼いながらに聡明な男の子である。
彼は机の上に開いた帳面から目を上げた。
扉の前に小さな影があった。
「おにいさま、あのね……」
アイリスだった。
ほんの少し汚れたスカート、泥のついた指先、でも表情はまっすぐ。
誇らしげに胸元で何かを抱いている。
「これ……つくったの。おにいさまの、ために……」
言葉に、かすかに緊張が混じっていた。
けれど、その言い方は驚くほど自然で王女らしく──
彼女はまだ三歳なのになぜか“完成されて”いた。
「お花のかんむり。おにいさまの、あたまに……にあうと、おもって……」
手の中にあったのは、シロツメクサで編んだ花冠。
解けかけていて形も不格好。けれど──
──どんな王冠より、尊かった。
カイルは言葉を失ったままその小さな手を見つめた。
その手が彼の胸の奥をノックした気がした。
「……私に、くださるのですか?」
自分の声が思っていたよりずっと低く震えていた。
「……うん。わたしね、カイルおにいさまのことだいすきだから!」
その一言にカイルの全身が硬直した。
思考が追いつくより早く体が勝手に動いていた。
「では、ありがたく──戴きます」
そう言って膝をつき両手でその花冠を受け取った。
まるで王配が王冠を戴く儀式のように。
「……にいさま、にあう!」
ぱあっと笑うアイリス。
その瞬間、彼女のまわりだけ光が集まったように見えた。
カイルは目を伏せた。これは耐えられない。
(だめだ。この感情は……私よりも幼い彼女に向けるには、純粋すぎる)
けれど、否応なく思ってしまう。
この子がいつか成長して
この笑顔が“意図的な魅力”を持つようになったとき──
後宮を持ち多くの男性を従わせるようになったら、もしその中に自分がいなかったら──
果たして自分は正気でいられるのか、と。
少し目を離した先に足音が、小さく響いた。
カイルのそばを通り抜けたアイリスが、椅子によじ登ろうとしている。
「ア、アイリス様、お手伝いを……」
「のぼれるの。がんばるの……!」
片足を椅子に、両手を机にかけて、ぐい、と体を引き上げる。
それがまたあまりに健気で息をのむほど愛らしくて──
カイルは完全に敗北を悟った。
「では……アイリス様、今日はどんな本をお読みになりたいですか?」
椅子の上でちょこんと座ったアイリスは、口を尖らせて考えこむ。
「んとね、きょうは……“うつくしいおひめさま”のおはなしがいい」
「……美しい姫、ですか」
それは、あなたのことでは──
その言葉が喉まで出かかったが、カイルはぐっと飲みこんだ。
「……それならば、この本はいかがでしょう」
彼は古びた革装の童話集を取り出す。
アイリスは、ぺたんと両手で表紙をなでて、きらきらと目を輝かせた。
「おにいさま、よんで……?」
声がやわらかくて、甘くて、
それが頼みごとであることに気づくのに、時間がかかった。
「もちろんです。姫さまのために、喜んで」
カイルは静かに本を開き、読み始めた。
けれど、心の中では一行も進んでいなかった。
隣で嬉しそうに身を乗り出してくる少女。
時折、「それ、なんのいみ?」と無邪気に尋ねる声。
すべてが──心に刺さる。
この可憐さに、礼儀に、美しさに、
どれほどの“男”が忠誠を誓うのか。
けれど彼女は、まだ何も知らず、
ただ小さな掌で、世界を優しく包んでいる。
花冠が、カイルの額に乗っていた。
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──この瞬間だけでも、永遠になればいいのに。
そう思ってしまった自分に、カイルはそっと目を伏せた。
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