「磨爪師」~爪紅~

大和撫子

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第四十八帖 二つの華

奇しき筆遣ひ・後編

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「まぁー! 何て素敵なお色なんでしょう!」

 保子は上機嫌で頬を染め、破顔している。彼女は今、目にも鮮やかな牡丹色の布を両手に持ち、目を細めて見惚れていた。

「本当に、牡丹の花びらのお色そのまま。こちらの布なども桃の花のお色そのままで可愛らしいですわ」

 そして白い布の上に広げられた布をもう一枚手に取ると、満足そうに頷く。布の上には生地の他に、竹籠の内側を白い布で保護したものの中に、ぎっしりと白米が詰められている。その他には唐菓子や乾燥果物などが所狭しと置かれていた。

「本当に、有り難い事ね……」

 鳳仙花は笑顔で応じるも、その表情は何故か浮かない。これらの品物は、隆家からの贈り物である。

 彼とふみを交わすようになって二年近くが経つ。仕事が忙しくて日々充実しているのもあり、さほど月日が経った感覚がなかったが、改めて降り返ると時の経つ早さに驚く。ごくたまに、牛車で花見などに出かけたりして逢瀬を楽しむ事もあったが互いの立場上、花や景色を眺めるのは牛車内の物見から簾越しに、という程度だった。そして定期的に贈られて来る上等な品々……。それはとても嬉しく、そして有り難い事であるし、むしろ身に余るほどの事だと感じていた。だが……。

「どうしました? 何か気がかりな事でも?」

 保子は鳳仙花の様子に気づき、それとなく声をかける。何となく、鳳仙花の憂いの原因は予測がついてはいたのだが。

「うん。気がかりというか……その、このままで良いのかな、て近頃特にそう思うの」
……隆家様は、とても優しくしてくださるけれど、手を引いて頂くくらいで、未だ触れあう事すら、していない……

 躊躇いながらも素直に心情を吐露する鳳仙花を愛おしく思いながらも、敢えて何も気がついていない様子を装う。

「このままで良いのか? とは、隆家との御関係が、と言う意味ですか?」
「え? あ、そうそう。そうなの」

 あまりにもズケズケと物を言う保子に一瞬たじろぐも、恐らくは自分の迷いなどお見通しであろう事をすぐに悟る。今更隠しても滑稽なだけだと、諦めたように苦笑いを浮かべた。

「私と隆家様の関係って、何かしら? 保子はどう思う?」
「そうですねぇ。……私の意見を述べる前に、鳳仙花様はどう感じてらっしゃるのですか?」

……やっぱり。保子には見透かされていたわね。まぁ、私の乳母だし。赤ちゃんの時から面倒見てくれてるんだものね……
「敵わないなぁ、保子には。私は、そうね……とても大切に思ってくださるのは分かるの。だけど、私をその……お、女として見てくださっているか? と言えばそれは……何だか……妹を慈しむような感じなのかな、て」
……やっぱり私、ガリガリで小さくて子供っぽいし、て……嫌だ、話している内に顔が熱くなって……

「なるほど。女として見ていないかどうかは……私は非常に何とも言い難いと思うのですよ」

 寂しそうに微笑みながらも次第に頬に赤みが差し、慌てて両袖で頬を隠す鳳仙花。そんな彼女を微笑ましく思いながら保子は話を続ける。

「単なる妹のようにしか思われて居ないのであれば、逢瀬の際には二人きりにはならないでしょう。私も誘う筈です。では恋人か? と問われればそれも少し違う気がします。隆家様がお通いになって一夜を共にされて……所謂衣衣きぬぎぬ(※①)の別れをする事がないですからね。一言で言えば、曖昧な御関係、というところでしょうか」
「……やっぱり、そうよね……」

 鳳仙花は溜息をついた。そのあまりにも萎れた様子に保子はつい、隆家に「はっきりさせて下さい!」と詰め寄りたい衝動に襲われる。そんな自らを落ち着かせるようにして言の葉を切り出す。

「とは言いましても、隆家様にもお立場の事から積極的に出たくても出られないという事も察する事は出来ますし。その上、鳳仙花様のお仕事の事も考え合わせると、お互いに色々と難しいのでしょうし。だけど一つ言えるのは、隆家様は情に篤く、かつ筋はきっちりと通す御方でございます。いい加減なお気もちではない事は伝わります。ですから、今しばらくはこのまま楽しまれるのは如何でしょう?」

 少しずつ明るい表情を取り戻していく鳳仙花を、可愛らしいと感じながら。そこで一旦言の葉を切ると、悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「正式な恋人ではないのですから、隆家様がぐずぐずなさってる間に良い御方が出来るかもしれませんしね。そしたらそちらに乗り変えるか、御二方同時進行で上手くやり抜くのもありですよね」
「ふふふ、何それ? しきたりを重んじるあなたから、そんな言の葉が飛び出すなんて」

 鳳仙花は可笑しそうに笑いながら、いつの間にか心が軽くなってきている事に気付く。

「そりゃ、時の世は移り変わりが激しいですからね。臨機応変に対応出来る柔軟性がないと、やっていけませんから。……特に今は、ですよ。いよいよ、道長様の娘様が裳着の儀式を迎えるのだそうで。そうなると正式な入内はすぐでしょうし。その裳着の儀式の磨爪術をさせて頂けるのでしょ? 大変に名誉な事ですけれど、慎重にいかないと裏切り者と思われてしまっても厄介ですし。今は色恋よりもこちらを優先すべきかと」
「そうね、あなたの言う通りだわ」

 鳳仙花は神妙な面持ちで答えた。保子の言葉の通り、鳳仙花は今危うい立場にいた。


 その頃、定子は一条天皇との間に二人目の御子を妊娠していた。中関白家の復活を賭けて今度こそ皇子を! 定子は戦い抜く決意を新たにしていた。

「……ころは、正月。三月、四月。五月。七、八、九月。十一、二月。すべておりにつけつつ、一年ひととせながらをかし」(※②)
【意訳】
(……時の頃は正月。三月、四月。五月。七、八、九月。十一、二月。全て折につけ一年中素敵!)

 定子は清少納言が執筆しているものを嬉しそうに声をあげて読みあげている。清少納言は、そんな定子を微笑みながら見守っていた。

 出産を控えた定子は、自邸が全焼してしまった為里帰りが出来ない。代わりの邸を提供してやろうという公卿や殿上人は現れず、下級侍従の一人の厚意で貸し出された家に身を寄せていた。
 誰も彼もが、道長を恐れ、彼に嫌われたら大変だとばかりにこぞって道長の機嫌を取り始めていた。ギリギリのところで立っている定子を少しでも慰め、癒し、元気が出るようにと願いを込め、全身全霊を傾けて執筆しては定子に見せる。清少納言はそんな日々を過ごしていた。最早、定子が出家した事、元より長徳の政変などはじめから無かった事にして。

 


 

(※① 後に後朝の別れと書かれるようになる)
(※② 枕草子 第二段「ころは」)
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