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でたらめ女1
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超絶技巧の狙撃手が脱退し、チームなかじまーずは解散を余儀なくされた。
「駄目だこりゃ。俺達はサバゲー向きじゃない、別のをやろう」
さすがに懲りたようで、俺も同感だった。
「次は格ゲーにしよう、俺、格ゲーは最近やり込んでてな」
汚名返上を企む中島は卑怯にもやり込み分野で事を為そうとしている。だが、サバゲーをやる前にもそんな事を言っていたから、次もグダグダだろう。
「―藤代ぉ」
互いに決め手を欠く中、プレーの最中にも関わらず中島は話しかけてきた。番外戦術か。
「はいよ」
目立った活躍が出来なかった鬱憤を晴らすため、適当な返事の裏で大技の手はずを整える。
「朝日ちゃんの事なんだけどさ」
「おう」
もう少しだ……、もう少しで必殺技ゲージが満タンに……。
「あの子、イトコじゃないだろ」
「っはぅ!」
風船を針で一突きした感じの一言に、俺は心を乱した。
「図星だろ」
「……今日はイトコなんだよ、あんまり詮索しないでくれ」
あえて否定はしない。今日をしのげればそれでいい。
「そんな野暮なことしないよーだ」
人の動揺につけ込んでコンボを決める男の言いぐさではなかった。珍しく俺の中で闘争心が沸き起こるのを感じる。
「そういや、お前らどうやって神社に入ってきたんだ?」
「はぁ? 普通に正面から入ったよ」
「鳥居くぐった?」
「もちろん、……くらえっ!」
必死の弱攻撃により、形勢はイーブンになった。
「だったら、ヤバいんだよなぁ」
「何が」
「あの鳥居はな、友人の一万円を勝手に使い切るような低俗な悪魔や、その他悪鬼、悪霊の類いが一歩も入れないぐらい神聖なもんなんだよ」
「俺を悪しき者扱いするな! これでもくらえ!」
中島のキャラのガードが下がるのを見逃さなかった。すかさずコンボに持ち込む。
「神聖な鳥居を壊さずに素通りって……。そんな奴、俺の手には負えないなぁ」
「お前はセコムでも付けとけ! フィニッシュ!」
自分にしては上出来の逆転勝利を勝ち取った。程よく興奮している、やはりゲームはエキサイティングかつ、勝たなくては面白くないのだ。
「っし、勝った」
中島は何かを諦めるように肩を落としている。負けたことがショックなのだろう。
悲しそう、と言うよりは、申し訳なさそうにして、中島は言った。
「今日のお祓いは無しにしよう」
すっかり忘れていた。
「え? あぁ、別にいいけど」
自分からふっかけた話を無しにしてくれ、というのは中島らしくなかったが、お祓いなんぞ面倒くさいと思っていたから、気に止めなかった。
中島からは晩飯を食って行けと言われたが、そろそろ親御さんが帰ってくる頃だから、厄介になる前に帰らせて貰う事にした。ゲームに没頭したせいで、喉が渇いている。
「リビングに戻っていいか? 麦茶飲んでくる」
「分かった、後は片付けとくよ」
親切にも後片付けを一人で請け負ってくれるらしい。普段なら「片付けてからにしやがれ!」とか言いそうなだけに、裏があるのではと勘ぐってしまう。
「サンキュー、男爵」
後が怖いような気もするが、なまじ現金な俺はゲーム機の片付けを中島に任せ、リビングへ向かった。
ドアを開けると、リビングの中は薄暗かった。照明が点いていない。台所のサッシと障子から夕日の残り陽を採光する室内は、壊しがたい静寂を下地に、赤と黒の陰影で染められていた。左手奥のテーブルに、黙々と本を読む女の姿が見える。タイマーを設定してあったのか、扇風機は停止しており、彼女の白い左手がページをめくる音は鮮明に聞こえた。赤く照らされた空間を漂う細かな粒子は、一瞬のうちに光っては消え、不規則に点滅していた。
この淡く洗練された空気は何だろう。そんな抽象的な疑問が浮かんで一瞬、立ち止まった。
(なに止まってんだ、麦茶飲みに来ただけだろ……)
強引に右足から前に持って行く。クーラーすら止まっていたから、踵から指先へとフローリングの床の生暖かさが伝わった。数歩歩けば、足裏だけはこの部屋に慣れてくれた。
冷蔵庫から麦茶の入った二リットルのペットボトルを取り出し、食卓の上に置いた。この時、放置していたグラスが久々に目に入った。
(……氷、全部溶けてる)
サービス精神旺盛な洋ちゃんが不必要にたんまりと氷を入れたから、グラスの半分は水が占めている。手触りから言えばすでに常温。捨てるのは勿体ないからと、ぬるま湯を飲み、次いで麦茶を注ぐ。丁度半分くらいまで注いで、ペットボトルのキャップを締めていたら、ふと隣のグラスに目が行った。薄茶色の液体がグラスを満たしている。別のグラスを出してきた訳ではなさそうだから、あいつは今の今まで何も飲まずに、読書にふけっていたみたいだ。絶妙に蒸し暑い部屋で熟読していて、熱中症にでもなられたらシャレにならない。
半分まで麦茶が注がれたグラスの底の結露を拭いて、それを朝日の所に持って行った。
「ほら、水分補給」
女性特有の内股座り。低いテーブルの上で両手を重ね、上手の甲に顎を乗せ、朝日は脱力して本に目を通していた。そばにグラスを置くと、うん、と一つ返事。俺はリビング中央のソファに腰を下ろし、柔らかい背もたれに軽く沈んだ。朝日は俺に目もくれず、読書している。
(……)
読書というのは静かにするものだが、読まない者にはつまらない。せっかく声が出るなら、休憩がてら、誰かと世間話でもしたらどうなんだ。例えば、ここで暇そうにしている俺とでも。
話しかけづらいのに、自然と言葉が出ていた。取るに足らない賞賛だった。
「さっきは凄かったな、感動したよ」
「……まぁね」
短くて嫌みの無い肯定には、見えない棘があった。それは刺さると、失言を誘発した。
「勉強も運動も出来て、おまけに娯楽でもセンスあるとか、ホント、何でも上手にこなせそうだよな、お前は」
最初から非凡な奴だとは思っていたが、心身が回復するにつれ、朝日はさらに自らの潜在的な能力を開花させつつあった。家事が終われば外に出て、半日ほど図書館に入り浸って専門書を読み漁り、帰宅する頃になれば立派な知識人になっている。酷い時は六法全書を全て頭にたたき込んで、弁護士もどきになって帰ったこともあった。博識が過ぎて、話が噛み合わないことも最近は増えた。経済やら哲学やら最新科学やら、さっぱり分からん。
知性だけでなく、身体能力に関しても曰く付きだ。ある日、早朝のランニングのために部屋を出て、三十分程で帰ってきた朝日に尋ねたことがある、どのくらいの距離を走ったのかと。朝日はだいたい十キロと答えた。はったりだと思った。十キロを三十分なんて、女子の日本記録ペースだ、あり得ない。だが真偽を確かめる術は無かった。何故なら、確かめようとしても、速すぎてついて行けなかったからだ。一流アスリートのようなしなやかなフォームで疾走する朝日の後ろ姿を見送った俺から言わせれば、ない話ではない。
同居人の高過ぎるスペックについて行けない今日この頃。教わることばかりで、俺にしてやれる事はほとんど残っていない。出会った時の衰弱した姿は幻だったと思えるほど、今の朝日はたくましく、才気に溢れている。朝日は変わってしまったのだ……
―幼い寂しさが反作用を起こして、最後にお前は、と言った。まるで、自分はそうじゃない、俺とお前は違うと、ある種突き放すような言い方だった。
本に向いていた視線が俺に移った。
「あーさーひっ」
俺は思わず聞き返した。
「え?」
「お前、じゃない、朝日」
彼女は俺を指差して、注文をつけた。
「出来るだけ、朝日って呼んで欲しい」
出会った時と同じ言葉、表情に、俺はハッとなった。
本質的な部分が変わらなければ人はいつでも同じ雰囲気が作れる事を、この時初めて知った。変わったのはうわべだけで、その実、大切なところは何も変わっていないように思えた。変わらない朝日がそこにいた。
安易にほっとする自分を嫌って、視線をそらした。
「前もそんなこと言ってたよな、下の名前にこだわりでもあるのか?」
「こだわりって程でもないけど。ただ、子供の頃、コンビニで読んだ心理学の本にね」
(朝日もそういうの読むのか……)
「下の名前で呼び合うと、親近感がアップするって書いてあったの、仲良くなれるって」
(……それだけ?)
言い終えて、朝日は口をつぐんだ。どうやら本当にそれだけが理由らしい。朝日のことだから、てっきり深い意味でもあるのだろうと思っていた……いや、それより。
俺は鼻で笑って、自虐的に言った。
「俺なんかと仲良くなりたいのか?」
卑屈な言い回しは劣等感からではなく、俺が筋金入りの根暗だからだ。仲良くする相手ぐらい選んだらどうだと、半ば煽るような意味合いもあった。上手く言い返せたように思った。
朝日の顔は、時々紅潮する癖がある。原因は不明である事が多い。今だって、前触れもなく頬が赤い。半分夕日に照らされているから、余計に赤く映る。だがいつもみたいに視点が散らばることはなく、ぐっとこらえて、それから小さく目線を下ろし、口を開いた。
「そう……、私は、優理なんかと、仲良くなりたい……」
ぽつり、ぽつりと朝日は言葉をこぼした。
少し長くなった前髪が垂れて、朝日の目元を隠す。唇を固く食い締めて、返事を待っている。これが演技だとしたら怪演。表情一つで肌がひりつくぐらい、朝日のない交ぜな気持ちが伝わってくる。一人では抑えきれない感情を、あぶれた分だけお裾分けされたように感じたが、受け止めきれる自信が無い。返答に困り、狼狽した。
蝉の音は遠く、今ある間を埋めてくれたりはしない。朝日の顔がまだ赤い内に、熱が冷めやまぬ内に、言わなくてはならない。
(Hurry up……)
「えっとだな……うん」
(Hurry up……)
「その……あれだ」
(Hurry up……)
「俺が思うに……」
(……Hurry up!)
「も、もうそれなりに、仲良いんじゃないかっ、俺達……」
―はい、ヘタクソ。お疲れ様。
どうしようもなく的外れな事を言ってのけた東西一の腑抜けは、ひどく後悔していた。つい先日まで声が出せなかった奴より口下手とは、不甲斐ない。
しかし、変わり者の的は妙な所にあるもので、見上げた彼女の顔には不信感が無かった。
「そ、そうだね、もう、それなりに仲良いよね、うん、そうだ」
目をまん丸にして見開き、胸に手を当てて、朝日は自分に言い聞かせた。我々は仲が良いというようなことを二三度言って聞かせた。黒塗りのガラス玉みたいな瞳は、微かにうつろで、何も見ていないようだ。緊張からほどけたように、細かく手が震えている。
……反応が読めない、そう思ったのはこれで何度目だろう。セオリーに当てはまらない人間との会話が手探りになることは覚悟の上だが、大抵は話している内に人となりが分かってくるものだ。けれど、こと朝日に関しては、未だにはっきりしない。普段は飄々として、つかみ所が無く、他人に弱みを見せない人柄だと思うが、妙なところでキャラが崩れる悪癖がある。千年を生きる老魔女のように達観していたり、底なしに拙かったりする。この極端さは何だ。
考え込んでいる間に様々な突拍子も無い考えが浮かんだ。雨弥朝日、新人類説、宇宙人説、サイコパス説。どれもあり得そうで、クエスチョンマークで頭が一杯になった頃、ドアが開く音がした。
「駄目だこりゃ。俺達はサバゲー向きじゃない、別のをやろう」
さすがに懲りたようで、俺も同感だった。
「次は格ゲーにしよう、俺、格ゲーは最近やり込んでてな」
汚名返上を企む中島は卑怯にもやり込み分野で事を為そうとしている。だが、サバゲーをやる前にもそんな事を言っていたから、次もグダグダだろう。
「―藤代ぉ」
互いに決め手を欠く中、プレーの最中にも関わらず中島は話しかけてきた。番外戦術か。
「はいよ」
目立った活躍が出来なかった鬱憤を晴らすため、適当な返事の裏で大技の手はずを整える。
「朝日ちゃんの事なんだけどさ」
「おう」
もう少しだ……、もう少しで必殺技ゲージが満タンに……。
「あの子、イトコじゃないだろ」
「っはぅ!」
風船を針で一突きした感じの一言に、俺は心を乱した。
「図星だろ」
「……今日はイトコなんだよ、あんまり詮索しないでくれ」
あえて否定はしない。今日をしのげればそれでいい。
「そんな野暮なことしないよーだ」
人の動揺につけ込んでコンボを決める男の言いぐさではなかった。珍しく俺の中で闘争心が沸き起こるのを感じる。
「そういや、お前らどうやって神社に入ってきたんだ?」
「はぁ? 普通に正面から入ったよ」
「鳥居くぐった?」
「もちろん、……くらえっ!」
必死の弱攻撃により、形勢はイーブンになった。
「だったら、ヤバいんだよなぁ」
「何が」
「あの鳥居はな、友人の一万円を勝手に使い切るような低俗な悪魔や、その他悪鬼、悪霊の類いが一歩も入れないぐらい神聖なもんなんだよ」
「俺を悪しき者扱いするな! これでもくらえ!」
中島のキャラのガードが下がるのを見逃さなかった。すかさずコンボに持ち込む。
「神聖な鳥居を壊さずに素通りって……。そんな奴、俺の手には負えないなぁ」
「お前はセコムでも付けとけ! フィニッシュ!」
自分にしては上出来の逆転勝利を勝ち取った。程よく興奮している、やはりゲームはエキサイティングかつ、勝たなくては面白くないのだ。
「っし、勝った」
中島は何かを諦めるように肩を落としている。負けたことがショックなのだろう。
悲しそう、と言うよりは、申し訳なさそうにして、中島は言った。
「今日のお祓いは無しにしよう」
すっかり忘れていた。
「え? あぁ、別にいいけど」
自分からふっかけた話を無しにしてくれ、というのは中島らしくなかったが、お祓いなんぞ面倒くさいと思っていたから、気に止めなかった。
中島からは晩飯を食って行けと言われたが、そろそろ親御さんが帰ってくる頃だから、厄介になる前に帰らせて貰う事にした。ゲームに没頭したせいで、喉が渇いている。
「リビングに戻っていいか? 麦茶飲んでくる」
「分かった、後は片付けとくよ」
親切にも後片付けを一人で請け負ってくれるらしい。普段なら「片付けてからにしやがれ!」とか言いそうなだけに、裏があるのではと勘ぐってしまう。
「サンキュー、男爵」
後が怖いような気もするが、なまじ現金な俺はゲーム機の片付けを中島に任せ、リビングへ向かった。
ドアを開けると、リビングの中は薄暗かった。照明が点いていない。台所のサッシと障子から夕日の残り陽を採光する室内は、壊しがたい静寂を下地に、赤と黒の陰影で染められていた。左手奥のテーブルに、黙々と本を読む女の姿が見える。タイマーを設定してあったのか、扇風機は停止しており、彼女の白い左手がページをめくる音は鮮明に聞こえた。赤く照らされた空間を漂う細かな粒子は、一瞬のうちに光っては消え、不規則に点滅していた。
この淡く洗練された空気は何だろう。そんな抽象的な疑問が浮かんで一瞬、立ち止まった。
(なに止まってんだ、麦茶飲みに来ただけだろ……)
強引に右足から前に持って行く。クーラーすら止まっていたから、踵から指先へとフローリングの床の生暖かさが伝わった。数歩歩けば、足裏だけはこの部屋に慣れてくれた。
冷蔵庫から麦茶の入った二リットルのペットボトルを取り出し、食卓の上に置いた。この時、放置していたグラスが久々に目に入った。
(……氷、全部溶けてる)
サービス精神旺盛な洋ちゃんが不必要にたんまりと氷を入れたから、グラスの半分は水が占めている。手触りから言えばすでに常温。捨てるのは勿体ないからと、ぬるま湯を飲み、次いで麦茶を注ぐ。丁度半分くらいまで注いで、ペットボトルのキャップを締めていたら、ふと隣のグラスに目が行った。薄茶色の液体がグラスを満たしている。別のグラスを出してきた訳ではなさそうだから、あいつは今の今まで何も飲まずに、読書にふけっていたみたいだ。絶妙に蒸し暑い部屋で熟読していて、熱中症にでもなられたらシャレにならない。
半分まで麦茶が注がれたグラスの底の結露を拭いて、それを朝日の所に持って行った。
「ほら、水分補給」
女性特有の内股座り。低いテーブルの上で両手を重ね、上手の甲に顎を乗せ、朝日は脱力して本に目を通していた。そばにグラスを置くと、うん、と一つ返事。俺はリビング中央のソファに腰を下ろし、柔らかい背もたれに軽く沈んだ。朝日は俺に目もくれず、読書している。
(……)
読書というのは静かにするものだが、読まない者にはつまらない。せっかく声が出るなら、休憩がてら、誰かと世間話でもしたらどうなんだ。例えば、ここで暇そうにしている俺とでも。
話しかけづらいのに、自然と言葉が出ていた。取るに足らない賞賛だった。
「さっきは凄かったな、感動したよ」
「……まぁね」
短くて嫌みの無い肯定には、見えない棘があった。それは刺さると、失言を誘発した。
「勉強も運動も出来て、おまけに娯楽でもセンスあるとか、ホント、何でも上手にこなせそうだよな、お前は」
最初から非凡な奴だとは思っていたが、心身が回復するにつれ、朝日はさらに自らの潜在的な能力を開花させつつあった。家事が終われば外に出て、半日ほど図書館に入り浸って専門書を読み漁り、帰宅する頃になれば立派な知識人になっている。酷い時は六法全書を全て頭にたたき込んで、弁護士もどきになって帰ったこともあった。博識が過ぎて、話が噛み合わないことも最近は増えた。経済やら哲学やら最新科学やら、さっぱり分からん。
知性だけでなく、身体能力に関しても曰く付きだ。ある日、早朝のランニングのために部屋を出て、三十分程で帰ってきた朝日に尋ねたことがある、どのくらいの距離を走ったのかと。朝日はだいたい十キロと答えた。はったりだと思った。十キロを三十分なんて、女子の日本記録ペースだ、あり得ない。だが真偽を確かめる術は無かった。何故なら、確かめようとしても、速すぎてついて行けなかったからだ。一流アスリートのようなしなやかなフォームで疾走する朝日の後ろ姿を見送った俺から言わせれば、ない話ではない。
同居人の高過ぎるスペックについて行けない今日この頃。教わることばかりで、俺にしてやれる事はほとんど残っていない。出会った時の衰弱した姿は幻だったと思えるほど、今の朝日はたくましく、才気に溢れている。朝日は変わってしまったのだ……
―幼い寂しさが反作用を起こして、最後にお前は、と言った。まるで、自分はそうじゃない、俺とお前は違うと、ある種突き放すような言い方だった。
本に向いていた視線が俺に移った。
「あーさーひっ」
俺は思わず聞き返した。
「え?」
「お前、じゃない、朝日」
彼女は俺を指差して、注文をつけた。
「出来るだけ、朝日って呼んで欲しい」
出会った時と同じ言葉、表情に、俺はハッとなった。
本質的な部分が変わらなければ人はいつでも同じ雰囲気が作れる事を、この時初めて知った。変わったのはうわべだけで、その実、大切なところは何も変わっていないように思えた。変わらない朝日がそこにいた。
安易にほっとする自分を嫌って、視線をそらした。
「前もそんなこと言ってたよな、下の名前にこだわりでもあるのか?」
「こだわりって程でもないけど。ただ、子供の頃、コンビニで読んだ心理学の本にね」
(朝日もそういうの読むのか……)
「下の名前で呼び合うと、親近感がアップするって書いてあったの、仲良くなれるって」
(……それだけ?)
言い終えて、朝日は口をつぐんだ。どうやら本当にそれだけが理由らしい。朝日のことだから、てっきり深い意味でもあるのだろうと思っていた……いや、それより。
俺は鼻で笑って、自虐的に言った。
「俺なんかと仲良くなりたいのか?」
卑屈な言い回しは劣等感からではなく、俺が筋金入りの根暗だからだ。仲良くする相手ぐらい選んだらどうだと、半ば煽るような意味合いもあった。上手く言い返せたように思った。
朝日の顔は、時々紅潮する癖がある。原因は不明である事が多い。今だって、前触れもなく頬が赤い。半分夕日に照らされているから、余計に赤く映る。だがいつもみたいに視点が散らばることはなく、ぐっとこらえて、それから小さく目線を下ろし、口を開いた。
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蝉の音は遠く、今ある間を埋めてくれたりはしない。朝日の顔がまだ赤い内に、熱が冷めやまぬ内に、言わなくてはならない。
(Hurry up……)
「えっとだな……うん」
(Hurry up……)
「その……あれだ」
(Hurry up……)
「俺が思うに……」
(……Hurry up!)
「も、もうそれなりに、仲良いんじゃないかっ、俺達……」
―はい、ヘタクソ。お疲れ様。
どうしようもなく的外れな事を言ってのけた東西一の腑抜けは、ひどく後悔していた。つい先日まで声が出せなかった奴より口下手とは、不甲斐ない。
しかし、変わり者の的は妙な所にあるもので、見上げた彼女の顔には不信感が無かった。
「そ、そうだね、もう、それなりに仲良いよね、うん、そうだ」
目をまん丸にして見開き、胸に手を当てて、朝日は自分に言い聞かせた。我々は仲が良いというようなことを二三度言って聞かせた。黒塗りのガラス玉みたいな瞳は、微かにうつろで、何も見ていないようだ。緊張からほどけたように、細かく手が震えている。
……反応が読めない、そう思ったのはこれで何度目だろう。セオリーに当てはまらない人間との会話が手探りになることは覚悟の上だが、大抵は話している内に人となりが分かってくるものだ。けれど、こと朝日に関しては、未だにはっきりしない。普段は飄々として、つかみ所が無く、他人に弱みを見せない人柄だと思うが、妙なところでキャラが崩れる悪癖がある。千年を生きる老魔女のように達観していたり、底なしに拙かったりする。この極端さは何だ。
考え込んでいる間に様々な突拍子も無い考えが浮かんだ。雨弥朝日、新人類説、宇宙人説、サイコパス説。どれもあり得そうで、クエスチョンマークで頭が一杯になった頃、ドアが開く音がした。
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