Sunrise Devil in the rain

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エゴイスト1

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 初夏、午前零時。俺は彼女にベッドを貸して、代わりにダイニングに据え置かれたソファの上で眠気を待っていた。ソファは革張りで、下手に硬さがあるから寝心地は悪い。湿った空気に満ちた室内は、台所のサッシ窓から差す月光だけを頼りに姿を現していた。
梅雨に差し掛かろうかというこの季節、この夜に俺が一晩中考えていた事は、「結局、とてつもない災いとは何だったのか」であった。確かにあらゆる不幸が我が身に降りかかったが、一体どれを指して災いと言っているのか分からない。曖昧な表現でぼかすのが占いの常ではあるが、曖昧さ故にあながち的外れでも無いというのが悩ましい。
 だが、たった一つだけはっきりしている事がある。それは、昨日あった全ての出来事の象徴が彼女、つまりは朝日を置いて他に無いということだった。なにせ、傘と携帯を忘れただけで、身元不明、住所不定の女性と現在一つ屋根の下などという凄まじい連鎖反応が起きてしまったのだから仕方が無い。そのインパクトだけで、昨日一日のタイトルを「雨弥朝日」に決定しても差し支えないだろう。
しかし、だからといって、朝日が件の災いにあたる存在だとは思えなかった。これは、彼女が見せた微笑みがあまりに無垢だったせいだ。何度思い起こしても、その笑顔に厄日の面影は見当たらない。弱々しく、繊細で、しかし優しい微笑は、いつまでも記憶の中で鮮明さを失わなかった。昨晩はそんな事を思いながら眠りについた。

 ―一夜明け、太陽が昇り始めて間もない早朝、俺は肩を揺すられて目覚めた。
「ねみぃ……、まだ早いだろ……」
 だぼだぼの寝間着女がぼやけた視界の中で白板に速記する。
『早めに起きて、ゆっくり朝食を取ると健康に良いよ』
 起き抜けの鼻を旨そうな匂いが襲った。味噌汁だ。目を擦って食卓を眺めると、そこにはすでに食器がずらっと並んでいた。それは、朝日にとって仕事始めだった。
 ―充実した食事を終え、俺は満足げに、
「ご馳走様」
 とだけ言って席を立ち、いそいそと通学の準備を始めた。大切なことを言い忘れた雇用主に腹を立てた従業員は、すかさず食卓を叩いた。振り返ると、
『おいしかった?』
 という、ずいぶん乙女な文章が目に入った。俺としたことが、料理の感想も言わずに何をしているのか。こんなんじゃあ、理想の紳士には到底なれそうも無いぞ。なんて言って自分を鼓舞し、照れくさくなる前に言った。
「おいしかったぞ」
 聞いた朝日は明るく笑ってくれて、俺は安心した。憔悴していた彼女が今になって笑うのを見るのは存外快かった。
 準備を済まして暇になり、少し早い電車に乗るか、それとも部屋で携帯をいじって時間を潰そうかと考えていた時、朝日が妙な提案をした。
『大学に一緒に行っても良い?』
 もちろんお断りした。もし知り合いに見つかりでもしたら、どんな噂を立てられるか分からない。朝日は小さく肩を落とした。
「大学行って、バイトして、帰りは遅くなるから、今日は晩飯先に食ってくれ。俺は外で食う」
 朝日はウンウンと二回うなずいて、
『外に取りに行きたいものがある』
と言った。昨日の今日で、俺は体のことを心配したが、夕方までには帰ると言って聞かないので、朝日には部屋の鍵を渡し、戸締まりよろしくとだけ伝えて部屋を出た。早めに出発して、置き去りにした自転車を回収することにしたのだ。しかし残念なことに、あの河川は砂利道を薄く舐めるように溢れていて、結局愛車は流されており、なんだかんだで自転車はあると期待していた俺は渋々徒歩で駅に向かうことになった。
悲しみに暮れつつ生乾きの砂利を踏みしめて歩く内、俺はどうだっていいような疑問を馬鹿まじめに考える事で気を紛らわせていた。さて、ホームレスが取りに行きたいものとは一体何なのか……


 昨日とは打って変わって快晴だった今日は、忘れ物も無く、教授に眼を飛ばされることも無く大学の講義を受け終え、まさに順調だった。おまけに日給制のバイトを二時間早めに切り上げることに成功。飯時に帰れるなら、さっさと帰宅して朝日に晩飯を作って貰った方が金銭的にありがたいわけで、そう思った時にはすでにアパートに向けて足が進んでいた。
 ―アパートに着き、自室に明かりが灯っているのを見て朝日が帰っている事が知れた。二階の角部屋まで上っていって、扉をノックする。
「朝日、俺だ。開けてくれ」
 しばらくして、ガチッと硬い音がして、扉が開いた。中に入ると、部屋は料理の匂いがたちこめていた。
『遅くなるんじゃ無かった?』
 バイトが早めに終わったのだと、かいつまんで説明する。
『優理の分も作る?』
「あぁ、頼むよ」
 朝日は勤務初日という事もあってか、張り切った様子で料理に励んでいる。そんな彼女の料理姿を後ろから見ると、不思議な感覚にとらわれる。一年以上この部屋に一人で暮らしてきた男にとって、この光景は慣れないものだった。感想としては、「もっと肩の力抜けよ」と、「ウチの冷蔵庫にそんなに具材あったんだ」であった。
 そうこうする内、料理は完成。朝日は出来上がった料理を食卓に並び終えた。
『おまたせ』
 朝日の手料理を食べるのはまだ二回目だが、腕前に関しては、すでに疑うべくもなかった。俺が同じメニューを作ってもこの味にはならない。素材の良さが十二分に引き出された料理に舌を巻き、もしや逸材を雇ったのではと朝日に目をやった。朝日は黙々と落ち着いた手つきで箸を動かすだけだった。
 夕飯を終え、俺は食器洗いを手伝おうとしたが、あっさり断られた。表向きは『私がやっておくから』と言うが、俺には『せっかく得た仕事を奪うんじゃない』と突っぱねられた気分だった。何となくその場に居づらくなって、居間に戻ろうとした時、遅ればせながら彼女の働きに気付いた。部屋を見渡すと隅々まで綺麗に清掃されていたのだ。居間への襖を開けると洗濯物が奥のベランダに干されていて、ずさんに書籍が並んでいた本棚はジャンル別に整理してある。
 これなら、最大の事案だった物置部屋の整理整頓も済んでいることだろう。俺は半開きになった物置部屋の扉を開けて、中をのぞき込んだ。
「……余計散らかってないか?」
 ―整理整頓どころか、物が増えていた。
 朝日は俺の小言を聞きつけたのか、皿洗いを途中で切り上げ、戸棚に立て掛けてあったホワイトボードを手に取った。少し濡れそぼった白い左手が焦ったように筆記する。
『外に残しておいた生活用品を朝から取りに行ってたの。捨てるのはもったいないと思って』
「生活用品……?」
 俺には、全てガラクタに見えた。閉まらなくなった穴だらけの傘、毛先の死んだ歯ブラシが刺さる飲み口が欠けたコップ、変色した靴(男物)と誰が着たかも分からないボロの上着や下着が数点。それに加え、用途の分からない雑貨と、今にも壊れそうな簡易ベッド。これが朝日の私物だという事実に動揺した。俺はホームレスの世界を甘く見ていた。
『明日の朝までには片付けておくから、怒らないでほしい』
「朝日、これ、全部使うつもりなのか」
 朝日は首をかしげた。
『もちろん』
 何故だろう、少しイラッとした。……嘘だ、かなり頭にきた。
「ふざけんなっっ!」
 ぶち切れた俺は朝日の手を掴んで言った。
「買い物に行くぞ!」
 朝日は、俺が何に対し怒ったのか、まるで分からないという様子だった。無理もないことだろう。この時、本人でさえ、何故頭に血が上ったのか理解していなかったのだから。
 華奢な朝日の腕を引き、ズケズケと早歩きで近くの量販店まで行って、衣類、家具、その他生活用品、朝日が必要とする物を全て買いあさった。元々、週末辺りにこういった買い物を予定してはいたが、激情に駆られ、二日前倒しになった。勢い余って「何でも買ってやる」などとのたまい、奮発した男は、少なくなった預金残高を見るなり、来月の家賃は待って貰うと決心した。
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