11 / 24
第12話:祭壇の主と絶望の淵
しおりを挟む「忘れられた祭壇」の中央、天を突く異様な石柱の根本から湧き上がった黒い霧は、見る間に凝縮し、一つの禍々しい形を取り始めた。それは、言葉で言い表すのもおぞましい、歪みきった巨人のような姿だった。闇そのものを練り上げて作ったかのような体躯は、所々が不定形に揺らめき、実体があるのかないのかさえ判然としない。しかし、その存在から放たれる圧倒的なプレッシャーと、魂の芯まで凍てつかせるような邪悪なオーラは、紛れもなく現実のものだった。
「ま、まさか……あれは……『古き災厄の影』……! この祭壇は、それを封じ込めるためのものだったというのか!」
バルドが、石柱に刻まれた古代文字を読み解いたのか、顔面蒼白になりながら叫んだ。その声は、かつてないほどの恐怖と絶望に染まっている。
「古き災厄の影……!?」ゴルドが息を呑む。「伝承に聞く、世界を幾度も滅亡の危機に陥れたという、あの……!?」
その名を聞いただけで、カイト、シルフィ、ロックの顔にも緊張が走る。ギルドに所属する彼らでさえ、それは禁忌の知識、あるいは御伽噺の中の存在でしかなかったのだろう。
ルナは恐怖に体を硬直させ、俺の背中にしがみつくように隠れた。その小さな震えが、ダイレクトに俺の背中に伝わってくる。俺は彼女を庇うように一歩前に出たが、自分自身の足も鉛のように重く感じられた。
「ク……ル……シ……メ……」
災厄の影としか呼びようのない存在から、地獄の底から響いてくるような、不気味な声が漏れ聞こえた。それは特定の言語ではなかったが、聞く者の精神を直接侵食するような、純粋な苦痛と憎悪の波動だった。
次の瞬間、災厄の影が、その不定形の腕の一本を薙ぎ払った。物理的な攻撃ではなかった。闇色の波動が衝撃波のように空間を走り、俺たちが立っていた地面を広範囲に渡って抉り取ったのだ。
「うわっ!」
「散開しろ!」
俺たちは咄嗟に散開し、辛うじて直撃を避ける。しかし、その余波だけで体が吹き飛ばされそうになり、地面に叩きつけられた者もいた。
「ぐっ……!」ゴルドが、肩を押さえて呻いている。どうやら衝撃で肩を痛めたらしい。
ロックが咄嗟に土魔法で障壁を作り出したが、闇の波動はそれを容易く貫通し、彼自身も吹き飛ばされて壁に叩きつけられた。
「ロック!」カイトが叫ぶ。
「こんな……でたらめな力が……!」俺は愕然とした。ギガンテス・スコローペンドラとは比較にすらならない、次元の違う力だ。
シルフィが素早く矢を番え、災厄の影の核と思わしき部分――黒い霧が最も濃く渦巻いている胸部あたり――に立て続けに三本の矢を放った。エルフの秘技とも言えるその矢は、正確に目標を捉えたはずだったが、まるで実体のない影を射るかのように、何の抵抗もなく霧の中へと吸い込まれて消えてしまった。
「物理攻撃が……効いていない……!?」シルフィが絶望的な声を上げる。
「ならば、魔法だ! セイクリッド・ノヴァ!」
バルドが渾身の魔力を込めて、聖属性の浄化魔法を放つ。祭壇全体が眩い光に包まれ、災厄の影も一瞬、その動きを止めたように見えた。しかし、光が収まると、影は僅かに揺らいだだけで、その邪悪な気配は少しも衰えていない。
「聖属性ですら、この程度か……!」バルドが膝から崩れ落ちそうになるのを、ゴルドが必死で支える。
災厄の影は、俺たちの抵抗を嘲笑うかのように、再びその不定形の腕を振り上げた。今度は、無数の黒い棘のようなものが、影の体から射出され、雨のように俺たちに降り注いできた。
「危ない!」
俺はルナを庇い、地面に伏せる。カイトもシルフィを庇い、ロックは気絶しているのか動かない。ゴルドはバルドを守るように立ち塞がった。
黒い棘は地面に突き刺さると、周囲の生命力を吸い取るかのように、草木を瞬時に枯らしていく。その一本が、俺のすぐそばにいたルナの足元に突き刺さった。
「きゃあっ!」
ルナが短い悲鳴を上げ、その場にへたり込んでしまう。恐怖で顔は真っ青になり、美しい瞳からは涙が溢れていた。その華奢な肩が小刻みに震え、乱れた服の隙間から見える白い肌が痛々しいほどに無防備に見えた。
その瞬間、俺の頭の中で何かがプツンと切れる音がした。
(ルナが……泣いている……震えている……!)
仲間たちが次々と傷つき、絶望的な状況に追い込まれていく。そして、何よりも、俺のすぐそばで、ルナが恐怖に打ち震えている。彼女のあのくすぐったがる声も、今は恐怖の悲鳴に変わり果てている。その姿が、俺の心の奥底にある、歪んでいると分かっていながらも抗えない嗜好と、仲間を守りたいという純粋で強烈な意志を同時に激しく揺さぶった。
「うおおおおおおおおおおっっ!!」
俺の体から、これまで感じたことのないほどの熱い奔流が、まるで堰を切ったように湧き上がってきた。視界が赤く染まり、全身の細胞が沸騰するような感覚。それは、怒り、恐怖、絶望、そして仲間を守りたいという焦がれるような願い、さらにはルナの無防備な姿に対する倒錯した興奮までもが渾然一体となった、制御不能な力の奔流だった。
「レン殿!?」バルドの声が遠くに聞こえる。
俺は、もはや自分の意思とは関係なく、災厄の影に向かって駆け出していた。手に武器はない。だが、今の俺の拳には、岩をも砕くほどの力が宿っているのを感じた。
「させるものか……お前なんかに……俺の仲間を……ルナを……!!」
俺は災厄の影の懐に飛び込み、その不定形の体に、ありったけの力を込めた拳を叩き込んだ。
ズドンッ!という鈍い衝撃と共に、災 wijnの影の体が大きく揺らめき、霧の一部が吹き飛んだ。
(効いた……のか!?)
しかし、喜びも束の間、災厄の影はすぐに体勢を立て直し、俺に向かって無数の闇の触手を伸ばしてきた。
「くそっ!」
俺はそれを紙一重で避け続けるが、触手は次から次へと襲いかかってくる。そのうちの一本が、俺の脇腹を掠めた。激痛と共に、体の力が急速に奪われていくような感覚に襲われる。
(まずい……このままでは……!)
その時、バルドが叫んだ。
「レン殿、待つのじゃ! その影は、直接的な攻撃だけでは倒せん! 古代文字によれば、この祭壇そのものが、奴の力を抑制し、同時に供給もしておる! 祭壇の機能を停止させるか、あるいは……奴の力の源泉を断たねば!」
「祭壇の機能……源泉……!?」
バルドの言葉は、絶望的な戦況に一条の光を投げかけるものだった。しかし、どうやって?
カイトも、ロックを安全な場所へ引きずりながら叫んだ。
「レン、無理をするな! バルドさんの言う通りだ! 何か方法があるはずだ!」
災厄の影は、俺の抵抗が弱まったのを見て、さらに強大な闇の波動を放とうとしていた。その波動が放たれれば、今度こそ俺たち全員が飲み込まれてしまうだろう。
「もう……だめなのか……」
ルナの絶望的な呟きが、俺の耳に届いた。
(いや……まだだ!)
俺は、奪われていく力を振り絞り、再び立ち上がろうとした。
(諦めるな……仲間たちがいる。ルナがいる。俺が……守らなければ!)
その時、俺の脳裏に、カイトたちがギルドの道具として持っていた、あの小型の通信機のような魔道具が思い浮かんだ。そして、ギガンテス・スコローペンドラの素材、バルドが話していた古代の技術、それらが断片的に結びつき、一つの可能性が閃いた。
「バルドさん! あの石柱の文字……もしかして、何かの制御コードのようなものじゃないですか!? 祭壇のエネルギーの流れを……逆転させるとか、暴走させるとか……!」
それは、あまりにも突飛な発想だった。しかし、今の俺には、それしか思いつかなかった。
バルドは俺の言葉に目を見開き、そして、何かに思い至ったように顔を上げた。
「……ありえんことではない! 古代の祭壇には、時に暴走を防ぐための安全装置や、逆に力を解放するための起動スイッチのようなものが隠されていることがある! あの文字の配列……もしや!」
絶望の淵で、ほんの僅かな、しかし確かな希望の光が見えたような気がした。
だが、災厄の影は、俺たちのそんな小さな希望すら打ち砕こうとするかのように、その身に更なる闇を凝縮させ、最終攻撃とも思えるほどの邪悪な波動を放とうとしていた。
「まだだ……まだ終わっていない!」
俺は、残された全ての力を振り絞り、仲間たちと共に、この絶望的な戦いに最後の抵抗を試みようとしていた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
男女比1対5000世界で俺はどうすれバインダー…
アルファカッター
ファンタジー
ひょんな事から男女比1対5000の世界に移動した学生の忠野タケル。
そこで生活していく内に色々なトラブルや問題に巻き込まれながら生活していくものがたりである!
大和型戦艦、異世界に転移する。
焼飯学生
ファンタジー
第二次世界大戦が起きなかった世界。大日本帝国は仮想敵国を定め、軍事力を中心に強化を行っていた。ある日、大日本帝国海軍は、大和型戦艦四隻による大規模な演習と言う名目で、太平洋沖合にて、演習を行うことに決定。大和、武蔵、信濃、紀伊の四隻は、横須賀海軍基地で補給したのち出港。しかし、移動の途中で濃霧が発生し、レーダーやソナーが使えなくなり、更に信濃と紀伊とは通信が途絶してしまう。孤立した大和と武蔵は濃霧を突き進み、太平洋にはないはずの、未知の島に辿り着いた。
※ この作品は私が書きたいと思い、書き進めている作品です。文章がおかしかったり、不明瞭な点、あるいは不快な思いをさせてしまう可能性がございます。できる限りそのような事態が起こらないよう気をつけていますが、何卒ご了承賜りますよう、お願い申し上げます。
【完結】異世界に転移しましたら、四人の夫に溺愛されることになりました(笑)
かのん
恋愛
気が付けば、喧騒など全く聞こえない、鳥のさえずりが穏やかに聞こえる森にいました。
わぁ、こんな静かなところ初めて~なんて、のんびりしていたら、目の前に麗しの美形達が現れて・・・
これは、女性が少ない世界に転移した二十九歳独身女性が、あれよあれよという間に精霊の愛し子として囲われ、いつのまにか四人の男性と結婚し、あれよあれよという間に溺愛される物語。
あっさりめのお話です。それでもよろしければどうぞ!
本日だけ、二話更新。毎日朝10時に更新します。
完結しておりますので、安心してお読みください。
【超速爆速レベルアップ】~俺だけ入れるダンジョンはゴールドメタルスライムの狩り場でした~
シオヤマ琴@『最強最速』発売中
ファンタジー
ダンジョンが出現し20年。
木崎賢吾、22歳は子どもの頃からダンジョンに憧れていた。
しかし、ダンジョンは最初に足を踏み入れた者の所有物となるため、もうこの世界にはどこを探しても未発見のダンジョンなどないと思われていた。
そんな矢先、バイト帰りに彼が目にしたものは――。
【自分だけのダンジョンを夢見ていた青年のレベリング冒険譚が今幕を開ける!】
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる