「磨爪師」~爪紅~

大和撫子

文字の大きさ
41 / 65
第三十九帖 永久の華

枕草子の夢⑦ ~春はあけぼの・中編~

しおりを挟む
 清少納言は深く溜息をつくと、諦めたように笑った。

「……実はね、定子様からも、戻って来なさいってふみは何度か頂いているの」
「それなら、どうして……」
「だからと言って!」

 清少納言は強めの口調で鳳仙花の問いを退ける。

「……だからと言って、はいそうですね、なんてほいほい戻れると思う?」
「そ、それは……」

 鳳仙花は文壇のみに留まらず、他の部署でも女房たちが陰口を叩いていた事を振り返る。清少納言はそんな彼女を寂しそうに見つめる。

「文壇でも、あからさまだったじゃないの。コソコソと私の方を盗み見しながら話してて。私が側を通るとサッと黙って。そして通り過ぎた頃またコソコソ話始めて」
「確かに、そうですね……」
「でしょ?」
「はい。お気持ちは、お察し致します。でも、定子様は……」

 鳳仙花はゆっくりと慎重に言葉を選びながら話始める。

「……あのような事件があって、その後少ししてお邸が全焼されたり。そんな中でご出産を控えてらっしゃいます。どれだけ心細い事でしょう? それだけお辛い中で、定子様は清少納言さんに文壇に戻って欲しい、そう願ってらっしゃる。実際、文壇は荒れ放題になってます。皆様荒み切っているというか。こんな時こそ、清少納言さんのお力が必要! そうお思いになったからこそ、定子様は何度もふみをお出しになったのではないでしょうか」

「でも!」
「ええ、清少納言さんのされた仕打ちは理不尽な濡れ衣です! 不当です! お怒りになるのもごもっともです!」
「それなら……」
「でも! それは、あのような状況の中で疑心暗鬼が生じるのは致し方ないかもしれません。本来ならそんな時こそ全員が一枚岩となって乗り切らないといけない、尚更盛り上げないといけない時期だったと思うのです。それでも清少納言さんに矛先が向いたのは、道長様側の方と親しくしていた、と言うのもあるでしょうけど、それ以上に嫉妬の念が吹き出したのではないかと思うのです」

 清少納言は、普段は殆ど聞き役の彼女がいつになく熱弁を奮う様子にいつの間にか耳を傾けていた。黒水晶のように深く澄んだ彼女の瞳は焔を掲げたように爛々と輝き、微かに上気した頬は桃の花びらのようだ。

(こんなに綺麗な子だったのか……)

 改めて観察する。控えめな化粧を好む彼女。男のなりをしているところがまた妙に色香を漂わせている。

「え? 嫉妬?」

 鳳仙花の言の葉に意外な部分があり、感情の赴くままに問いかける。

「ええ、嫉妬です。嫉妬以外の何ものでもありませんわ」

 鳳仙花は自信を持って答え、にっこりと笑った。お歯黒前の真っ白な歯が仄かに覗く。そして悠然と話しを続けた。

「清少納言さんの溢れる知識、底知れない学力、そして何よりも抜きんでた文才、更に、定子様が御寄せになる絶大な信頼! これを嫉妬しない人がおりますでしょうか? 要するに、皆さん羨ましいのですよ。表立って認めるのは悔しいし恥。でもそのように感じてしまう自分は浅ましいし誰にも知られたくない、よってそのような自分は認められない。……という訳で普段はそう言ったご自身の感情に蓋をしていた訳です。それが、条件が重なって一気に吹き出した」

 そしクスリと笑う。まるで悪戯っ子のように。

「このまま、引き下がっていて宜しいのですの? 是非とも、定子様の御期待にお応えしませんと」

 一通り言いたい事を伝え終わり、清少納言の反応を待つ。

(凄い、激流みたいに言の葉が勢いよく流れでて……)

 清少納言は、次から次へと言の葉を紡ぎだす様子が普段の鳳仙花からはまるで想像がつかず、目を丸くして聞き入っていた。やがて清少納言の唇が照れたように穏やかな弧を描き、意味あり気に切り出した。

「……嫉妬、ねぇ。これはまた随分と褒めてくれたわね。嬉しくなってしまうわ。ところで、鳳仙花さんも嫉妬を感じたりしたのかしら?」

 恐らくは困惑した反応を見せるだろうと鳳仙花を見つめる。けれども彼女は、パッと嬉しそうな笑みを浮かべた。

「はい! 勿論!」

 そして意外なほど素直に堂々と答えた。

「あらあら、そうだったの? 例えば、どんな時に?」

 あまりにも天真爛漫な鳳仙花に、ほんの少しだけ意地悪してやろうという悪戯心が芽生える。

「それは、御門と定子様と清少納言さんとの知的で楽しそうな会話とか」
「それから?」
「定子様が特別に目をかけてらっしゃる御様子とか」
「それから?」
「男の人に人気がおありなところとか」
「ふふ、そうかしらねぇ? まぁいいわ。それから?」
「そこにいらっしゃるだけで場が盛り上がるし、いつも中心にいらっしゃるところとか」

 予想に反してはきはきと素直に即答する彼女に、揶揄おうとした自分を恥じる気もちが芽生える。

「有難う。それだけはっきり言われると照れるわね」
「何よりも……」

 不意に、悲し気な笑みを浮かべる鳳仙花にドキリと鼓動が跳ねた。

「何よりも、清少納言さんの類稀たぐいまれなる文才が羨ましいです」

 そう言った彼女の声は心なしかかすれ、そして瞳は濡れたように黒々とした艶を湛えている。口を挟む事は憚られ、そのまま耳を傾けた。

「母さ……母が亡くなって、しばらくは悲しくて悲しくて行く末に何も見いだせない日々が続きました。当たり前に、母と過ごす筈だった行く末が絶たれ、一時は後を追おうかとすら思いました」

 大粒の涙が頬を伝い始める。抱き締めてやりたくなるも、彼女の話をしっかり最後まで聞くことが最大の癒しになると感じた。

「しばらくは仕事に専念する事で忘れようとしました。でも、その癖忘れ草を枕の下に敷いて眠る事(※①)だけしたくなかった。心のどこかでは、忘れたくなかったんですよね。時間が経つにつれて少しずつ悲しみが薄れ、母との楽しかった思い出、叱られた事、喧嘩した事……色々と思い出すようになったんです。そこで気づきました。人は亡くなっても、大切に思ってくれた人たちの記憶の中で生きてるんだ、て。けれども、時と共に記憶は曖昧に、そして補正されていくものです。だから、母との思い出を日記に記したりしました。その度に思うのです。『清少納言さんみたいに文才があれば、母との思い出を物語風に書いたりして生き生きと永久とこしえに、生きていた記録を遺せるのに』て」

 そこで一旦言葉を止め、涙を両袖で拭う。そして恥ずかしそうに笑うと話を続けた。

「文字の力は、その人を勇気づけ、楽しませ、希望を抱かせるものがあります。そして時の世(※②)の残り、語り継がれ、永久とこしえに生き続けるのです。以前、定子様に頂いた高級な紙、ありましたでしょ?」
「ええ、今も大切にとってあるわ」
「それを使って、定子様の事をお書きになっては如何でしょうか? 定子様ご本人も、御門もお喜びになるでしょうし、今の定子様を大いに癒し、そして勇気づけられると思うのです。何より、後の世に定子様の素晴らしさを知って頂くものとなるのではないでしょうか?」


 鳳仙花の言の葉は、不思議な説得力を持って清少納言の胸を打つのだった。


 

 
(※① 今でいう萱草の事。枕の下に敷いて眠ると忘れたい記憶を忘れさせてくれると信じられていた)
(※② 歴史)
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

【読者賞】江戸の飯屋『やわらぎ亭』〜元武家娘が一膳でほぐす人と心〜

旅する書斎(☆ほしい)
歴史・時代
【第11回歴史・時代小説大賞 読者賞(読者投票1位)受賞】 文化文政の江戸・深川。 人知れず佇む一軒の飯屋――『やわらぎ亭』。 暖簾を掲げるのは、元武家の娘・おし乃。 家も家族も失い、父の形見の包丁一つで町に飛び込んだ彼女は、 「旨い飯で人の心をほどく」を信条に、今日も竈に火を入れる。 常連は、職人、火消し、子どもたち、そして──町奉行・遠山金四郎!? 変装してまで通い詰めるその理由は、一膳に込められた想いと味。 鯛茶漬け、芋がらの煮物、あんこう鍋…… その料理の奥に、江戸の暮らしと誇りが宿る。 涙も笑いも、湯気とともに立ち上る。 これは、舌と心を温める、江戸人情グルメ劇。

【時代小説】 黄昏夫婦

蔵屋
歴史・時代
 江戸時代、東北地方の秋田藩は貧かった。  そんな中、真面目なひとりの武士がいた。同僚からは馬鹿にされていたが真面目な男であった。俸禄は低く貧しい。娘二人と実母との4人暮らし。  秋田藩での仕事は勘定方である。  仕事が終わると真っ直ぐ帰宅する。 ただひたすら日中は城中では勘定方の仕事をまじめにして、帰宅すれば論語を読んで知識を習得する。   そんな毎日であった。彼の名前は立花清左衛門。年齢は35歳。  娘は二人いて、一人はとめ15歳。もう一人は梅、8歳。  さて|黄昏《たそがれ》は、一日のうち日没直後、雲のない西の空に夕焼けの名残りの「赤さ」が残る時間帯のことを言う。「|黄昏時《たそがれどき)」。 「黄昏れる《たそがれる》」という動詞形もある。    「たそがれ」は、江戸時代になるまでは「たそかれ」といい、「たそかれどき」の略でよく知られていた。夕暮れの人の顔の識別がつかない暗さになると誰かれとなく、「そこにいるのは誰ですか」「誰そ彼(誰ですかあなたは)」とたずねる頃合いという意味で日常会話でよく使われた。  今回の私の小説のテーマはこの黄昏である。  この風習は広く日本で行われている。  「おはようさんです」「これからですか」「お晩でございます。いまお帰りですか」と尋ねられれば相手も答えざるを得ず、互いに誰であるかチェックすることでヨソ者を排除する意図があったとされている。  「たそかれ」という言葉は『万葉集』に 誰そ彼と われをな問ひそ 九月の 露に濡れつつ 君待つわれそ」 — 『万葉集』第10巻2240番 と登場するが、これは文字通り「誰ですかあなたは」という意味である。  「平安時代には『うつほ物語』に「たそかれどき」の用例が現れ、さらに『源氏物語』に 「寄りてこそ それかとも見め たそかれに ほのぼの見つる 夕顔の花」 — 『源氏物語』「夕顔」光源氏 と、現在のように「たそかれ」で時間帯を表す用例が現れる。  なおこの歌は、帖と登場人物の名「夕顔」の由来になった夕顔の歌への返歌である。  またこの言葉の比喩として、「最盛期は過ぎたが、多少は余力があり、滅亡するにはまだ早い状態」をという語句の用い方をする。 漢語「|黄昏《コウコン》」は日没後のまだ完全に暗くなっていない時刻を指す。「初昏」とも呼んでいた。十二時辰では「戌時」(午後7時から9時)に相当する。  「たそがれ」の動詞化の用法。日暮れの薄暗くなり始めるころを指して「空が黄昏れる」や、人生の盛りを過ぎ衰えるさまを表現して「黄昏た人」などのように使用されることがある。  この物語はフィクションです。登場人物、団体等実際に同じであっても一切関係ありません。  それでは、小説「黄昏夫婦」をお楽しみ下さい。  読者の皆様の何かにお役に立てれば幸いです。  作家 蔵屋日唱    

楽将伝

九情承太郎
歴史・時代
三人の天下人と、最も遊んだ楽将・金森長近(ながちか)のスチャラカ戦国物語 織田信長の親衛隊は 気楽な稼業と きたもんだ(嘘) 戦国史上、最もブラックな職場 「織田信長の親衛隊」 そこで働きながらも、マイペースを貫く、趣味の人がいた 金森可近(ありちか)、後の長近(ながちか) 天下人さえ遊びに来る、趣味の達人の物語を、ご賞味ください!!

江戸の夕映え

大麦 ふみ
歴史・時代
江戸時代にはたくさんの随筆が書かれました。 「のどやかな気分が漲っていて、読んでいると、己れもその時代に生きているような気持ちになる」(森 銑三) そういったものを選んで、小説としてお届けしたく思います。 同じ江戸時代を生きていても、その暮らしぶり、境遇、ライフコース、そして考え方には、たいへんな幅、違いがあったことでしょう。 しかし、夕焼けがみなにひとしく差し込んでくるような、そんな目線であの時代の人々を描ければと存じます。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

処理中です...