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第13話:歪な共鳴と禁断の調律
しおりを挟む災厄の影が放とうとする終焉の波動を前に、俺たちの抵抗は風前の灯火だった。バルドの叫びにも似た分析――祭壇の機能、エネルギーの流れの逆転、あるいは暴走――それが唯一の、そしてあまりにも細い蜘蛛の糸。
「祭壇のエネルギーを……逆転、あるいは暴走……!?」俺は喘ぎながら繰り返した。「具体的にはどうすれば……!?」
「古代文字の配列……それはまるで、巨大な楽器の楽譜のようじゃ……! 通常とは異なる和音、禁じられた旋律を奏でること……それによって調和を乱し、強制的に力の流れを変える……あるいは、極度に純粋な、あるいは極度に歪んだ感情の奔流を直接石柱に注ぎ込み、共鳴させることじゃ!」バルドの声は、狂気を孕んだ預言者のように響いた。
「感情の奔流……!?」カイトが眉を顰める。「そんな非科学的な……!」
だが、その言葉を遮るように、災厄の影が蠢いた。その不定形の体から、無数の黒い触手が蛇のように伸び、最も弱っていたルナと、弓を構えようとしていたシルフィに襲いかかったのだ!
「ルナっ!」「シルフィアさん!」
俺とカイトが叫ぶも間に合わず、二人は黒い触手に捕らえられ、宙吊りにされてしまった。苦悶の表情を浮かべ、必死にもがく二人。特にルナは、恐怖と苦痛で顔を歪め、細い手足が虚しく宙を掻く。その姿は、まるで捕食者の玩具にされる小動物のようで、俺の心の奥底にある、最も暗く、最も倒錯した嗜好を直接的に揺さぶった。
彼女の白い喉元、抵抗で乱れた服の隙間から覗く柔肌、そして何よりも、恐怖に引き攣るその表情と、くすぐったいであろう脇腹や足の裏が無防備に晒されている光景――それらが、俺の脳髄に焼き付く。
「あ……あぁ……っ!」
守りたいという焦燥と、この状況に対する背徳的な興奮が、俺の中で危険な化学反応を起こし始めた。バルドの言葉が、まるで天啓のように頭の中で反響する。「極度に歪んだ感情の奔流を直接石柱に注ぎ込み、共鳴させる……」
(歪んだ感情……これか……この、どうしようもない、俺だけの……!)
災厄の影は、二人を人質に取るように、ゆっくりと俺たちを見下ろしている。その邪悪な眼窩(としか思えない部分)が、嘲笑っているかのように細められた。
「ダメだ……レン、正気に戻れ!」ゴルドが俺の異変に気づき叫ぶが、もはや俺の耳には届かない。
俺の体から、紫黒色のオーラがゆらりと立ち昇り始めた。それは聖なる力とは程遠い、粘性と質量を感じさせる、禍々しくも濃密なエネルギーだった。それはまるで、俺自身の歪んだ欲望が具現化したかのようだった。オーラは触手のように伸び、震え、周囲の空間を僅かに歪ませる。
「こ、これは……レン殿の力……なのか? なんという、異様な……」バルドが戦慄の声を上げる。
俺は、その紫黒のオーラを纏ったまま、ふらふらと祭壇の中央にある石柱へと歩み寄った。石柱に刻まれた古代文字が、まるで生きているかのように蠢き、俺を誘っているように見える。
「レンさん……いや……!」ルナの悲痛な声が聞こえる。シルフィもまた、驚愕と恐怖の入り混じった表情で俺を見つめていた。
俺は石柱の前に立つと、その表面にそっと手を触れた。ひんやりとした石の感触。そして、俺の指先から、あの紫黒のオーラが、まるで墨汁を水に垂らしたかのように石柱へと流れ込み始めた。
それは、破壊ではなかった。むしろ、愛撫に近い。俺は、石柱に刻まれた複雑な紋様や古代文字の溝を、指先でなぞるように、あるいは、くすぐるように、ゆっくりと刺激し始めたのだ。俺自身の最も深い場所にある、あの特殊な感覚――誰かの無防備な部分をくすぐりたいという、抑えきれない衝動――それを、この巨大な石柱に対して行っているかのようだった。
「な……何をしているんだ、レンは!?」カイトが理解不能といった表情で叫ぶ。
俺の指が特定の紋様をなぞるたびに、石柱が微かに振動し、古代文字が淡い光を放ち始める。そして、その光は、宙吊りにされたルナとシルフィの苦悶の表情、彼女たちの恐怖や絶望といった「極点の感情」と共鳴するかのように、色と強さを変えていく。
「あ……あああ……っ!」ルナの口から、甲高い悲鳴とも嬌声ともつかない声が漏れる。シルフィもまた、歯を食いしばり、苦痛に耐えている。彼女たちの体が、見えない力でくすぐられているかのように、びくびくと痙攣を始めた。
その光景は、傍から見ればあまりにも異様で、背徳的ですらあっただろう。しかし、俺には、これが唯一の方法なのだという確信があった。
石柱の振動が次第に激しくなり、古代文字の明滅は狂ったように速度を増していく。祭壇全体が唸りを上げ、まるで巨大な心臓が鼓動を始めたかのように、禍々しいエネルギーが脈動し始めた。
「やったか……!? 祭壇が……反応している!」バルドが叫ぶ。
次の瞬間、祭壇が暴走を始めた。石柱から溢れ出た紫黒と真紅の入り混じったエネルギーが、奔流となって周囲に迸る。それは純粋な破壊の力ではなく、空間そのものを歪ませ、精神を直接揺さぶるような、混沌としたエネルギーだった。
「グオオオオオオオオオオッッ!!!」
災厄の影が、その混沌のエネルギーに飲み込まれ、苦悶の絶叫を上げた。祭壇からの力の供給が断たれたのか、あるいは逆に過剰なエネルギーを注ぎ込まれて耐えきれないのか、その不定形の体が激しく明滅し、霧散と凝縮を繰り返す。
俺たちの周囲にも、その混沌の奔流が影響を及ぼし始めた。目の前に、過去の忌まわしい記憶や、心の奥底に隠していた欲望が幻覚となって現れる。ゴルドはかつて守りきれなかった戦友の姿を、バルドは知識への飽くなき渇望が生み出す禁忌の幻を、カイトはギルドの任務で犯した過ちの光景を……それぞれが見たくないもの、あるいは見たいと願ってやまないものの幻に苛まれ始めた。
俺自身の目の前にも、無数の無防備な少女たちが現れ、俺にくすぐられることを待っているかのような倒錯的な幻影が明滅した。
しかし、俺の意識は、石柱と、そして宙吊りにされたルナとシルフィに集中していた。彼女たちの苦悶こそが、この禁断の調律を完成させるための最後のピースなのだと、本能的に理解していたからだ。
「も……う……やめ……て……」ルナのか細い声が、俺の狂気を僅かに呼び覚ます。
(そうだ……俺は、彼女たちを助けるために……!)
俺は最後の力を振り絞り、石柱の最も敏感と思われる一点――複雑な紋様が集中する中心部――に、全ての歪んだ感情と、仲間を守りたいという純粋な願いを込めた紫黒のオーラを叩きつけた。それは、まるで石柱の「性感帯」を刺激するかのような行為だった。
「■■■■■■■■■■■■ッッ!!!!」
石柱が、これまでとは比較にならないほどの絶叫のような振動を発し、祭壇全体が激しく揺れ動いた。そして、祭壇の中心から天に向かって、黒と赤の巨大な光の柱が迸った。
その光に飲み込まれ、災厄の影は断末魔の叫びと共に、その姿を急速に霧散させていく。まるで、存在そのものがこの世界から消し去られていくかのように。
やがて、光の柱が収まり、祭壇の振動も止まった。後に残ったのは、深い静寂と、大きく損傷し、所々が黒く焼け焦げた祭壇の残骸だった。そして、力を使い果たした俺は、その場に崩れ落ちるように倒れた。
ルナとシルフィを拘束していた黒い触手も消え、二人は地面にぐったりと倒れ伏している。幸い、命に別状はなさそうだが、その表情には深い疲労と、そして俺に対する形容しがたい感情が浮かんでいた。
「……終わった……のか?」ゴルドが、幻覚から解放されたように呆然と呟く。
バルドは、損傷した祭壇と、倒れている俺を交互に見つめ、その顔には畏怖と、そして一抹の不安が浮かんでいた。
「古き災厄の影は……一時的に消滅したか、あるいは封印が強化されたか……。しかし、レン殿……君のあの力は……一体……」
カイトも、シルフィとロックの無事を確認しながら、俺に向けて複雑な視線を送っていた。
森の異変は、まだ完全には解決していないだろう。そして、俺が発揮したこの「特殊」で「王道ではない」力は、間違いなく今後の俺たちの旅に、そしていつか築かれるかもしれない「王国」のあり方に、大きな影響を与えることになるだろう。
祭壇の奥、損傷した石柱のさらに向こう側から、微かに、しかし確実に、また別の、これまでとは質の異なる「何か」の気配が漂ってきたのを、薄れゆく意識の中で俺は感じていた。
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