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序章
そんなこと、一言も聞いてません!
しおりを挟むカツーン、カツーンと二つの足音がこだまする。サフィアド王国、ネルソア城地下。冷たく湿った空気の中、シーラは石造りの階段を壁を伝うようにして、一段一段慎重に降りて行った。前を歩くテオは、シーラに歩調を合わせてゆっくりと歩いている。
階段を全て降りた先に、固く閉ざされた扉があった。この先に護国石があると、扉の先から漏れ出してくる魔力の気配で分かる。シーラは自分を抱えるように腕を組んで唾を飲み込んだ。
テオが手を翳すと、鈍い音を立てて扉は開いた。部屋の中は思いの外広く、天井が高い。その部屋の中心に八面体の形をした巨大な石が浮かんでいた。シーラの身長の3倍はありそうなその石は黒く澱んでいて、石の中で渦巻く邪悪な気配で気分が悪くなりそうだった。
「酷い有様だろう?」
笑いを含んだ声でテオが言った。シーラは首を縦に振る。シーラが聖女になったばかりの時の聖国樹も、ここまで穢れが進んではいなかった。
「どこまで出来るかわかりませんが、やってみます。」
シーラは護国石の前に歩み出ると、浄化の力を解き放った。シーラの長い髪が舞い上がる。テオがへぇ、と息を吐いたのも気がつかないほどシーラは集中していた。
シーラが手を組むと、護国石を中心として、床の上に円形の魔法陣が浮かび上がる。さらに力の出力を強めると、魔法陣から白い光の柱が現れた。護国石の中の澱みがその光に吸い取られ、浄化されていく。
(もう少し、もう少し……!)
シーラは荒い息を吐きながら、祈りを続けた。しかし、体力の限界がきたのだろう。不意に立ちくらみがして倒れそうになった。身体を支える余力もなく、地面に身体を打ち付けることを覚悟したが、そうはならなかった。
「大丈夫?」
テオが身体を支えてくれたのだ。
「……!申し訳ございません!」
間近でテオの顔を見て、心臓が止まるかと思った。シーラは慌てて身体を離して、また倒れそうになる。ふらつくシーラの身体を再びテオが受け止めてくれた。
「疲れたんだろう。無理をしてはいけないよ。」
「申し訳ございません……」
「気にしないで。それより見て、シーラ。護国石が。」
シーラが顔を上げると、青い光が視界に飛び込んできた。黒い澱みが取れて、護国石の青い色がはっきりと分かるようになっている。
「綺麗……」
「本当にね。私は生まれて初めて、こんなに澄んだ護国石を見たよ。」
テオは真っ直ぐに護国石を見つめていた。テオは暫くの間何も言わずにいたけれど、心の底から喜んでいることは分かった。
「本当にありがとう、シーラ。疲れただろう。部屋まで送るよ。」
「はい……」
今の状態で一人で階段を昇るのは難儀しそうだ。王太子に助けてもらうのは抵抗があったが、今はテオの言葉に甘えることにした。
✳︎✳︎✳︎✳︎
テオに付き添ってもらってなんとか部屋に辿り着いたシーラは、崩れるようにソファに座り込んだ。
シーラの帰りを待っていたのだろう。ロロが跳ねながら近づいてきてシーラの膝の上に収まった。お疲れ様、とでもいうように、お腹の辺りに顔をスリスリと寄せてくる。
思わず微笑みながらロロの背中を撫でていると、テオにああ、そういえばと話しかけられた。
「君は私の婚約者になったから。」
テオがあまりにも突飛なことを言うので聞き違いだろう、とシーラは思った。
「……失礼ですが、殿下。もう一度おっしゃって頂けますか?」
「だから、シーラ・ローレルは私の婚約者になったから。」
丁寧にフルネームで自分のことを言われて、シーラは疲れていることも忘れて、叫びそうになった。
「へっ?えっ?えぇ⁉︎ど……どういうことですか!!??」
「君の身の安全を確保するため、合理的な手段だと思ってね。」
テオは今日の天気の話をするように淡々と話す。シーラは慌てふためく。
「こ、こ、婚約なんて、そんな、困ります!第一、聖女は生涯、けっ、結婚はしていけないと決まっていて……」
「それはキリアスのルールだろう?サフィアドでは聖女だから婚姻してはいけないなんて決まりはない。実際、聖女と結婚した王族は何人もいる。」
「私、その、承諾するか、まだ……」
「困ったなぁ。君は私の婚約者になる人だからということで、無理を通していたのだけれど。そうなると君が今までこの城で使った費用をきっちりと払ってもらわなければいけなくなるけど。」
シーラはテオから目が飛び出るような金額の請求書を渡されて青ざめた。
「大丈夫。あくまで『婚約』だから。本当に今すぐ結婚するって話じゃないからね。」
「私、そんなこと、一言も聞いてません!」
あまりにも理不尽だ。人に物を言うのが得意でないシーラだが、流石にこの状況で黙ってはいられなかった。
「あれ?言ってなかったっけ?ごめんね。私も必死だったから。」
ニコニコと笑いながらそう言うテオを見て、シーラは悟った。
(この人、絶対分かってやってる!確信犯だ!)
「……腹黒王子!」
非礼を承知で、それでもどうしても我慢ができなくて言葉が口をついて出た。
「心外だなぁ。君を守るために合理的な手段だからやったことなんだけれど。」
テオはシーラの発言に気を悪くした風はなく、かといって悪びれる様子もなかった。
今のところ、この婚約を断る手段はなさそうだと、嫌々ながらもシーラは理解した。
「……、……あくまで、『婚約』ですからね!」
「分かってくれたみたいで良かったよ。これからよろしくね。私の愛しい婚約者さん。」
テオは、たった今強引な手段で婚約を結ばせた人物とは思えないような、甘い笑顔をシーラに向けた。
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