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二章

二話 押水一郎の日常 その三

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 押水一郎、調査一日目の朝。

「先輩、おはようございます」

 押水の家から死角になる位置で立っていた俺に、伊藤は手を上げ元気よく挨拶してきた。

「おはよう、伊藤。二十分遅刻だぞ」
「先輩が早いんですよ」
「押水がいつもより早く登校する可能性がある限り、早く来るのは当たり前だろ」

 俺の推測に、伊藤は肩をすくめる。
 分かっていませんね~と言いたげに反論してくる。

「桜井さん、彼の家にいきました?」
「ああ、情報どおりだ。押水はまだ玄関を出ていない」

 桜井さんとは前に押水に声をかけたとき、押水をかばった女子のうち一人だ。
 長い黒髪をなびかせ、背筋、膝を伸ばした歩き方が綺麗な姿勢だったので印象に残っている。
 おっとりとしたやさしい雰囲気もあったが、押水の為、俺に意見するあたり、しんがしっかりとしている女子だろう。
 伊藤の情報によると、桜井さんは押水の家の隣に住んでいる幼馴染だったな。

「でしょ~。彼は幼馴染に起こしてもらうまでは寝ているんですよ。桜井さんは時間に正確なお人ですから、彼らが早く登校することはまずありえません」
「……彼女でもない女に起こしてもらうことが当たり前の男ってありなのか?」
「普通はないですが、そこは片思いの辛いところですね。鈍感どんかんだから報われることはまずないでしょう」

 朝から気分が重くなる。
 俺は押水の家を見上げた。
 二世帯住宅の三階建てで、小さな寮と同じくらいの大きさがある。本当に中流家庭でこの大きさの家を購入できたのだろうかとツッコミたくなる。
 俺が住んでいる家も一軒家で、祖父と祖母の三人で住んでいるが、一郎の家の大きさの四分の一くらいだ。十九人が住むにはこの大きさでも狭いのか広いのかは想像がつかない。
 押水家の男女比は一対十八。まるで女子寮に男が一人いるようなものだな。
 肩身が狭くないのだろうか?

「まだ出てくるには時間がありますね」
「そうだな」
「では、暇つぶしに私が調べた彼の朝について報告していいですか?」
「結構だ」

 家の中の出来事まで知る必要はない。知りたくもない。

「では、ご希望に応えて」

 結構の言葉を肯定と受け取り、伊藤は話し始めた。
 押水のとんでもない行動を聞かせ、俺をからかいたいのだろう。
 その手には乗らないぞ……と思っても乗ってしまうんだろうな。
 憂鬱ゆううつだ。



 ***


「もう朝だよ、一郎ちゃん。起きて」
「……」

 眠い……。
 夜遅くまでゲームをしていたせいで、まぶたが重い。
 今日はみなみか……ねばればまだ眠れるな。

「早く起きないと遅刻するよ」
「……もうあと一時間」
「一時間過ぎたら遅刻だよ」

 ゆさゆさとすってくる感覚が心地いい。まるで、ゆりかごに揺られている気分だ。

「もう!」

 まぶしい。布団を無理やり取りやがった。カーテンの隙間からこぼれる日差しが眩しすぎる。

「ほら、早く起きて……」

 なんだ? みなみの声が途切れたな。
 みなみのヤツ、顔を真っ赤にしてどうしたんだ?

「もう。最低!」

 みなみは部屋を出ていった。
 原因は、僕の息子か……。
 おはよう、マイサン。朝の生理現象なのだから仕方ないか。
 大きなあくびをしながらケツをかき、顔を洗いに洗面台に向かった。



 九月半ばになっても暑い。汗で体中がべとべとする。シャワーでも浴びよう。
 よいしょっと。服を脱ぐと涼しいな。さて、入るか。
 ガチャ。

「……」
「……」

 先客がいた。妹のひまりだ。

「な、ななな……」
「よう、ひまり。入ってたのか」

 とりあえず挨拶してみる。

「おーい」

 返事がない。ただのしかばねのようだ。
 中学生二年生とは思えない発育した体に思わず息子が元気になりそうになる。
 いかんいかん、妹相手に欲情よくじょうするなど、僕はシスコンではない。
 風呂に入ろうとすると、今まで黙っていたひまりが大声で叫んだ。

「い、いやあああああ! 出ていって!」
「す、すまん」

 バタン。僕は慌ててドアを閉めた。

「……」
「……」
「なんで、ドアだけ閉めて出ていかないのよ!」
「いや、よく考えれば僕達兄妹だし、別にいいだろ?」

 僕は両手を広げ、危害を与える気はないとアピールしながら風呂に入ろうとした。

「よくない! この馬鹿!」
「あいた!」

 ひまりは胸を手で隠しながら石鹸せっけんやらシャンプーが僕の顔めがけて飛ばしてきた。
 おっ、手の隙間からひまりのCカップの乳首が……。

「アッ!」

 い、息が……。
 ぼ……僕のマイサンに……直撃ちょくげき……した……よ。
 股間に激しい痛みをともないながら、ガリ股で退却した。



「くそ、ひまりのやつ……けしからん胸しやがって……」

 僕の股間を何だと思ってるんだ。再起不能になったらどうするつもりだ。お婿にいけなくなるだろ。
 仕方ない。トイレに行くか。トイレはこの家のルールとして男女別になっている。今度は鉢合はちあわわせすることもないだろう。
 も、もれそう……早くいかなければ。
 急いでトイレまで走り、ドアを開けると。

「……」
「……」

 妹の小梅こうめが入っていた。
 おかっぱの小学一年生になった、少しおしゃまな女の子だ。用を足そうとしていたのか、下は何も履いていない。
 小梅の目に涙が溜まっている。まずい。

「おにいたまのバカ!」
「ほぉ!」

 投げたトイレットペーパーがまたもや股間にピンポイントで当たって、い、痛みが……。
 妹達よ、僕の息子に何か恨みでもあるのか……。
 痛みに悶絶もんぜつしながら、ドアを閉めた。



「一郎、真奈美まなみ夏帆かほ、起こしてきて」

 不死鳥の如く復活し、リビングに入ろうとした僕に、京香きょうか姉が一言、命令してきた。もちろん、僕に拒否権はない。
 やれやれ、人使いの荒い姉を持つと苦労する。
 真奈美は低血圧だからな。起こすのが面倒くさい。

「真奈美、入るぞ」

 ノックをしたが返事がない。いつもどおりだ。みなみはなぜ真奈美を起こしにいかないのだろう。
 真奈美を優先的に起こしにいってくれたら、まだ眠れるのに。
 恨み言をつぶやきながらドアを開ける。案の定、真奈美は寝ていた。

 真奈美は中学一年生の女の子だ。
 細く長い髪がベットの上にこぼれ、白い手足がパジャマの裾や袖からはみ出ている。線は細いが、胸元も少しだが丸みを帯びている。
 女の子は男の子より大人になるのが早いというが、やはりまだまだガキだな。
 へそ丸出しで、下着が見えている。寝相が悪い。
 父さんが見たら泣くぞ。

「おい、真奈美。起きろ」
「……んん」
「真奈美、起きろ」
「……あと二時間」
「そのネタは僕がやった。起きろよ」
「……もう食べられないよ」

 なんてベタな寝言だ。僕でも言わないぞ、そんなこと。
 強く揺すってみるか。

「いい加減に起きろ。僕が京香姉に怒られるんだぞ!」
「……んん」

 まだ起きないのか。仕方ない、アレやるか。

「起きないと、真奈美の大好物のプリン、食うぞ」
「ダメ!」
「おぉ!」

 あ、あまりの痛みによだれが……。
 会心の一撃。
 真奈美の無意識に伸ばした足が、僕の股間へ吸い込まれるように叩きつけた。

「……おはよう、アニ。何してるの?」
「……お、おまえな」

 いい加減、感覚がなくなってきた。まずい、もれるかもしれない。いろいろなものが……。



 真奈美に背中をぽんぽんされ、なんとか立ち直ったが、僕って呪われているのだろうか。
 次は夏帆か。
 二度あることは三度あるというが、四度目はないはず。時間も結構たっているし、もう起きてるだろう。
 夏帆の部屋をノックする。

「お~い、夏帆、起きてるか~入るぞ」
「え? ま、待って、兄貴!」

 部屋に入ると夏帆はいた。起きているようだ。しかし、着替え中だった。
 黒髪のカジュアルショートで小学六年生にしては身長が百七十と高いせいで男の子に見えるが、ブラジャーをしているのを見るとああ、女の子だって思えるよな。

「何が女の子だって思えるよな、だよ! ボクはちゃんとした女の子だ!」
「お前、超能力者か!」
「声に出てる! それとさっさと出ていけ!」

 バタン。

「……」
「……」
「なんでドアを閉めて、兄貴はここにいるんだよ!」

 しまった! つい条件反射で!
 夏帆が目覚まし時計を掴み、投げようとした。
 まずい! あんなものが股間に当たったら、別の何か目覚めてしまう。目覚まし時計なだけに!
 僕は咄嗟に股間を両手でクロスアームガードする。
 鉄壁の護りだ。さあ、こい!

 ガン!

 両手を股間の防衛に費やしていたため、無防備になった顔を狙い撃ちされた。
 いてててて! あまりの痛みに顔を抑えたとき。
 ゴン!

「……ぁ……」

 しゃ、洒落になって……ない……声が……出ない……。
 鉄アレイが僕のバットにジャッストミートした。僕のバットでも鉄アレイを打ち返すのは無理だ。
 に、二連撃だと……抜○斎か……。
 あまりの痛みにもう快感を覚えていた。



「いただきます」

 臨死体験を乗り越え、僕はようやく朝食にありつけた。

「一郎、あんたわざとやってない? いい加減にしなさいよ」
「まあまあ、イチも反省してるみたいだし、許してあげて」

 妹たちがチクったせいで、僕は怒られている。僕だけのせいじゃないでしょ、絶対。
 反論すれば、余計に酷い目にあるので、黙ることにした。沈黙は金だ。

「いろは姉さんは一郎を甘やかしすぎ」
「だって、可愛い弟じゃない。京香きょうかだって、イチのこと好きでしょ?」
「好きだから甘やかさないの。しっかりしつけないと大変なことになるわよ。このままだと、一郎は警察のお世話になること間違いないわ」

 長女のいろは姉さんと次女の京香姉さんのお小言を適当に聞き流しながら、パンにジャムを塗り、ほおばる。
 僕だってわざとじゃないっつうの。
 それに毎日じゃない、三日に一度くらいだ。
 今日の運勢はっと、何々? 大吉、運命の出会いがあるか。

「何無視してるのよ、一郎のクセに生意気」
「いたたたた! ギブ! ギブ!」

 頭を脇にはさめられ強く締め付けられる、これぞ京香姉さんの十八番おはこヘッドロックだ。
 やわらかい感触……胸が当たっているが、痛みでそれどころではない。

「もう、京香! イチをいじめちゃダメ!」

 いろは姉さんが助けてくれて、ぎゅっと抱きしめてくれる。
 うわ! 僕の顔がいろは姉さんの胸に埋もれていく。
 巨乳に挟まれているこの幸せ、甘い香りとやわらかい感触をいつまでも味わっていたい。

「いろは姉さん、抱きつきすぎ」
「別にいいじゃない。弟なんだもん」

 ああ、幸せだ。
 姉、最高だぜ!

「いい加減、離れたらどうなんですか」

 この冷たい声は、小雪か。
 インテーク(前髪が左右に別れて盛り上がっていて、髪の房が作り出す洞穴状のくぼみが猫耳っぽく見える髪型)につり目、自由気ままな性格はまるで猫のようだ。
 同じ青島高校の一年である小雪は反抗期か、僕に冷たい態度をとることが多い。お兄ちゃん、悲しいよ。昔は僕やハル姉の後ろをいつもついてきていたのに。

「姉にデレデレして、かっこ悪い」
「やきもち?」
「ち、違います! 兄さんにはしっかりとしてほしいだけです。ねえ、みなみさん」

 小雪は頬を赤く染め、みなみに同意を求める。

「そうね。もう少し女性関係をしっかりしてほしい」
「全くです。いろは姉さんが兄さんを甘やかすから、いつまでたってもだらしないんです。スパルタでいかないと」
「でも~」

 しょうがない、僕がフォローしてあげるか。まあ、自分のことだしね。

「大丈夫だよ、いろは姉さん。僕、モテないし」
「「「……」」」
「な、なに?」
「重傷かも」
「ちょ!」

 どういうこと? いろは姉さんにダメだしされたら終わりじゃん。僕、モテるの? そんなわけないか。
 さっさと着替えて学校にいこう。
 ああ、一度でいいからモテたいな。


 ***
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