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第18話:初戦・人間との戦い
しおりを挟む死者の森に立つと決めていたアーサーだが、状況は急変していた。
「王よ、王国軍が防衛線を突破しました!」
情報担当のセトゥルが慌てて報告してきた。夜明け前の魔知の谷に、緊張が走る。
「どの地点だ?」
アーサーは作戦室の地図を見つめながら尋ねた。ネクロスとの試練のため、彼は間もなく死者の森へ向かうつもりだった。しかし今、魔境の防衛が最優先事項となっていた。
「西部第三防衛線です。グラハム男爵率いる部隊が、フェンリル様の罠を突破したようです」
アーサーの表情が引き締まった。王国軍の三つの部隊のうち、一つが大きく前進したということだ。
「フェンリルは?」
「現在、後退戦を展開しています。しかし、敵はなんらかの対魔術装置を使用しており、氷の罠が効きにくくなっているようです」
アーサーはため息をついた。王国軍は前回の魔境侵攻の経験から学んでいたようだ。彼らは魔物の能力に対抗するための準備をしてきていた。
「ヴァルガスとオウガの状況は?」
「ヴァルガス様は北部でヴァレンティン団長の部隊と交戦中。オウガ様は魔知の谷の直接防衛に就いています」
アーサーは地図上の駒を動かし、状況を分析した。彼の軍事的才能が発揮される瞬間だ。
「グラハムの狙いは明白だ」彼は冷静に言った。「三方向からの進軍は単なる分散ではなく、包囲作戦だ。我々の注意を分散させ、どこかで突破口を開こうとしている」
セルピアが心配そうに尋ねた。「死者の森への出発は?」
アーサーは一瞬迷った。ネクロスとの試練は満月の夜に行わなければならない。それは今夜だ。しかし、魔境は今、危機に瀕している。
「死者の森へは予定通り行く」彼は決断を下した。「だが、その前に戦線を安定させる必要がある」
彼はモンスターイーターを手に取り、マントを羽織った。
「私はグラハム男爵の部隊を迎え撃つ。フェンリルに援軍を送れ」
---
西部戦線は既に激戦状態だった。
フェンリルの率いる魔物部隊は、渓谷の狭い通路で王国軍と対峙していた。氷狼王は人型の姿で、最前線に立っている。彼の周りに集まるのは、雪狼族や氷精霊など、寒気と関連する魔物たちだ。
「退かぬ!」フェンリルは鋭い声で命令した。「ここが最後の防衛線だ!」
王国軍は整然とした陣形で進軍してきていた。最前列には重装歩兵が盾を構え、その背後から弓兵が矢を放つ。さらにその後ろには、魔導師らしき者たちがいた。彼らは杖を掲げ、青い光の障壁を展開している。
「通常の氷の力では、あの障壁を突破できない」フェンリルは状況を分析していた。「奴らは我々の能力を研究し、対策を練ってきたようだ」
彼が言葉を終えたとき、王国軍の陣形が変化した。前列が左右に開き、中央から騎士団が突進してきた。
「迎え撃て!」
フェンリルの号令と共に、氷の矢が雨のように降り注いだ。しかし、騎士たちの聖印が施された鎧は、魔物の攻撃を弾き返していた。
「くっ...」
氷狼王は状況が不利になりつつあることを感じていた。彼は最強の技——氷雪嵐(ブリザードストーム)の発動を考えたが、それは彼の魔力を大きく消費する。魔知の谷の最終防衛に備えるべきか、今使うべきか、判断に迷う。
その時、空から黒い影が降り立った。
「フェンリル、後退せよ」
アーサーの姿に、魔物たちから歓声が上がった。彼は黒い翼を広げ、モンスターイーターを右手に、左手には黒炎を宿している。
「王!」氷狼王は安堵の表情を見せた。「敵は対魔術装置を持っています。我らの通常の力では...」
「把握している」アーサーは頷き、前方の王国軍を見つめた。「それが彼らの戦術だ。魔物の強みを封じようとしている」
彼は進み出て、王国軍に向かって声を上げた。
「グラハム男爵!まだ引き返す時間はある。この侵攻を止めれば、無駄な流血は避けられる」
一瞬の静寂の後、王国軍の陣形から一人の男が前に出た。貴族の装いに身を包み、鎧の上に紋章入りのマントを羽織っている。そう、かつてアーサーを追放する際に偽証を行った貴族の一人、グラハム男爵だ。
「第三王子...いや、魔物の王か」グラハムの声には嘲りが込められていた。「お前が投降するなら話は別だが、さもなくば、魔境の浄化は続行する」
アーサーは冷静に対応した。この男に感情を支配されることは避けねばならない。
「"浄化"の真の目的を知っているのか?」彼は問いかけた。「聖教会が語るのは真実の一部に過ぎない。黒の王冠を破壊すれば、魔境全体が崩壊し、その影響は人間界にも及ぶだろう」
「黙れ!」グラハムは剣を抜いた。「魔物の言葉など信じられるか。進軍だ!全軍突撃!」
王国軍が動き出した。重装歩兵、弓兵、そして騎士団が一斉に前進してくる。
アーサーは決断を下した。これ以上の言葉は無駄だ。
「フェンリル、氷の壁を」
氷狼王は両手を広げ、渓谷の入口に巨大な氷の壁を作り出した。それは一時的な防壁にすぎないが、時間稼ぎになる。
「我々の戦術を変えよう」アーサーは冷静に指示した。「彼らの対魔術装置は特定の魔物の能力に対応しているはずだ。多様な攻撃で混乱させる」
彼は魔物部隊を再編成し始めた。
「雪狼族は左翼から。氷精霊は高所から攻撃。そして...」
彼は黒炎を燃え上がらせた。
「私が正面突破する」
---
アーサーの戦術は効果的だった。
多様な魔物種が異なる角度から攻撃を仕掛けることで、王国軍の対魔術装置は十分に機能しなくなった。彼らは特定の魔法に対する防御を固めていたが、全方位からの様々な攻撃に対応することはできなかった。
「我々の優位を確立した」フェンリルが報告した。「だが...」
彼の言葉が途切れたとき、王国軍側から不穏な動きがあった。魔導師たちが円陣を組み、何らかの儀式を始めている。
「あれは...」アーサーの表情が変わった。「強力な召喚魔術だ」
魔導師たちの詠唱が完了すると、地面に巨大な魔法陣が現れた。光が閃き、その中から巨大な存在が姿を現した。
「守護神獣...!?」
フェンリルが驚愕の声を上げた。現れたのは獅子のような姿をした巨獣で、全身が白銀の光に包まれている。その背には魔導師が一人乗り、指揮を執っていた。
「聖教会の秘術か」アーサーは眉をひそめた。「高位の召喚獣だ」
守護神獣は轟音と共に咆哮し、魔物部隊に向かって突進してきた。その足跡が地面を震わせ、接触した魔物は光に包まれ、弾き飛ばされていく。
「これは危険だ」フェンリルが警告した。「あの獣は聖なる力を持つ。我々魔物にとって天敵だ」
アーサーは状況を素早く分析した。守護神獣は強力だが、操る魔導師が弱点だ。彼を倒せば、獣のコントロールも失われるはずだ。
「フェンリル、部隊を二手に分けろ。一方は王国軍本隊を足止めし、もう一方は私と共に守護神獣を討つ」
彼は黒炎を手に、守護神獣に向かって飛び立った。
空から見下ろすと、戦場の全体像が見える。守護神獣は魔物部隊の中央を蹂躙していた。その背には紫のローブを着た魔導師がいる。
「あれが標的だ」
アーサーは急降下し、守護神獣の背後から接近を試みた。しかし、獣は彼の気配を察知したのか、素早く振り返り、前足で攻撃してきた。
「速い!」
彼は間一髪で避けたが、獣の力は予想以上だった。アーサーは戦術を変更し、地上の魔物部隊と連携することにした。
「フェンリル、氷の檻を!」
氷狼王は意図を理解し、守護神獣の足元に氷の檻を形成し始めた。獣は一時的に動きが制限される。アーサーはその隙を突き、背に乗る魔導師に向かって黒炎を放った。
「なっ...!」
魔導師は防御の術を展開したが、黒炎は普通の魔法ではない。ゼイファーから継承した力は、通常の防御を突破する特性を持っていた。
黒炎が魔導師を包み込み、彼は悲鳴を上げて守護神獣から転落した。獣は主を失い、混乱し始めた。
「今だ!」
アーサーはモンスターイーターを振るい、守護神獣の額に突き立てた。獣は苦しげに咆哮し、やがて光の粒子となって消滅していった。
『獲得スキル:聖獣の加護』
モンスターイーターを通じて、新たなスキルが彼の体内に流れ込んだ。これで聖なる力への耐性が増し、また一時的に聖獣の力を借りることも可能になるだろう。
アーサーは守護神獣を倒した勢いに乗り、王国軍の陣形の中心に突撃した。彼の目標はグラハム男爵——この部隊の指揮官だ。
「グラハム!」
アーサーの声に、男爵は振り向いた。彼の顔には恐怖の色が浮かんでいる。アーサーは剣を構え、彼に迫った。
「降伏せよ。これ以上の犠牲は無意味だ」
「決して...!」グラハムは剣を抜いた。「私は王国の名誉にかけて、魔物どもを滅ぼす!」
二人の剣が交わった。しかし、その力量差は歴然だった。アーサーの剣術はかつての王子時代から飛躍的に向上しており、さらに魔物の力が加わっている。グラハムは数合の攻防の末、剣を弾き飛ばされた。
「これで終わりだ」
アーサーは剣先を男爵の喉元に突きつけた。グラハムの顔が青ざめる。
「殺せ...」彼は震える声で言った。「お前が望んでいたのはそれだろう。復讐だ」
「いいや」アーサーは静かに剣を下げた。「私の目的は復讐ではない。魔境の平和だ」
彼はグラハムを引き立て、王国軍に向かって声を上げた。
「聞け!お前たちの指揮官は捕らえた。これ以上の戦いは無駄死にを増やすだけだ。武器を捨て、魔境から去れ!」
王国軍の兵士たちの間に動揺が広がる。主力部隊は既に魔物たちに包囲されており、守護神獣も消滅した今、戦況は明らかに不利だった。
やがて、一人、また一人と剣を地面に置く兵士が現れた。降伏の連鎖が始まったのだ。
アーサーはフェンリルに目配せし、魔物たちに後退を命じさせた。彼は捕虜となったグラハムを睨みつけた。
「お前は追放の時、私に何と言った?」アーサーの声は静かながらも力強かった。「"魔境で野垂れ死ねば良い"と。皮肉なものだな。今、お前の命は私の手の中にある」
グラハムは顔を背けた。かつての横柄な態度は消え、恐怖に震える哀れな男の姿だけが残っていた。
「私はお前を殺さない」アーサーは決断を下した。「王国に返し、真実を伝えさせる。聖教会の真の目的と、魔境の実態をだ」
---
戦いが収束し、アーサーは魔知の谷に戻った。
「西部戦線は安定しました」フェンリルが報告した。「グラハム男爵の部隊は撤退し、捕虜も解放しました」
「北部の状況は?」
「ヴァルガス様が優勢に戦っています。ヴァレンティン団長は約束通り、進軍速度を意図的に遅らせているようです」
アーサーは地図を見つめた。事態は好転しつつあったが、まだ油断はできない。
「セトゥル、東部の監視を強化せよ」彼は命じた。「王国軍の本隊がどこから来るか、それが次の焦点だ」
小型の羽竜が敬礼し、飛び立っていった。
「王」セルピアが近づいてきた。「夕暮れが近づいています。満月の夜が始まります」
アーサーは空を見上げた。太陽が沈みかけ、まもなく満月が昇る。ネクロスの試練を行う時間が来たのだ。
「行かねばならない」彼は決意を固めた。「死者の森への旅は避けられない」
「しかし、王国軍との戦いは...」フェンリルが懸念を示した。
「お前たちに任せる」アーサーは信頼の眼差しを向けた。「四天王の力があれば、一日は持ちこたえられるはずだ。私は明日の夜明けまでには戻る」
彼は「冥府の仮面」を取り出し、死者の森への出発準備を始めた。試練と戦いが同時に進行する状況は理想的ではないが、選択肢はなかった。
その時、突然の警報が魔知の谷に響き渡った。
「緊急事態!」セトゥルが慌てて飛んでくる。「南の防衛線に大規模な敵軍が出現!」
「南?」アーサーは驚いた表情を見せた。「そこには防衛線を...」
彼の言葉が途切れたとき、さらに衝撃的な情報が届いた。
「騎士100名、歩兵500名、そして...」セトゥルは震える声で続けた。「第一王子ルシウス陛下の姿も確認されました!」
アーサーの表情が凍りついた。兄が直接戦場に立ったというのか。
「そして最も恐ろしいことに」セトゥルは畏怖の表情でつけ加えた。「彼は"聖なる鎧"を纏っています。その力は...我々が今まで見たことのないほど強大です」
会議室に緊張が走った。アーサーは大きく息を吸い、決断を下した。
「予定を変更する」彼は厳しい表情で言った。「まず第一王子の部隊を迎え撃つ。その後、死者の森へ向かう」
「王...」セルピアが心配そうに言った。「満月の力は一晩限りです。試練に遅れては...」
「分かっている」アーサーは頷いた。「だが、このまま死者の森へ行けば、魔知の谷が危険にさらされる。私は王として、まず民を守らねばならない」
彼はモンスターイーターを握りしめ、黒炎を手のひらに宿した。
「第一王子との対決...実に皮肉な運命だ」
アーサーの目に決意の色が宿る。かつての兄との対決——それは避けられない宿命となっていた。
「全軍、南部戦線へ集結せよ。四天王は私の指揮下に入れ。これが最終決戦となる」
夕陽が魔境の地平線に沈みゆく中、新たな戦いの前夜を告げるように、満月が静かに昇り始めていた。
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