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第二十三話

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「なんだ…?」

今、確かに聞こえた。

人の……それも女性の悲鳴だった。

森の奥からだ。

領民が森の中に迷い込んだのだろうか。

「見てくるか」

俺は悲鳴のした方に向かって進み始める。

『ヴァフッ!!』

「ん?どうしたクロスケ?」

クロスケが走って俺の前に立ち塞がった。

そして姿勢を低くしてフリフリと尻尾を振る。

「乗れってことか?」

『ワフッ!!』

そうだと言うように体を縦に揺らすクロスケ。

俺は恐る恐るクロスケの背中によじのぼって、黒くてふさふさな毛を掴む。

『ヴァフッ!!』

「うおおお!?」

俺が背中に乗るや否や、クロスケは地を蹴って森の中を疾駆する。

信じられないほどの速さだ。

横にはクロコも並ぶ。

「すごいな…!!これなら…」

悲鳴の主を助けられるかもしれない。

俺は左右の景色が一瞬にして後ろに流れていくほどのクロスケの脚力に感心するのだった。



「いた…!あそこだ…!!」

クロスケに捕まって森の中を疾駆すること一分ほど、前方に人影を見つけた。

「いやぁあああ!!来ないでっ!!」

少女だった。

ボロ着を身に纏った俺と同い年ぐらいの少女が、モンスターに囲まれて逃げ場を失っている。

「クロスケ、クロコ!!お前らは周りのモンスターを頼む…!!」

『ヴァフッ!!』

『ガル…!』

俺はクロスケとクロコにそう命令してから、クロスケの背中から飛び降りた。

そして襲われかけている少女のすぐ近くに着地した。

「きゃっ!?」

突然現れた俺に少女は一瞬受け身の姿勢になり、それから恐る恐る顔を上げる。

「あ、あなたは…?」

「エラトール家の長男、アリウス・エラトールだ。助けにきた」

「危ないっ!?」

少女の悲鳴のような声が上がる。

ゴブリンが一匹、背後から接近してきて俺に襲い掛かろうとしていたからだ。

だが、そのゴブリンがこちらまで到達することはなかった。

『ガルルルルル…!!』

クロスケが俺に近づこうとしていたゴブリンを噛み殺したからだ。

初級のゴブリンは、中級のクロスケに噛みつかれて一瞬で絶命した。

「え…?モンスターがモンスターを…?」

少女がその光景に目を見開く。

「あいつは俺がテイムしているブラック・ウルフだ。大丈夫。仲間だよ」

「…は、はい!」

少女がガクガクと頷いた。

「ところで君は領地の住人…?どうして一人で森の中に…?」

「わ、私は…その…エラトール家の領民では…」

「ん…?他所から来たのか…?」

「その…あの…」

少女が何かを言いづらそうに目を逸らす。

『ガルルルルル…!!』

『ガァアアアアア!!!』

俺が少女と会話している間に、クロスケとクロコは牙を剥き出して唸り声をあげ、周囲のモンスターを威嚇して寄せ付けなくしておいてくれた。

だが、それでもモンスターたちは俺たちの周囲を取り囲んで少しずつ接近しつつあった。

「まぁいい。とりあえず今はこいつらを始末しよう。その後に詳しい話を聞かせてもらうよ?」

「は、はい…」

もし少女が領民でないと言うのならそれは結構な問題だ。

他の領地の民が、許可なく他領に踏み込むのは帝国法に違反しているからな。

「君はそこで待ってろ」

「に、逃げないんですか!?」

少女が心配そうに尋ねてくる。

「ああ。これくらい問題ない…ライトニング・ソード」

俺は魔法で生み出した光の剣を握って、モンスターたちに斬りかかっていった。

 
「ふぅ…これで片付いたか?」

俺は当たりをぐるりと見渡した。

『『『…』』』

かなりの数いたモンスターたちは、全て沈黙している。

ほとんどが死んでいるか、致命傷を負って動けない状態だ。

放っておいても間も無く絶命するだろう。

『アオーン!!』

『アオオオオン!!』

戦闘に参加して何体もモンスターを噛み殺したり追い返したりしたクロスケとクロコが勝利の鳴き声を上げる。

「大丈夫だったか?」

「すごい…」

俺が少女の元に戻ると、少女はぐるりと囲むようにして横たわっているモンスターたちの死体と俺を見比べてそう呟いた。

「怪我はないか?」

背後には気を遣っていたつもりだが、魔法攻撃の余波を食らった可能性もある。

俺は念のため少女の安否を確認する。

「は、はい…おかげさまで」

「そうか。それならよかった」

「あ、あの…今のは魔法、ですか…?」

少女が無事であることに安堵していると、少女は恐る恐る聞いてきた。

「そうだが?」

「わ、私と同じくらいの歳ですよね?」

「だろうな」

「そ、その歳で…あれだけの魔法を?」

「帝国最高峰の魔法の師匠がいるんだ」

「な、なるほど…」

俺の言葉を聞いて少女はようやく納得したようだ。

立ち上がり、パンパンと服の汚れを取り払って、それからペコリと頭を下げた。

「助けていただいてありがとうございます」

地面につくんじゃないかってぐらい深々とお辞儀をする。

「お、おう…」

俺は少し照れくさくなって頭をかいた。

「そしてごめんなさい…」

「え…?」

だが、直後少女は謝罪の言葉を口にした。

「私…実はエラトール家の領民ではないんです。隣のカラレスの領地から不法に入ってきた…犯罪者です」

「…」

やはりか。

なんとなくそうなのではないかと言う気がしていた。

少女は痩せていてきているものもボロボロの服だった。

エラトール家の領地は、そこまで裕福ではないが、しかし、領主のアイギスが民から徴収する税を極力減らしているため、領民は比較的豊かな生活をしている。

俺は十年以上この領地で暮らしてきて、領内のほとんどの地域を歩いたことがあるが、病気でもない限り、目の前の少女のようにやせ細った領民は見たことがなかった。

だから、少女を見たときに他領からやってきた……と言うよりも逃げてきたのではないかと言う可能性が真っ先に浮かんだのだ。

「事情を聞くよ。ともかく森から出よう」

「…はい」

少女は頷いて、申し訳なさそうに俯いた。

「クロスケ、クロコ。今日はご苦労だったな。一応回復魔法をかけておいてやる」

俺はひとまず戦いに参加したクロスケとクロコに回復魔法を施して、それから二匹と別れた。

それから落ち込んでいる様子の少女を連れて森を出る。

「ここまで来れば大丈夫だろう。話を聞かせてもらおうか」

森からだいぶ離れたところで、俺は振り返って少女に話を聞くことにした。

「まず名前は…?どうしてカラレス領からエラトール領へ?」

「…名前はルーシェです。逃げてきたのは……領主のガレス様に酷いことされそうになったから…」

「酷いこと…?」

「はい…服を脱いで…裸になれって…」

ルーシェの声は震えていた。

「それで…私、その場から逃げて窓から飛び出して…森の中に逃げ込んで…」

「…」

見ればルーシェの体にはあちこちに切り傷があった。

ここへ逃げてくるまでに相当無理をしたのが伺える。

「ヒール」

「ふぇ…?」

俺はルーシェに回復魔法を使った。

かなりの魔力を注ぎ込んだ回復魔法が、ルーシェの傷を癒していく。 

「温かい…」

ルーシェがポツリと言った。

やがて光が収まると、ルーシェの身体中の傷は完全に癒えていた。

「あの、ありがとうございます…」

ルーシェがペコリと頭を下げる。

俺は引き続き、ルーシェの事情を問いただす。

「ガレスってのは…ガレス・カラレスのことだよな…?代替わりした…新しい領主の」

「はい。そうです」

「服を脱って命令されたってことは……使用人か何かだったのか?」

「いいえ…私はガレス様の奴隷でした」

「は…?奴隷…?」

思わず聞き返す。

「はい。奴隷です」

「なぜだ…?ルーシェ。お前は何歳なんだ」

「十一です」

「俺の一つ上か…」

やはりルーシェと俺の歳は近かった。

…そしてだからこそ、ルーシェが奴隷になるなんて有り得ない。

「本当に奴隷だったのか?帝国法は十五歳以下の奴隷を禁じているぞ?」

帝国は基本的に各地方を収める貴族領主たちに、それぞれ独自の方で領地を経営することを認めているが、しかし、全ての領地に対して適応される帝国法なるものも定めている。

その一つに帝国奴隷法があって、その法律では、十五歳以下の子供を奴隷にすることが禁じられている。

ゆえにもしガレス・カラレスがルーシェを奴隷にしていたのだとしたら、それは重大な帝国法違反だ。

このことが明るみになれば、最悪ガレス・カラレスは領地を召し上げられ、失脚させられる。

「前の領主様は……帝国法を遵守し、十五歳以下の領民を奴隷とすることはありませんでした…しかし、代替わりしてからは……ガレス・カラレス様が領地を収めるようになってから、領地の更なる発展を名目に、子供たちまで奴隷としてこき使うようになったのです」

「…マジか」

これはどんでもないことを聞いてしまった。

俺はおもわず周囲を見渡して今の話が聴かれていなかったか、確認する。

だが、周囲に領民の姿は見当たらなかった。

「それで…わ、私は…どうすればいいでしょうか?」

ルーシェが縋るような目を向けてくる。

俺はまさかこの場に捨て置くわけにもいかず、かといって俺一人で解決できる問題でもないため、ルーシェを連れて屋敷を目指すのだった。

 
「なるほど…話はわかった」

ルーシェと共に屋敷に戻った俺は、屋敷の中の執務室でアイギスに事情を説明していた。

その際、ルーシェと口裏を合わせて、テイムしているクロスケやクロコのこと、森でモンスターと戦ったことなどはうまく誤魔化した。

アイギスは難しい顔をしながら俺の話を聞いていた。

「自分だけで解決できる問題ではないと思ってここにルーシェを連れてきました。お父様はどうするべきだと思いますか?」

自分の知っている情報を全て話し終えた俺は、アイギスに判断を仰ぐ。

「うむ…お前の言う通り、これは難しい問題だ…」

アイギスが目を細めてルーシェを見る。

ルーシェはキュッと身を縮こまらせた。

「1番手っ取り早いのは……彼女を…ルーシェをカラレスの元に送り返すことだ」

「…はい」

まぁ、穏便に済ませるならそうだよな。

ただ、事態はそう簡単ではない。

「お前はどう思う?アリウス」

アイギスが俺に意見を問うてくる。

見定めるような…まるで俺の答えに期待するような視線の前で、俺は正直に自分の考えを述べる。

「自分はルーシェをカラレスの地に送り返すべきではないと考えています」

「…ほう?なぜそう考えた?」

アイギスがニヤリと笑った。

俺はルーシェを送り返した場合に起こりうる出来事について述べる。

「ルーシェはまだ十一歳で、奴隷になっていい年齢では有りません。もし、我々がルーシェが帝国法に違反して奴隷労働をさせられている状況を知りながらことを穏便に済ませるためにルーシェをカラレス領に送還すれば、カラレスの悪行が暴かれた時に、エラトール家まで罪に問われてしまう可能性があります」

「さすがだ」

パチパチとアイギスが拍手をした。

「やはりお前は賢い。アリウス。お前の言う通りだ。何も知らないふりをしてルーシェを送還することは、帝国法を蔑ろにするカラレスに加担したことになり、我々まで罪に問われるリスクがある。波風を立てぬためとはいえ、安易に選べる選択肢ではない」

「はい」

「それで…お前はどうするつもりだ?ルーシェをどうするべきだと思う?」

「この屋敷で使用人として雇い、匿うべきだと思います」

「ほう…」

アイギスが顎をさする。

興味津々と言った感じの視線が先を促していると思い、俺はルーシェを匿うべきだと思った根拠を話す。

「ルーシェはカラレスが帝国法を犯しているという重要な証拠で有り証人です。彼女を手元に置いておくことで、我々はカラレス家に対して発言力を増すことができます」

「そうだな」

「カラレス家がしていることは重大な帝国法違反で有り、許されないことです。しかし、それを今すぐに公表するのは避けたほうがいいです」

「ふむ」

「カラレスが何も考えずに自らの領民を帝国法に触れる形で奴隷にしているとは考えにくい…おそらく一定数の帝国官僚や政治家たちが買収され、丸め込まれていると考えるのが自然です。何も情報がないままに、正義感に駆られてこのことを公表しても、その事実はもみ消され、握りつぶされてしまうかもしれない」

「だろうな」

「ですから、ルーシェは我が家で匿っておいて、カラレス家と極端に関係が悪化した際の切り札として温存しておくほうがいい。それがエラトール家の利益になる」

「完璧だ」

パチパチパチとアイギスが賞賛の拍手を俺に送った。

「私が1日は悩み抜いて出すであろう結論を、お前はこの一瞬で出して見せた。ああ、我が息子ながらなんとかしこい子だ。私は本当にお前を誇りに思う」

「…はい。光栄です」

「アリウス。お前の言った通りにしよう。おそらく私が今から一晩悩み抜いたところでお前と同じ結論に至るだけだろうからな。わかった。すぐにでもルーシェを使用人として雇おう。セバス!!」

パンパンとアイギスが手を打った。

するとすぐに、屋敷で働く十数人の使用人たちを管理しているセバスが執務室に現れる。

「はい、なんでしょうアイギス様」

「この子を我が屋敷で使用人として雇うことにした。事情は後で話す。服とそれから温かい食事を施してやれ」

「わかりました」

セバスが恭しく一礼して、それからルーシェに声をかける。

「こちらですよ。一緒に来てください」

「は、はい…!」

頷いたルーシェがセバスについて歩こうとして…振り返って深く頭を下げた。

「あのっ…ありがとうございます!!本当に、ありがとうございますっ!!」

作法も何もかもぐちゃぐちゃだったが、それは十分に感謝の込められた言葉だった。

頭を下げられたアイギスは、ふっと優しげな笑みを浮かべる。

「感謝ならアリウスにしなさい。私は賢い息子に丸め込まれただけなのだからな」

「お父様…」

「ふははっ」

アイギスが愉快そうに笑った。

こうして森で助けた奴隷の少女、ルーシェは屋敷で雇われることとなった。
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