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第1章 Ⅱ節 反撃
Ⅱ節 反撃 5
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与一と少年が峠越えの道に差し掛かった頃、シャリム皇国の都アキシュバルにようやくパルソリア平原での大敗の報が届けられた。サキュロエス街道の伝令馬は、その速さと持続性を以て各駅の間を繋ぎ、本来不休で駆けても3日はかかる道のりを半日で駆け抜けたのである。
皇宮にて敗戦の報を受けた皇都鎮護軍の長、大万騎将ダレイマーニは、その老体を椅子に埋めて静かに呻いた。続いて届いた詳細を聞くと、さらに深いため息を吐いた。
皇国が戦で負けたことはその歴史上多々あったが、ここまでの敗戦は経験がなかったからである。
(わしが知っておるもので50年前のメギイト内乱の鎮圧を失敗した時以来じゃが......)
ダレイマーニは目の前に跪いて控える伝令兵に気がかりを問うた。
「して、皇太子フェルキエス殿下は無事か? 皇都へお退きなされたのであろう?」
「恐れながら、落命不知!」
清々しいほどに大きな声で報告されて、ダレイマーニはその伝令兵を蹴飛ばしてやりたくなったが、「任務御苦労」と、ひとこと労って自室の扉を閉ざした。
(フェルキエス殿下を含めセンテシャスフ殿下、ファルシール殿下、皇位継承候補3方の無事が確認されない以上、皇国の存続が大いに危ぶまれる。先年の遠征で負傷され床に臥せっておられる皇帝陛下におかれては、さぞご心痛あそばされることであろうな......)
ダレイマーニは報告の内容をすぐ皇帝フサイへと奏上はせず、宰相のベルマンに伝えることにした。
ベルマンとダレイマーニは旧知の仲で、共にシャリムへ尽くしてきた竹馬の友であった。ダレイマーニは、ベルマンの執務室に出向くと、事の次第をベルマンに話した。
「なんと。フェルキエス殿下にはまだ世継ぎが居らぬではないか。だがらあれほどご自重なさるよう申し上げたのに。諸侯の動静を坐視しておれたのもフェルキエス殿下が直属の軍50万あっての事だというものを」
「全く以て左様。なればこそ諸侯の動向を牽制せねば、皇国の崩壊は火を見るより明らかじゃ」
シャリム皇国は、12の貴族が治める諸侯領と皇族直轄領からなる国家である。初代皇帝アル=シャースフの宰相であり神使でもあった賢者の補佐のもと、侵略者を撃退したシャースフは、部族の長となり、やがて始めた東方遠征で得た富と名声を背景にシャリム皇帝に即位した。その後、歴代シャリム皇帝たちは、初代皇帝が主神の名のもと正統であると謳い続け、遠征で立てた武勲によって諸侯に領地を下げ渡していた。
しかし時が経つにつれ封ずる土地が少なくなり、反して貴族の数が多くなってくると、皇帝の権威が衰えを見せはじめ、それを案じた時の皇帝メティス4世は、数百にも及んだ諸貴族に対し、無理難題を押し付け不履行となった負債の担保として地位と領地を奪っていった。もちろん諸侯の反感は高まったが、皇帝の圧倒的武力による牽制が働き、離叛の動きは一時収まった。
以降シャリム皇国は、その圧倒的武力と、賢者召喚による皇権神授の正統性を以て保たれ続けている。故に、この度の敗北と皇太子を含めた皇子3人が消息不明である現状が、長年燻ってきた諸侯の離叛気運を助長するのではないか、とダレイマーニは憂いていた。
「そもそも武力による統治にも限界があったのだ。いずれは考えねばならなかった事よ」
ベルマンは、これ機に皇国の統治を見直すべきだな、と続けた。
「だがわしは、内政も然ることながらキースヴァルトの攻勢が気になる......」
「何故?」
「おかしいとは思わんか? 東方の小国に過ぎぬキースヴァルトが、西方に進出する力を持っているのが」
「侵攻した占領地から得ておるのだろうよ」
「それにしてもおかしいのじゃ。パルソリアの戦の前に放った斥候の報告によれば、兵馬15万にも満たぬ規模であったのに......。50万の我が軍を相手にいかなる奇策を用いたことやら。国力増強と言い戦と言い、あちらには頭の回る厄介な輩がおるのやも知れぬ」
ベルマンは同感して低く唸った。
キースヴァルトは大陸東方の小国である。大きさはシャリムの十分の一ほどで、シャリム同様に封建制のもと、国王が国を治めている。しかし根本的に異なるのは、各々の貴族が国王と同等の関係であり、長い間国王の統治とは言い難い分裂状態にあることである。そのキースヴァルトが、国王の名のもとに一致して西方に進出してきているのである。何かしらの政変があったのは明白であった。
「いずれにせよ、事が事じゃ。陛下への奏上はいかがする」
ダレイマーニが問うた。
「遅かれ早かれ宮廷に噂は広まるだろうて、諸侯の動きを恐れて宮廷が揺らぐことは避けねばならん。諸侯にも敗戦の報は届くころじゃ。悪い噂が尾ひれをつけて泳ぎ回られても困るでな。ここはまず陛下に奏上つかまつりて、後にすぐ正式な公表を行うことに致そう。宮廷の動揺は私が抑えるとして、そなたには皇都鎮護軍の備えを整えてもらうぞ」
ダレイマーニは重く頷いた。
与一と少年が峠越えの道に差し掛かった頃、シャリム皇国の都アキシュバルにようやくパルソリア平原での大敗の報が届けられた。サキュロエス街道の伝令馬は、その速さと持続性を以て各駅の間を繋ぎ、本来不休で駆けても3日はかかる道のりを半日で駆け抜けたのである。
皇宮にて敗戦の報を受けた皇都鎮護軍の長、大万騎将ダレイマーニは、その老体を椅子に埋めて静かに呻いた。続いて届いた詳細を聞くと、さらに深いため息を吐いた。
皇国が戦で負けたことはその歴史上多々あったが、ここまでの敗戦は経験がなかったからである。
(わしが知っておるもので50年前のメギイト内乱の鎮圧を失敗した時以来じゃが......)
ダレイマーニは目の前に跪いて控える伝令兵に気がかりを問うた。
「して、皇太子フェルキエス殿下は無事か? 皇都へお退きなされたのであろう?」
「恐れながら、落命不知!」
清々しいほどに大きな声で報告されて、ダレイマーニはその伝令兵を蹴飛ばしてやりたくなったが、「任務御苦労」と、ひとこと労って自室の扉を閉ざした。
(フェルキエス殿下を含めセンテシャスフ殿下、ファルシール殿下、皇位継承候補3方の無事が確認されない以上、皇国の存続が大いに危ぶまれる。先年の遠征で負傷され床に臥せっておられる皇帝陛下におかれては、さぞご心痛あそばされることであろうな......)
ダレイマーニは報告の内容をすぐ皇帝フサイへと奏上はせず、宰相のベルマンに伝えることにした。
ベルマンとダレイマーニは旧知の仲で、共にシャリムへ尽くしてきた竹馬の友であった。ダレイマーニは、ベルマンの執務室に出向くと、事の次第をベルマンに話した。
「なんと。フェルキエス殿下にはまだ世継ぎが居らぬではないか。だがらあれほどご自重なさるよう申し上げたのに。諸侯の動静を坐視しておれたのもフェルキエス殿下が直属の軍50万あっての事だというものを」
「全く以て左様。なればこそ諸侯の動向を牽制せねば、皇国の崩壊は火を見るより明らかじゃ」
シャリム皇国は、12の貴族が治める諸侯領と皇族直轄領からなる国家である。初代皇帝アル=シャースフの宰相であり神使でもあった賢者の補佐のもと、侵略者を撃退したシャースフは、部族の長となり、やがて始めた東方遠征で得た富と名声を背景にシャリム皇帝に即位した。その後、歴代シャリム皇帝たちは、初代皇帝が主神の名のもと正統であると謳い続け、遠征で立てた武勲によって諸侯に領地を下げ渡していた。
しかし時が経つにつれ封ずる土地が少なくなり、反して貴族の数が多くなってくると、皇帝の権威が衰えを見せはじめ、それを案じた時の皇帝メティス4世は、数百にも及んだ諸貴族に対し、無理難題を押し付け不履行となった負債の担保として地位と領地を奪っていった。もちろん諸侯の反感は高まったが、皇帝の圧倒的武力による牽制が働き、離叛の動きは一時収まった。
以降シャリム皇国は、その圧倒的武力と、賢者召喚による皇権神授の正統性を以て保たれ続けている。故に、この度の敗北と皇太子を含めた皇子3人が消息不明である現状が、長年燻ってきた諸侯の離叛気運を助長するのではないか、とダレイマーニは憂いていた。
「そもそも武力による統治にも限界があったのだ。いずれは考えねばならなかった事よ」
ベルマンは、これ機に皇国の統治を見直すべきだな、と続けた。
「だがわしは、内政も然ることながらキースヴァルトの攻勢が気になる......」
「何故?」
「おかしいとは思わんか? 東方の小国に過ぎぬキースヴァルトが、西方に進出する力を持っているのが」
「侵攻した占領地から得ておるのだろうよ」
「それにしてもおかしいのじゃ。パルソリアの戦の前に放った斥候の報告によれば、兵馬15万にも満たぬ規模であったのに......。50万の我が軍を相手にいかなる奇策を用いたことやら。国力増強と言い戦と言い、あちらには頭の回る厄介な輩がおるのやも知れぬ」
ベルマンは同感して低く唸った。
キースヴァルトは大陸東方の小国である。大きさはシャリムの十分の一ほどで、シャリム同様に封建制のもと、国王が国を治めている。しかし根本的に異なるのは、各々の貴族が国王と同等の関係であり、長い間国王の統治とは言い難い分裂状態にあることである。そのキースヴァルトが、国王の名のもとに一致して西方に進出してきているのである。何かしらの政変があったのは明白であった。
「いずれにせよ、事が事じゃ。陛下への奏上はいかがする」
ダレイマーニが問うた。
「遅かれ早かれ宮廷に噂は広まるだろうて、諸侯の動きを恐れて宮廷が揺らぐことは避けねばならん。諸侯にも敗戦の報は届くころじゃ。悪い噂が尾ひれをつけて泳ぎ回られても困るでな。ここはまず陛下に奏上つかまつりて、後にすぐ正式な公表を行うことに致そう。宮廷の動揺は私が抑えるとして、そなたには皇都鎮護軍の備えを整えてもらうぞ」
ダレイマーニは重く頷いた。
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