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第76話 さよなら
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普段の彼など見る影もなく子どものように泣きじゃくるフロスト。
それを宥めながら僕は戦場に視線を移した。
ルシウスとジャオ、それにジャオの父親が果敢にも化け物と化した父上に挑んでいる。だが……戦況は芳しくない。三人合わせたって到底父上の巨体を見上げるばかり。なにせ体格の差が絶望的なのだ。
ジャオの父は先程飛び蹴りで力を脚に貯めて放ったし、何より不意を突けたから通用したが……もうその隙を見せてはくれない。飛び回る三人を腕だけで追いかけ回して、粘液塗れの醜い顔で余裕そうに笑っている。
「愚かな人間よ……私は人智を超えた存在……敵うと思うか!!」
「グッ!!」
ついにジャオの父親が捕まった。大きな拳で掴まれながら必死にレイピアを刺すが、まるで効いていない。鈍い金属音だけが虚しく響く。防御魔法ですでに全身を覆っているのだろう。
「英雄よ、先程はよくも邪魔してくれたな? この私に逆らった報いを受けるがいい!」
「グアああああああっ!!!」
バキバキバキバキ! 嫌な音がして男の絶叫が辺りに満ちた。一瞬にして気を失ったようだ。四肢も胴体も、ぷらんと人形のように垂れ下がっている。
……嘘だ…………あんなに強い人が、一撃で…………。
「虫の息だな。お前は長い時間、苦しみながら死ね」
先程の老爺と同じようにゴミのように投げ捨てられた。彼は動かない。ジャオは横目で確認しつつも、父親を助け起こしに行く余裕はない。父上から一瞬でも目を離せば――――二の舞だ。
「ああ……あああ…………」
フロストが傍らで頭を抱えている。僕は彼の手を握り、恐怖に耐えた。このままジャオもルシウスもやられてしまえばもう……僕らに勝ち目はない。
「ジャオ、親父さん連れてけ!!」
ルシウスが飛び出した。長い詠唱を早口で唱えて特大の炎魔法を放つが、ズッ……! 父上が深呼吸をするだけで、なんとその巨大な鼻の穴にすべて飲み込まれてしまった。
「嘘だ……ろ……」
呆気に取られているところを叩き落とされる。自然と僕も頭を抱えた。
こわい――――ルシウスまでやられてしまうなんて……父上以上の魔力を持っているのに?
正攻法でもダメ、トルテも……ダメだ、精霊を信仰していない父上にトルテの力は通用しない――――。
絶望の淵の中、震えながらルシウスがいたぶられる悲鳴を聞いていた。耳を塞いでも、父上の声が直接鼓膜を震わせるように体内に響いてくる。
「防御魔法をしたって無駄だぞ! 圧倒的な力の差で貫通する! お前の、身体を!!」
「グギいいいいっ!!!」
――――また、絶叫。
唐突にルシウスの声が途絶え、おそるおそる見ると……腹に、穴が空いている……生きている、のか……? 死体にしか見えない…………。
「ああ……あああ~ッ……」
自然と声が漏れる。涙も涎も垂れ流して蹲る。
死なないで……お前が死んだら、僕は……ユーリは…………これから、どうやって…………?
「さて、最後はお前だな、英雄の息子よ」
弾かれたように視線を戻した。ジャオの息が上がっている。父上の圧に押し潰されまいと強い視線をぶつけて歯を食いしばっている。
ジャオは強い……けど、彼だって人間なんだ、あんな、化け物と……どうして戦わなくちゃならないんだ…………勝てないと、わかっているのに…………?
「お前を、許さない……!」
「許さない? それはこっちのセリフだ。英雄の息子、能無しの代表よ。お前のような異分子が産まれてきたせいでこの国は崩れた」
「異分子はお前だ……!」
「ほう、なら異分子同士、決着をつけるとしようか……!?」
ジャオの怒りが見える。灼熱の輝きが彼を纏い、跳躍力を倍増させる。父上の眼前まで飛び上がって全身を乗せた拳を額に命中させるが、父上はびくともしない。粘液の音をニチャニチャ立てながら、ジャオの身体を父親同様掴み取ろうとする。寸でのところでそれを避けて、なんと鼻の穴に自ら飛び込んだ。
父上が痛みに飛び跳ねる。きっと防御魔法は体内にまで及んでいないのだ。このまま崩せるかと思ったが、父上はフン! と鼻に力を入れてすぐに大量の粘液とともにジャオを排出してしまった。
粘液に自由を奪われてジタバタしている……もしかしてジャオ……動けない……?
「馬鹿な奴だ。死ね」
父上は手をかざし、無情にも動けないジャオに魔法を放った。閃光がジャオの胸を貫き――――
「アアアアアアアアアアッ!!!!!!」
悲痛な女人の悲鳴が世界を揺るがすかのごとく響き渡る。自分の声だとは気付かなかった。
だってジャオの胸に。穴が。
心臓……ない……ジャオ……嘘だろう? 僕を置いて、お前……死ぬワケ、ないよな……?
「アアアアアッ、アアアアアッ……!!!!!!!」
「ベル様、落ち着いて、ベル様ッ……ベル!!!」
「アアアアアッ、アアアアアッ」
フロストが僕を拘束する。落ち着かせようとしてくれている。わかっているのに身体が言うことを聞かない。勝手にビタンビタンと暴れて、フロストを振り払い、壮絶な叫び声を上げ続ける。
「耳障りな声だな、ベルよ……おお。フロストも一緒か……お前らは我が軍で飼ってやるぞ。ほらおいで……」
「アアアアアアアア」
「逃げないと!!! ベル!?!?!?」
わからない。
もう何もわからない。
こんな世界。死んだほうがマシだ。
誰もいなくなる。僕の大切な人全員。
死んだほうがマシだ死んだほうがマシだ死んだほうがマシだ死んだほうがマシだ
――――ベル!
キン! と耳が一瞬聞こえなくなり、宙を浮いた感覚に目が覚める。
僕は、悪夢を見ていたのか……? そうだ、悪夢だ……ジャオもルシウスも死んでしまうなんて、そんな現実あるわけが……。
――――ベル、まだ私がいる
久しぶりに聴いたトルテの声。僕の意識に直接語りかけてくる。その鬼気迫る厳しさに、今しがたの悪夢は現実なのだと思い知らされる。
――――私と、あなたがいるじゃない
「君と、僕だけじゃ……だってジャオはもう、死んでしまったじゃないか……」
――――諦めないで
トルテがそっと僕の指輪に触れる。その瞬間、頭に強い衝撃がきて、ガクンと揺れ――――
気付けば僕は、フロストに名前を呼ばれ続けながら、手を引かれて走っていた。
「ベル! ベル! ベル! ベル!」
「……あ」
「よかった!! もっと早く足を動かして!!」
「こちらです!!」
衛兵が城門に手を掛ける。僕とフロストが中に飛び込むと――――すぐに門が閉ざされ、今しがたすれ違った衛兵の断末魔が、聴こえてくる……。
「いやだっ!!!」
「ベル!!! ……聞いてください、時間がない」
「フロスト、ジャオが、ジャオはっ」
バチン!! ……頬を打たれた。痛みと熱さで瞬間的に胸が空く。怒りを滲ませたフロストが涙目で僕を睨んでいる。
「…………祈るのです」
「え…………」
「聖女たる貴女と、精霊トルテが祈りを捧げれば――――悪しき風は退けられる」
どこかで聞いたことのある話だ……そうだ、フロストが謳ってくれた古い文献の一節だ。
「聖女……って……」
「あなたです。あなたしかいない。数百年前も生きていた王の恋人のベル――――あなたがふたたびジャオ様と結ばれたことには、きっと意味がある」
「そんな……だって僕はただの娼婦だったんだよ……? 聖女なワケが…………ない」
「……精霊に愛されるあなたが、聖女でないワケがないんです」
フロストの断言に胸が熱く燃える。勇気の灯火が全身を温かく包んでくれる。実際にフロストは僕の両手を握って温めてくれた。僕は両手を組んで目を閉じる……隣で同じようにしているトルテの存在を、確かに感じる。
前にも、同じようなことがあった。こんな状況を味わったことも、トルテと一緒に祈るなんてことも、した記憶はないのに――――そうだ、夢を見たんだ。
血の匂いが蔓延る戦場で、僕とトルテは共に命を捧げて、世界は、白くなり――――――――ーートルテは……
「ああっ……?」
慌てて手を解く。夢の内容を思い出そうと頭を抱えて唸る。フロストが慌てて肩に手を置いてきた。
「何をしているんです! 祈るのですよ! 聖女として!!」
「ダメだ…………」
「え!?」
「ダメなんだ…………」
だって、僕は思い出してしまった。
「トルテが、消えてしまう…………」
「ベル…………!」
「消えてしまうんだ…………!」
祈りを捧げた後、どうなるかは明白ではない――――ただ、確信していることがある。
これをやれば、トルテは消える。
僕の前から消えて、世界からも、いなくなる。
「……仕方ないのです。そういう、祈りなのですから」
フロストはかぶりを振って暗い声で呟く。トルテまでいなくなるかもしれないという恐怖に打ちひしがれる僕に、さらなる絶望を突きつけてくる。
「聖女と精霊が祈ればこの国は消える……そして新しく創り変えられる。悪しき風以外、すべてが元通りになるのです」
「元通り…………」
「そう……しかしそこに精霊の加護はない。精霊はもともと魂だけの存在です。それをこの国の先祖と契約することだけでこの地に留めてきた。反故にすれば当然、精霊は世界から消えてなくなります」
荒くなる息を抑えながら、もう一度目を閉じる。トルテは隣にいる。目を閉じ、手を組んで……祈り続けている…………。
どうして? 自分が消えてしまうのに…………?
――――ベル、祈って
トルテまでもが僕にそう訴える。でも、だって。僕が祈ることでトルテが消えるなんて…………トルテは、ずっと僕の隣に居てくれた……トルテがいなけりゃ、元通りなんかじゃない…………トルテのいない新しい国なんて、僕は……認められない……!
「ベル、受け入れるのです。……もともと精霊は誰にも見えてはいけない存在……彼女はきっと、あなたを愛して、愛し尽くして……禁忌を犯した……」
「そんな、そこまでしてくれたトルテを、僕は……消すことなんてできない……!」
どうして? どうしてこんなにも身を切られるような思いなんだろう……
トルテの可愛い笑顔、無邪気な仕草……僕は、全部知ってる……だってトルテは……僕の、
「ハア、ハアッ……!」
「ベル……! 決断してください!」
思い出せない。この世で一番愛しい存在の筈なのに。トルテって誰だ。誰なんだ。精霊なんかじゃない。トルテは、トルテは、僕の大切な…………。
――――ベル
トルテが僕の目を覆う。妖精にしては少し大きな手、だけど……僕の手には及ばない、小さくて柔らかい、女の子の、手。
――――また、きっと会えるよ
「ハアッ…………!!」
心臓が切り刻まれるみたいだ。どうしてこんな思いを何度もしなくちゃならない。僕は、前にも……トルテを、喪ったのか……………………だけど、
――――絶対に、会いにくるよ
涙に濡れたその声を信じたくて、誰よりも、僕が信じてあげなくちゃいけない気がして、何度も頷く。震える両手に力を込めて指を組んだ。
滅びかけているこの国を、消して。そしてまた新たな未来をください。
僕と、ジャオと、トルテが――――幸せに暮らせる未来を…………。
トルテの祈る顔が瞼の裏に浮かんでくる。温かな光が身体を包む。僕では抱えきれないほどの魔力が、流れ込んでくる――――トルテのものだ。トルテが僕を通じて、自分の干渉できない領域へ力を放とうとしている。
世界一愛おしい、僕の可憐な少女……
姿が、薄れて…………
隣に感じる温もりが、消えていく…………。
「未来を……!」
口にすると、僕の中で膨れ上がっていた魔力が一瞬にして消え去った。急激な虚脱感に襲われて、その場に四つん這いで呼吸を荒げる。
「ぐアアアアアアアア」
父上の恐ろしい悲鳴。扉の隙間からは煌々と光が漏れている。……この先にどんなに恐ろしい光景が広がっていても、僕は……そこにいかないと、いけない。
フロストの制止を振り切り、確かな足取りで外に飛び出した。
それを宥めながら僕は戦場に視線を移した。
ルシウスとジャオ、それにジャオの父親が果敢にも化け物と化した父上に挑んでいる。だが……戦況は芳しくない。三人合わせたって到底父上の巨体を見上げるばかり。なにせ体格の差が絶望的なのだ。
ジャオの父は先程飛び蹴りで力を脚に貯めて放ったし、何より不意を突けたから通用したが……もうその隙を見せてはくれない。飛び回る三人を腕だけで追いかけ回して、粘液塗れの醜い顔で余裕そうに笑っている。
「愚かな人間よ……私は人智を超えた存在……敵うと思うか!!」
「グッ!!」
ついにジャオの父親が捕まった。大きな拳で掴まれながら必死にレイピアを刺すが、まるで効いていない。鈍い金属音だけが虚しく響く。防御魔法ですでに全身を覆っているのだろう。
「英雄よ、先程はよくも邪魔してくれたな? この私に逆らった報いを受けるがいい!」
「グアああああああっ!!!」
バキバキバキバキ! 嫌な音がして男の絶叫が辺りに満ちた。一瞬にして気を失ったようだ。四肢も胴体も、ぷらんと人形のように垂れ下がっている。
……嘘だ…………あんなに強い人が、一撃で…………。
「虫の息だな。お前は長い時間、苦しみながら死ね」
先程の老爺と同じようにゴミのように投げ捨てられた。彼は動かない。ジャオは横目で確認しつつも、父親を助け起こしに行く余裕はない。父上から一瞬でも目を離せば――――二の舞だ。
「ああ……あああ…………」
フロストが傍らで頭を抱えている。僕は彼の手を握り、恐怖に耐えた。このままジャオもルシウスもやられてしまえばもう……僕らに勝ち目はない。
「ジャオ、親父さん連れてけ!!」
ルシウスが飛び出した。長い詠唱を早口で唱えて特大の炎魔法を放つが、ズッ……! 父上が深呼吸をするだけで、なんとその巨大な鼻の穴にすべて飲み込まれてしまった。
「嘘だ……ろ……」
呆気に取られているところを叩き落とされる。自然と僕も頭を抱えた。
こわい――――ルシウスまでやられてしまうなんて……父上以上の魔力を持っているのに?
正攻法でもダメ、トルテも……ダメだ、精霊を信仰していない父上にトルテの力は通用しない――――。
絶望の淵の中、震えながらルシウスがいたぶられる悲鳴を聞いていた。耳を塞いでも、父上の声が直接鼓膜を震わせるように体内に響いてくる。
「防御魔法をしたって無駄だぞ! 圧倒的な力の差で貫通する! お前の、身体を!!」
「グギいいいいっ!!!」
――――また、絶叫。
唐突にルシウスの声が途絶え、おそるおそる見ると……腹に、穴が空いている……生きている、のか……? 死体にしか見えない…………。
「ああ……あああ~ッ……」
自然と声が漏れる。涙も涎も垂れ流して蹲る。
死なないで……お前が死んだら、僕は……ユーリは…………これから、どうやって…………?
「さて、最後はお前だな、英雄の息子よ」
弾かれたように視線を戻した。ジャオの息が上がっている。父上の圧に押し潰されまいと強い視線をぶつけて歯を食いしばっている。
ジャオは強い……けど、彼だって人間なんだ、あんな、化け物と……どうして戦わなくちゃならないんだ…………勝てないと、わかっているのに…………?
「お前を、許さない……!」
「許さない? それはこっちのセリフだ。英雄の息子、能無しの代表よ。お前のような異分子が産まれてきたせいでこの国は崩れた」
「異分子はお前だ……!」
「ほう、なら異分子同士、決着をつけるとしようか……!?」
ジャオの怒りが見える。灼熱の輝きが彼を纏い、跳躍力を倍増させる。父上の眼前まで飛び上がって全身を乗せた拳を額に命中させるが、父上はびくともしない。粘液の音をニチャニチャ立てながら、ジャオの身体を父親同様掴み取ろうとする。寸でのところでそれを避けて、なんと鼻の穴に自ら飛び込んだ。
父上が痛みに飛び跳ねる。きっと防御魔法は体内にまで及んでいないのだ。このまま崩せるかと思ったが、父上はフン! と鼻に力を入れてすぐに大量の粘液とともにジャオを排出してしまった。
粘液に自由を奪われてジタバタしている……もしかしてジャオ……動けない……?
「馬鹿な奴だ。死ね」
父上は手をかざし、無情にも動けないジャオに魔法を放った。閃光がジャオの胸を貫き――――
「アアアアアアアアアアッ!!!!!!」
悲痛な女人の悲鳴が世界を揺るがすかのごとく響き渡る。自分の声だとは気付かなかった。
だってジャオの胸に。穴が。
心臓……ない……ジャオ……嘘だろう? 僕を置いて、お前……死ぬワケ、ないよな……?
「アアアアアッ、アアアアアッ……!!!!!!!」
「ベル様、落ち着いて、ベル様ッ……ベル!!!」
「アアアアアッ、アアアアアッ」
フロストが僕を拘束する。落ち着かせようとしてくれている。わかっているのに身体が言うことを聞かない。勝手にビタンビタンと暴れて、フロストを振り払い、壮絶な叫び声を上げ続ける。
「耳障りな声だな、ベルよ……おお。フロストも一緒か……お前らは我が軍で飼ってやるぞ。ほらおいで……」
「アアアアアアアア」
「逃げないと!!! ベル!?!?!?」
わからない。
もう何もわからない。
こんな世界。死んだほうがマシだ。
誰もいなくなる。僕の大切な人全員。
死んだほうがマシだ死んだほうがマシだ死んだほうがマシだ死んだほうがマシだ
――――ベル!
キン! と耳が一瞬聞こえなくなり、宙を浮いた感覚に目が覚める。
僕は、悪夢を見ていたのか……? そうだ、悪夢だ……ジャオもルシウスも死んでしまうなんて、そんな現実あるわけが……。
――――ベル、まだ私がいる
久しぶりに聴いたトルテの声。僕の意識に直接語りかけてくる。その鬼気迫る厳しさに、今しがたの悪夢は現実なのだと思い知らされる。
――――私と、あなたがいるじゃない
「君と、僕だけじゃ……だってジャオはもう、死んでしまったじゃないか……」
――――諦めないで
トルテがそっと僕の指輪に触れる。その瞬間、頭に強い衝撃がきて、ガクンと揺れ――――
気付けば僕は、フロストに名前を呼ばれ続けながら、手を引かれて走っていた。
「ベル! ベル! ベル! ベル!」
「……あ」
「よかった!! もっと早く足を動かして!!」
「こちらです!!」
衛兵が城門に手を掛ける。僕とフロストが中に飛び込むと――――すぐに門が閉ざされ、今しがたすれ違った衛兵の断末魔が、聴こえてくる……。
「いやだっ!!!」
「ベル!!! ……聞いてください、時間がない」
「フロスト、ジャオが、ジャオはっ」
バチン!! ……頬を打たれた。痛みと熱さで瞬間的に胸が空く。怒りを滲ませたフロストが涙目で僕を睨んでいる。
「…………祈るのです」
「え…………」
「聖女たる貴女と、精霊トルテが祈りを捧げれば――――悪しき風は退けられる」
どこかで聞いたことのある話だ……そうだ、フロストが謳ってくれた古い文献の一節だ。
「聖女……って……」
「あなたです。あなたしかいない。数百年前も生きていた王の恋人のベル――――あなたがふたたびジャオ様と結ばれたことには、きっと意味がある」
「そんな……だって僕はただの娼婦だったんだよ……? 聖女なワケが…………ない」
「……精霊に愛されるあなたが、聖女でないワケがないんです」
フロストの断言に胸が熱く燃える。勇気の灯火が全身を温かく包んでくれる。実際にフロストは僕の両手を握って温めてくれた。僕は両手を組んで目を閉じる……隣で同じようにしているトルテの存在を、確かに感じる。
前にも、同じようなことがあった。こんな状況を味わったことも、トルテと一緒に祈るなんてことも、した記憶はないのに――――そうだ、夢を見たんだ。
血の匂いが蔓延る戦場で、僕とトルテは共に命を捧げて、世界は、白くなり――――――――ーートルテは……
「ああっ……?」
慌てて手を解く。夢の内容を思い出そうと頭を抱えて唸る。フロストが慌てて肩に手を置いてきた。
「何をしているんです! 祈るのですよ! 聖女として!!」
「ダメだ…………」
「え!?」
「ダメなんだ…………」
だって、僕は思い出してしまった。
「トルテが、消えてしまう…………」
「ベル…………!」
「消えてしまうんだ…………!」
祈りを捧げた後、どうなるかは明白ではない――――ただ、確信していることがある。
これをやれば、トルテは消える。
僕の前から消えて、世界からも、いなくなる。
「……仕方ないのです。そういう、祈りなのですから」
フロストはかぶりを振って暗い声で呟く。トルテまでいなくなるかもしれないという恐怖に打ちひしがれる僕に、さらなる絶望を突きつけてくる。
「聖女と精霊が祈ればこの国は消える……そして新しく創り変えられる。悪しき風以外、すべてが元通りになるのです」
「元通り…………」
「そう……しかしそこに精霊の加護はない。精霊はもともと魂だけの存在です。それをこの国の先祖と契約することだけでこの地に留めてきた。反故にすれば当然、精霊は世界から消えてなくなります」
荒くなる息を抑えながら、もう一度目を閉じる。トルテは隣にいる。目を閉じ、手を組んで……祈り続けている…………。
どうして? 自分が消えてしまうのに…………?
――――ベル、祈って
トルテまでもが僕にそう訴える。でも、だって。僕が祈ることでトルテが消えるなんて…………トルテは、ずっと僕の隣に居てくれた……トルテがいなけりゃ、元通りなんかじゃない…………トルテのいない新しい国なんて、僕は……認められない……!
「ベル、受け入れるのです。……もともと精霊は誰にも見えてはいけない存在……彼女はきっと、あなたを愛して、愛し尽くして……禁忌を犯した……」
「そんな、そこまでしてくれたトルテを、僕は……消すことなんてできない……!」
どうして? どうしてこんなにも身を切られるような思いなんだろう……
トルテの可愛い笑顔、無邪気な仕草……僕は、全部知ってる……だってトルテは……僕の、
「ハア、ハアッ……!」
「ベル……! 決断してください!」
思い出せない。この世で一番愛しい存在の筈なのに。トルテって誰だ。誰なんだ。精霊なんかじゃない。トルテは、トルテは、僕の大切な…………。
――――ベル
トルテが僕の目を覆う。妖精にしては少し大きな手、だけど……僕の手には及ばない、小さくて柔らかい、女の子の、手。
――――また、きっと会えるよ
「ハアッ…………!!」
心臓が切り刻まれるみたいだ。どうしてこんな思いを何度もしなくちゃならない。僕は、前にも……トルテを、喪ったのか……………………だけど、
――――絶対に、会いにくるよ
涙に濡れたその声を信じたくて、誰よりも、僕が信じてあげなくちゃいけない気がして、何度も頷く。震える両手に力を込めて指を組んだ。
滅びかけているこの国を、消して。そしてまた新たな未来をください。
僕と、ジャオと、トルテが――――幸せに暮らせる未来を…………。
トルテの祈る顔が瞼の裏に浮かんでくる。温かな光が身体を包む。僕では抱えきれないほどの魔力が、流れ込んでくる――――トルテのものだ。トルテが僕を通じて、自分の干渉できない領域へ力を放とうとしている。
世界一愛おしい、僕の可憐な少女……
姿が、薄れて…………
隣に感じる温もりが、消えていく…………。
「未来を……!」
口にすると、僕の中で膨れ上がっていた魔力が一瞬にして消え去った。急激な虚脱感に襲われて、その場に四つん這いで呼吸を荒げる。
「ぐアアアアアアアア」
父上の恐ろしい悲鳴。扉の隙間からは煌々と光が漏れている。……この先にどんなに恐ろしい光景が広がっていても、僕は……そこにいかないと、いけない。
フロストの制止を振り切り、確かな足取りで外に飛び出した。
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