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トラップ side遼太
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「ねえ、遼太、ちゃんと考えてくれてるの?」
「あー、考えてる考えてる」
少し面倒臭い、そんな気持ちはちゃんと顔に出ていたらしい。目の前に、菊乃の顔が迫っていた。
叔父のマンションに越して来てひと月が経った。だいぶ落ち着いたと高校時代の同級生に話したところ。
ウィークデイ、同窓会の打ち合わせという大義名分を持って数人押し掛けてきた。大量の酒とともに。
その中に、躊躇いがちな菊乃の姿があった。どうやら、強引に連れて来られたらしい。
互いに苦笑いでアイコンタクトを交わしたのだが……。
同窓会計画の輪郭がはっきりとしてくると、さすがは元クラス委員。責任感は人一倍強かった菊乃だ。
「担任だった栗山先生の還暦祝いも兼ねてとなると、ちゃんとやらなきゃなんだから、遼太、ちゃんと考えてよ」
「はいはい」
「返事は一回!」
菊乃が、俺の耳をきゅっと掴んだ。
「いてててて」
俺と菊乃のやり取りを見ていた同級生たちが笑い出した。
「お前達、また付き合えばー?」
「そうそう、やっぱり、遼太と菊乃はお似合いのカップルだよー」
俺は、それはない、と内心で思いながらも口には出来ず、ハハハと笑ってごまかすことしかできなかった。
菊乃に出会った頃の衝撃を今でも忘れていない。
初めて会ったのは、高校に入学した時。菊乃は同じクラスの、隣の席だった。人形みたいだなっていうのが、最初の印象だった。
でも人形みたいに綺麗だったけど、つんけんした感じはなくて、可愛い、というか……そうだ、チャーミングっていう言葉がぴったりの美少女だった。
それだけでも充分衝撃だったのに、頭もよくて、性格だっていい。ああ、マジでこんな子がいるんだ、って思わされた。
少なくとも、中学まで俺の周りには、そんな子はいなかった。
(その頃ひよはまだ、赤ん坊に毛がはえたばっかみたいなガキで、異性として見る対象ではなかったから)
そんな菊乃と初めて付き合うことになったのは確か、高一の夏休み前かな。菊乃から告白された。
『俺でいいのか?』
びっくりして、そう言ったのだけは覚えてる。
後は、別れたりくっついたりを繰り返して、大学卒業する頃は付き合っていた、確か。
卒業後お互い就職して会わなくなって、カレシカノジョ、という関係は自然解消。〝色々〟は、あったけど。
で、ひよのことマジになってからは、完全に会わなくなったんだ。
ひよのことは、絶対に裏切らないと誓ったから。
*
「トラップ? あ、悪い。サンキュ」
俺の空いていたグラスにワインを注いでくれながら、菊乃は応える。
「そう、河村君、そんな事言ってた。意味不明だよね」
困ったように肩を竦めて笑う菊乃に、窓の夜景がよく似合う。
ダメだ、綺麗だな、とか不覚にも思ってしまった。
「そこにいるまゆこ、河村君と今でも仲良いの。呑んだ時、他に何人か高校の時の仲間がいたんだけど、みんな河村君知ってるの。ホントに顔広くて謎」
「アイツ男子高だったから、アイツの女友達は殆ど俺関係なんだよ。だから自ずと菊乃の周りでアイツ知ってる奴が多くなるワケ。それに」
俺は絶倫だから、とか豪語してるから。
とは言えないな。
「それに?」
「いや、なんでもない」
「変なの」
菊乃がクスクス笑う。ハハとだけ笑って返す俺に菊乃が話してくれた。
「その時に河村君が、同窓会やりなよ! って言って、みんなその気になって、男子に声掛けて、今に至ったの」
なるほど。
見えてきたぞ。東矢、テメーの魂胆。分かりやす過ぎだ。
「で、その呑んだ時に東矢が『トラップ』とかなんとか言ってたってワケだ」
菊乃が、グラスに口を付けながら頷いた。
「河村君、同窓会する、って決まったらなんだか嬉しそうだった。自分が参加する訳じゃないのに何でだろう。あ、そうそう、あの時、遼太が一人暮らし始めたこと知ったの」
菊乃の顔を、複雑な想いで見つめる。
さっきまで騒いでいた仲間達は酔い潰れたのか、床やらダイニングやらに転がって眠っていて静かだ。
菊乃も俺も酒には強い。リビングのソファーで呑み直していたのだが……。
リビングの大きな窓に広がる東京の夜景を肴に酒とか、ちょっと普通じゃないシチュエーションじゃないのか?
これ以上呑むのはやめようとグラスをテーブルに置くと、菊乃がポツリと言った。
「遼太がこんなマンションに一人暮らし始めてたなんてね」
顔を上げると、夜景を見つめる美しい横顔があった。そっと深呼吸して応えた。
「ここは叔父が出張の間の期間限定。まあ、早く家を出たいと思っていたとこにタイムリーだった。そのうち、自分の部屋探すよ」
「そうなんだ」
菊乃は肩を竦めて悪戯っぽく笑った。
「彼女は、来てるの?」
「いや、」
「そうなの?」
目を丸くした菊乃に苦笑いで返すしかない。ひよの顔が浮かんで、不意に哀しくなる。
呼べないんだよ。
「遼太?」
黙ってしまった俺の顔を菊乃が覗き込んでいた。
眉を下げた柔らかな表情。綺麗なのに、澄ました雰囲気は一切なくてーー、
ダメだ!
俺はスッと立ち上がって転がってるヤツらを見回した。
「おいっ、タヌキだろ! お前らのお望みの展開にはなんねーぞ!」
シーンと静まり返ったが、次の瞬間、誰かが耐えきれず吹き出した。
「バレたか」
転がっていたヤツらがゾンビの如くノロノロと起き上がってきた。
「ワザとらしいんだよ」
菊乃がアハハと笑った。
「やだ、何にも起きないよ。みんな、なに期待してたの」
屈託無く笑う表情も声も柔らかで、知性と教養と品とをさり気なく感じさせる。ごく自然に。
東矢の野郎、とんでもないものを仕掛けてきやがった。俺の急所を的確に狙ってきやがった。
けど。
その手には乗らない。
「なんだ~、俺たちはてっきり元サヤのいいチャンスと思ったのになぁ」
「ねぇ~」
「期待に添えなくてごめんな」
菊乃をチラ見すると、一瞬肩を竦めた表情が胸に引っかかった。
そんな顔すんな。
「あ、そうだ」
呑み直そう、と盛り上がる中で一人、思い出したように声を上げた。野球部でも一緒だったヤツだ。
「河村、緒方誠も呼べば? とか言ってたらしいじゃん」
「そうそう」
「いいね、緒方君、3年の冬に退学しちゃって私らと卒業してないけど、仲間には変わりないし」
そういや、東矢は誠とも親しかったな。
みんなの会話を聞く中で、何故か分からないが、一抹の不安が脳裏をサッと過っていった。
形にはなっていない漠然としたものだったが。
まさか、な。
「あー、考えてる考えてる」
少し面倒臭い、そんな気持ちはちゃんと顔に出ていたらしい。目の前に、菊乃の顔が迫っていた。
叔父のマンションに越して来てひと月が経った。だいぶ落ち着いたと高校時代の同級生に話したところ。
ウィークデイ、同窓会の打ち合わせという大義名分を持って数人押し掛けてきた。大量の酒とともに。
その中に、躊躇いがちな菊乃の姿があった。どうやら、強引に連れて来られたらしい。
互いに苦笑いでアイコンタクトを交わしたのだが……。
同窓会計画の輪郭がはっきりとしてくると、さすがは元クラス委員。責任感は人一倍強かった菊乃だ。
「担任だった栗山先生の還暦祝いも兼ねてとなると、ちゃんとやらなきゃなんだから、遼太、ちゃんと考えてよ」
「はいはい」
「返事は一回!」
菊乃が、俺の耳をきゅっと掴んだ。
「いてててて」
俺と菊乃のやり取りを見ていた同級生たちが笑い出した。
「お前達、また付き合えばー?」
「そうそう、やっぱり、遼太と菊乃はお似合いのカップルだよー」
俺は、それはない、と内心で思いながらも口には出来ず、ハハハと笑ってごまかすことしかできなかった。
菊乃に出会った頃の衝撃を今でも忘れていない。
初めて会ったのは、高校に入学した時。菊乃は同じクラスの、隣の席だった。人形みたいだなっていうのが、最初の印象だった。
でも人形みたいに綺麗だったけど、つんけんした感じはなくて、可愛い、というか……そうだ、チャーミングっていう言葉がぴったりの美少女だった。
それだけでも充分衝撃だったのに、頭もよくて、性格だっていい。ああ、マジでこんな子がいるんだ、って思わされた。
少なくとも、中学まで俺の周りには、そんな子はいなかった。
(その頃ひよはまだ、赤ん坊に毛がはえたばっかみたいなガキで、異性として見る対象ではなかったから)
そんな菊乃と初めて付き合うことになったのは確か、高一の夏休み前かな。菊乃から告白された。
『俺でいいのか?』
びっくりして、そう言ったのだけは覚えてる。
後は、別れたりくっついたりを繰り返して、大学卒業する頃は付き合っていた、確か。
卒業後お互い就職して会わなくなって、カレシカノジョ、という関係は自然解消。〝色々〟は、あったけど。
で、ひよのことマジになってからは、完全に会わなくなったんだ。
ひよのことは、絶対に裏切らないと誓ったから。
*
「トラップ? あ、悪い。サンキュ」
俺の空いていたグラスにワインを注いでくれながら、菊乃は応える。
「そう、河村君、そんな事言ってた。意味不明だよね」
困ったように肩を竦めて笑う菊乃に、窓の夜景がよく似合う。
ダメだ、綺麗だな、とか不覚にも思ってしまった。
「そこにいるまゆこ、河村君と今でも仲良いの。呑んだ時、他に何人か高校の時の仲間がいたんだけど、みんな河村君知ってるの。ホントに顔広くて謎」
「アイツ男子高だったから、アイツの女友達は殆ど俺関係なんだよ。だから自ずと菊乃の周りでアイツ知ってる奴が多くなるワケ。それに」
俺は絶倫だから、とか豪語してるから。
とは言えないな。
「それに?」
「いや、なんでもない」
「変なの」
菊乃がクスクス笑う。ハハとだけ笑って返す俺に菊乃が話してくれた。
「その時に河村君が、同窓会やりなよ! って言って、みんなその気になって、男子に声掛けて、今に至ったの」
なるほど。
見えてきたぞ。東矢、テメーの魂胆。分かりやす過ぎだ。
「で、その呑んだ時に東矢が『トラップ』とかなんとか言ってたってワケだ」
菊乃が、グラスに口を付けながら頷いた。
「河村君、同窓会する、って決まったらなんだか嬉しそうだった。自分が参加する訳じゃないのに何でだろう。あ、そうそう、あの時、遼太が一人暮らし始めたこと知ったの」
菊乃の顔を、複雑な想いで見つめる。
さっきまで騒いでいた仲間達は酔い潰れたのか、床やらダイニングやらに転がって眠っていて静かだ。
菊乃も俺も酒には強い。リビングのソファーで呑み直していたのだが……。
リビングの大きな窓に広がる東京の夜景を肴に酒とか、ちょっと普通じゃないシチュエーションじゃないのか?
これ以上呑むのはやめようとグラスをテーブルに置くと、菊乃がポツリと言った。
「遼太がこんなマンションに一人暮らし始めてたなんてね」
顔を上げると、夜景を見つめる美しい横顔があった。そっと深呼吸して応えた。
「ここは叔父が出張の間の期間限定。まあ、早く家を出たいと思っていたとこにタイムリーだった。そのうち、自分の部屋探すよ」
「そうなんだ」
菊乃は肩を竦めて悪戯っぽく笑った。
「彼女は、来てるの?」
「いや、」
「そうなの?」
目を丸くした菊乃に苦笑いで返すしかない。ひよの顔が浮かんで、不意に哀しくなる。
呼べないんだよ。
「遼太?」
黙ってしまった俺の顔を菊乃が覗き込んでいた。
眉を下げた柔らかな表情。綺麗なのに、澄ました雰囲気は一切なくてーー、
ダメだ!
俺はスッと立ち上がって転がってるヤツらを見回した。
「おいっ、タヌキだろ! お前らのお望みの展開にはなんねーぞ!」
シーンと静まり返ったが、次の瞬間、誰かが耐えきれず吹き出した。
「バレたか」
転がっていたヤツらがゾンビの如くノロノロと起き上がってきた。
「ワザとらしいんだよ」
菊乃がアハハと笑った。
「やだ、何にも起きないよ。みんな、なに期待してたの」
屈託無く笑う表情も声も柔らかで、知性と教養と品とをさり気なく感じさせる。ごく自然に。
東矢の野郎、とんでもないものを仕掛けてきやがった。俺の急所を的確に狙ってきやがった。
けど。
その手には乗らない。
「なんだ~、俺たちはてっきり元サヤのいいチャンスと思ったのになぁ」
「ねぇ~」
「期待に添えなくてごめんな」
菊乃をチラ見すると、一瞬肩を竦めた表情が胸に引っかかった。
そんな顔すんな。
「あ、そうだ」
呑み直そう、と盛り上がる中で一人、思い出したように声を上げた。野球部でも一緒だったヤツだ。
「河村、緒方誠も呼べば? とか言ってたらしいじゃん」
「そうそう」
「いいね、緒方君、3年の冬に退学しちゃって私らと卒業してないけど、仲間には変わりないし」
そういや、東矢は誠とも親しかったな。
みんなの会話を聞く中で、何故か分からないが、一抹の不安が脳裏をサッと過っていった。
形にはなっていない漠然としたものだったが。
まさか、な。
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