「磨爪師」~爪紅~

大和撫子

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第四十九帖 紫雲と藤花

藤壺・中編

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 ゆるりと揺れる唐車。車内には道長が座っている。賀茂詣かももうで(※①)にいくのだ。通常は四月に行うのだが、晴明に卜わせ他たところ、此度は彰子の正式な入内の前に特別に参拝すべしとの事だった。車の後ろの方より馬を走らせる隆家がいた。兵部卿ひょうぶきょうとして役割、道長の護衛である。

(以前は私の部下だったものが、上役になっているのは滑稽極まりないな。だが、面倒な上役どもの付き合いがなくて気は楽だ)

 そんな風に思いながら馬に揺られていた。車内では道長が、

(花山院乱闘事件の事を弁明するには、晴明によれば今日が吉と出た。あやつも、左遷させられてさぞや居心地が悪かろう。私が親しく声をかけて車に招き入れ、身の潔白を晴らした、と物語に書かせようか(※②)

 と、僅かに緊張しながら隆家に声をかける機会を窺っていた。物見を開け、「これ」と車の隣に寄り添うようにして馬を走らせる蔵人頭くろうどのとうに声をかける。「はっ!」と耳を傾ける彼に、隆家を呼ぶよう申し付けた。

(私に今更何のようだ? まさか、嫌味の小言でも浴びせるつもりか?)

 知らせを受けた隆家は、半ばうんざりしながら車に近づく。

「こちらにお乗りなさいよ。久しぶりにお話をしましょう」

 取ってつけたような笑みを浮かべながら、道長は御簾を上げた。

「は、はい……」
(話なんぞ我は無い! と言いたいところだが、さすがにこれ以上姉上のお立場を悪くする訳にはいかんな。礼儀は尽くさんとな)

 グッと堪え、馬を従者に預けると、招き入れられるままに車内にひらりと飛び乗る。

「この度は、お目でとうございます」

 さっさと話しを終わらせようと、彰子入内の件を寿ことほぐ。

「有難うございます。まぁ、そう堅苦しいお話は抜きにして。……しかし、雪の詣でというのも、なかなか風情ですなぁ」

 道長は親し気に話を始めた。隆家も仕方なく話を合わせる。

「そうそう、以前の花山院の件ですが……」

 程なくして道長は穏やかに切り出した。自分は無関係である事を知らしめる為だ。

(何が、言いたい?)

 隆家は内心で気色ばむ。

「世間ではあの配流の件を、あたかも私が影で糸を引いたように噂されているらしいですがそんな事はあり得ないのですよ。だからこうしてお参りにも来れる訳です。身を清め、身の周りも潔白でなければ参拝など出来ませんからね。もし宣旨にない事を私がしでかしていたなら、穢れた身で参拝など出来やしません」

 と弁明に努めた。

(おう、やはり裏で糸を引いておったか。噂通り皇太后詮子と共に! 自ら認めおって)

 内心では可笑しくて仕方無かったが、涼しい顔で

「さようでございましたか。これで胸のつかえ取れた気が致します。わざわな有難うございまする」

 と丁寧に応じた。道長はホッと胸を撫で下ろしたのは言うまでもない。


 その日の午後、鳳仙花の邸では……。蓬と菊が入り混じったような控えめで清潔な薫りがそこはかとなく漂う部屋に、男女の軽やかな笑い声が響く。御簾越しに対面する、紫、桃色、空色などを重ねた葡萄えびの襲を身に着けた鳳仙花と、雪白の直衣に深い緑色の指貫姿の隆家である。

「まぁ、道長様がわざわざ?」
「あぁ。まさか自らが黒幕でした、と言って来るとは思わなかった」

 再びクスクスと笑い合う二人。午前中の賀茂詣の一件について、隆家は鳳仙花に話して聞かせていた。

「そうそう、道長様と言えば、先日彼の土御門邸つつみかどていで宴が催された際の事だ。私は左遷された立ち場上、招待されていなかったのだが、急な使いがきてな」
「道長様から?」
「あぁ。どういう風の吹きまわしか分からぬが。逢いたくなった、とな。今更参加しても皆酔っている頃だし、気が進まなかったが断る訳にも行かず、参上したのだ。だが頗る気分は良くない。皆酔っていたから、不機嫌な態度が出ぬようにきちんとした佇まいで座っておったわ」
「ええ、それで?」
「道長様はお召し物の紐を解いて寛げと言うてきた」
「まぁ、それはやりにくいですわね」
「あぁ。すると公信卿きんのぶきょうがいきなり『私が解いてしんぜよう』と言うではないか! いささかムッときたのでな『この隆家は不遇な境遇にあるとはいえ、そなたたちにこのような仕打ちをされるいわれはない!』と言い切った!」
「そ、それで……?」

 身を乗り出して真剣に耳を傾ける鳳仙花を、可愛らしく思いこの腕に引き寄せたいと感じつつ話を続ける。

「『これはとんでもない事になりもうした! 一波乱あるぞ』などと皆顔色を変える。そこへ道長様がカラカラと笑いながら『まぁまぁ、皆さん気を楽にして楽しみましょうや。紐はこの道長が解いて差し上げます故』と言ってな、そのまま和やかに宴会が続けられた。私も姉上の手前、やらかしてしまったかも、と少々焦ってな。舞に和歌にと宴を盛り上げたのだよ」(※③)

 照れくさそうに、彼は笑った。

「それはようございました。それにしても、隆家様の舞、拝見させて頂きとうございますわ」

 話の顛末にほっとしながら、夢見るようにして鳳仙花は言う。

「そうか、ではその内に……」
「まぁ、それは楽しみ……」


 楽しそうに会話を交わす二人に、焦れた想いと微笑ましい気持ちが複雑に入り混じった保子と、そして敦也が御簾を挟んだ隣の部屋に控えていた。保子は溜息をつきながら、敦也を見つめる。敦也もまた、何かを言いた気に保子を見つめた。

「私たち、思うところは同じ、のようですわね」

 保子は苦笑いを浮かべる。

「同意致しまする」

 敦也もまた、苦笑しながら答えた。


 それから二日後、彰子は正式に入内する。999年の十一月一日の事である。






(※① 京の賀茂神社に参詣することをいい、特に賀茂祭の前日に摂政・関白が賀茂神社に参詣した)
(※②※③ 大鏡より。いずれも、道長が懐広く人格者のように描かれている)
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