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望月教授1
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―寒いな。
室内は暖房が効き始めて間もないようで、座ってからもしばらく首に巻いたマフラーを外さない生徒が見受けられる。俺は座席の最後尾に鎮座すると、チャペルが始まるまで教室全体を俯瞰し、他人の着る厚着を見て、冬の訪れを感じていた。
《コツ、コツ、コツ―》
栗毛色の長髪に丸眼鏡、宗教師事のお出ましだ。良く磨かれた革靴と、麻縄を通して胸元に下げた大きな十字架がトレードマークのこの男性は、我が校の宗教学講師、望月蓮教授である。氏にはなんら面識も無く、前任だったジジイと入れ替わりで赴任してきた若手の教授、というのが俺の持つ唯一の印象だった。
氏は教壇の上に書類の束を置いて、いつものように言った。
「では、チャペルを始めようか」
柔和で穏やかな表情を見せ、生徒らに起立を要求した。このチャペルは賛美歌に始まり、賛美歌に終わる礼式なのだ。ご想像の通り、賛美歌の間、ほとんどの生徒は口パクで、高らかに美声を上げるのは教授ただ一人という、なんとも心苦しい時間が流れるのだが、それでもめげずに歌い切る氏は尊敬に値すると言ってもいいだろう。俺もめげずに口パクで通した。
聖書抜粋の有り難いお言葉を適当に聞き流していると、出し抜けに携帯がバイブレーションした。件の彼女だ。
Izumi「明日、会えないかな」
既読をつけた直後、
Izumi「よかったら、いつものカフェでお茶しない?」
野郎と遊ぶよりよっぽど有意義に思えた。
藤代優理「いいよ」
現在、午後六時半。五限の後に、延期されていたはずのチャペルが急遽行われて今に至る。左手の窓はすでに暗くなっている。
最近、週に数回、桂木と会うようになっている。会うといっても、彼女の付き添い、またはボディーガードのような感じで、デートっぽさは無い。都合の良い男友達の一人といったところだろうか。俺は誘われて、断るということをしなかった。バイトはもうやってないし、断る理由が無かったのだ。それに、空っぽの日常を埋めるにはちょうど良かった。
教壇の方から、うたた寝する俺の寝耳に水を入れる発言が聞こえた。
「えー、では、これにてチャペルは終了となりますが、その前に課題を一つ」
教授は教壇の後ろのにある黒板に課題の内容を書き出した。要約すれば、聖書関連のレポートをA4で十枚ほど書いてこい、ということらしい。正直、いつでも出来そうな内容だが、分量を考えると、後に残せば苦しくなりそうな予感がして、俺は今日中に仕上げてしまおうと考えた。必要な資料を集めるために、図書館に向かう。
―湿度と温度が常時適切に調節された館内には、可動式の本棚の音が鳴り響いていた。金曜のこの時間に図書館を利用する学生は少なく、利用者の多いコンピュータ室ですら過疎的だった。
「えーと、ここか?」
本棚を移動させるためには操作用パネルをタッチしなくてはならない。慣れない手つきで恐る恐るパネルを触っていると、本棚が機械音をたてて動き出した。同時に、本棚の上に取り付けられたライトが点灯し、両側から大型書架に塞がれていた通路を照らした。
書架の側面部には、「神話・宗教」と書かれている。棚に陳列された書物の多くは英語表記で使い物にならない。日本語表記であっても専門性が高く、レポート作成に適当なものが見つからない。諦められずに棚に並ぶ本の背表紙を見ていくと、視線の先で、とあるタイトルが目に入った。
『Consider The Devil』
副題として、日本語で「悪魔を考察する」と記されたこの書物は、原本の著者が外国人で、翻訳家が日本語に訳したものだった。俺は無性に気になって、知らず知らずのうちに、手に取っていた。
裏向きに取った本をひっくり返し、そして表紙が目に入った途端―
「―わっ!」
取り乱し、ぶれた手から滑るように本が落ちた。うなだれたまま直立し、黒翼を生やした裸の男が半身だけ描かれた表紙絵は、俺の心的外傷を呼び起こすだけの生々しさを備えていた。背後の書架にもたれかかって、乱れた呼吸を整えようとしていると、
「そこで何をしているのかね」
不意を突かれ、声にならない悲鳴を上げた。振り向くと、そこには望月教授の姿があった。教授はゆっくりと近づき、足元に落ちた本を拾うと、その本をまじまじと見つめ、それから俺を見てこう言った。
「―やはり彼女に会ったんだな」
いつもの穏やかな雰囲気は感じられず、丸眼鏡の奥から切れ長の目が鋭く見つめる。
「えっ、は、え?」
教授は本を棚に戻した。
「藤代君、少し話がしたい。付いてきてくれ」
そう言って教授は歩き出した。驚いて立ちすくんでいると、彼は後方に向け、肩の上で小さく指を動かし合図した。
(……さっさと来いってか)
彼女、と彼は言った。なぜ俺が気にかけている者が女だと知っているんだ。彼は一体何を知っている? 話って何? どこへ行くんだ……?
手がかりを求めて、俺は教授の後を追った。
―教授に連れられて、俺は文系学部の見慣れない建物へ入った。久々の人通りにセンサーが反応して、照明が白光を通路に撒いた。階段で三階に上って、それから渡り廊下を通って、別館へ。木目の付いた扉がいくつも並ぶ廊下を真っ直ぐ歩いて、その一番奥にある扉の前で彼は立ち止まった。
「ここだ」
たどり着いたのは、望月氏本人の教授室だった。かなり手狭なこの部屋は、入るなり煙草の匂いが鼻を刺激し、ひどくとっちらかっていた。ラテン語で書かれた古文書や、奇妙な紋様の描かれた専門書が散乱していて、足の踏み場に困るほどだ。
「照明が故障していてね、少し暗いかもしれない」
教授は慣れたように床に落ちた用紙を足払いして、部屋の奥からパイプ椅子を取ってきた。
「汚い部屋ですまない、とりあえずここにかけてくれ」
畳んであった椅子を広げ、座るようにジェスチャーした。
「……はい」
教授が珈琲を淹れている間、俺は机にうずたかく積まれた紙の塔から一枚手にとって、一文字も読めないラテン語の羅列に目を通した。
(……ダメだ、ほとんど分からん)
唯一理解できそうなことは、用紙の中央に据えられたシンボルマークのような絵で、それがいかにも宗教要素の詰まっていそうなデザインだということだ。
何となくその紋様にデジャブを感じながら見入っていると、教授がコーヒーカップを持って来た。
「安物でな、味は保証できない」
重低音で、顔に似合わず渋い声。物腰の柔らかそうな氏は、女生徒の間で密かに人気を博していたりする。木製のシックな椅子に深く座り、カップをすすって一息つく氏の姿は、その端正なルックスと相まって、よく様になっている。非常に紳士的でありながら、珈琲を一口飲んですぐに煙草をくわえ、ライターで火をつける。なぜか大人のスメルがした。
―教授は本題を切り出す。
「藤代君、私はまず、君に謝らねばならない」
「謝る?」
「君に異変が起こることを私は予感していた。その上で君を放置した」
話が見えずにいぶかしむ俺を横目に、教授は続けた。
「つまり、君を餌にしたんだ」
「餌、ですか」
「そう、餌だ、―悪魔をおびき寄せるための、餌」
悪魔。その言葉を耳にした時、世間と自分の間にある一つの共通認識を確信した。背に黒い翼を持つ異形を、一般に悪魔と形容する認識。
「教授、何か知ってるんですか」
ようやく腹を割って話す気になったか、と言いたそうに、教授は深くほくそ笑んだ。
「先に私の身の上話でもしようかな」
立ち上がった教授は、部屋の隅のロッカーに歩み寄って、中から黒い筒を取り出した。筒にはめてあった鍵を解錠して、ふたを開ける。
「これはイタリアの教会に貯蔵されていた物だが……まぁ、仕事道具のようなものだ」
黒い筒から出てきたのは、映画やドラマでしか見かけないレイピアだった。不思議な幾何学模様が鍔に装飾されている。照明が点かず、窓から漏れる月光が暗い部屋を怪しく照らしている。月明かりの中で刀身が重い光りを放つ。
「実を言うと、私の本職はプロフェッサーではないんだ。懇意にしている理事長に無理を言って、前任だった老父を追い出して、空いたポストに私が就いた。職業柄、宗教学には知識があるから、いきなり教壇に立って話しても、誰にも怪しまれなかったがね」
教授は不敵な笑みを携えて、ゆっくりと近づく。
「私の本当の職務は、世にのさばる全ての悪を殲滅すること、俗に言う、エクソシストだ」
剣を片手に歩み寄る教授を見て、思わず身構える。
「本物の悪魔を見た今の君なら、大抵のことは信じられるはずだ」
そう言って、教授は椅子に腰掛ける。剣が届く距離だ。
「私には幼い頃から不思議なものが見えた。特定の人物の体に、黒い胞子のような粒がまとわりついていて、後になってそれが良くない物だと気付いた。邪悪がにじみ出ていたんだ。実際、彼は心を悪魔に乗っ取られていて、温厚だった姿は見る影もなく、狂ったように殺人を犯した。最後は獄中で発狂して死んだよ。彼は私の父だった」
剣の切っ先を愛でるように見つめる教授は不気味な落ち着きを見せた。うっとりした表情に背筋が凍える。とても正気には見えない。
「悪いものばかりじゃない、ホーリーなものだって見えた。神に愛された、幸福な気配だ。白いヴェールに包まれた人々の笑顔は一生忘れられない。日本ではこういうのを、霊視能力と呼ぶらしい。少し違ったニュアンスかもしれないが、近しい能力だとは思う」
一息置いて、彼は話を戻した。
「元々、私はある高名な悪魔を始末する依頼を受けてこの街に来たんだ。早くこの剣でたたき切ってやりたかったんだが、上手く敵の消息がつかめなくてね。しばらくの間、仮初めの毎日を過ごしつつ、奴に繋がるヒントを探していた。君を見つけたのは、そんな頃合いだった」
「神のご加護を持たない世にも奇妙な学生、つまり君を教室で見かけた時、ピンときたんだ。君こそ、彼女の巣として予定されている人間ではないかとね」
―神のご加護が無い、守護霊がいない、巣、スペース、予定、予約……。過去に知人から聞かされたオカルト話と、教授の話には、奇妙な相似があった。夏の終わりにテレビで放送されていそうな眉唾モノの心霊番組に、インタビュアーとして出演している気分だった。ただし、これはお蔵入りになる。
教授が嘘を言っていないのは分かるが、確かめてみたくなった。俺は剣を指差して言った。
「……あの、それ本物だったりします?」
話の筋からそれた質問に、教授は少し驚いた様子だったが、すぐに白い歯を見せて、机の上の用紙を一枚取った。
教授は紙の端に剣をあてがい、力を抜いて、ゆるやかに刃を入れていく。紙が真っ二つに裂かれるまでの数秒、音が聞こえなかった。儀礼用の切れ味ではなかった。
「これでいいかな」
俺は黙ってうなずき、開示できる情報を提供した。朝日についてだ。
室内は暖房が効き始めて間もないようで、座ってからもしばらく首に巻いたマフラーを外さない生徒が見受けられる。俺は座席の最後尾に鎮座すると、チャペルが始まるまで教室全体を俯瞰し、他人の着る厚着を見て、冬の訪れを感じていた。
《コツ、コツ、コツ―》
栗毛色の長髪に丸眼鏡、宗教師事のお出ましだ。良く磨かれた革靴と、麻縄を通して胸元に下げた大きな十字架がトレードマークのこの男性は、我が校の宗教学講師、望月蓮教授である。氏にはなんら面識も無く、前任だったジジイと入れ替わりで赴任してきた若手の教授、というのが俺の持つ唯一の印象だった。
氏は教壇の上に書類の束を置いて、いつものように言った。
「では、チャペルを始めようか」
柔和で穏やかな表情を見せ、生徒らに起立を要求した。このチャペルは賛美歌に始まり、賛美歌に終わる礼式なのだ。ご想像の通り、賛美歌の間、ほとんどの生徒は口パクで、高らかに美声を上げるのは教授ただ一人という、なんとも心苦しい時間が流れるのだが、それでもめげずに歌い切る氏は尊敬に値すると言ってもいいだろう。俺もめげずに口パクで通した。
聖書抜粋の有り難いお言葉を適当に聞き流していると、出し抜けに携帯がバイブレーションした。件の彼女だ。
Izumi「明日、会えないかな」
既読をつけた直後、
Izumi「よかったら、いつものカフェでお茶しない?」
野郎と遊ぶよりよっぽど有意義に思えた。
藤代優理「いいよ」
現在、午後六時半。五限の後に、延期されていたはずのチャペルが急遽行われて今に至る。左手の窓はすでに暗くなっている。
最近、週に数回、桂木と会うようになっている。会うといっても、彼女の付き添い、またはボディーガードのような感じで、デートっぽさは無い。都合の良い男友達の一人といったところだろうか。俺は誘われて、断るということをしなかった。バイトはもうやってないし、断る理由が無かったのだ。それに、空っぽの日常を埋めるにはちょうど良かった。
教壇の方から、うたた寝する俺の寝耳に水を入れる発言が聞こえた。
「えー、では、これにてチャペルは終了となりますが、その前に課題を一つ」
教授は教壇の後ろのにある黒板に課題の内容を書き出した。要約すれば、聖書関連のレポートをA4で十枚ほど書いてこい、ということらしい。正直、いつでも出来そうな内容だが、分量を考えると、後に残せば苦しくなりそうな予感がして、俺は今日中に仕上げてしまおうと考えた。必要な資料を集めるために、図書館に向かう。
―湿度と温度が常時適切に調節された館内には、可動式の本棚の音が鳴り響いていた。金曜のこの時間に図書館を利用する学生は少なく、利用者の多いコンピュータ室ですら過疎的だった。
「えーと、ここか?」
本棚を移動させるためには操作用パネルをタッチしなくてはならない。慣れない手つきで恐る恐るパネルを触っていると、本棚が機械音をたてて動き出した。同時に、本棚の上に取り付けられたライトが点灯し、両側から大型書架に塞がれていた通路を照らした。
書架の側面部には、「神話・宗教」と書かれている。棚に陳列された書物の多くは英語表記で使い物にならない。日本語表記であっても専門性が高く、レポート作成に適当なものが見つからない。諦められずに棚に並ぶ本の背表紙を見ていくと、視線の先で、とあるタイトルが目に入った。
『Consider The Devil』
副題として、日本語で「悪魔を考察する」と記されたこの書物は、原本の著者が外国人で、翻訳家が日本語に訳したものだった。俺は無性に気になって、知らず知らずのうちに、手に取っていた。
裏向きに取った本をひっくり返し、そして表紙が目に入った途端―
「―わっ!」
取り乱し、ぶれた手から滑るように本が落ちた。うなだれたまま直立し、黒翼を生やした裸の男が半身だけ描かれた表紙絵は、俺の心的外傷を呼び起こすだけの生々しさを備えていた。背後の書架にもたれかかって、乱れた呼吸を整えようとしていると、
「そこで何をしているのかね」
不意を突かれ、声にならない悲鳴を上げた。振り向くと、そこには望月教授の姿があった。教授はゆっくりと近づき、足元に落ちた本を拾うと、その本をまじまじと見つめ、それから俺を見てこう言った。
「―やはり彼女に会ったんだな」
いつもの穏やかな雰囲気は感じられず、丸眼鏡の奥から切れ長の目が鋭く見つめる。
「えっ、は、え?」
教授は本を棚に戻した。
「藤代君、少し話がしたい。付いてきてくれ」
そう言って教授は歩き出した。驚いて立ちすくんでいると、彼は後方に向け、肩の上で小さく指を動かし合図した。
(……さっさと来いってか)
彼女、と彼は言った。なぜ俺が気にかけている者が女だと知っているんだ。彼は一体何を知っている? 話って何? どこへ行くんだ……?
手がかりを求めて、俺は教授の後を追った。
―教授に連れられて、俺は文系学部の見慣れない建物へ入った。久々の人通りにセンサーが反応して、照明が白光を通路に撒いた。階段で三階に上って、それから渡り廊下を通って、別館へ。木目の付いた扉がいくつも並ぶ廊下を真っ直ぐ歩いて、その一番奥にある扉の前で彼は立ち止まった。
「ここだ」
たどり着いたのは、望月氏本人の教授室だった。かなり手狭なこの部屋は、入るなり煙草の匂いが鼻を刺激し、ひどくとっちらかっていた。ラテン語で書かれた古文書や、奇妙な紋様の描かれた専門書が散乱していて、足の踏み場に困るほどだ。
「照明が故障していてね、少し暗いかもしれない」
教授は慣れたように床に落ちた用紙を足払いして、部屋の奥からパイプ椅子を取ってきた。
「汚い部屋ですまない、とりあえずここにかけてくれ」
畳んであった椅子を広げ、座るようにジェスチャーした。
「……はい」
教授が珈琲を淹れている間、俺は机にうずたかく積まれた紙の塔から一枚手にとって、一文字も読めないラテン語の羅列に目を通した。
(……ダメだ、ほとんど分からん)
唯一理解できそうなことは、用紙の中央に据えられたシンボルマークのような絵で、それがいかにも宗教要素の詰まっていそうなデザインだということだ。
何となくその紋様にデジャブを感じながら見入っていると、教授がコーヒーカップを持って来た。
「安物でな、味は保証できない」
重低音で、顔に似合わず渋い声。物腰の柔らかそうな氏は、女生徒の間で密かに人気を博していたりする。木製のシックな椅子に深く座り、カップをすすって一息つく氏の姿は、その端正なルックスと相まって、よく様になっている。非常に紳士的でありながら、珈琲を一口飲んですぐに煙草をくわえ、ライターで火をつける。なぜか大人のスメルがした。
―教授は本題を切り出す。
「藤代君、私はまず、君に謝らねばならない」
「謝る?」
「君に異変が起こることを私は予感していた。その上で君を放置した」
話が見えずにいぶかしむ俺を横目に、教授は続けた。
「つまり、君を餌にしたんだ」
「餌、ですか」
「そう、餌だ、―悪魔をおびき寄せるための、餌」
悪魔。その言葉を耳にした時、世間と自分の間にある一つの共通認識を確信した。背に黒い翼を持つ異形を、一般に悪魔と形容する認識。
「教授、何か知ってるんですか」
ようやく腹を割って話す気になったか、と言いたそうに、教授は深くほくそ笑んだ。
「先に私の身の上話でもしようかな」
立ち上がった教授は、部屋の隅のロッカーに歩み寄って、中から黒い筒を取り出した。筒にはめてあった鍵を解錠して、ふたを開ける。
「これはイタリアの教会に貯蔵されていた物だが……まぁ、仕事道具のようなものだ」
黒い筒から出てきたのは、映画やドラマでしか見かけないレイピアだった。不思議な幾何学模様が鍔に装飾されている。照明が点かず、窓から漏れる月光が暗い部屋を怪しく照らしている。月明かりの中で刀身が重い光りを放つ。
「実を言うと、私の本職はプロフェッサーではないんだ。懇意にしている理事長に無理を言って、前任だった老父を追い出して、空いたポストに私が就いた。職業柄、宗教学には知識があるから、いきなり教壇に立って話しても、誰にも怪しまれなかったがね」
教授は不敵な笑みを携えて、ゆっくりと近づく。
「私の本当の職務は、世にのさばる全ての悪を殲滅すること、俗に言う、エクソシストだ」
剣を片手に歩み寄る教授を見て、思わず身構える。
「本物の悪魔を見た今の君なら、大抵のことは信じられるはずだ」
そう言って、教授は椅子に腰掛ける。剣が届く距離だ。
「私には幼い頃から不思議なものが見えた。特定の人物の体に、黒い胞子のような粒がまとわりついていて、後になってそれが良くない物だと気付いた。邪悪がにじみ出ていたんだ。実際、彼は心を悪魔に乗っ取られていて、温厚だった姿は見る影もなく、狂ったように殺人を犯した。最後は獄中で発狂して死んだよ。彼は私の父だった」
剣の切っ先を愛でるように見つめる教授は不気味な落ち着きを見せた。うっとりした表情に背筋が凍える。とても正気には見えない。
「悪いものばかりじゃない、ホーリーなものだって見えた。神に愛された、幸福な気配だ。白いヴェールに包まれた人々の笑顔は一生忘れられない。日本ではこういうのを、霊視能力と呼ぶらしい。少し違ったニュアンスかもしれないが、近しい能力だとは思う」
一息置いて、彼は話を戻した。
「元々、私はある高名な悪魔を始末する依頼を受けてこの街に来たんだ。早くこの剣でたたき切ってやりたかったんだが、上手く敵の消息がつかめなくてね。しばらくの間、仮初めの毎日を過ごしつつ、奴に繋がるヒントを探していた。君を見つけたのは、そんな頃合いだった」
「神のご加護を持たない世にも奇妙な学生、つまり君を教室で見かけた時、ピンときたんだ。君こそ、彼女の巣として予定されている人間ではないかとね」
―神のご加護が無い、守護霊がいない、巣、スペース、予定、予約……。過去に知人から聞かされたオカルト話と、教授の話には、奇妙な相似があった。夏の終わりにテレビで放送されていそうな眉唾モノの心霊番組に、インタビュアーとして出演している気分だった。ただし、これはお蔵入りになる。
教授が嘘を言っていないのは分かるが、確かめてみたくなった。俺は剣を指差して言った。
「……あの、それ本物だったりします?」
話の筋からそれた質問に、教授は少し驚いた様子だったが、すぐに白い歯を見せて、机の上の用紙を一枚取った。
教授は紙の端に剣をあてがい、力を抜いて、ゆるやかに刃を入れていく。紙が真っ二つに裂かれるまでの数秒、音が聞こえなかった。儀礼用の切れ味ではなかった。
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