「磨爪師」~爪紅~

大和撫子

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第四十二帖 二つの華

 狭間・中編

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「お久しぶりですね」

 頭中将、藤原斉信ふじわらのただのぶはそう言って一歩近づく。桔梗に似た香りが鼻を掠め、何となく父親を思い出す。鳳仙花は、そのまま後ずさりして逃げ出したい気持ちを懸命に理性で制する。

「お久しぶりでございます。お声をかけて頂き嬉しく思います」

 落ち着いて優雅に応じる。

「あれからあなたにずっとお会いしたい、と思っていて。あっと言う間に時が過ぎてしましました。本日、漸くあなたに合わせたい御方の中のお一人をお連れする事が出来ました」

 斉信はそう言って左脇に避け、道長に道を譲る。

「身に余る光栄にございます」

 鳳仙花はそう応ずると、道長に丁寧に頭を下げた。

「そう構えないでくれ。兼ねてより、そなたに色々話を聞きたいと思うていたところでな。だが、なにぶん急過ぎた故、そなたにも予定があろう? いつなら会えるかそなたの都合を直接聞いておきたくてな」

……神経質な声の質。やっぱりこの人、表面上は鷹揚おうような感じに振る舞っているけど、本質はかなり神経質で執念深いんじゃないかな。私に用があると言うのなら、早めに済ましてしまいたいわ……

「そんな! 私ごときにそのように気を遣って頂くなど恐れ多い。差し支えなければ、今からでしたらすぐに伺えまする」

 と、さも恐縮している風に頭を下げる。道長と斉信は顔を見合わせて笑みを浮かべ合った。

「なんと! それは良かった。今からなら我々にも好都合じゃ」

 道長は声を弾ませた。斉信は軽く道長に一礼すると、「牛車の手配をして参ります」と声をかけ、その場を去った。

……うわ、道長様と二人だけはちょっと困るかも……

 内心では大いに戸惑いながらも、道長に微笑んでみせる。その時初めて、道長からは菊の花に似た香りがする事に気付いた。

「では、斉信が戻って来るまでの間、少し庭を歩こう」
「はい」

 素直に従い、庭に出る。庭は桜の花びらが、最後の散り際を見せていた。ところどころ群れをなして咲く菜の花の黄色が目に鮮やかだ。咽返るような甘い香りが風に乗ってあちこちに充満している。しばらくその場に佇み、無言でいる二人。

「……わしはな、どうもこの桜の散る場面はどうしても好きになれぬのじゃ」

 やがて、ポツリと呟くようにして道長は言った。その時、鳳仙花の耳に

『……桜の花のように、散り際は潔くありたいものだな……』

 そう言って微笑む隆家が甦る。爽やかな若草の香りと、しょうのように深みのある声も。

「何故で、ございますか?」

 穏やかにそう問いかけながらも鳳仙花は確信する。

……この人は、隆家様とは正反対なのだ。何もかもが……

「そうじゃな、何となく、桜吹雪と諦め、これが一緒のような気がしてな」
「桜吹雪と、諦め……あぁ、成る程」
「何事も、諦めたらそこで終わってしまうと思うのじゃ。不屈に何度も立ち上がる魂こそが、己を強くし。底知れぬ力を発揮させるものじゃ。故に、何も足掻かずにすぐに散ってしまう桜は好きにはなれぬ。見たくれだけ気にしている色好みの女や男のようでな」

 と、道長はハッハッハッ、と笑った。だが、どこか寂しそうな笑いだった。

「成る程。さすがです、道長様。見識が広がりました」

 鳳仙花はしきりに感じ入った、というように頷いた。

……それは違うわ。桜は咲ける期間が儚く玉響たまゆらである事を知っているからこそ、一生懸命に自分の花を咲かせるの。いつ散っても、悔いのないように今を真剣に全力で生きるの。だから散り際は、あんなにも潔く見事で、人の胸を打つのよ。人の生き様に「こたえ」なんて無いのだけれど、その生き方は周りを振り回して巻き込んでしまうのではないかしら……

 と心の中で静かに反論しながら。

「ところで、娘に合わせたくてな」

 道長はがらりと口調を変え、愛しそうに目を細める。

……そうしていると、普通の父様、て感じ。どこにでもいるような、娘を愛するただの父親……

 鳳仙花は笑顔で応じながら、そう感じた。その時、草を掻き分ける足音が響く。

「お待たせを致しました。牛車のご用意が出来ました」

 斉信はそう言って、道長に頭を下げる。

「では、参ろうか」
「はい」

 鳳仙花は、隣り合って歩く道長と斉信に従って、少し後片を歩く。

……そう言えば、入内を企んでいるという娘様、確かまだ九歳くらいではなかったかしら……

 とふと思うのだった。程なくして、牛車の待つ場所へと着く。牛飼い童を始め、ずらりと五十人程の従者が頭を下げて待っていた。その数の多さに圧倒される。そして次に、牛車を目にした鳳仙花は、

「まぁ! これは。何て素敵な……畏れ多い……」

 鳳仙花は感激して両袖で口元を覆う。

「お気に召して貰えたかな?」

 道長は揶揄うように問いかけた。斉信はただ笑みを浮かべている。

「き、気に入るも何も、これは…畏れ多くも、勿体無い……」

 それは牛車の中でも四位しい以上の位を持つ公卿たちが乗る事を許された枇榔毛車びろうげのくるまと呼ばれるものであった。枇榔という植物を割いて糸状にしたものを車体に編み込んだもので、車体の側面に物見ものみ(※①)が無い事が特徴の一つである。もう一つの特徴は、糸は煮沸する為色素が抜け、全体的に白っぽくなるところだ。仕事の際、たまたまと遠目から見る事はあったが、間近で見たの葉初めてだ。

「気に入って貰えたようで良かった。さ、参ろう」

 と道長は鳳仙花の右手を優し気に取った。





(※① 窓の事を指す)
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