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第17話:共鳴の残滓と深淵への誘い
しおりを挟む祭壇の暴走が鎮まり、虹色の結晶体が静かな輝きを放つ中、俺は言いようのない虚脱感と、それ以上に心を蝕む自己嫌悪に襲われていた。自分の内から湧き出たあの禍々しいオーラ、そしてルナとシルフィの感情をまるで楽器のように「調律」したという背徳的な行為。それが仲間を救い、一時的な安定をもたらしたという事実が、余計に俺を混乱させた。
ルナとシルフィは、まだ頬を微かに上気させ、どこか夢見るような、それでいて怯えたような複雑な表情で俺を見つめていた。彼女たちの体から立ち昇る感情のオーラは、以前よりもずっと鮮明に、そして甘美に俺の知覚を刺激する。ルナのそれは熟れた果実のような芳醇な甘さを、シルフィのそれは深窓の秘花のような妖しい香りを伴って。そのオーラに触れるたび、俺の体の奥底、ゼータによって刻まれた刻印が疼き、もっと深く彼女たちの感情に触れたいという、抗いがたい渇望が湧き上がってくる。
(これが……俺なのか……? あの儀式で、何かが決定的に変わってしまった……)
「レン殿……その結晶体は……」
バルドが、虹色の結晶体を指差し、言葉を失っている。カイトもギルド製の計測器をかざし、その針が振り切れるほどの異常なエネルギー量に目を見開いていた。
「信じられない……これほどの純粋なエネルギー凝縮体は、ギルドのデータベースにも記録がない。もしこれが安定的に利用できるなら、一つの都市の動力源を数年間賄えるかもしれない……あるいは、戦略級の兵器にも……」
その言葉に、俺はハッとした。この力は、村を発展させるどころか、世界を揺るがすほどの可能性と危険性を秘めている。そして、それを生み出したのは、俺の歪んだ力と、仲間たちの感情なのだ。
「レンさん……」
ルナがおずおずと近づいてきた。彼女の瞳は潤み、長い耳は不安げにぴくりと動いている。「あの時……祭壇を安定させた時……私たち、なんだか、レンさんと心が繋がったような……でも、すごく……くすぐったくて、変な感じだったんです……。あれは、一体……?」
シルフィも、静かだが強い視線で俺に問いかけていた。「あなたの力は、私たちの感情に直接干渉した。それは、エルフの秘術にもない、異質なものだ。あなたは何者なのだ、レン?」
二人の問いは、俺の胸に深く突き刺さった。俺は、彼女たちの純粋な(あるいは、既に俺の力によって歪められてしまったかもしれない)好奇心と不安に、どう答えればいいのか分からなかった。自分の嗜好が、あの力の源泉の一つであることを、どう説明すればいい?
俺が言葉に詰まっていると、ゴルドが間に割って入った。
「二人とも、今はレン殿を問い詰める時ではないだろう。彼も消耗している。まずは、この場の安全を確保し、今後のことを話し合うべきだ」
その実直な言葉に、俺は少し救われた気がした。
カイトも頷き、「ゴルド殿の言う通りだ。この結晶体と、レン殿の力のことは、ギルドとしても最重要案件として扱うことになるだろう。だが、今はまず、この森の異変の元凶が完全に排除されたのかどうかを確認しなくては」と冷静に状況を分析する。
しかし、祭壇の奥からは、依然として冷たく、そして何か知的なものを感じさせる気配が漏れ出してきていた。それは、災厄の影のような圧倒的な邪悪さとは異なる、もっと捉えどころのない、深淵を覗き込むような感覚だった。
その時、俺の頭の中に、直接響いてくる声があった。
それは、ゼータの無機質なテレパシーとは明らかに異なっていた。複数の声が重なり合ったような、それでいてどこか澄み渡った、まるで風が木々の葉を揺らすような、自然そのもののような響き。
『……目覚めし者よ……歪なる調律者よ……』
俺は思わず周囲を見回したが、声の主は見当たらない。仲間たちも、俺の異変に気づいて訝しげな顔をしている。
『我らは森……この地の記憶……古き約定の守り手……』
『汝の力……それは禁断の旋律……しかし、そこには新たな調和の萌芽も見える……』
「誰だ……!?」俺は思わず声を上げた。
バルドが目を見開いた。「まさか……森の古き精霊、あるいは、この祭壇に宿る地霊そのものの声か……!?」
『汝が鎮めたのは、災厄の影……しかし、影を生み出す歪みは、未だ大地の奥底に巣食う……』
『汝の持つ、その歪な共鳴の力……それこそが、深淵の歪みを調律し、真の調和をもたらす鍵となるやもしれぬ……』
声は、俺の心の奥底を見透かすように、そして優しく誘うように響いてくる。
「真の調和……? 俺のこの力が……?」
それは、ゼータの言う「世界の調和」とは明らかに異なる、もっと根源的で、そしてどこか温かみのある響きを持っていた。
カイトが、俺の様子を見て警戒を強める。「レン殿、何と交信している? それは信用できる相手なのか?」
俺にも分からない。だが、この「呼び声」には、ゼータのような絶対的な強制力や、災厄の影のような邪悪さは感じられなかった。むしろ、深い悲しみと、切なる願いのようなものが込められている気がした。
『祭壇の奥へ来たれ……歪みし調律者よ……。汝の真の役割を……そして、この森が求める未来を……示す時が来た……』
「呼び声」は、そう告げると、祭壇の奥へと続く、これまで気づかなかった微かな光の道を示した。それは、まるで森の精霊たちが灯す道しるべのようだった。
俺は、仲間たちと顔を見合わせた。
ゴルドは、「危険すぎる。罠かもしれん」と反対した。
バルドは、「しかし、この森の異変の根源を知るためには、進むしかないやもしれん……。古き精霊の導きならば……」と逡巡している。
カイトは、「ギルドとしては、これ以上の単独行動は推奨できない。一度撤退し、万全の体制で再調査すべきだ」と冷静に主張した。
ロックは、ただ黙って俺の判断を待っている。
そして、ルナとシルフィは……。
彼女たちの瞳には、不安と、そしてあの時と同じ、俺の力に対する複雑な感情が浮かんでいた。しかし、その奥に、微かな好奇心と、そして俺への信頼のようなものも見て取れた。
「レンさん……あなたが決めたことなら……私たちは……」ルナが、震える声で言った。
シルフィも、静かに頷いた。「あなたの力は異質だ。だが、それがこの森を救う唯一の道だというのなら……私は、それを見届けたい」
彼女たちの言葉が、俺の背中を押した。
ゼータとの契約、増幅された歪んだ力、そして仲間たちとの複雑な絆。俺が進む道は、決して「王道」ではないだろう。だが、この森の異変を解決し、ミルブルック村を守るためには、そして、いつかこの歪んだ力を制御し、真の意味で「王国発展」に繋げるためには、この深淵へと足を踏み入れるしかないのかもしれない。
「……行こう」俺は、決意を込めて言った。「この森の本当の姿を、そして俺自身の力の意味を、確かめるために」
俺は、虹色の結晶体を懐に仕舞い、祭壇の奥へと続く光の道へと、最初の一歩を踏み出した。仲間たちも、それぞれの覚悟を胸に、それに続く。
その通路の先には、息を呑むほどに幻想的で、同時に底知れぬほどに「特殊な」空間が広がっていた。それは、まるで世界の裏側、あるいは生命の根源に触れるかのような、神聖にして冒涜的な場所。
俺たちの真の試練は、まだ始まったばかりだった。
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