Sunrise Devil in the rain

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でたらめ2

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「うぃーっす、片付け終了!」
 中島が隣部屋からうるさく出てきた。
「お、朝日ちゃん、元気してた? ってか暗! 電気つけろよ!」
 中島はいつもの軽いノリで照明を点け、クーラーを起動させる。扇風機の首根っこを掴み、ソファの前に置いて、設定を強にした。「涼しさ第一、電気代? 親が払うさ」をモットーに、中島は冷蔵庫から五百ミリリットルのペットボトル飲料を取り出し、扇風機の前で涼んだ。
「お前らこんな暑い部屋で何してたんだ、二人きりで」
「ややこしい言い方をするな、ちょっと世間話してただけだっての」
「ふーん、で、朝日ちゃんは藤代が来るまでずっと読書?」
 朝日は首を縦に振った。
「うん、でも部屋がぬくいから、途中で居眠りとかしてるかも。まだ読み切れてないや」
 そう言って、読んでいた本の表紙を俺達に見せる。The Bible。
「……聖書だ」
 男二人、声を揃えて言った。聖書。ミッション系の大学に通う学生ならば、信仰の是非を問わず買わされるであろう書籍だ。コンパクトな片手サイズにまとめられた千九百八十二ページの内容は、丁寧に章分けがなされていて、中には有名な逸話も含まれている。しかしつまらない事には変わりないから、普通は読む気にならない。にも関わらず、全世界で大ベストセラーになるという矛盾を生じさせた恐ろしい書物、バイブル。世界的普及の背後で歴史上の宣教師らの影が見え隠れしている。
「他に漫画とか雑誌とかあったのに、あえて聖書を選ぶとは、渋いなぁ」
 中島曰く、「渋い」
「聖書なんかクソつまんねぇだろ、なのに千五百円もするんだぜ、それ。信じられるか?」
 俺曰く、「クソつまらない、価格が信じられない」
「確かに旧約は退屈かも。けど、有名どころは楽しめた、イザヤ書とかね。新約はエンターテイメントに優れていて、当時の教団内の権力闘争が透けて見えるし、興味深い」
 朝日曰く、「旧より新」
 聖書に対するイメージは三者三様だった。
「え、朝日、旧約全部読んだのか?」
 朝日は微笑んだ。
「うん、今は新約の使徒言行録、ヨハネが素敵」
 俺と中島は顔を見合わせた。一時間で千五百ページの旧約聖書を読破して、福音書も通過して、今は使徒言行録? 速読ってレベルじゃない気がするが、本当にちゃんと読んだか?
 朝日は聖書を片手に、目を細めてつぶやいた。
「懐かしいな……」
「朝日ちゃん、前にも聖書読んだことあるの?」
「うん……」
 朝日は少しの間聖書の背を眺め、少し目を見開いて、
「あれ? 読んだことあったっけ?」
 すっとんきょうな声で矛盾したことを言った。その後も、「さてどうだったか」、「記憶が曖昧だ」と、自分の過去について疑念を晴らすのに必死だった。まだ若いのにもうろくしてんなよ、心中で俺は陰口をたたいた―
「―本当に帰るのか? メシぐらい食っていけば良いのに」
 中島はこう言うが、そこまで世話になるのも悪い。それに、長居したくないんだ、あの人とあまり会いたくない。
 俺は笑顔に努めて別れの挨拶をした。
「今日は楽しかった、また呼んでくれ」
 朝日はフックに掛けてあった麦わら帽子を手に取り、
「またね、洋ちゃん」
 そのまま頭にかぶせた。これでもう引き止めること叶わない、完全なお別れムードだ。

 ……足音が聞こえる。回廊を誰かが歩いていた。カサカサと鳴る雑音とともに、足音は近づいて、しまったと思った時にはもう遅かった。人影がリビングの障子に映り込んで止まり、それから戸が開かれた。
 両手には大量の食材が詰まったビニール袋、肩からは花柄の鞄を下げ、日に焼かれて赤茶けた長髪を髪留めで後ろに一まとめにした女性が立っていた。
「あら! 藤代君じゃない、久しぶりねぇー」
 この人は中島の母親、友紀恵さんだ。そろそろ帰ってくると聞いていたので、出くわす前においとましようと思っていたのに……
「なぁに? もしかして今帰るところ?」
 母の問いかけに息子が答えていく。
「そうなんだよ、メシも食わずに帰るってさ」
「……お隣の、麦わらの、可憐なお嬢さんはどなたかしら」
「藤代の嫁です」
「あらまぁ、そうなの」
 友紀恵さんは俺と朝日を交互に見てにやつく。
「いや、違うんです、こいつは俺のイトコで、雨弥朝日って言います、全然嫁なんかじゃありません!」
 朝日はイトコらしく麦わら帽子を外して、小さくお辞儀した。友紀恵さんは各人の表情と状況を把握し、全てを見透かしたような寛大な笑顔で言った。
「せめてご飯は食べて行きなさい、ご馳走してあげるから」
 この親子はしたたかなところが良く似ている。だからこそ二人揃う事を恐れたわけだが、それは後の祭りであろう。まだ帰れそうにない。

「―朝日ちゃん、あなたお料理得意でしょう?」
「得意かどうか分からないけど、料理は好きです」
 包丁がまな板をリズミカルに打つ小気味良い音が聞こえる。三ヶ月毎晩聞いていれば、それが同居人によるものだとすぐに分かる。誰もが目を見張る包丁さばきは、専業主婦の友紀恵さんにだって引けを取るまい。
「メシが出来るまで、ポーカーでもやるか?」
 中島は液晶薄型テレビ横の小物入れから、トランプとチップの入った透明なケースを取り出して俺に見せた。
「男二人でか、寂しいもんだな」
 そう言いつつ、ソファからローテーブルの前に座り直した。
「イカサマは無しだからな」
「しなくても勝てる」
「言ったな……、借りを返してやる」
 ポーカーでは目下七連敗中。唯一の趣味を人間観察とするメンタリスト中島には、こういった心理戦が絡むゲームで勝ったことがない。奴曰く、「全てが態度に出ていて、お前は分かりやすい」とのことだが、今こそ藤代優理が真にディープな男であることを証明してやろう。
「―あんた達、晩ご飯出来たわよ!」
 料理の完成を知らされて白壁に掛けられた時計を見やると、四十分程が経過していた。体感だと十分。約四倍に濃縮還元された究極の心理・頭脳戦は、俺が賭けるチップを全て失うことで丁度決着したところだった。
「おっと、メシだメシ、片すぞ」
 中島はテーブルの上に散らばったカードとチップを雑にまとめて、ケースに入れる。その雑な手つきがえらく勝利を威張り散らしているように思えて、俺は悔しかった。
「ポーカーじゃ一生勝てそうにないな」
 手持ちのカードをテーブルに投げ出した。ノーペアの手札があらわになる。
「ハハっ! ブタかよ、そりゃ勝てない」
 中島は全てケースに入れ終えると、立ち上がって、小物入れに戻した。俺は座ったまま、天井の照明を見上げた。白熱灯の光は、頭の奥深くから、重たい悩みをあぶり出した。
 中島は人の心を読むことに長けているから、それを応用すれば女にだってモテるし、心理戦の類いでは鬼のように強い。朝日は何かと器用で、知的で、行動力があるから、将来は世界を股に掛けるキャリアウーマンにでもなれそうな感じがする。俺の周囲の人間は、外から見ればどこかしら秀でていて、それに準じたジャンルで有効な人間になっている。
 では、俺はどうか。俺は何も秀でてなどいない。ただし劣っているわけではない。中途半端なのだ。無力ではなく微力、無能ではなく平凡。人の取り柄を見せつけられる度、その事を思ってきた。俺はさして役に立たず、特に必要とされない。この自己効力感の欠如が生涯にわたって続くというのなら、そんな悲しい人生はゴメンだ。穴埋めとして生きがいをよこせ、さもなくば誰か教えてくれ。俺は何に対し才能があって、何に対し有効な存在と言えるんだ……
 ポーカーに負けたくらいで、なんて言わないでくれ。小さな石に躓いて転ぶ奴だっているんだ。一つでも誇れる何かを持っていれば、こういう奴らと肩を並べられる、そんな勘違いをしているだけなんだ。大したことないさ。―俺は重い腰を上げて、食台へ向かった。

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