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本編
悪くはないな
しおりを挟む暫くして、手を退けた。
満足したのか、もう掴まれなかった。代わりに、じっと見つめられる。
「………湊」
「え?」
「……湊」
「……」
「…湊」
…いや、言いたいことは分かってんだよ。でもな。
名前で呼べとか、正気かこいつ。
俺を袋叩きにでも遭わせたいのかよ。
…既に経験済みだけど。
「みなと」
…縋るような目で見るのは反則だろ。
「みな、と…」
……しょうがない。犬は無下に出来ないんだよ。
「何ですか。…湊先輩」
「!」
うわ、凄い嬉しそう。
ずっと思ってたんだけど、決定だ。書記は犬だな。耳と尻尾が見える。…いや、実際には見えないからな?見えたら危ない。
目を輝かせ上機嫌になっていたが、俺を見て、はっとした表情で呟いた。
「…名前」
知らないのかよ。
…まあ仕方ないか。書記は基本進藤と生徒会の奴以外興味なさそうだし。
「雪見 奏です」
「…奏」
おい、名前で呼ぶな。
更に目ぇ付けられるだろ。
書記の親衛隊は穏健派だけど、それは全員じゃねぇだろうが。
「先輩、名前で呼び合うのは、やめましょう」
―これ以上雑魚を相手にすんの面倒臭い。
「……嫌?」
別に嫌じゃねぇけど。
「嫌ではないです」
面倒臭いだけ。
「……」
言える雰囲気ではないな。
…だって、こんな嬉しそうな顔されたら、嫌とは言えないだろ。
今日はどうしたんだ。普段無表情なのに。
〔~♪~♪〕
突然電子音が鳴り出した。何の変哲もない、初期設定の音だ。
俺はズボンのポケットから携帯を取り出して、音を止めた。
「…何?」
「アラームでした。授業開始の15分前に設定しているんです」
書記は、ああ、という顔をした。忘れてたんだな。
…生徒会役員が授業をサボってる噂は事実みたいだ。
進藤のサボりに付き合ってると聞いているが、どうなんだろうな。
どうでもいいか。興味はない。
「ブラック、またな」
もう一度背中を撫でて、地面に下ろす。
「にゃあ」
俺の手をぺろりと舐めた後、茂みへ消えていった。
ブラックを見送って、立ち上がる。
「では、失礼します」
一応書記に声をかけた。
のんびりしてたら、授業に遅れる。ここは校舎と一番遠い場所だ。
授業自体は受講する価値も必要もない―教科書丸写しの内容は魅力を感じない。少しでも工夫があったり、雑学を教えてくれたら、それで十分なんだけど―が、表向きは真面目が取り柄の平凡だからな。サボるわけにはいかない。
ちなみに、俺は学問全般を修得している。勿論専門知識も含む。知らないことを徹底的に調べて、学んだ結果だ。
「……」
…またか。これで二回目だぞ。
立ち上がった俺は、書記に手首を掴まれていた。
「どうしました?」
「…だめ」
何がだ。
「そろそろ行かないと」
「…だめ」
ダメじゃねぇんだよ。
「放してくれませんか?」
「…や、やだ」
やだって、駄々っ子か。
「「……」」
…また反則だ。捨てられた子犬の目で見るとか。
「やだ…」
……しょうがねぇな。
「俺もブラックも、雨の日以外昼休みはここにいます。…また会いましょう」
「!…うん」
これまた凄い嬉しそう。
…素なのか、演技なのか。
素なら、単純で可愛い。
演技なら、大したもんだ。
「ただし」
釘は刺しとかねぇと。
「湊先輩一人で来てください」
「?」
不思議そうな顔してるな。
でも、こればっかりは譲れない。
唯一の癒し時間を、進藤に邪魔されたくないんだよ。
「絶対に、一人で来てくださいね」
「…わかった」
―しっかり釘を刺すと、書記は真剣な顔で、こくりと頷いた。
「それと、今日のことは誰にも言わないでください」
「…うん」
「約束ですよ」
「…守る」
しつこいが、念には念を入れておく。
ま、書記は約束を守る男だろうけどな。
「では、お先に失礼します」
「…また」
やっと手を放された。
書記はどこか寂しそうにしていたが、俺は教室へ向かった。
それから、何事もなく一週間が過ぎた。
約束通り一人で来る書記と、ブラックを触ったり、ブラッシングしたり、昼寝する姿を見つめたり、一緒に過ごした。
そうこうしている間に、書記はブラックを抱っこできるようになった。
最初は拒否されて落ち込んでいたが、めげずに頑張った成果だろう。
相変わらず、書記は単語しか話さない。
無口なのも相まって、いつも静かだ。
ただ、何故か懐かれたらしい。
頭を撫でてほしいと何度も言われる。
それは毎回で、すぐに慣れた。もはや習慣になっている。
どうして懐かれたのかは分からない。
けど…悪くはないな。
…書記、なんか犬みたいで可愛いから。
癒しの一時は、新たな人間を加え、続いている。
水面下で報復の準備を着々と進めながら、奏はゆったりとした空気に包まれていた。
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