Sunrise Devil in the rain

masa

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別れ3

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 ―観覧車は一周で降りた。一周で十分だ。
「せっかくいい雰囲気だったのに、台無しね」
(どの辺りがいい雰囲気だったのやら……)
 ようやく遊園地巡りは終了。園内を縦横無尽に練り歩き、アトラクションに振り回されたおかげで元気が無い。だらだら歩いて出入り口に向かう。
「今何時だ?」
「えっと、今は九時……、二十三分」
「もうそんな時間か」
 沖縄で買った女物の腕時計を、手首を返して見つめる朝日。今や外見だけなら、気品溢れるブルジョワレディに見える。拾ったからには責任がどうたらと思っていたのが恥ずかしくなる程、彼女は独りでに自らの敷居を上げた。根無し草から貴族へ、よくぞここまで……
 妙な感慨にふけっていると、彼女は視線に気付いて、目が合った。
「ちょっと寄り道しよう」
「寄り道? どこに」
「展望台、岬にあるから、そこに行きたい」
 彼女は俺の手を取った。水気があまり無い、さらついた手は、微熱を帯びていた。
「終電は十一時だから、まだ大丈夫」
「さ、行こう」
 顔を間近に寄せ、押しが強かった。例によって手を引かれ、俺達は遊園地を後にした。

 ―駅の向こう側、徒歩二十分弱。錆びついた柵で仕切られた展望台は、海辺の灯台にほど近く、まだ開発の進んでいない海側に取り残されたこの街の名残のようなものだ。
 この時間帯にここに来る輩は俺達だけだったようで、辺りに人影は見当たらない。
「この展望台はね、昔、有名な観光スポットだったんだよ」
 俺は軽く吹き出して、自嘲した。
「どんだけ観光してんだよ、俺達」
 俺は笑っていたが、朝日は前向きな考えを真面目に述べる。
「うん、たくさん観光して、いっぱい思い出が出来た」
 充実した表情で青暗くたゆたう海を眺める彼女は、夜景を楽しむのではなく、思い出に陶酔している感があった。
「それにしても、この展望台、うらびれてんなぁ……」
 星空を見るための望遠鏡は白いペンキの上から赤さびに犯され、レンズは割られていた。岸壁に備え付けられた落下防止用の柵は所々変形し、下手に触ると手を切りそうな具合に荒く錆びていた。足場を覆う白タイルはひび割れていたり欠けていたりして、下の黒土が顔を出している。そんな有り様に、年季を感じる。
 俺はこういうの、味があって嫌いじゃないけど、景観から言って、そんな高級感のある裾の長いドレスなんて着てくる所じゃないぞ?
 朝日は眉をひそめて、しかめっ面で言った。
「本当なら、一流レストランの素敵なディナーと、百万ドルの夜景を用意していたんだけど?」
 逆八の字の眉は怒りを感じさせ、俺はたじろいだ。
「わ、悪かったって、もうその件は勘弁してくれ」
 口角を引きつらせて機嫌を伺う俺を見て、彼女は一息つき、表情を和らげた。
「いいよ、別に。もう怒ってない」
 そう言って、並び立つ俺の前に大きく一歩出た。
「どうしてこんな所に来たんだって思ってるでしょ」
「……まぁ、そうだな」
 陸風が吹いて、風が収まってから、朝日は答えた。
「ここに来るのは、最終手段というか、奥の手というか……」
「……?」
「勝負するタイミングを逃し続けて、結局ここに追い詰められたというか……」
「勝負って、誰と戦ってんだ?」
 柄に合わず後ろで手をこまねく同居人に問うと、彼女は意を決したように勢い良く振り向いて、高らかに大声を上げた。
「わ、私は臆病者なんかじゃない! ただっ、ただ外堀を埋めていただけだ!」
「はぁ?」
「確実にyesを貰うために、色んな所に連れ出して、二人だけの思い出を作った、だから、絶対大丈夫……!」
 妙に興奮気味に話す居候は、猪突猛進の気配を振りまいて、誰にも止められそうにない。左右垂直に下ろした腕の先で強く拳を握って、火照った顔で前を見据え、息を巻いている。
 朝日は同居人というあやふやな関係から卒業するための最後の言葉を言った。
「優理」
「……なんだよ」
「好きです、付き合って下さいっ」

 ―知らぬ間に風は止んでいて、木の葉がかさつく音すらしない。朝日の最後の言葉を遮るものは何一つ無く、明瞭な音が鼓膜を正しく揺さぶった。
 次に俺が答えるまでの間、彼女の濡れた瞳は俺の目を捉えて離さなかった。思考が止まっているのに、何かを言いそうになって、俺はすんでの所で言葉を飲み込む。考える前に言いかけてしまう言葉は常に本音だと本能的に知っていたのだ。結論は変わらないだろうけれど、せめて小考したい、そんな悪あがきだった。視線をそらせないから、体の奥が熱くてたまらない。

近場を走る私鉄列車が俺の返事をかき消してくれることを祈りながら、言った。
「y……yes」
 緊張し、険しかった彼女の表情が次第に緩んでいく様は、パラパラ漫画のように断片的に流れていった。あと二三枚で、華やぐ笑顔が見られるはずだった、だが―
 
 彼氏と彼女という淡い関係性が成立し得たまさにその瞬間、朝日、とおぼしき眼前の女の背から突如として、生々しく黒光りする動的な物体が高速で飛び出した。いきなり現れた「それ」は、骨張った部分を黒い皮膜が繋いで、一枚の布のように広がりを見せることで本来の構造を俺の目に焼き付けた。
 ―一言で言うなら、それは翼だった。
「うあぁっ!」
 まさに驚天動地。後ろにのけぞるも、腰を抜かしてその場に尻もちをついた。
 俺の挙動と表情で事態を把握したのか、女は急いで左右を振り返った。
「そんなっ、どうしてまたっ!」
 一瞬女と目が合う。女の瞳の奥深くで、琥珀色の輝きが脈動している。
 おぞましい怪物を見るような、怯えきった男の顔を見て、女は悲痛な表情で叫ぶ。
「優理見ないで! お願い、見ないで!」
 慌てて取り繕うが、大きく広げた黒い翼は手では隠しきれない。女の意思に従って、徐々に折り畳もうと動き出す翼は明らかに神経と血が通っているように見えた。それ程に生物的で、機械の類いではない、柔軟で微細な動きだった。
 自身も気が動転しているのか、青ざめた顔で頭を抱え、瞳には涙を浮かべている。
「あぁっ、ごめんなさい! ごめんなさいっ!」
 女は数え切れないほど謝った。謝るわけを、一度も話さないままで。
 なりふり構わず叫ぶ中で、一粒の涙が溢れ、それを合図に女は謝るのを止めた。言いたいことが言えないで、苦しそうに見えた。そして―
「―さよならっ……」 
 女は別れを告げて、黒翼を再び全開させた。訳が分からないまま呆然としている俺をよそに、翼がゆっくりと羽ばたき始め、周囲に風が巻き起こる。
「うっ……!」
 巻き上げられた地面の砂が体全体に吹き付ける。女の足は難なく地面との接触を失い、四度目の羽ばたきで大きく空へと飛翔、来た道を戻るように、雑木林の向こうへと消えていった。
 

 荒ぶった風は落ち着いて、一人きりの岬には静寂が戻った。
(何だ……、どうした……、全く分からない……)
 全てを見失ってから少し経って、俺の頭は懸命に状況を整理しようと奮闘していた。
(遊園地に行って、普通に楽しんで、最後に観覧車の中で変な話を聞かされたんだよな、そこまでは分かる、その後だ。展望台に行きたいってあいつが言って、それで……)
 何度思い返しても、最後に起きた出来事を理解できるように説明できなかった。もとより語彙の少ない俺は、仕方なしに、意味不明な出来事を、そのまま声に出してみた。
「翼が生えて、飛んでいった……」
 ―抜けた腰に力が入るまでずいぶん時間がかかった。終電が近い。こんな殺風景な所で野宿なんて出来ないから、覚束ない足取りで駅まで戻って、ちょうど到着した終電の一つ前の列車に乗り込んだ。乗った車両には誰もいなかった。
 カーブで左に傾く列車は闇の中をゆっくり進んでいく。横揺れする車内でうなだれる俺の脳内は、一時間ほど前に起こった怪現象の光景がひたすらフラッシュバックしていた。
(背中から翼が生えるって、やっぱり普通じゃないよな……、当たり前か)
 どう考えても、これは普通じゃない。都市伝説のような、おとぎ話のような、神話のような、そんな馬鹿げた出来事の目撃者になったのだから、途方もなく異常だ。当然自分の記憶を疑った。記憶の中の映像は鮮明で、確かな臨場感がある。しかしそこにはリアリティが無い。
 夢を見ていた気がして、目を閉じると、声が聞こえてくる。見ないで、ごめんなさい、さよなら……。それぞれの場面が瞳の奥に投影され、女の表情が映っている。どれもこれも泣きそうな顔だ。俺はyesって言ったんだ、何だって、そんな顔するんだ。
「はぁ……」
 大きく吐息が漏れて、両手で顔を覆った。後悔が一つだけあった。あの時、俺は怯えていた。怖くて動けなかった。目が合った時の反応を思えば、俺の怖がっている姿があいつを傷つけたのかも知れなかった。これは推測にしか過ぎないけれど、もし俺が怖がらずにいてやれたら、あんな悲しい顔させずに済んだんじゃないか? もしそうなら……
 これは彼女の秘密に触れようとせず、何もかも後回しにした罰だった。意識の中で後悔と激しい喪失感が渦巻き、止めどなく自己嫌悪に陥った。
 ―終着のアナウンスが耳に入らなかったらしい。駅員に声をかけられ、ようやく気付いた。
アパートまでの帰り道、夢か現か分からぬまま木偶人形のように生気無く歩いた。そうして、いざ部屋の扉の前に立って、鍵をひねった時、異変を感じた。普段より鍵穴の手応えがない。不審に思ってドアノブに手をつけた。
「―!」
 何気なく回したドアノブは、実に軽々しく、回るはずのない所まで回っていた。芯が抜けたようにどこまでもクルクルと回る。わずかに力を入れただけで扉が少し開き、施錠のためのデッドボルトが無残にちぎれているのを見て戦慄した。誰かが鍵のかかったドアノブをねじ切って、デッドボルトを破壊して扉を開けたらしかった。そんな扉の開け方は人力では不可能だ。それをやってしまいそうな、人ならざる者に、心当たりがあった。
「―朝日っ!」
 諸々の事情の説明を求めてドアを開け放ち、薄暗い部屋をくまなく探し回った。しかし、彼女の姿は無かった。部屋は少々荒らされていて、旅行用のバッグが一つ持ち去られていた。
 馬鹿になったドアノブは歯止めが効かず、元通りに締まりきらなかった。隙間から生温い風が嫌味ったらしく入ってくる。
 俺はソファに座り、頭を冷やした。新手の空き巣かと考えたが、目に入ったホワイトボードが否定した。
『本当にごめんなさい』
 大きめのフォントで書かれていたはずの夏の目標はかき消され、真意の見えない謝罪文に書き換えられていた。立ち上がって、手に取り、それが朝日の筆跡であると確信した俺は、小さく頭を掻いて、愚痴を言った。
「……さっきも聞いたよ」







 




 
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