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第75話 知られたくなかった
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ルシウスを送り出したところで僕は戦場に目を向けた。
戦況は今のところ五分五分……どのみち大将戦の行方でこの勝負は決する。
ジャオが弾丸のように父上の懐に飛び込んでいく。それを虫ケラを払うように片手一本で叩き落とす父上。やはり体格が違いすぎるのか……厳しい戦いになりそうだ。
「グッ……!?」
と、そこで父上の顔色が一気に青ざめる。ドシンとその巨体が地に伏せ、しきりに脇腹を摩った。大きな傷ではないが、刺したような跡からドクドクと血が流れている。レイピアを構えたジャオの父親が背後に立っていて合点がいった。
「よく隙を作ってくれたな」
「別にあなたと連携したわけではない」
ジャオは相変わらず父親に辛辣だ。なにはともあれ父上にダメージが入った。慌てて魔道士が王に群がるが、みるみるうちにジャオのスピンキックで一掃される。
「回復系の魔道士のオーラは“緑”だ、ジャオ」
「わかっている……!」
オーラ……魔力のオーラで相手を選んでいるのか。僕にはまったく見えないがあの親子はそれも戦闘の指針にしているらしい。父上に回復されないため周囲の魔道士にも気を配らないといけない……それをわかっている辺り、あの親子、相当場慣れしている。
「英雄の援護を! 回復魔法を使える魔道士は私が指示します!」
「フロスト!」
フロストだ。城の中から出て来たのか。すぐさま魔道士を指差して衛兵たちに捕らえさせる。父上が傷を負ったとあってあちらは日和気味。一気にこちらが優勢だ。
「ベル様、勝手に外に出て……あなたが攫われたら終わりなんですよ。自覚してください」
「う……」
さっそく説教か。確かに言われても仕方ないけどさ。
僕は今、戦争をこの目で見ている。平和な国づくりのためにはこの経験が必ず必要なのだ。戦争がどれだけ無価値か、理解し合えない者との共存がどれだけ困難か……この身に刻んでおきたい。
「ええ、あの白髪に三つ編みの魔道士は早めに対処を。王の側にいるあの者は後回しで結構」
フロストは早口で指示を飛ばしてまた僕に向き直る。
「私、ぎりぎりまで倉庫を漁っていたんですよ」
「倉庫を? ……なぜ?」
「やはり現地の文献も見ておきたかったんですよね。最古と思われる歴史書に、とても興味深い一節がありました」
なぜだか少し楽しげに、詠うようにフロストは言う。
『悪しき風は獣に化け、精霊は聖女を伴う、祈りの果てに精霊は還る』
「どういう……意味だ?」
「察しが悪いですねえ。まあベル様のそういうボーッとしたところがベル様たる所以なのですが」
……こんな時まで人を小馬鹿にしやがって。まあいい。コイツのこれは挨拶のようなものだ。むしろこれがないと体調不良か精神不良かで心配になる。一時は心配したが、今は活き活きとしているな。どうか戦争が終わるまで、その調子でいてくれよ。
「精霊様はこの戦場にいらっしゃるのですか?」
「いるよ。さっき怪鳥を落としてくれた。それ以外は静観しているようだけど」
「静観……ではなく、何もできないのでしょうね」
フロストが眉を顰める。
あのトルテが何もできないだなんて? そこでふと、あの日の出来事が脳裏に浮かんだ。
父上に襲われかけた日、トルテは助けに来てくれたけど、攻撃が父上にまったく通らなかったのだ。父上の前ではまさに虫ケラ同然の扱いで、心から恐怖したのは記憶に新しい。
「精霊は精霊を信じる者にしか力を発揮できません。魔道士軍は驕っている……魔法は精霊に分けてもらう自然の力から成り立っていると、知識では知っているはずなのに……魔法を扱える自分は偉いのだと、いつの間にか精霊への信仰を忘れ果てている」
「なるほど……だからトルテは動物相手にしか攻撃できないんだな」
「あいにく、敵軍に精霊信仰をしている者などもう一人もいないのでしょうね。嘆かわしい……」
「フロストは、信じているんだな?」
「どの文献もその存在を崇め奉っていましたし……なにせ、ベル様のお友達ですからね」
「お友達」という言葉に少し違和感を覚えるがこの際、力強く頷いた。
トルテは存在している。そして、たぶんきっと精霊だ。伝説の存在が身近にいるのは未だに驚くべきことだけど……僕が今までに夢で見て来た前世の映像、大昔にも存在していた“ベル”と“ジャオ”、そして前世から今世の最近までずっと一緒にいてくれた彼女……きっとすべてに意味があるはずだ。もうすぐ、それがわかりそうな気がする。
左手の薬指を握ってその感触を確かめる。ほんのりと温かい。まったく違う時間軸から、不思議な力を送ってもらっているみたいだ。
「僕にもきっと何か役割があるって……思いたいんだ」
「大丈夫。今にその時がきますよ」
英雄対元王の対決に視線を戻す。激しい攻防だが、周囲の魔道士をこちらが効率的に無効化できていることで、二人は父上との勝負に専念できている。ただ、二人ともさすがに消耗している……傷の痛みは回復薬で誤魔化せるが、使ってしまった体力は休息で取り戻す他はない。ジリジリと、父上が押してきている。
そして逆転の時は、突然に訪れた。
果敢に敵の懐に飛び込む戦法を崩さないジャオ、項垂れる父上の眼前まで来てハッと息を呑んだ。反撃不可能と思われた父上が、悪どい笑みを浮かべて手を伸ばす。魔法が至近距離で撃たれる。
誰もが最悪の事態を想像した瞬間、ジャオの父親が恐るべき速さで息子に突進した。位置が入れ替わる。眩い閃光から目を逸らし、次に視線を戻した時には――――彼は血に濡れて地に伏せていた。
「父さん!」
ジャオが歯を食いしばる。唇がちぎれるほどに噛み締めている。悔しそうだ……それはそうだ、あんなに嫌っていて、邪険にしていた父親に庇われて。
一対一になった途端、一気にジャオが劣勢になる。父上はもう魔法を使わない。懐に入ってきたジャオをいたぶるには物理の力だけで十分だからだ。何度も拳を振り抜き、地面に叩きつけられて……ああもう、見ていられない……。
「とどめだ! ベル見ていろ、お前の愛する男が無様に死ぬのを!」
父上の組んだ手がジャオの頭上に振り落ろされる。
ジャオ、たぶんもう目が、見えていない……体力が限界なんだ……。
「ジャオ、ジャオ……!!!」
無意識に両手を組んで跪く。父上に? 神に? 誰に請うているのか。心臓が自分のものではないみたいにドクンドクンと脈打っている。
ガン!! 物凄い音が、して……ジャオはどさりと地に落ちた。絶望感に涙が溢れる。しかし父上が組んだ手を慌てて引いて悶絶している様を見て、慌てて涙を拭いた。
「ベルの愛する男が一人だって勘違いしてない?」
「ルシウス!!」
よく見るとジャオの身体は透明の鉱石で覆われている。寸前で防御魔法をかけたのだろう。父上は毛を逆立てて、突然乱入してきたルシウスをギロリと睨む。
「貴様……! ベルの結婚相手として取り立ててやった恩を忘れたか!!」
「いいんだよ。ベルはジャオと結婚すんだって。邪魔すんなオッサン」
「オッサ……」
「んで俺とベルは新しい関係を築くからさあ! 老害は退場してくんない!?」
ドン!! 激しい気流が両者の間でぶつかり合う。吹っ飛ばされたジャオに回復薬を持って行こうとすると、気を利かせた衛兵が代わりに行ってくれた。
二人の放つ魔法弾が炸裂して何が起こっているのかわからない。光の隙間からちらりと姿が見えたルシウスは、余裕の笑みで避けた側から次々と攻撃を放っている。
「父上と互角に渡り合えるなんて……」
「いえ、ルシウスくんが優位です」
「え」
「なんという才能……王のオーラが霞むほどです」
目を凝らしても、フロストの言うオーラとやらは僕には見えない。そんなものが見えてしまったらルシウスとはもう怖くて話せなくなってしまうから、見えなくてよかったのかもしれないな。
「オッサンたいしたことないね~? もうトドメ刺しちゃおっかな!?」
「こしゃくな……!」
「ベル~見てる~?」
あまりにも全開の笑顔で手を振られたので仕方なく振り返してやる。今はルシウスの士気を優先しよう。あまり甘やかすとまた調子に乗るから、塩梅が難しいがな。
そんなルシウスと、それから父上が、同時に正反対の方向に吹っ飛んだ。何が起こったのか誰もわからず戸惑っていると、いつの間にかジャオが父上の腹を踏んづけている。オオッと起こる歓声の中、ジャオが冷えた目で見つめているのはルシウスただ一人だ。
「ベルに色目を使うな」
「元気じゃん。どっちがトドメ刺すか勝負しようぜ」
「いいだろう」
父上が歯を食いしばりながら起き上がる。そして片手を乱暴に振るうと、衛兵と応戦中だった残りの魔道士が全員、ジャオとルシウスに襲い掛かる。そんなのもちろん彼らの敵ではないが、その隙に父上は森に走っていってしまった。
逃げたのだろうか? いや、でも……。
無性に胸がざわめく。あれだけの屈辱を浴びせられて、あの人がおめおめと引き下がるわけがない。踏み躙られたプライドを抱えて生きていくくらいなら、己の身を犠牲にしてでも一矢報いるほうを選ぶだろう。
森の鳥たちが一斉に空へと羽ばたいていく。ゴロゴロと遠くから鳴り響くのが雷ではないと、気付いた時には遅かった。
バキバキバキッ!!
森の中からけたたましい破裂音が聞こえる。いや、木々が薙ぎ倒される音か。あまりにたやすく森が壊れていくので、一瞬自分が指人形にでもなってしまったかと思った。
魔道士達が示し合わせたかのように撤退していく。衛兵含め僕らは追いかけるのも忘れて森の中から現れた“それ”を見た。
木々の遥か上から覗き込む、豚鼻に目を血走らせた、世にも醜悪な超巨大生物を。
「あ……あ……!」
衛兵らがその場でへたり込んでしまった。当然だ。あんなのと戦うなど……命を捨てるのも同じこと。
あれは父上なのか。四つん這いで、顔も体も豚と猪の合体のようで……ブツブツの毛穴が醜く開いた剥き出しの皮膚には、金色の縮れ毛が申し訳程度に生えている。
こんな化け物中の化け物……魔法でだって化けられるわけがない。質量保存の法則は魔法の効果にだって適用されるとこの間授業でやったばかりだ。父上は体格が良かったが、その百倍はある。あり得ない。不可能だ。
「ケヒ、ケヒ。このジジイともようやくおさらばだ」
喋った。大気を震わすような大きな音は不思議と父上の声として認識できる。化け物は四つん這いから二足歩行になると、前足で掴んでいたゴミをポイッと投げた。ゴミに見えたものは……瀕死の老爺だ。どこかで見たことのある……。
「あ……!」
あれは、祈祷師だ。もともと我が国に仕えていた祈祷師の老爺……儀式に失敗したと難癖を付けられて、国外追放されていた……父上の手の内にいたのか。あの口ぶりからすると、利用されるだけ利用されて打ち捨てられたのだろう。ひどい……。
「悪しき風は、獣の姿に……」
フロストが、まるでフロストではないかのような声で呟く。腰が抜けて立てないようだ。助け起こそうと手を差し伸べたところで、生温かい突風に僕を含め一帯の衛兵らが蹴散らされた。
「フロスト! 我が真の伴侶よ!」
父上だった化け物がそう宣い、ドスドスと地面を鳴らして向かってくる。豚鼻からは大量の粘液が溢れ、細められた目はいやらしくて寒気が走る。白い指人形……もといフロストは、あっという間に化け物の手に捕らえられてしまった。
「おお、愛い奴じゃ……健気に城の者の味方をしおって……もう善人ぶる必要はないぞ。お前も一緒にこの国に復讐を果たすのだ……」
「ああ、助けて……うあ…………」
匂いを嗅いでいるのだろうか、自分の指ほどもないフロストに鼻を擦り付けて、化け物は愉悦の表情を浮かべている。豚鼻の粘液に塗れてこちらに手を伸ばしているフロストだが、すぐにその腕も取り上げられて口の中でしゃぶられる。
フゴフゴと嫌悪しか感じない笑い声が響く。……気持ち悪い。吐き気を堪えてへたり込んだ。先程まで僕のすぐ隣のいた、フロストが。……粘液で顔を覆われて、もう……息ができないのか、手先だけを震わせて……
皆、フロストを城に受け入れていた。衛兵らの尊敬も集めてきた。
なのに……誰も、動けない……今の父上に楯突くことは“即死”を意味する――――。
「ハッ!!」
小さな粒が父上の横っ面にぶち当たり、巨体は地響きを立てて地に伏せる。豆粒はフロストを握りしめたまま離さない父上の拳に駆け寄り、何度もレイピアで刺す。刺す、刺す。やがて父上が悲鳴をあげてのたうち回り、フロストは彼によって救出された。
明け方の陽光に照らされた、英雄の象徴である美しい蒼髪が眩しい――――ジャオの父親だ。
「ハッ……ハッ……」
手で粘液を払われたフロストは、必死に呼吸をして、朦朧とした視線で自分を抱き抱える英雄を見る。一目確認するとすぐに気絶してしまい、そのまま抱えられて僕のもとに戻ってきた。
「フロスト……!」
「気絶しているだけです。回復魔法が使える者は」
「はい! 私が!」
城から飛び出してきたのは先程、僕が逃した女性だ。気付けば数人の子どもが軍の負傷者を手当てしてまわっている。皆、危険をいとわずに協力してくれている。勝つために。
僕には、何ができるのだろう……。
「ゲホッ!!」
フロストが粘液を吐き出して飛び起きる。回復魔法が効いたのだろう。傍らに僕を見つけると、みるみるうちに涙目になっていく。
「み、見られたくなかった、あなたには……こんな、姿……」
「フロスト……いいから」
「う、ううう、よりによって……あの男に、助けられた……!」
顔を隠すかのように地面に付したかと思うと、そのまま拳で地面を叩きつけている。悲しんでいるのか怒っているのかわからない。きっと彼の中でも混沌としている。
「助かってよかった。何も恥じることはないよ」
「いいえ、生き恥です……今すぐ死んでしまいたい……」
「フロスト……」
取り乱しているとはいえ、本心なのだとわかってしまう。人一倍プライドの高いフロストは、何者にも傷つけられてはならなかった。孤高の存在でいたかった。もう僕だって気付いている。フロストはこれまで僕の知らないところで父上に害され、略取され――――それをずっと、僕にひた隠しにしていたのだ。
手を握る。粘液がまだ纏わりついていて正直気味が悪いが、そんなものを気にするよりフロストの心を護りたかった。粘液の向こうの肌の感触。温かさ。これが損なわれなくてよかった。最初は胡散臭い奴と思ったし嫌いだったけれど、今なら宣言できるよ。
「お前は僕の友達だ。生きて、乗り越えよう」
「あ……」
「何があっても僕が護るから」
「ううッ……!」
フロストが僕の手を握り返す。完全に首を垂れていて表情は見えないが、号泣している。感情のままに、言葉が搾り出される。
「僕が異国の民だから、オトメのように子を産めるのではないかと……何度も、試されてっ……」
「…………うん」
「それが無理だとわかってからも、散々オモチャにされた……耐え難い屈辱を…………なんで、僕は助けに来た側なのに……こんな…………」
フロストが受けた仕打ちを理解するにはもう十分だった。背中を摩りながらフロストの温もりに浸る。それでも、生きていてくれてよかった。残酷かもしれないけど、フロストが死にたいと願っても――――僕は、彼に生きていて欲しい。
「お前の目的は果たせただろう……?」
「……僕がここに来る必要なんて、最初からなかったんだ」
「違う。お前は頑張ったよ。僕、お前に出逢えて嬉しいんだ。これからのことはまた考えればいいさ。この国に残ってもいいし、異国に帰っても」
「ベル様……」
フロストの悲しみのすべてはまだ理解できないけれど……僕が思うよりもずっと悲痛な決意を胸に、この国にやって来たのだろう。戦争が終わったら、話してくれるだろうか。
フロストは自分を「僕」と言った。まだ僕は本当の彼を知らないのかもしれない。
知りたい。もっと、彼のことが知りたい。対等な、友人として。
戦況は今のところ五分五分……どのみち大将戦の行方でこの勝負は決する。
ジャオが弾丸のように父上の懐に飛び込んでいく。それを虫ケラを払うように片手一本で叩き落とす父上。やはり体格が違いすぎるのか……厳しい戦いになりそうだ。
「グッ……!?」
と、そこで父上の顔色が一気に青ざめる。ドシンとその巨体が地に伏せ、しきりに脇腹を摩った。大きな傷ではないが、刺したような跡からドクドクと血が流れている。レイピアを構えたジャオの父親が背後に立っていて合点がいった。
「よく隙を作ってくれたな」
「別にあなたと連携したわけではない」
ジャオは相変わらず父親に辛辣だ。なにはともあれ父上にダメージが入った。慌てて魔道士が王に群がるが、みるみるうちにジャオのスピンキックで一掃される。
「回復系の魔道士のオーラは“緑”だ、ジャオ」
「わかっている……!」
オーラ……魔力のオーラで相手を選んでいるのか。僕にはまったく見えないがあの親子はそれも戦闘の指針にしているらしい。父上に回復されないため周囲の魔道士にも気を配らないといけない……それをわかっている辺り、あの親子、相当場慣れしている。
「英雄の援護を! 回復魔法を使える魔道士は私が指示します!」
「フロスト!」
フロストだ。城の中から出て来たのか。すぐさま魔道士を指差して衛兵たちに捕らえさせる。父上が傷を負ったとあってあちらは日和気味。一気にこちらが優勢だ。
「ベル様、勝手に外に出て……あなたが攫われたら終わりなんですよ。自覚してください」
「う……」
さっそく説教か。確かに言われても仕方ないけどさ。
僕は今、戦争をこの目で見ている。平和な国づくりのためにはこの経験が必ず必要なのだ。戦争がどれだけ無価値か、理解し合えない者との共存がどれだけ困難か……この身に刻んでおきたい。
「ええ、あの白髪に三つ編みの魔道士は早めに対処を。王の側にいるあの者は後回しで結構」
フロストは早口で指示を飛ばしてまた僕に向き直る。
「私、ぎりぎりまで倉庫を漁っていたんですよ」
「倉庫を? ……なぜ?」
「やはり現地の文献も見ておきたかったんですよね。最古と思われる歴史書に、とても興味深い一節がありました」
なぜだか少し楽しげに、詠うようにフロストは言う。
『悪しき風は獣に化け、精霊は聖女を伴う、祈りの果てに精霊は還る』
「どういう……意味だ?」
「察しが悪いですねえ。まあベル様のそういうボーッとしたところがベル様たる所以なのですが」
……こんな時まで人を小馬鹿にしやがって。まあいい。コイツのこれは挨拶のようなものだ。むしろこれがないと体調不良か精神不良かで心配になる。一時は心配したが、今は活き活きとしているな。どうか戦争が終わるまで、その調子でいてくれよ。
「精霊様はこの戦場にいらっしゃるのですか?」
「いるよ。さっき怪鳥を落としてくれた。それ以外は静観しているようだけど」
「静観……ではなく、何もできないのでしょうね」
フロストが眉を顰める。
あのトルテが何もできないだなんて? そこでふと、あの日の出来事が脳裏に浮かんだ。
父上に襲われかけた日、トルテは助けに来てくれたけど、攻撃が父上にまったく通らなかったのだ。父上の前ではまさに虫ケラ同然の扱いで、心から恐怖したのは記憶に新しい。
「精霊は精霊を信じる者にしか力を発揮できません。魔道士軍は驕っている……魔法は精霊に分けてもらう自然の力から成り立っていると、知識では知っているはずなのに……魔法を扱える自分は偉いのだと、いつの間にか精霊への信仰を忘れ果てている」
「なるほど……だからトルテは動物相手にしか攻撃できないんだな」
「あいにく、敵軍に精霊信仰をしている者などもう一人もいないのでしょうね。嘆かわしい……」
「フロストは、信じているんだな?」
「どの文献もその存在を崇め奉っていましたし……なにせ、ベル様のお友達ですからね」
「お友達」という言葉に少し違和感を覚えるがこの際、力強く頷いた。
トルテは存在している。そして、たぶんきっと精霊だ。伝説の存在が身近にいるのは未だに驚くべきことだけど……僕が今までに夢で見て来た前世の映像、大昔にも存在していた“ベル”と“ジャオ”、そして前世から今世の最近までずっと一緒にいてくれた彼女……きっとすべてに意味があるはずだ。もうすぐ、それがわかりそうな気がする。
左手の薬指を握ってその感触を確かめる。ほんのりと温かい。まったく違う時間軸から、不思議な力を送ってもらっているみたいだ。
「僕にもきっと何か役割があるって……思いたいんだ」
「大丈夫。今にその時がきますよ」
英雄対元王の対決に視線を戻す。激しい攻防だが、周囲の魔道士をこちらが効率的に無効化できていることで、二人は父上との勝負に専念できている。ただ、二人ともさすがに消耗している……傷の痛みは回復薬で誤魔化せるが、使ってしまった体力は休息で取り戻す他はない。ジリジリと、父上が押してきている。
そして逆転の時は、突然に訪れた。
果敢に敵の懐に飛び込む戦法を崩さないジャオ、項垂れる父上の眼前まで来てハッと息を呑んだ。反撃不可能と思われた父上が、悪どい笑みを浮かべて手を伸ばす。魔法が至近距離で撃たれる。
誰もが最悪の事態を想像した瞬間、ジャオの父親が恐るべき速さで息子に突進した。位置が入れ替わる。眩い閃光から目を逸らし、次に視線を戻した時には――――彼は血に濡れて地に伏せていた。
「父さん!」
ジャオが歯を食いしばる。唇がちぎれるほどに噛み締めている。悔しそうだ……それはそうだ、あんなに嫌っていて、邪険にしていた父親に庇われて。
一対一になった途端、一気にジャオが劣勢になる。父上はもう魔法を使わない。懐に入ってきたジャオをいたぶるには物理の力だけで十分だからだ。何度も拳を振り抜き、地面に叩きつけられて……ああもう、見ていられない……。
「とどめだ! ベル見ていろ、お前の愛する男が無様に死ぬのを!」
父上の組んだ手がジャオの頭上に振り落ろされる。
ジャオ、たぶんもう目が、見えていない……体力が限界なんだ……。
「ジャオ、ジャオ……!!!」
無意識に両手を組んで跪く。父上に? 神に? 誰に請うているのか。心臓が自分のものではないみたいにドクンドクンと脈打っている。
ガン!! 物凄い音が、して……ジャオはどさりと地に落ちた。絶望感に涙が溢れる。しかし父上が組んだ手を慌てて引いて悶絶している様を見て、慌てて涙を拭いた。
「ベルの愛する男が一人だって勘違いしてない?」
「ルシウス!!」
よく見るとジャオの身体は透明の鉱石で覆われている。寸前で防御魔法をかけたのだろう。父上は毛を逆立てて、突然乱入してきたルシウスをギロリと睨む。
「貴様……! ベルの結婚相手として取り立ててやった恩を忘れたか!!」
「いいんだよ。ベルはジャオと結婚すんだって。邪魔すんなオッサン」
「オッサ……」
「んで俺とベルは新しい関係を築くからさあ! 老害は退場してくんない!?」
ドン!! 激しい気流が両者の間でぶつかり合う。吹っ飛ばされたジャオに回復薬を持って行こうとすると、気を利かせた衛兵が代わりに行ってくれた。
二人の放つ魔法弾が炸裂して何が起こっているのかわからない。光の隙間からちらりと姿が見えたルシウスは、余裕の笑みで避けた側から次々と攻撃を放っている。
「父上と互角に渡り合えるなんて……」
「いえ、ルシウスくんが優位です」
「え」
「なんという才能……王のオーラが霞むほどです」
目を凝らしても、フロストの言うオーラとやらは僕には見えない。そんなものが見えてしまったらルシウスとはもう怖くて話せなくなってしまうから、見えなくてよかったのかもしれないな。
「オッサンたいしたことないね~? もうトドメ刺しちゃおっかな!?」
「こしゃくな……!」
「ベル~見てる~?」
あまりにも全開の笑顔で手を振られたので仕方なく振り返してやる。今はルシウスの士気を優先しよう。あまり甘やかすとまた調子に乗るから、塩梅が難しいがな。
そんなルシウスと、それから父上が、同時に正反対の方向に吹っ飛んだ。何が起こったのか誰もわからず戸惑っていると、いつの間にかジャオが父上の腹を踏んづけている。オオッと起こる歓声の中、ジャオが冷えた目で見つめているのはルシウスただ一人だ。
「ベルに色目を使うな」
「元気じゃん。どっちがトドメ刺すか勝負しようぜ」
「いいだろう」
父上が歯を食いしばりながら起き上がる。そして片手を乱暴に振るうと、衛兵と応戦中だった残りの魔道士が全員、ジャオとルシウスに襲い掛かる。そんなのもちろん彼らの敵ではないが、その隙に父上は森に走っていってしまった。
逃げたのだろうか? いや、でも……。
無性に胸がざわめく。あれだけの屈辱を浴びせられて、あの人がおめおめと引き下がるわけがない。踏み躙られたプライドを抱えて生きていくくらいなら、己の身を犠牲にしてでも一矢報いるほうを選ぶだろう。
森の鳥たちが一斉に空へと羽ばたいていく。ゴロゴロと遠くから鳴り響くのが雷ではないと、気付いた時には遅かった。
バキバキバキッ!!
森の中からけたたましい破裂音が聞こえる。いや、木々が薙ぎ倒される音か。あまりにたやすく森が壊れていくので、一瞬自分が指人形にでもなってしまったかと思った。
魔道士達が示し合わせたかのように撤退していく。衛兵含め僕らは追いかけるのも忘れて森の中から現れた“それ”を見た。
木々の遥か上から覗き込む、豚鼻に目を血走らせた、世にも醜悪な超巨大生物を。
「あ……あ……!」
衛兵らがその場でへたり込んでしまった。当然だ。あんなのと戦うなど……命を捨てるのも同じこと。
あれは父上なのか。四つん這いで、顔も体も豚と猪の合体のようで……ブツブツの毛穴が醜く開いた剥き出しの皮膚には、金色の縮れ毛が申し訳程度に生えている。
こんな化け物中の化け物……魔法でだって化けられるわけがない。質量保存の法則は魔法の効果にだって適用されるとこの間授業でやったばかりだ。父上は体格が良かったが、その百倍はある。あり得ない。不可能だ。
「ケヒ、ケヒ。このジジイともようやくおさらばだ」
喋った。大気を震わすような大きな音は不思議と父上の声として認識できる。化け物は四つん這いから二足歩行になると、前足で掴んでいたゴミをポイッと投げた。ゴミに見えたものは……瀕死の老爺だ。どこかで見たことのある……。
「あ……!」
あれは、祈祷師だ。もともと我が国に仕えていた祈祷師の老爺……儀式に失敗したと難癖を付けられて、国外追放されていた……父上の手の内にいたのか。あの口ぶりからすると、利用されるだけ利用されて打ち捨てられたのだろう。ひどい……。
「悪しき風は、獣の姿に……」
フロストが、まるでフロストではないかのような声で呟く。腰が抜けて立てないようだ。助け起こそうと手を差し伸べたところで、生温かい突風に僕を含め一帯の衛兵らが蹴散らされた。
「フロスト! 我が真の伴侶よ!」
父上だった化け物がそう宣い、ドスドスと地面を鳴らして向かってくる。豚鼻からは大量の粘液が溢れ、細められた目はいやらしくて寒気が走る。白い指人形……もといフロストは、あっという間に化け物の手に捕らえられてしまった。
「おお、愛い奴じゃ……健気に城の者の味方をしおって……もう善人ぶる必要はないぞ。お前も一緒にこの国に復讐を果たすのだ……」
「ああ、助けて……うあ…………」
匂いを嗅いでいるのだろうか、自分の指ほどもないフロストに鼻を擦り付けて、化け物は愉悦の表情を浮かべている。豚鼻の粘液に塗れてこちらに手を伸ばしているフロストだが、すぐにその腕も取り上げられて口の中でしゃぶられる。
フゴフゴと嫌悪しか感じない笑い声が響く。……気持ち悪い。吐き気を堪えてへたり込んだ。先程まで僕のすぐ隣のいた、フロストが。……粘液で顔を覆われて、もう……息ができないのか、手先だけを震わせて……
皆、フロストを城に受け入れていた。衛兵らの尊敬も集めてきた。
なのに……誰も、動けない……今の父上に楯突くことは“即死”を意味する――――。
「ハッ!!」
小さな粒が父上の横っ面にぶち当たり、巨体は地響きを立てて地に伏せる。豆粒はフロストを握りしめたまま離さない父上の拳に駆け寄り、何度もレイピアで刺す。刺す、刺す。やがて父上が悲鳴をあげてのたうち回り、フロストは彼によって救出された。
明け方の陽光に照らされた、英雄の象徴である美しい蒼髪が眩しい――――ジャオの父親だ。
「ハッ……ハッ……」
手で粘液を払われたフロストは、必死に呼吸をして、朦朧とした視線で自分を抱き抱える英雄を見る。一目確認するとすぐに気絶してしまい、そのまま抱えられて僕のもとに戻ってきた。
「フロスト……!」
「気絶しているだけです。回復魔法が使える者は」
「はい! 私が!」
城から飛び出してきたのは先程、僕が逃した女性だ。気付けば数人の子どもが軍の負傷者を手当てしてまわっている。皆、危険をいとわずに協力してくれている。勝つために。
僕には、何ができるのだろう……。
「ゲホッ!!」
フロストが粘液を吐き出して飛び起きる。回復魔法が効いたのだろう。傍らに僕を見つけると、みるみるうちに涙目になっていく。
「み、見られたくなかった、あなたには……こんな、姿……」
「フロスト……いいから」
「う、ううう、よりによって……あの男に、助けられた……!」
顔を隠すかのように地面に付したかと思うと、そのまま拳で地面を叩きつけている。悲しんでいるのか怒っているのかわからない。きっと彼の中でも混沌としている。
「助かってよかった。何も恥じることはないよ」
「いいえ、生き恥です……今すぐ死んでしまいたい……」
「フロスト……」
取り乱しているとはいえ、本心なのだとわかってしまう。人一倍プライドの高いフロストは、何者にも傷つけられてはならなかった。孤高の存在でいたかった。もう僕だって気付いている。フロストはこれまで僕の知らないところで父上に害され、略取され――――それをずっと、僕にひた隠しにしていたのだ。
手を握る。粘液がまだ纏わりついていて正直気味が悪いが、そんなものを気にするよりフロストの心を護りたかった。粘液の向こうの肌の感触。温かさ。これが損なわれなくてよかった。最初は胡散臭い奴と思ったし嫌いだったけれど、今なら宣言できるよ。
「お前は僕の友達だ。生きて、乗り越えよう」
「あ……」
「何があっても僕が護るから」
「ううッ……!」
フロストが僕の手を握り返す。完全に首を垂れていて表情は見えないが、号泣している。感情のままに、言葉が搾り出される。
「僕が異国の民だから、オトメのように子を産めるのではないかと……何度も、試されてっ……」
「…………うん」
「それが無理だとわかってからも、散々オモチャにされた……耐え難い屈辱を…………なんで、僕は助けに来た側なのに……こんな…………」
フロストが受けた仕打ちを理解するにはもう十分だった。背中を摩りながらフロストの温もりに浸る。それでも、生きていてくれてよかった。残酷かもしれないけど、フロストが死にたいと願っても――――僕は、彼に生きていて欲しい。
「お前の目的は果たせただろう……?」
「……僕がここに来る必要なんて、最初からなかったんだ」
「違う。お前は頑張ったよ。僕、お前に出逢えて嬉しいんだ。これからのことはまた考えればいいさ。この国に残ってもいいし、異国に帰っても」
「ベル様……」
フロストの悲しみのすべてはまだ理解できないけれど……僕が思うよりもずっと悲痛な決意を胸に、この国にやって来たのだろう。戦争が終わったら、話してくれるだろうか。
フロストは自分を「僕」と言った。まだ僕は本当の彼を知らないのかもしれない。
知りたい。もっと、彼のことが知りたい。対等な、友人として。
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