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第7話:魔境の真実
しおりを挟む繋ぎの儀式が終わったとき、アーサーは生まれ変わったような感覚に包まれていた。
彼の体は内側から輝くように変化し、魔力が血管を巡る感覚がはっきりと自覚できるようになっていた。皮膚は薄い紫色を帯び、黒髪には青みがかった光沢が宿り、瞳は完全に紫色の輝きを放っている。人間の姿を保っているものの、その内側には明らかに魔境の力が宿っていた。
「どうだ?感覚は」ガルザスが尋ねた。
儀式の後、彼らは魔知の谷の奥にある「王の間」と呼ばれる部屋に移動していた。壁には古の魔物の王たちの肖像画が掲げられ、中央には紫水晶で作られた丸テーブルがあった。
「驚くほど...鮮明だ」アーサーは自分の手を見つめながら答えた。「魔境そのものと繋がっているような感覚がある」
「その通りだ」ガルザスは満足げに頷いた。「魔知の石を通じて、お前は魔境の力と共鳴し始めた。まだ完全ではないが、魔物の王としての第一歩を踏み出したと言えるだろう」
テーブルの周りには、魔知種の代表者たちが集まっていた。竜人のドラコ、蛇女のセルピア、岩の巨人のゴラム...アーサーがこれまで見たこともないような多様な魔物たちだ。彼らは皆、彼を評価するような視線を送っていた。
「人間が魔物の王になるとはな...」ドラコが低い声で言った。「千年の時を経て、予言が現実になるとは」
「まだ疑わしい部分もある」ゴラムが岩のような声で答えた。「王としての資質は、これから証明せねばならぬ」
アーサーは彼らの懸念を理解していた。人間が魔物を率いるなど、前代未聞のことだ。しかも、彼はモンスターイーターという魔物の天敵とも言える魔剣を持っている。
「私はまだ未熟です」アーサーは正直に認めた。「魔境についても、その歴史についても知らないことばかり。だからこそ、あなた方から学びたい」
彼の謙虚な態度に、魔物たちの表情が和らいだ。
「では教えよう」ガルザスはテーブル中央に手をかざした。「魔境の真実を」
テーブルの紫水晶が光り始め、その上に立体的な映像が浮かび上がった。それは古代の世界の姿だった。
「遥か昔、この世界には境界がなかった」ガルザスの声が響く。「人間も魔物も、共に大地を歩んでいた」
映像の中では、人間と様々な形態の魔物が共存している様子が映し出されていた。互いに協力し、共に暮らす平和な光景だ。
「驚くべきことに、かつては人間と魔物の間に深い友情さえあった」セルピアが柔らかな声で付け加えた。「人間の村には魔物が住み、魔物の集落には人間が暮らしていた」
アーサーは映像に見入った。王国では決して教えられることのない歴史だった。
「では何が変わったのか?」彼は問いかけた。
映像が変化し、新たな要素が現れた。光り輝く塔が建ち、そこから現れる人々—彼らは白い装束を纏い、杖や聖印を掲げている。
「聖職者たちの台頭だ」ガルザスは厳しい表情で言った。「彼らは"人型こそが神の似姿"という教えを広め始めた。人間以外の知性体は全て"魔"であり、排除すべき存在だと」
映像では、聖職者たちが人々に説教し、徐々に人間と魔物の間に溝が生まれていく様子が映し出されていた。
「最初は排斥、次に迫害、そして...」
映像が暗転し、戦争の光景が広がった。聖印を掲げた人間たちが、魔物たちを追い詰めていく。多くの魔物が倒れ、人間側にも犠牲が出る。血で染まった大地が広がっていく。
「恐ろしい...」アーサーは呟いた。
「それが千年前の"大断絶"だ」ドラコが説明した。「人間と魔物の最初の大戦争。多くの命が失われた」
アーサーは映像に映る光景に胸を痛めた。これが真実なら、王国で教えられてきた歴史は完全な作り話だったことになる。王国の歴史書では、魔物たちは常に邪悪な侵略者として描かれ、人間たちは自らを守るために戦ってきたとされていた。
「では、魔境と人間界の分断は...?」
「大断絶の末に生まれた」ガルザスは続けた。「魔物たちは生き残るため、この地に退避し、強力な結界を張った。それが今の魔境だ」
映像は再び変わり、一人の魔物の姿が浮かび上がった。人型に近いが、角と翼を持ち、全身が漆黒の甲殻に覆われている。その頭には黒い王冠が輝いていた。
「最初の魔王、ザラキエル」ガルザスが畏敬の念を込めて語った。「彼は魔種を率いて結界を張り、魔境を創造した。人間からの迫害を免れるために」
「ザラキエル...」アーサーは名前を反芻した。「彼は今どこに?」
魔物たちの顔に陰りが差した。
「彼は...眠りについている」セルピアが悲しげに答えた。「結界を維持するため、自らの魂を捧げたのだ」
ガルザスが映像を変え、巨大な黒い結晶が浮かび上がった。その中には人型の影が封じ込められているようだった。
「これが"黒の王冠"」ガルザスは説明した。「名前は紛らわしいが、冠ではなく、ザラキエルの魂が宿る結晶だ。彼の王冠の力が結晶化し、魔境の中心部にある"魔王の玉座"に安置されている」
アーサーは驚きの表情を浮かべた。「それが魔境の核...?」
「そうだ」ドラコが頷いた。「黒の王冠があるかぎり、結界は維持され、魔境は存続する。だが同時に、それは我らの弱点でもある」
「王国がそれを知ったのだ」ゴラムが硬い声で言った。「近年、人間たちは魔境の秘密を探り、黒の王冠の存在に気づいた。今、彼らが計画している"聖域崩壊"の儀式は、それを破壊するためのものだ」
アーサーは息を呑んだ。「それが成功すれば...?」
「魔境は崩壊し、結界は砕け散る」ガルザスは重々しく答えた。「我ら魔知種は力を失い、下級魔物たちは狂暴化する。そして最後には、全ての魔物が消滅するだろう」
「大量虐殺だ...」アーサーは絶句した。
彼はかつての自分の無知に恥じ入った。王国に仕えていた頃、彼は魔物討伐を当然のことと考えていた。しかしそれは、単に自分たちと異なるというだけで、知性ある種族を殺戮することだったのだ。
「では王国は、単なる排除ではなく...魔境の完全な消滅を目論んでいるのか」
「そうだ」ガルザスは頷いた。「特に、お前の兄、第一王子ルシウスは、その計画の中心人物だ」
アーサーの胸に怒りが込み上げた。兄は彼を追放するだけでなく、無辜の魔物たちを皆殺しにしようとしていたのだ。彼の心の中で、復讐心が再び燃え上がりそうになった。
しかし同時に、彼は考えた。王国の人々は本当の真実を知らされていないのだ。彼らは聖職者たちのプロパガンダに洗脳され、魔物を単なる邪悪な存在だと信じ込まされている。
「人間たちの多くは知らないのだ」セルピアが彼の思考を読み取ったかのように言った。「彼らは聖教会の教えに従い、魔物への恐怖と憎しみを植えつけられている。真の敵は人間ではなく、その背後にある力だ」
「聖教会...」アーサーは思い出した。彼が幼少期から教わってきた教え—魔物は神に背いた存在であり、浄化すべき邪悪だということ。そして、王国の政治においても、聖教会の意向は絶対だった。
「では私たちは何をすべきなのか?」アーサーは問いかけた。「どうすれば"聖域崩壊"を止められる?」
ガルザスは再びテーブルに手をかざし、映像を変えた。今度は魔境の地図が浮かび上がり、その中心部に光る一点が示された。
「我らには二つの課題がある」オーガは言った。「一つは、王国の侵攻を食い止めること。そしてもう一つは、お前が"黒の王冠"と共鳴し、新たな魔王としての力を覚醒させることだ」
「私が...魔王に?」
「そう」ガルザスは厳かに頷いた。「予言はそれを示している。"魔を喰らう者が、魔の王となり、二つの世界の架け橋となる"。魔知の石がお前を選んだように、黒の王冠もまた、お前を待っているのかもしれない」
アーサーは沈黙した。彼の中では相反する感情が渦巻いていた。一方では王国への怒りと復讐心、もう一方では魔境と魔物たちを守りたいという純粋な思い。そして何より、二つの世界の架け橋となる可能性—それは彼のような追放者にとって、新たな希望の光だった。
「どうやって黒の王冠のもとへ行けばいい?」彼は決意を固めて尋ねた。
ガルザスは満足げに微笑んだ。「まず、お前の力をさらに高める必要がある。魔知の石との繋がりを深め、魔境の力をより引き出せるようになるのだ」
「そのためには?」
「修行だ」ドラコが答えた。「我らがそれぞれの技を教えよう。竜の炎、蛇の毒、岩の堅さ...我ら魔知種の力をお前に伝授する」
「それと並行して」セルピアが続けた。「魔境の地理と歴史を学ぶ必要がある。魔王の玉座に至るには、古の道を辿らねばならない」
アーサーは頷いた。彼は今、真実を知った。王国のプロパガンダの嘘、魔物たちの苦難の歴史、そして黒の王冠の重要性。彼の使命は明確になった—魔境を守り、可能であれば二つの世界の和解を実現することだ。
「始めよう」彼は決意を込めて言った。「私は学び、強くなる。そして両世界のために戦う」
魔知種たちは満足げに頷いた。ガルザスはテーブルの映像を消し、立ち上がった。
「お前の旅はまだ始まったばかりだ、アーサー・レド・ルミエル」彼は厳かに宣言した。「かつての王子、今は魔物の王となる者よ。お前の名を刻むのだ、魔境の新たな歴史に」
---
修行は過酷だった。
アーサーは魔知種たちから、それぞれの秘術を学んだ。ドラコからは炎の制御と空中戦術、セルピアからは毒の調合と治癒魔法、ゴラムからは大地の力の引き出し方...魔知種の長老たちは、彼らの種族が千年かけて培ってきた技を惜しみなく伝授した。
彼の体は日に日に変化していった。モンスターイーターを通じて得た力に加え、魔知の石を介した魔境との共鳴が、彼の潜在能力を引き出していく。
一週間が過ぎた頃、アーサーは魔知の谷の試練場で訓練していた。彼は両手から紫の炎を放ち、目の前の標的を次々と粉砕していく。その後、体を岩のように硬化させ、巨大な岩の衝突にも耐えた。
「見事だ」傍らで見守っていたガルザスが言った。「お前の成長速度は驚異的だ」
「まだ足りない」アーサーは息を切らしながらも答えた。「王国の聖騎士たちは強大だ。特に聖教会の力を得た者たちは」
「焦るな」ガルザスは諭した。「力は急がば回れだ。基礎を固めれば、おのずと高みに至る」
アーサーは深く息を吸い、精神を落ち着かせた。彼はモンスターイーターを抜き、剣に意識を集中させる。剣が共鳴するように紫の光を放ち、彼の体も同様に光り始めた。
『主よ、感じるか?』剣が彼の心に語りかけた。『お前の中に眠る真の力を』
「ああ...感じる」
アーサーは剣を高く掲げ、渾身の力を込めて振り下ろした。衝撃波が走り、地面に深い溝が刻まれた。
「これがモンスターイーターの"変容"の段階か」ガルザスは感心したように呟いた。「だが、まだ"支配"には達していない」
「支配とは?」アーサーは剣を鞘に収めながら尋ねた。
「最高段階だ」オーガは説明した。「魔物の力を奪うだけでなく、魔物を従えることができる段階。真の魔王はそれを成し遂げねばならぬ」
アーサーは考え込んだ。魔物を従える...それは彼の目標とは相容れないように思えた。彼は支配ではなく、共存を望んでいる。
「私は魔物たちを道具として使いたくはない」彼は正直に告げた。「力による支配ではなく、互いの理解と尊重に基づいた関係を築きたい」
ガルザスは意外そうな表情を浮かべ、そして微笑んだ。
「お前は興味深い人間だ、アーサー」彼は言った。「それこそが、真の王の資質かもしれぬ」
彼らの会話は、突然の騒がしい足音で中断された。魔知の谷の見張りが急いでやってきた。
「族長!」見張りの小型の魔物が叫んだ。「人間たちが来ています!魔境の外縁で、多数の人間が集結しています!」
ガルザスとアーサーは顔を見合わせた。
「時が来たか...」オーガは呟いた。
アーサーは拳を握りしめた。「王国軍だ。"聖域崩壊"の準備が始まったということか」
「見に行こう」ガルザスは提案した。「まだ彼らは結界を突破していない。様子を探るのだ」
アーサーは頷き、魔知の石を握りしめた。これが彼の最初の試練となるだろう。かつての同胞と対峙する時が来たのだ。
彼は背から黒い翼を展開し、空へと舞い上がった。ガルザスも魔力を使って巨大な鳥の姿に変身し、彼に続いた。
魔境の空を飛びながら、アーサーの心は決意で満ちていた。彼は魔境の真実を知り、その歴史を学んだ。今や彼は単なる追放された王子ではなく、魔境と繋がった新たな存在—魔物の王への道を歩む者だった。
聖教会のプロパガンダを超え、二つの世界の真の姿を見た彼だからこそ、できることがあるはずだ。
彼らは魔境の境界へと飛んでいった。遠くに見える王国の旗印と、聖教会の白い旗。かつての同胞たちが、今や敵として立ちはだかる。
アーサーは深く息を吸った。これから始まる戦いは、単なる復讐や生存を超えた、世界の命運を左右する闘いになるだろう。
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