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氷の王女の誕生
甘露の午後
しおりを挟む──書庫のひそやかな午後を終えたアイリス様は、絵本と色鉛筆をそっと片づける。
お絵かきのインク跡が小さな手のひらや指先に残るのを、エルヴィナが優しく拭き取り、ふんわりと微笑んだ。
「お嬢様、おやつの時間ですよ。ミロも来ているから、行きましょう」
ぴょんと跳ねるように立ち上がったアイリス様は、裾を引くエルヴィナにくるりと笑いかけ――
「はーい! おやつ楽しみです!」
と言いながら手をたたいた。
◇◇◇
カイルおにいさまが小さなフォークに載せたふわふわのパンケーキをそっと差し出してくれる。
その先端にチラリと映るのは、はちみつとミルクが混ざり合った淡い琥珀色。
私は大きな瞳を見開いて息を呑む。
「ほら、熱いからゆっくりね」
カイルおにいさまの声は図書室での読み聞かせのときと同じくらい柔らかい。
彼の青い瞳がほんのり心配そうに私を見つめる。その視線に胸の奥がじんわり温かくなる。
ゆっくり口を開けパンケーキを受け取る。ふわりと湯気が頬を撫で甘い香りがふわっと鼻をくすぐる。
咀嚼すると、ミルクのまろやかさと蜂蜜の優しい甘みが一瞬で体じゅうに広がった。
「おいしい……!」
思わず目を閉じて笑うとカイルおにいさまは小さく頷いてくれる。
その仕草がまるで「これでよかった」とだけ語りかけてくるみたいで私はまたひと口ほおばった。
次の一口は、カイルおにいさまが少しナイフを傾けてパンケーキの縁をそっと切り分けてくれる。
彼の指先の動きがとても丁寧で、まるで私の喜ぶ顔を見るための儀式のように思える。甘いものが苦手なはずの彼なのに、私には一枚一枚を心を込めて運んでくれている。
「こぼれちゃった?」
小さなはちみつの一滴を見つけたら、ミロがそっとナフキンを差し出してくれる。
でも私はカイルおにいさまに視線を戻し、にっこりと微笑む。
「大丈夫、ありがとう、ミロ」
ミロの優しい声も耳に届くけれど、今はカイルおにいさまの傍だけが世界みたい。
口に運ぶたびに彼の温かさが胸に沁みて、なんだか自分が誰かに大切にされていると実感できる。
最後の一枚をカイルおにいさまが「よく頑張ったね」と囁きながらフォークで切り分けてくれる。
その瞬間私はそっと彼の手に触れて、
「ありがとう、おにいさま」
と呟いた。カイルおにいさまははにかんだように笑い、ほんの少しだけ頬を赤らめた。
──こんな小さなひとときが、子どもの私には宝物みたいに眩しかった。
──ふわりと甘い余韻が残るまま、私はテーブルから離れて大きく伸びをした。
午後の光が窓越しに床を柔らかく染め、遠くの風鈴がリンと鳴る。
“まだ遊び足りない……”そんな気持ちと同じくらい瞼が重たくなっていくのを感じる。
小さなあくびをひとつ――エルヴィナの優しい声が、背後から静かに響いた。
「アイリス様、そろそろお昼寝の時間ですよ」
振り返ると、絹の裾をそっとたくし上げたエルヴィナ様が微笑んでいる。
その笑顔は春の日差しみたいにあたたかく私は思わず頬を緩ませた。
「うん……眠くなってきた」
私の呟きを受け、エルヴィナ様は白い毛布を持ってきて、
ふかふかのベッドのある私室へと私を優しく導いてくれた。
座ると、みずみずしいシルクの感触が背中に伝わり、
まるで柔らかな雲の上にいるような心地よさが胸に広がる。
パンケーキの甘い香り、カイルおにいさまの優しい笑顔、
ミロの真剣なまなざし……そのすべてが映像となって頭の中をめぐり、
私はそれを夢のように反芻しながら、静かにまぶたを閉じた。
「おやすみなさい、アイリス様。夢の中でも素敵な冒険を」
囁くように紡がれるエルヴィナ様の声に、心の扉がゆるやかに開かれる。
頬に感じる彼女の指先の温度が、安心を約束してくれる。
そして、最後に聞こえたのは……
「…………ふふ、また夜にね」
私と同じく、おにいさまたちが控えの扉の外で見守っているらしい、
小さな足音と、その向こうに浮かぶ温かな気配だった。
──この午後のひとときは、きっと私だけの大切な夢になる。
私はそっと笑い、深い眠りの中へと身をゆだねた。
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