Sunrise Devil in the rain

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祝福3

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 ―こんな雨の中を飛ぶ烏はいないし、烏にしては大き過ぎるなんてことはすぐに分かったはずだが、それでも、あれは烏だと自分に言って聞かせた。
近づく恐怖に、為す術など無かった。
「……やめろ、来るな……来ないでくれ……」
 立ち上がることはおろか、叫ぶ気力すら残されておらず、小声で烏の襲来を拒むしか出来ない。
 やがて烏は目の前に悠然と降り立ち、翼を幾度かはためかせ、滴る雨粒を振り払った。伏していた琥珀の瞳が、視線を上げて、男の目とかち合い、薄い唇が開いた。
「逃げ足だけは早いんだから」
 ―俺は「彼女」の声色に愕然とした。それは極めて単調で、平常で、揺らぎが無かった。人を殺した直後にしてはひどく冷静で、不気味だった。
 体の芯が急速に冷え込み、全身が硬直していく。それに抗うように、とっさに声を絞り出した。
「お前、何やったか分かってんのか……」
 悪魔は我が子をたしなめる母のような表情で返答する。
「お前じゃない、朝日」
 俺の返答を待たずして、彼女が一歩歩み寄る。反射的に体が臆して、後ろに下がる。それを見て、彼女は立ち止まり、二人の距離は変わらない。震えが止まらない男の姿に何か思うところがあるらしく、彼女の顔が切なさを滲ませる。
 俺の元を飛び去った時と同じ黒のドレス姿は、無意味ではないだろう。そんななりをされると、あの日と今日が地続きに思えてならない。
 地表を叩きつける雨音が響く高架下は、畏怖と悲哀がすれ違い、思いが噛み合わぬまま、緊張だけが高まっていた。
 ―彼女はおもむろに言った。
「私が何をしたかって?」
「大したことないよ」
「ゴミを処分しただけ」
 突発的な怒りが恐怖を上回って、俺は怒声を上げた。
「泉はゴミなんかじゃねぇ! 馬鹿にするな!」
 こう言うと、彼女はドレスのどこからか、携帯を取り出し、俺の方へ放った。携帯は泉の物だった。
「ロックは解除してある。ラインの履歴を上から順に見なさい」
 他人の、それも女性の携帯を盗み見るのは悪趣味だが、命令口調の悪魔に逆らうことは出来なかった。俺は言われた通り、ホーム画面の緑のアイコンをタップする。……アプリが起動し、画面が切り替わる。
 そこには、泉の交友関係の全てがあった。未読のまま残された連絡は、そのほとんどが俺の知らない男からだ。彼女は私生活のことを尋ねても頑なに話そうとしなかったから、俺は知る由もなかったが、男らとのやり取りは実に仲むつまじく、ただの友達というには親密過ぎた。会話の合間に挟まれる写真画像には、色々なタイプの男とツーショットする泉の姿があり、シチュエーションも様々だった。二人の平凡な日常を捉えたものから、過激な夜の一瞬を接写したものまで、何でもあった。
「あの女は二股、三股の常習犯だった。あなたはもう少しであいつのコレクションの一人にされるところだったの」
「飽きたらヒドい捨て方をするって、巷じゃ有名な女狐よ」
 この話をすぐに鵜呑みにしたわけではなかった。だが、相手によってがらりと口調を変えて連絡を取り交わす様をスクロールして眺めていると、少しずつ弁解の仕方が分からなくなった。
「一度は身を引こうかと考えた……、優理に怖い思いをさせたくなかった」
「背中から黒い翼の生えた気味の悪い女より、普通の子と一緒の方が、優理は幸せになれるんじゃないかって、そう思ったの。でも、違った」
「―あなたにふさわしいのは、やはり私だ」
 暗がりの中、下から仰ぎ見る雨弥朝日は不遜に笑っているようだった。雨音はさらに強まり、曇天が微かに鳴り始める。
 俺は力なくうなだれ、視線を眩ませた。額に手を当て、頭を軽く左右に振る。理解が追いつかない不安と、激しい動揺で、自然と涙が溢れる。
「どうして……どうして……」
 肩をひくつかせ、泣き言を言った。朝日は律儀に答えていく。
「別の男といる時にね、あの女言ったの。たまには冴えない男もいいかなって」
「許せなかった……、なんとしても、優理に手を出した罪を償わせないといけなかった」
「だからって、殺すことないだろっ……!」
 嗚咽混じりに反論し、朝日は押し黙った。しかし、この沈黙は長続きしなかった。
「よく私に説教なんてできるね……」
 直後、一際強い雷鳴が響き、逆光が朝日の表情をわずかに照らした。そこには、泉の首を切り落とした時の冷酷な顔があった。
「どうしてわざわざあなたの目の前で殺したか、分かる?」
「……そんなの分かるかよ」
「あなたに見せつけて、それで反省して欲しかった」
「反省って、何を」
「この……浮気者」
 朝日を中心に、周囲が冷気で包まれる。琥珀に変色した瞳が俺の視線を抉る。
「私、怒ってるんだけど?」
 朝日は奇術師のように何もない背後から血の付いた剣を抜き、剣先を俺に向けた。
 剣先は息が触れるほど近い。だが、萎縮してほとんど動けない。唯一動く口で抵抗する。
「う、浮気って、お前、さよならって言ったじゃねぇか!」
「別れるなんて一言も言ってない」
 間を置かずに即答される。
「気持ちの整理をするのに、少しの間距離を置きたかったからそう言っただけ、勝手な解釈しないで」
 いくらでも反論することは出来た、しかし、言い返せば即座に首をはねられただろうし、何より、突きつけられた剣が立場をわきまえろと声高に吠えていた。
 わずかに剣先が近づいた気がした。刀身の中程からつたい流れる血が、鼻先数ミリの所をこぼれ落ちた。
《―ピトっ―ピトっ―》
 血がコンクリートに落ちる小さな音を聞いて、不思議と体の震えが止まった。嫌に冷静な自分が血塗られた剣を見ていた。そこでようやく重大な事実に気が付いた。
「どうしてこの剣をお前が持っているんだ……?」
 朝日の眉が不機嫌そうに角度を変えた。
「またお前って言った……」
「ま、いっか」
 一人でこのようにつぶやき、それから開き直ったように言った。
「向こうから急に襲ってきたんだもん、仕方ないよ」
「……は?」
「あの眼鏡、優理に色々と吹き込んだみたいね、自業自得よ」
「……教授は? 望月教授は今どこにいるんだ?」
 悪魔は静かに空を指差した。言わせるな、ということだった。
 意味を理解して数秒、声も出ず、雨音さえ聞こえなかった。これから何度電話をかけようと、彼は永遠に出ない。助けは来ない。
 止まっていた涙が再び頬を流れる。この涙は、教授と泉の死を嘆く物なのか、すでに後戻りできない程に罪を重ねた彼女を憂いた物なのか、それとも、全ての事態を看過した自責の念か。
 未だ一瞬の妥協も無く、剣は俺に向けられている。
「俺も、……殺すのか?」
 虚ろな目に、乾いた声。死を予感し、半ば諦めたような風情の家主を見て、彼女は軽く鼻息を含ませて、ニヒルに笑った。
「まさか、そんなことしない」
 そう言うと、彼女はレイピアを雑な手つきで足元に落とし、殺意が無いことを示した。
 彼女はそばに寄ってきて、顔を覗くようにしてしゃがんだ。
「優理はもう十分反省したよ、だって、こんなに涙を流しているんだもの」
 彼女は俺の顔に手を添え、指で涙を拭う。見つめる彼女の表情は聖女のように柔らかく、広げた翼は静音のままに世界から二人を包み隠す。
 
 ―そして彼女は、生気を失った者に命を吹き込むように、口づけした。

 一人立ち上がった彼女は、例によって、何事もなかったかの如く手を差しのべ、こう言った。
「さ、帰ろっか」
 
 ―早めの春に咲き誇ったのは薄紅の桜花ではなく、罪を償うための鮮血の椿。ならば、帰路に着く二人の間で繋がれた手は贖罪の証。二人の命を代価に果たされた再会は、聖夜の名の下に、大粒の雨が地を叩き鳴らし、万雷の拍手をもって祝福された。
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