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第19話:因縁の兄との再会
しおりを挟む南部戦線の丘の上から、アーサーは王国軍本隊を見下ろしていた。
月明かりの下、白銀の鎧に身を包んだ騎士たちと、整然と並ぶ歩兵部隊。その規模は先ほどの西部戦線のグラハム部隊を大きく上回っていた。そして最も目を引いたのは、陣形の中央に立つ一人の騎士だった。
「アレクシス...」
アーサーは低く呟いた。第一王子——今や国王となった兄の姿だ。彼はかつての王族の甲冑を着ているが、その上からは光り輝く白銀の外套のようなものを纏っていた。それこそが「聖なる鎧」だろう。
「なぜ兄上自らが前線に?」
アーサーの隣には、四天王の三人が並んでいた。ヴァルガス、フェンリル、そしてオウガ。彼らもまた、敵軍の様子を警戒しながら見つめている。
「あれが人間の王か」ヴァルガスが低い声で言った。「並外れた魔力を感じる」
「"聖なる鎧"...」フェンリルが眉をひそめた。「伝説の武具だ。聖教会が千年の時を経て完成させた対魔術の最高傑作と言われている」
「力だけで言えば、四天王一人分はあるな」オウガが唸った。「厄介な相手だ」
アーサーは黙って兄の姿を見つめていた。かつて王宮で過ごした日々、兄弟として共に学び、時に競い合った記憶が蘇る。だが今、彼らは完全に異なる道を歩んでいた。
「準備を整えろ」彼は四天王に命じた。「防衛線を強化し、非戦闘員は安全な場所へ避難させよ」
アーサーが指示を出していると、王国軍側から一騎の騎士が丘を登ってきた。彼は白旗を掲げており、使者の役目を担っているようだった。
「魔境の王に謁見を求む」騎士は馬上から宣言した。「ブリアンティア国王アレクシス陛下のご命令にて」
アーサーは一歩前に出た。
「私がアーサー、魔境の王だ。兄上の言葉とあらば、聞こう」
騎士は一瞬、アーサーの姿に驚いたようだったが、すぐに任務に戻った。
「陛下は貴殿との一対一の会見を望まれています。領地の中間地点にて、双方十名ずつの護衛のみを伴って」
「罠の可能性もあります」フェンリルが小声で警告した。
アーサーは静かに考え込んだ。確かに危険はあるが、この機会を利用できるかもしれない。兄との対話により、聖教会の真の目的に気づかせることができれば、戦争を避けられる可能性もある。
「会見に応じよう」彼は決断した。「しかし、私の護衛は四天王の三人のみとする」
騎士は頷き、「一刻後、枯れ谷の中央にて」と告げて去っていった。
「本当に行くおつもりですか?」ヴァルガスが懸念を示した。
「行くさ」アーサーはモンスターイーターを鞘に収めながら言った。「私と兄上の間には、まだ言葉で解決できる可能性がある」
---
枯れ谷——かつて魔境と人間界の境界にあった交易所の跡地だ。今は荒れ果て、枯れた木々と砕けた石造りの建物だけが残っている。
アーサーは四天王の三人を従え、約束の場所に姿を現した。彼らの前には、既にアレクシスが十名の聖騎士を伴って待機していた。
兄の姿を間近で見て、アーサーは息を呑んだ。アレクシスは三十代半ばの男性だが、その風貌には圧倒的な威厳があった。金髪に青い瞳、彫刻のように整った顔立ち——典型的な王族の血を引く貴公子だ。しかし、彼から発せられる気配は人間離れしていた。
「久しぶりだな、弟よ」
アレクシスの声は低く、力強かった。かつて王宮で聞いた声とは、何か異質なものを含んでいる。
「兄上」アーサーは静かに応じた。「まさかこのような形で再会することになるとは思いませんでした」
アレクシスはアーサーの姿を見つめ、その変貌ぶりに驚きの色を浮かべた。
「お前もずいぶん変わったな」彼は言った。「もはや人間の姿ではない」
「外見は変わりましたが、心は変わっていません」アーサーは答えた。「そして兄上も...大きく変わられたようですね」
アレクシスの身に纏う「聖なる鎧」は、近くで見るとより一層その神秘性を増していた。銀色の鎧そのものではなく、その上に纏う光の外套のような存在だ。それは彼の体から放たれる魔力が実体化したかのようだった。
「私は王となった」アレクシスは誇らしげに言った。「そして、聖教会からこの"聖なる鎧"を授かった。魔境を浄化するという聖なる使命を果たすためにな」
アーサーは兄の言葉に、心の奥で痛みを感じた。彼は完全に聖教会の言葉を信じているようだ。
「兄上、聖教会の真の目的をご存知ですか?」彼は真摯に問いかけた。「彼らの言う"浄化"とは、魔境の力を奪い取ることなのです。それが実行されれば、魔境だけでなく人間界にも甚大な影響が及ぶでしょう」
アレクシスの表情が硬くなった。
「聖教会を疑うとは、魔物の思考に毒されたようだな」彼は冷たく言った。「彼らは千年もの間、我々人間を導いてきた。その教えを疑うことなど許されない」
「千年前、彼らは世界の均衡を崩そうとした」アーサーは静かに反論した。「そして今また、同じことを試みている。魔境には人間が知らない真実があるのです」
「黙れ!」アレクシスの怒声が谷に響いた。「私はお前を説得するために来たのだ。魔物の王などという馬鹿げた真似はやめて、人間として生きる道を選べ」
アーサーは驚いた。兄はまだ、彼に人間としての道を提供しようとしているのか?
「どういうことですか?」
「私には力がある」アレクシスは「聖なる鎧」を見せつけるように腕を広げた。「お前の体から魔力を浄化し、人間の姿に戻すことができる。そうすれば、王国への復帰も許そう」
アーサーは静かに首を振った。
「それはできません。私はもはや単なる人間ではありません。そして、魔境とそこに住む者たちを守る責任がある」
「責任?」アレクシスは嘲笑した。「魔物どもに対して?彼らは人間の敵だ。忘れたのか、魔物は何世紀もの間、我々の村を襲い、人々を殺してきたのだぞ」
「それは真実の一部に過ぎません」アーサーは静かに言った。「人間もまた、魔物を狩り、その領土を侵食してきました。双方に過ちはあります」
アレクシスの目に怒りの色が浮かんだ。
「お前はすでに救いようがないようだな」彼は剣を抜いた。「ならば、力ずくでも連れ戻す!」
一瞬の沈黙の後、アレクシスが宣言した。
「私はお前に決闘を申し込む。一対一の戦い。勝者が真実を証明するのだ」
アーサーは悲しみの色を浮かべながらも、モンスターイーターを抜いた。
「そのようにしましょう。だが、兄上...約束してください。もし私が勝ったら、この侵攻を止め、聖教会の真の目的について調査することを」
「良かろう」アレクシスは冷たく笑った。「だがもし私が勝ったら、お前は抵抗を止め、魔境軍に撤退を命じる。そして、浄化の儀式の完遂を許可するのだ」
アーサーは重い心で頷いた。
「約束します」
両者の護衛が下がり、円形に空間を作った。満月の光が二人の姿を照らす中、因縁の兄弟が向かい合って立っていた。
「始めよう」アレクシスが宣言した。
彼の「聖なる鎧」が輝きを増し、体から放たれる魔力の波動が周囲の空気を震わせる。その力に押されて、アーサーは一歩後退せざるを得なかった。
「これが聖なる力だ、弟よ」
アレクシスが剣を振るうと、その軌跡に光の波が生まれ、アーサーに向かって飛んでいった。
「くっ!」
アーサーは黒炎を放ち、光の波を迎え撃った。二つの力がぶつかり合い、爆発的な衝撃波が発生する。しかし、アレクシスの力の方が上回り、アーサーは吹き飛ばされた。
「なんという力...」
彼は体勢を立て直し、今度は直接攻撃を仕掛けた。モンスターイーターを振るい、アレクシスに斬りかかる。兄も剣で受け止め、二人の剣が火花を散らして交わる。
「お前も強くなったようだな」アレクシスは余裕の表情で言った。「だが、"聖なる鎧"の前では、魔物の力など無力だ」
彼は左手を突き出し、光の波動を放った。その力はアーサーの防御を貫き、彼の胸を直撃する。
「ぐはっ!」
激痛と共に、アーサーは数メートル吹き飛ばされた。黒い外皮が焼け、煙を上げている。聖なる力は魔物の弱点だった。
「まだまだ」
アーサーは立ち上がり、今度は戦術を変えた。直接対決では不利と判断し、機動力を活かすことにする。彼は翼を広げ、空中に舞い上がった。
「逃げるのか?」アレクシスが挑発した。
「いいえ」アーサーは答えた。「ただ、兄上の力を確かめているだけです」
彼は空中から黒炎を連続して放った。黒い火の玉がアレクシスに降り注ぐが、兄は「聖なる鎧」のバリアで全てを弾き返した。
「無駄だ」
アレクシスは両手を天に掲げ、「聖光爆裂(セイントノヴァ)!」と叫んだ。彼の周囲から巨大な光の柱が立ち上がり、四方八方に拡散する。
「これは...!」
アーサーは急いで「甲殻防御」と「岩肌」を同時に発動し、身を守ろうとした。しかし、聖光の力は彼の防御を易々と突破し、彼の体を包み込んだ。
「うわああっ!」
激痛と共に、アーサーは地面に叩きつけられた。彼の体には深い傷が刻まれ、黒炎さえも一時的に消えていた。「聖なる鎧」の力は、彼の予想を遥かに超えていた。
「分かったか」アレクシスが彼に近づいてきた。「これが神の力だ。魔を浄化し、世界に秩序をもたらす聖なる力だ」
アーサーは苦しみながらも立ち上がろうとした。しかし、体が言うことを聞かない。傷が深すぎるのだ。
「兄上...本当に聖教会の言う浄化が正しいとお思いですか?」彼は血を吐きながら問うた。「彼らは真実を隠しています」
「黙れ」アレクシスは冷たく言った。「お前はもはや我が弟ではない。魔物と化した哀れな存在だ」
彼は剣を掲げ、とどめを刺そうとした。その時、アーサーの体から突如として強烈な黒炎が噴出した。
「まだ...終わっていない!」
アーサーは残された力を振り絞り、モンスターイーターに魔力を集中させた。剣が紫に輝き、彼の体から放たれる黒炎と共鳴する。
「これが魔境の力...魔王の力だ!」
彼は剣を振るい、「魔王断(マオウダン)!」と叫んだ。剣から放たれた紫の斬撃が、アレクシスに向かって飛んでいった。
兄は一瞬驚きの表情を見せたが、すぐに「聖なる鎧」の力を最大限に引き出し、防御態勢に入った。
「聖盾(セイントシールド)!」
光のバリアが彼の周囲に形成され、紫の斬撃と激しくぶつかり合う。衝撃で地面が割れ、周囲の空気が振動した。二つの力が拮抗する中、バリアにひびが入り始めた。
「なに?」アレクシスが驚きの声を上げた。
しかし、アーサーの力も限界だった。「魔王断」の威力が徐々に弱まり、最終的にはバリアに阻まれて消滅した。
両者はしばらく動かなかった。アーサーはもはや立っているのがやっとの状態で、アレクシスもまた、予想外の攻撃に多くの力を使ったようだった。「聖なる鎧」の輝きが一時的に弱まっている。
「驚いたぞ、弟よ」アレクシスは認めるように言った。「魔境の力もなかなかのものだ。だが...」
彼は剣を鞘に収め、近づいてきた。
「結果は変わらない。お前は敗れた」
アーサーは膝をついた。力を使い果たしたのだ。彼は苦しげに呟いた。
「魔境を...壊さないでください」
「約束は守る」アレクシスは言った。「おまえは抵抗を止め、魔境軍に撤退を命じよ」
アーサーは深い諦めと共に頷いた。彼は負けたのだ。正面からの戦いでは、「聖なる鎧」の力に敵わなかった。
「アレクシス陛下!」
突然、王国軍側から使者が駆けつけてきた。
「西部戦線でヴァレンティン団長の部隊が魔物部隊に包囲されました!援軍が必要です!」
アレクシスは眉をひそめた。
「なに?あの男はどういうつもりだ...」
彼はアーサーを見下ろし、「約束は守れよ、弟よ」と言い残して、聖騎士たちと共に急いで去っていった。
四天王がアーサーの元に駆け寄る。
「王!」オウガが彼を支えた。「無事でしたか?」
「無事とは...言えないな」アーサーは苦笑した。「完敗だ...」
「あれほどの力とは...」ヴァルガスが唸った。「"聖なる鎧"は伝説以上の力を持っている」
フェンリルが状況を冷静に分析していた。
「これは厄介な展開だ。約束により、抵抗を止めなければならない」
アーサーは静かに頷いた。「約束は守らねばならない。だが...」
彼は「冥府の仮面」を取り出した。満月はすでに空高く昇っている。
「まだ一つの望みがある。ネクロスの試練だ」
「今の状態で?」ヴァルガスが心配そうに言った。「体力が...」
「選択肢はない」アーサーは決意を込めて言った。「私は死者の森へ行く。四天王は撤退を命じよ。これ以上の無駄な犠牲は避けるのだ」
彼は傷ついた体を引きずりながら立ち上がった。
「兄上には勝てなかった...だが、まだ諦めてはいない。ネクロスの力を得れば、新たな道が開けるかもしれない」
彼はよろめきながらも、死者の森へと向かう方向を示した。
「四天王は...私の帰りを待て。そして、聖教会の行動を監視せよ。彼らの真の目的が見えたとき、次の行動を決める」
傷ついたアーサーの心に、最後の希望が灯っていた。死霊王ネクロスとの試練——魔境の最後の切り札となるかもしれない道が、まだ残されていたのだ。
彼は満月を見上げ、決意を固めた。「行くぞ」
アーサーは黒い翼を広げ、力を振り絞って空へと飛び立った。彼の飛行は不安定で、時折高度を失うが、それでも前に進み続ける。
死者の森が彼を待っていた。そこには、新たな力と、魔境を救う最後の希望があるはずだった。
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