華燭の城

文字の大きさ
上 下
96 / 199

- 95

しおりを挟む
 抱きかかえられるようにして部屋に辿り着き、薬と、ラウの手当てで落ち着きを取り戻しはじめたシュリは、ひどく戸惑っていた。

 ……ナギ殿下……。

 あのガルシアが絶対に逆らう事ができない帝国に、自分の味方となり得る人がいた。
 あの殿下に全てを話せば、自分はここから救い出され、元の生活に、神国に戻れるかもしれない。
 もちろん、けがされた自分では、もう神儀は行えない。
 そんな資格が無い事ぐらい判っている。
 神聖な神国に足を踏み入れる事さえ許されないかもしれない……。
 それでももう一度、皆の顔を一目見たい……そんなわずかな期待。

 だが……。

 自分の時間は戻せたとしても、もう、どうしても引き返せない事が一つだけあった。
 それは弟、ジーナの治療。
 もう投薬は始まっている。
 途中では止められない薬。
 この国にしかない薬。
 ガルシアが全てを握っている薬。

 自分の事が公になり、ガルシアが失墜し全てを失えば、もしかしたら……いつかはその薬も、自由に手に入るようになるのかもしれない。
 だがでは遅すぎるのだ。

 そしてもし、この計画が失敗したら……。

 ガルシアが自分を裏切ったシュリに、大人しく残りの薬を渡すとは考えられない。
 むざむざと渡してしまうぐらいならと、それがどんなに高価で貴重な物であったとしても、残った薬の全てを焼き棄てることぐらい、あのガルシアならば不思議ではない。
 いや、これはもう仮定ではなく、ガルシアをわずかでも知れば、断言できる事だった。

 ジーナに薬を届ける事ができなくなる――。

 それは確実に弟の死を意味した。
 自分の為に弟を殺すのか……。
 答えは一つだった。

 今まで通りガルシアとの契約を守り、何があっても最後まで弟に薬を届け続ける。
 それが、あの殿下を騙す事だとしても……。
 自分を見つめる屈託のない明るい笑顔を思い出し、シュリは横たわったまま目を閉じ、グッと拳を握り締めた。


 シュリからナギの話を聞いたラウも困惑していた。
 ガルシアの怒りの原因が判ったからだ。

 シュリをこの城へ迎えるにあたり、世話役としてこの部屋の準備を進めたのはラウだ。
 その時に、少なからずシュリの周辺は調べていたつもりだった。
 年齢、家族構成、趣味、嗜好……その他の事も数多く。
 それでもナギの……帝国皇太子の存在がそれほど近くにあったとは、全く知らない事実だった。
 ただ、どんなに手を尽くし調べていたとしても、極秘扱いで、決して外部に漏らさない学校の情報は、結局の所、判るはずもなかったのだが……。

 これからどうなるのか……。

 暖炉に薪を入れながら、ラウもシュリに聞かれぬよう小さく息を吐いた。



「……ラウ……」
 その時、シュリの声がラウを呼んだ。
 振り返ったラウの前に、何かを覚悟したようにじっと目を閉じ、拳を握るシュリの姿があった。

 シュリ……。
 
 ラウはその時、シュリの決意の全てを理解していた。


「どうしました? ここに居ますよ。……痛みますか?」
 いつものようにベッドの横に跪き、シュリの手を両手で包み込むと、シュリは静かに首を振った。

「もう大丈夫……。隣へきて……」

 その言葉にラウは頷くと、着ていた上着を椅子の背もたれに掛け、ベッドへと上がる。
 シュリの横に体を置くと、優しく肩を抱き寄せた。

「シュリ……本当にそれでよろしいのですね?」

 目を閉じたままのシュリの顔を見つめながら、一言だけ尋ねた。
 それは疑問形ではあったが、質問ではなく確認だ。
 シュリもその意味は判っている。

「ああ、それでいい……」
 小さく頷いたまま、しがみつくようにラウに体を預けると、ラウはもう一度、シュリを強く抱きしめた。


 その夜、ラウはシュリの寝顔を見た後、そっと部屋を出た。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

ちびヨメは氷血の辺境伯に溺愛される

BL / 連載中 24h.ポイント:44,548pt お気に入り:4,997

練習船で異世界に来ちゃったんだが?! ~異世界海洋探訪記~

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:7pt お気に入り:36

攻略対象の婚約者でなくても悪役令息であるというのは有効ですか

BL / 連載中 24h.ポイント:11,858pt お気に入り:1,872

怖い話23【向こうから聞こえる声】1300字以内

ホラー / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:0

人形と皇子

BL / 連載中 24h.ポイント:11,907pt お気に入り:4,386

おっさんが願うもの

BL / 連載中 24h.ポイント:8,878pt お気に入り:508

神様は小説の主人公であるぼくに何を望んでいる?

ライト文芸 / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:0

【BL】紅き月の宴~Ωの悪役令息は、αの騎士に愛される。

BL / 連載中 24h.ポイント:3,359pt お気に入り:625

処理中です...