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第14話:封印された王の意志
しおりを挟む禁忌の遺跡内部は、死の静寂に包まれていた。
アーサーが足を踏み入れた空間は、想像以上に広大だった。湖底にあるはずなのに、水の気配はなく、代わりにうっすらと紫に輝く空気が漂っている。天井は見えないほど高く、壁には古代の文字と浮き彫りが刻まれていた。
「これが...千年前の遺跡」
彼は慎重に前進した。廊下は徐々に広がり、やがて巨大な円形ホールへと繋がった。その中央には、青黒い結晶でできた台座があり、その上に何かが浮かんでいた。
黒い炎——それは形を持たない漆黒の火が、静かに燃え続けていた。
『来たれり...選ばれし者よ』
声は特定の方向から聞こえるわけではなく、空間全体から響いてくるようだった。アーサーは警戒しながらも、黒い炎に近づいた。
「あなたは...何者だ?」
『我が名は...ゼイファー』
黒い炎が微かに揺らめいた。
『かつて...この魔境を統べし...黒炎の魔王なり』
アーサーは驚愕した。黒炎の魔王——魔境の歴史書にわずかに記載された伝説の存在だ。ヴァルガスやフェンリルも、その存在については具体的なことを知らなかった。
「なぜここに?」
『封印されし身...我が力...我が魂...全てを閉じ込められたのだ』
黒い炎が形を変え始めた。それは徐々に人型へと近づき、やがて輪郭が現れた。全身が黒炎に包まれた人型の存在——その瞳だけが赤く輝いていた。
『千年前...人間と魔物の大戦の終わりに...我は裏切られた』
ゼイファーの声には、千年の時を越えた怒りと悲しみが込められていた。
『人間の王と...和平を結ぼうとした我を...同胞たちは恐れた。力ある者が...人間に屈すると』
「同胞...?魔物たちに裏切られたのか」アーサーは理解しようとしていた。
『否...両方に』黒炎の魔王が静かに答えた。『人間は和平など望まず...我を利用するのみ。魔物たちは...我の力を恐れた』
アーサーは複雑な思いを抱いた。かつて人間と魔物の架け橋になろうとした存在が、両方から裏切られたという話は、どこか彼自身と重なる部分があった。
「そして封印された...」
『然り...我が力は分断され...魂はここに閉じ込められた』
ゼイファーの形が更に明確になり、かつての姿の面影が見えてきた。黒い鎧のような外皮に覆われ、頭部には角が生え、背には翼を持つ姿——それはアーサーの変身した姿と奇妙に似ていた。
『汝...我と似た境遇にあるようだな』黒炎の魔王が静かに問うた。『人間の身でありながら...魔境の力を宿す者よ』
「私はアーサー・レド・ルミエル」彼は名乗った。「かつて王国の王子だったが、今は魔境の王だ」
『王...』ゼイファーの声に嘲りが混じった。『真の王の意味...知っておるか?』
「教えてほしい」アーサーは真摯に答えた。
黒炎の魔王は黙って手を伸ばした。その瞬間、部屋全体が変化し、アーサーの周囲に幻影が現れ始めた。それは千年前の光景——魔境と人間界が戦争状態にあった時代の映像だった。
『見よ...かつての世界を』
幻影の中では、魔物たちが人間の村を襲い、人間たちは魔物を狩っていた。血と炎に塗れた戦場が、次々と映し出される。
『終わりなき争いの中...我は立ち上がった』
映像の中に、一人の存在が現れた。それは若かりし頃のゼイファーだった。彼は両陣営の間に立ち、戦いを止めようとしていた。
『我もまた...人間だった』
その言葉にアーサーは驚愕した。
『人間でありながら...魔境の力を得た。汝と同じく』
映像は続く。若きゼイファーが魔境の力を使い、戦場で圧倒的な力を見せる姿。彼の下に集う魔物たち。そして人間の王との会談。
『和平を結ぼうとした...両者が共存できる世界を作ろうとした』
しかし、次の映像は悲劇だった。人間の王がゼイファーを罠にかける場面。同時に、魔物たちの一部も彼に反旗を翻す。両陣営から攻撃を受け、力尽きていくゼイファー。
『裏切られた我は...怒りに身を任せた』
映像は一変する。黒い炎に包まれたゼイファーが、人間も魔物も関係なく破壊していく姿。彼の怒りは魔境そのものを揺るがし、世界の均衡を脅かしていた。
『力に飲まれた...我の過ち』
最後の映像では、魔知種たちが集結し、特別な儀式を執り行っている。彼らは力を合わせ、暴走するゼイファーを封印していった。
『我が意思は砕かれ...体は黒の王冠となり...魂はこの遺跡に閉じ込められた』
映像が消え、再び静寂の中にアーサーと黒炎の魔王だけが残った。
「黒の王冠...あなたの体だったのか」アーサーは驚きに声を潜めた。
黒の王冠は彼の体内に取り込まれ、今も彼の力の源となっている。つまり、彼はゼイファーの力の一部を既に継承していたのだ。
『然り...汝は既に...我が継承者なのだ』
「なぜ私に?」
『選んだのは...我にあらず...黒の王冠だ』ゼイファーは答えた。『我が体は...適合者を求めていた。汝が...その器だった』
アーサーは自分の体を見つめた。彼の中に流れる力は、かつての魔王と繋がっていたのだ。
「あなたの目的は?私に何を望む?」
『我が過ちを...繰り返さぬことを』黒炎の魔王の声が真剣さを増した。『真の王となるには...力だけでは足りぬ』
ゼイファーの形が完全に人型となり、彼はアーサーの前に歩み出た。
『汝に試練を与えよう...真の王に相応しいか...証明せよ』
彼が手を振るうと、空間が歪み始めた。アーサーの周囲が変化し、彼は別の場所に立っているように感じた。
目の前には三つの門が現れた。
『力の門...知恵の門...心の門...どれを選ぶか』
アーサーは慎重に考えた。力ならば、彼は既に四天王の三人を従えるほどの強さを得ている。知恵も魔境で学び、成長してきた。
「心の門を選ぶ」
彼の選択にゼイファーは頷いた。
『賢明な選択...では進め』
アーサーが心の門をくぐると、世界が一変した。彼は突然、王国の宮殿の中に立っていた。それも、かつて彼が追放される前の姿で。
周囲には宮廷人たちが集い、彼を敬い、褒め称えている。第一王子ルシウスは姿がなく、国王——彼の父は笑顔でアーサーを見つめていた。
「我が息子よ、王位は汝のものだ」
父王が王冠を差し出している。アーサーが追い求めていた地位と名誉が、今、彼の目の前にあった。
「これは...幻か」
『汝の心の望みだ』ゼイファーの声が響いた。『受け取れば...全てを手に入れられる』
アーサーは誘惑を感じた。かつての生活、尊敬、権力——彼が失ったすべてが戻ってくる。しかし...
「これは偽りだ」彼は冷静に答えた。「私の道はもうここにはない」
幻影が崩れ、新たな光景が現れた。今度は魔境の王として君臨するアーサーの姿。その足元には無数の魔物たちが跪き、彼を崇拝している。彼の姿は完全に魔王と化し、恐怖と威圧で支配する存在になっていた。
『力ある者の道...これもまた汝の心の一部』
アーサーは自分の闇の部分と向き合った。確かに、彼の心の奥底には支配欲があり、力で全てを従わせたいという願望もあった。
「これも私ではない」彼は拒絶した。「力は目的ではなく、手段に過ぎない」
三つ目の幻影が現れた。それは王国と魔境の狭間で孤独に立つアーサーの姿だった。どちらの世界にも属さず、誰からも理解されない存在。永遠の孤独を背負った姿。
『これこそ...汝の恐れるもの』
アーサーは静かに頷いた。確かに彼は恐れていた。どちらの世界にも受け入れられない可能性を。だが...
「恐れはある。だが、それを乗り越えるのが王の務めだ」
彼は毅然と答えた。
「私は人間でも魔物でもない。だからこそ、両方の世界を繋ぐ架け橋になれる」
ゼイファーの声が満足げに響いた。
『良き答えだ...次なる試練へ』
空間が再び変化し、アーサーは戦場の中心に立っていた。周囲では魔物と人間が激しく戦っている。血と悲鳴が渦巻く地獄絵図だ。
『選べ...どちらの側に立つか』
アーサーは剣を抜かず、静かに答えた。
「どちらの側にも立たない。戦いそのものを止める」
彼は両手を広げ、黒の王冠の力を解放した。青と紫の光が彼の体から放射され、戦場全体を包み込む。その光が戦う者たちの間に割って入り、戦いを静める力となった。
『汝は...我と同じ答えを出した』
ゼイファーの声には感慨が混じっていた。
『だが...我が失敗したところで...汝は成功するか』
「あなたと同じ道を歩むとは限らない」アーサーは答えた。「あなたの経験から学び、同じ過ちは繰り返さない」
『自信があるようだな』
「自信ではない」彼は真摯に言った。「決意だ」
ゼイファーの姿が再び現れ、アーサーの前に立った。彼は完全な実体を持たない、黒い炎の集合体だったが、その瞳には明確な意志が宿っていた。
『最後の試練...我と戦え』
突然、黒炎の魔王が攻撃を仕掛けてきた。彼の体から放たれる黒い炎が、アーサーを包み込もうとする。
「なっ!」
アーサーは咄嗟にモンスターイーターを抜き、炎を切り裂いた。しかし、切り裂かれた炎はすぐに形を取り戻し、再び襲いかかってくる。
『我が怒りと向き合え...継承者よ』
ゼイファーの攻撃は激しさを増していく。黒い炎は単なる炎ではなく、千年の怨念が込められた力だった。アーサーは「甲殻防御」と「岩肌」を同時に発動させたが、黒炎はそれらを通り抜け、彼の体を焼き始めた。
「ぐああっ!」
彼は激痛に顔を歪めた。この炎は物理的な体を焼くだけでなく、魂そのものを蝕むようだった。
『これが...我が苦しみ...我が憎しみ...受け止められるか』
アーサーは痛みに耐えながら、状況を理解しようとした。これは単なる戦いではない。ゼイファーの感情との共鳴、彼の怒りと絶望を理解する試練なのだ。
「受け止める...」
彼はモンスターイーターを鞘に収め、両手を広げた。抵抗をやめ、黒炎を全身に浴びる。苦痛は増したが、同時に彼はゼイファーの記憶と感情が流れ込んでくるのを感じた。
裏切りの痛み。絶望。怒り。そして何より、実現できなかった和平への深い後悔。
「理解した...あなたの心を」
アーサーの体から青い光が放たれ始めた。それは黒炎と混じり合い、紫と青と黒の光の渦を作り出す。
『我が怒りを...鎮めるか』
「あなたの思いを継ぐ」アーサーは強い決意を込めて言った。「しかし、あなたの過ちは繰り返さない」
黒炎が徐々に彼の体に吸収されていく。それは激しい痛みを伴ったが、同時に新たな力となって彼の内側に宿り始めた。
『良し...汝は相応しい継承者だ』
ゼイファーの姿が薄れ始めた。彼の存在そのものが、アーサーの体へと溶け込んでいく。
『我が力...我が記憶...全てを受け継げ』
アーサーの体が変化し始めた。黒い外皮はより強固に、そして微かに青い光を帯びるようになった。額の角はより鋭く伸び、背の翼は大きさを増した。そして最も顕著な変化は、彼の両手から黒い炎が立ち上り始めたことだった。
「これが...黒炎」
『黒炎...我が魔王としての証。今...汝のものとなる』
ゼイファーの声は次第に弱まっていった。
『しかし...警告せねば...力には代償が伴う。怒りに身を任せれば...我と同じ運命をたどる』
「恐れはしない」アーサーは黒炎を見つめた。「この力で、新たな道を切り開く」
『望む...汝の成功を...』
黒炎の魔王の声が遠のき、やがて完全に消えた。彼の存在は完全にアーサーと融合し、新たな力となった。
アーサーは自分の変化した姿を確認した。黒炎の魔王の力を受け継いだことで、彼の姿はより魔王に近づいていた。しかし、意識は明晰で、自分自身のままだった。
「ゼイファー...あなたの夢は、私が実現する」
彼は決意を込めて呟いた。禁忌の遺跡の中心部が震動し始め、封印が解かれる音がした。遺跡全体が崩れ始める中、アーサーは新たな力を使って脱出路を見つけた。
黒炎が彼の意思で形を変え、道を切り開いていく。彼は素早く動き、崩壊する遺跡から脱出した。
黒の湖の水面から飛び出したアーサーを、湖畔で待つ仲間たちが驚いた表情で迎えた。
「王!」フェンリルが驚きの声を上げた。「その姿は...」
「黒炎...!」ヴァルガスが目を見開いた。「伝説の力を...」
オウガは黙って膝をついた。「我らが王...新たなる力を得られたのですな」
アーサーは仲間たちの前に降り立ち、その姿を見せた。黒炎の魔王の力を継承した彼は、より威厳ある姿になっていた。しかし、その目には変わらぬ決意が宿っていた。
「私は封印された王の意志を継いだ」彼は静かに言った。「これからの道は、更に険しくなるだろう。だが、共に進もう」
四天王の三人とドラコは深く頭を下げた。彼らの王が、新たな段階へと進化を遂げたことを感じ取っていた。
アーサーは黒い炎を手のひらに宿し、その力を見つめた。
「残るは死霊王ネクロス...そして、魔境の真の統一だ」
黒の湖の水面に二つの月が映り込み、新たな力を得た魔物の王の姿を照らしていた。
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