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第八話
ツクヨミ様の想い人 其の一【三】
しおりを挟む「何からお話すれば良いでしょうね……」
彼は戸惑いながらもそう問いかける。瞳に、迷いの影が揺らめいた。猫の目のようにくるくると瞳の色合いが移り変わる。感情が瞳の微妙な色合いに反映されるのだろう。
どこかから話せば良いのか迷ってしまう程に複雑なものが入り混じっているのか。それなら……
「もし、差し支えないのであればお話出来る範囲内で構いませんので。色々お話を聞かせて頂けましたら嬉しいです」
変に気を遣わずに正直にこたえてあげた方が親切だと思う、多分だけれども。彼はほんの少し意外そうに眉を上げると、すぐに柔らかな笑みを浮かべた。それはまるで、厳しい寒さが続く冬の日々の中、束の間に訪れる小春日和を思わせるような笑みだった。
「……あなたの温かいお心遣いに感謝致します」
そう前置きする彼に、自然に口元が綻んでいた。少し前まで、営業スマイルは苦手だったのに。本音は、
『聞きたい、もっと彼の事を知りたい! けれども同じくらい知りたくない』
そんな、相反する複雑感じが渦巻いていた。
「……そもそも、ツクヨミという神の仕事なのですが……」
あたしの本音を見透しているのかどうかは不明だが、彼は再び物憂げな眼差しで窓越しに空を見上げた。
灰色の雨粒は、機械的に降り続けている。
「……前に少しだけお話したように、夜の役割、生きとし生ける者に休息と安らぎとの時を。また、活動が必要とされる者にはその力を。そしてこの世とあの世の境目が混濁しないように監視する事、おおまかに言い増すとこれがツクヨミとして任された仕事です。けれども、実際には付き人である昴を始め、下につく者たちが細々としたやってくれますし。何より、妹のアマテラスや弟のスサノオが神々の皆に慕われていて。神全体がよく機能していて。あまり私の出番も元からないというか……古事記や日本書紀を見れば分かる通り、私の記述が少ないでしょう?」
粋蓮はそう言って、寂しそうに笑った。確かに、月読命は古事記も日本書記にも記述が少ない。少ない故に、ミステリアスな存在として様々なファンタジー作品に登場したりしている。だけどこれは別に、わざわざ伝える必要もない事だろう。言われなくても既に見透していると思うから。
「……そんな訳で。手持ち無沙汰というか。特に遣り甲斐も感じる事もなく、そもそもツクヨミという存在自体の根本に疑問を抱きつつも、機械的に職務を全うする退屈な日々を送っていましたね」
は? 存在意義を疑問に? この世に存在する者たちを超越する高次元が何をほざくのか?
一瞬、説明のつかない怒りと不快感が込み上げた。何故だろう? だが、寂しそうな彼の眼差しを見てすぐに、サーッと引いて行く引き潮のおゆに気持ちが落ち着いた。
「そんな虚しい日々を送っていた時でした。彼女と出会ったのは……」
ドクンと心臓が凍りつくあたしをよそに、彼は再び窓越しに空を見上げた。まるで、天空にいる彼女がいるかのように穏やかに凪いだ眼差しに移り変わる。
「彼女は、月と星の光を集め、地上に届ける役目を持つ巫女の中の一人でした」
その彼女を慈しむように柔らかな声色で、言葉を紡ぎ出す。あたしの脳内に、降れたら消えてしまいそうな程の儚げな美女が思い浮かんだ。
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