Sunrise Devil in the rain

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別れ2

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 この日だけでテーマパークの八割は踏破したのではないだろうか。効率よく回れば主要なアトラクションやイベントへの参加は案外現実的だった。これに大いに役立ったのはドレスの女の予知能力で、どのアトラクションが混んでいそうか的確に先読みして、無駄な時間を徹底的に省く手腕を発揮してくれた。だが、その対価として閉園近くまで連れ回され、いつしか空は黒で塗りつぶされた。園内は静けさとともに優しく夜に包まれる。
「な、そろそろ」
「まだダメ、最後にアレに乗らないと」
 彼女の指差す方向には、夜中にライトアップされた大型観覧車があった。
「分かった、あれで最後な」
 あまり帰りが遅くなるのは良くないが、俺をバイト地獄から救った恩人の要望を無下には出来ない。
 俺達は観覧車の乗り場へと足を運んだ。
「―二名様ですか?」
「はい」
「足元に気を付けて下さいね」
 乗務員に誘導され、俺が先に乗り込む。
「ほら、来い」
 今日初めてまともに女性をエスコートした気がする。朝日の手を取って、ゴンドラの中に引き入れる。
「ありがとう」
 俺と反対側の席に朝日が座る。乗務員が扉を閉じて、ゴンドラが静かに回り出す。乗り込んだ反動で揺れるゴンドラは、少しずつ振り幅を狭めていく。
 ―内部にある半透明の小窓はスライドさせれば開閉できるようになっていて、俺は夜風を求めて小窓を開けた。
「おおっ、涼しい」
 てっぺんで標高百メートル程らしい。なら、今は五十メートルぐらいだと思うが、そこにはすでに高所特有の清い風が流れていた。
「ガラス越しだと風情がない」
 そう言って朝日も窓を開けた。生の景色が見たいお客様のために開閉するのだろうから、この場合、朝日が正しい。
「良い景色……」
 眼下に広がる夜景は、暗がりの中でイルミネーションされた園内、プラス満月。
 さりげなく横目で、
「そうだな……、良い景色だ」
 夜風が鼻先から頭の後ろへと吹いて、程よく髪が流れる、そんなシャッターチャンスを迎える横顔に向かって、俺は同意した。
「ねぇ、優理」
「ん」
「夏休み、楽しかった?」
 彼女は前を向き直し、微かに真剣な声で尋ねた。
「色々あったけど、楽しかったよ」
「そう、よかった」
 朝日は安心したように胸をなで下ろした。和やかな彼女の表情を見る内、走馬燈のように夏の思い出が次々と目に浮かんだ。それら記憶の泡はまばたきで弾け、脳裏からまた浮き上がる。  
 当然ながら二人旅の記憶は、全て俺の視点を通した映像だったから、俺の姿は無かった。その事を思ったのがきっかけで、ある事に気付いた。
「あれ、そういえば」
 ―一つ不思議なことがあった。それは、自他共に認める貧弱な俺の体が、意外にも夏の超過密スケジュールをすんなりとこなしてしまったことだ。確かに旅先で疲れを感じることは多々あったが、それでもどこか余裕があった。ほんの少し、体が軽かった。倒れて寝込むのがオチだと思っていたのに、どうしてだろう。
「―知りたい?」
 どうやら朝日は知っているらしい。
「ご教授願おうじゃないか」
「優理は勘違いをしていたんだ」
 勘違い? 何のことだろう。
「優理は精神的な疲れが体調不良の原因だと思っていた、足りないのはメンタルの強さだって」
「違うのか」
 彼女は黙って顎を引いた。
「優理だけじゃなくて、世の中の精神病を自称する人のほとんどがそういう錯覚を起こしている。体の、人生の不調を心の不足だと思い込んで、悩んだ末に精神科に行ったりなんかして」
「そんなことしても、診察料と薬代だけ取られて、結局何も解決しない」
 彼女は俺と、その背後にいる見えない人々―精神疾患を自称する者達―に向けて、説き伏せるように淡々と話し続ける。
「精神科の医師はもれなく全員答えを知っている。でも、それを言っては商売あがったりだから、絶対に言わない。 優しい言葉と笑顔で患者を安心させて、必要の無い薬を処方するのよ、たとえその薬が、患者の救いにならないと知っていても」
 耳が痛くなる話を聞かされていた。何も言えない。
「酷い話でしょ。誰も真実を教えてくれないから、優理みたいな人達は一生悩み続けるの、だから私が教えてあげる―」
「―今、ここで」
 斜方から月光で照らされた黒ドレスの女は、両手を膝元で上品に重ね、背筋を伸ばし、足を斜めに揃えて、しゃんと座っている。一見して、良いとこのお嬢さんといった出で立ちだが、表情からそうでないと分かる。甘やかされたボンボンにこの表情は作れない。
「不足していたのは心の強さでも、精神安定剤でもない」
 朝日は腕を前に伸ばし、某ドラマの名女優の如く、俺の顔を力強く指差した。
「君達に本当に足りなかったものは―」
 とっさに息を飲んだ。そして、
「―お金だ」

 少しの沈黙の後、彼女は腕を下ろした。彼女の表情は変わらない。微笑。モナリザのような、見る者全てを試す怪しい微笑み。
 先に口を割ったのは彼女だった。
「お金持ちの鬱病患者、見たことある?」
「……身内には一人もいないな」
 俺は私立の大学に通っているから、高級車で登校してくる輩もよく見かける。そいつらは大抵内部進学の奴らで、毎日飽きもせずファッションに凝った服装でのさばっている。そこには知り合いも数人かいるが、基本女連れのパリピばかりだ。あいつらは常に緩みきった笑顔でいるから、絶対に鬱病じゃないだろう。
「でしょ、そういうことだよ」
 言い返す気力が無い、というより、拝聴したい気分で、俺は相づちを打った。
「本当に気を病んでしまっている人はともかく、精神病予備軍みたいな人はまだ助かる」
「彼らには、とにかくたくさんお金を与えれば良い、どうせ泣いて喜ぶから」
(とにかく金を与えるって、そんな滅茶苦茶な……)
 かつてこんな乱暴な心のケアがあっただろうか。ある意味で、目から鱗だ。
「産まれてからずっと資本主義社会の中で育ってるんだから、日本人の心のバックボーンはお金だよ。だから金銭的な不安は人の心を簡単にへし折るし、逆を言えば、莫大な資産は人の心を強烈に支える」
 こんなに饒舌な同居人は初めて見た。吐き出す言葉にはいちいち冷気がこもっていて、まるで別人のようだった。
「つまり、不安な心を黙らせるだけのお金があれば良いの、例えば……、十億円とか」
 一瞬、心臓を掴まれた気分になった。嫌々言いながらも夏を満喫する間、かつてなく平穏だった心が図星を突かれたように反応していた。
「懐が暖まって、それで安心して、体の調子も良くなった。優理が夏を健康に過ごせたのは、そういうわけ」
 言い終えてから、朝日は途端に一言も話さなくなった。彼女はいまだ名画のように薄ら笑いを浮かべ、俺を見ている。この沈黙は雄弁だった。
 俺は肩を落とした。彼女は俺に気を遣いながらも、言いたいことを暗に伝えている。ヒントは二つ、沈黙と微笑。悪く言えば、黙ったまま俺を見てにやついている。とすれば、最後のセリフはきっと皮肉だ。言葉を包むオブラートを剥がしてしまえばこんな感じだろうか。
『金が手に入ったぐらいで気分良くなってんなら、お前の心の悩みは金で解決する程度のものだったって事だ。それは精神病じゃなくて、金欠って言うんだぜ、ベイビー』
 俺風に言うと、こうなる。口を開かない女の静止画にアテレコしているみたいで、なんだかむなしい。
 にわかに悔しさがこみ上げて、俺は唇を噛んだ。数年間俺を悩ませ続けた心労は、苦しんだ歳月の分だけ、俺の中で高尚なものになっていた。簡単には解決できない、複雑で、デリケートな問題だと信じていた。それなのに、この女がそれをぶち壊した。通常では実現されない机上の空論を実践して、俺の抱いた幻想を破壊した。俺にとってアイデンティティとなりつつあった苦悩を、安く見たのだ。そして、その値踏みが正しかったことに俺は言いようのない悔しさを覚えていた。
 ―このまま足元見られて、程度の低い男だと侮られるのは、さてどうだろう。このままじゃいけないよな?
 俺は固まった彼女の表情を崩す最低な魔法を唱えた。
「朝日」
「何?」
「鼻毛出てる」
「えっ、うそ!」
「やだっ、私ったら……!」
 あわてふためき、急いで鼻を手で押さえる彼女は見ていて愉快だった。
「冗談だよ」
 ネタばらしをすると、彼女は頬を赤らめて、鉄の床をヒールで叩き鳴らし、怒っていた。真っ赤な顔で地団駄踏んで、文句をわめき散らす朝日は、いつもの俺の知っている朝日だった。
 当面、これでいい。もし朝日が俺の知らない何者かになってしまいそうなら、その都度お茶を濁して、俺の知ってる朝日に戻してやる。今の俺に出来ることなんて、それくらいしかない。いつか見落とした秘密のかけらを拾い集めるのは、もう少し先でいいんだ、焦ることは無い。
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