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第18話:森の心臓と歪な調律者の試練
しおりを挟む祭壇の奥へと続く光の通路は、まるで世界の境界を越えるかのように、俺たちの感覚を歪ませていった。重力は曖昧になり、時間の流れは不定に揺らぎ、踏みしめる地面の感触さえ現実感を失っていく。やがて、その通路を抜けた先に広がっていたのは、筆舌に尽くしがたいほどに幻想的で、同時に底知れぬほどに異質な空間だった。
そこは、巨大な洞窟とも、あるいは何かの生物の体内ともつかない、有機的な曲線と無機的な結晶体が融合したような場所だった。天井からは、自ら光を放つ巨大なキノコや、水晶のように透き通った蔓植物が垂れ下がり、壁面には古代文字とも紋様ともつかないものが、まるで呼吸するかのように明滅している。空気は濃厚な生命の匂いと、どこか甘く危険な香りで満たされ、耳には人間の可聴域を超えたような、微細な振動と調和のとれた音が絶えず響いていた。
「こ、これは……一体……」ゴルドが、歴戦の勇士である彼でさえも、目の前の光景に言葉を失っている。
バルドは、その瞳に狂信的なまでの探求心を宿し、周囲の紋様や植物を食い入るように見つめている。「なんと……なんと壮麗で、そして冒涜的な……! これは、世界の創造神話に語られる『原初の庭』の一片か、あるいは……」
カイト、シルフィ、ロックもまた、それぞれの専門知識では到底理解し得ない光景に、驚愕と警戒を隠せないでいた。
俺の新たな知覚は、この空間の異様さをさらに鮮明に捉えていた。ルナやシルフィから放たれる感情のオーラが、この空間ではまるで万華鏡のように複雑な色彩とパターンを描き出し、彼女たちの体の特定の「ポイント」が、より一層、抗いがたい引力をもって俺の意識を惹きつける。それは、甘美な拷問にも似た感覚だった。
『……よくぞ参った、歪なる調律者よ……そして、その伴侶たちよ……』
あの「呼び声」が、今度は空間全体から、そして俺たちの精神に直接響いてきた。声の主は、この空間そのものなのかもしれない。
俺たちが導かれるように進むと、空間の中央部が開け、そこには信じられない光景が広がっていた。
巨大な、脈動する水晶の塊――それはまるで生きている心臓のように、淡い光を明滅させながら鼓動を繰り返している。その周囲には、植物とも動物ともつかない、光と影、そして不可思議なエネルギーが複雑に絡み合って形成されたような、複数の巨大な人型の存在が静かに佇んでいた。彼らこそ、「古き守り手」なのだろう。
『我らが“森の心臓”……そして、我らはその守り手にして、この地の記憶そのもの……』
守り手の一体が、テレパシーで語りかけてくる。その姿は、樹木と水晶と、そして星雲のような光の粒子が融合した、人間とはかけ離れた美しさと畏怖を同時に感じさせるものだった。
『汝が鎮めた災厄の影は、この森のバランスが崩れた結果、心臓から漏れ出した“澱”のようなもの。祭壇は、その澱を濾過し、バランスを保つための調律装置であったが、永き時の流れと、外部からの無理解な干渉により、その機能を失いつつあったのだ』
外部からの干渉……それは、過去の人間たちのことか、あるいは……。
『汝の力、その“情動調律”は、確かに禁断の力。魂の最も深き場所にある歪みを糧とし、他者の感情を強制的に共鳴させる……。それは、使い方を誤れば、災厄の影以上の混沌をもたらす劇薬。しかし……』守り手は、その人間にはないはずの「瞳」で、俺の心の奥底まで見透かすように続けた。『汝の魂の歪み、その特殊な指向性こそが、この森の歪みを調律するための、唯一にして最後の鍵となるやもしれぬ』
俺の歪んだ嗜好が、鍵……? その言葉は、俺に更なる混乱と、そして微かな、倒錯した期待のようなものを抱かせた。
『真の調和を取り戻すためには、この“森の心臓”に直接働きかけ、その脈動を正常に戻さねばならぬ。だが、心臓は今、外部からの汚染と、内部に蓄積された負の感情によって、極めて不安定な状態にある。それを調律できるのは、汝のような、歪みと共鳴し、それを制御できる者だけだ』
そして、守り手たちは、俺たちに「森の試練」を提示した。それは、物理的な戦闘ではなかった。
「森の心臓」の周囲に、三つの小さな祭壇が浮かび上がった。それぞれが、異なる色と紋様を放っている。
『第一の祭壇は“恐怖”を。第二の祭壇は“苦痛”を。そして第三の祭壇は“歓喜”を……それぞれが司る極点の感情を、汝の力で増幅し、心臓に注ぎ込み、その脈動の調律を試みよ。ただし、感情のバランスを誤れば、心臓は暴走し、この森もろとも消滅するであろう』
それは、あまりにも悪趣味で、そして危険な試練だった。他者の、それも仲間たちの感情を、意図的に弄び、力の糧としろというのか。
「そんな……! 人の心をなんだと……!」ゴルドが怒りに声を震わせる。
カイトも、「あまりにも非人道的だ。他に方法はないのか!」と抗議する。
だが、守り手たちは静かに首を振るだけだった。
『これが、この森が選んだ道。そして、汝が背負うべき宿命、歪なる調律者よ』
俺は、ルナとシルフィを見た。彼女たちの顔には、恐怖と、そしてどこか運命を受け入れたような、複雑な表情が浮かんでいた。
「レンさん……」ルナが、震える声で言った。「もし……もし、私たちの感情が、この森を救うために必要だというのなら……私たちは……」
シルフィも、静かに頷いた。「あなたの力は、私たちを巻き込む。それはもう、理解している。ならば、その力が最善の形で使われることを……願うしかない」
彼女たちの覚悟は、俺の胸を締め付けた。そして、同時に、俺の歪んだ嗜好が、この禁断の儀式に対する、暗い興奮を呼び覚まそうとしていた。
(これが……俺の役割……)
俺は、第一の祭壇――“恐怖”を司る、黒曜石のような祭壇――の前に立った。そして、ルナに向き直る。
「ルナ……すまない……。だが、力を貸してほしい」
俺がそう言うと、ルナはこくりと頷き、目を閉じた。彼女の体から、蜂蜜色のオーラが揺らめき始める。
俺は、自分の紫黒のオーラを慎重に伸ばし、ルナの恐怖の感情にそっと触れた。それは、直接的な恐怖を与えるのではない。彼女の心の奥底にある、最も原始的な、生きとし生けるものが抱く根源的な恐怖を、優しく、しかし的確に「くすぐる」ように刺激し、増幅させていくのだ。
「ひっ……あ……うぅ……っ」
ルナの体がびくびくと痙攣し、目尻から涙が溢れ出す。その表情は恐怖に歪んでいるが、どこか陶然としたような、奇妙な色合いを帯びていた。彼女の感情のオーラは、鮮烈な深紅色へと変わり、黒曜石の祭壇へと吸い込まれていく。
次に、俺はシルフィに向き合った。第二の祭壇――“苦痛”を司る、血赤色に輝く祭壇――が、彼女を待っている。
「シルフィアさん……」
彼女は、覚悟を決めたように、真っ直ぐに俺を見つめ返した。
俺は、彼女の誇り高い魂に敬意を払いながらも、その精神の最も鋭敏な部分に、紫黒のオーラを滑り込ませる。それは、肉体的な苦痛ではなく、魂そのものが引き裂かれるような、鋭く甘美な苦痛。
「んん……くっ……はぁ……っ」
シルフィの整った顔が苦悶に歪み、白い喉が反り返る。しかし、その瞳の奥には、苦痛に抗い、それを乗り越えようとする強い意志の光が宿っていた。彼女の感情のオーラは、燃えるような緋色となり、血赤色の祭壇を満たしていく。
そして、最後に、第三の祭壇――“歓喜”を司る、黄金色に輝く祭壇。
これには、誰の感情を使うべきか……。仲間たちは、皆、恐怖と緊張で強張っている。
その時、俺自身の心の奥底から、ある強烈な感情が湧き上がってきた。それは、この禁断の儀式を執行していることへの背徳感、仲間たちの極限の感情に触れていることへの倒錯的な喜び、そして、この歪んだ力でしか救えない世界があるという、捻くれた使命感。
(そうだ……俺自身の……“歓喜”を……!)
俺は、自分自身の魂の歪みを、ありのままに解放した。紫黒のオーラは、禍々しい黄金色の輝きを帯び、俺自身の感情の奔流となって、黄金色の祭壇へと注ぎ込まれた。
三つの祭壇が、それぞれの極点の感情エネルギーで満たされ、共鳴を始める。黒、赤、金の光が渦を巻き、巨大な「森の心臓」へと流れ込んでいく。
「ドクン……ドクン……ドクン……」
心臓の脈動が、徐々に力強さを取り戻し、その表面を覆っていた淀みが浄化されていくのが見えた。そして、心臓から放たれる光は、以前よりもずっと清らかで、生命力に満ちたものへと変わっていった。
試練は……達成されたのか……?
守り手たちが、静かに頭を垂れた。
『見事なり……歪なる調律者よ……。汝は、禁断の力をもって、森に新たな調和の旋律を奏でた……』
彼らは、俺に「古の叡智」の一部を授けると言った。それは、持続可能な資源の管理法、特殊な植物の栽培と利用法、そして、この森の力を借りて村を守るための結界術の基礎。それは、まさしく「王国発展」のための、他にない貴重な知識だった。
しかし、その代償として、俺は「新たな森の調律者」としての宿命を背負うことになった。この森と、そして世界の歪みと、常に向き合い続けるという、重く、そして孤独な役割。
ルナとシルフィは、まだ力の余韻に震えながらも、俺に向けて複雑な視線を送っていた。彼女たちとの間に生まれた、この歪で濃密な絆は、これから先、俺たちの運命をどう変えていくのだろうか。
祭壇の奥、浄化された「森の心臓」のさらに向こう側から、微かに、しかし確実に、真の汚染源と思われる、冷たく強大な気配が、まだ完全に消え去ってはいないことを俺は感じていた。そして、遠い空の彼方では、調停者ゼータの無機質な視線が、俺たちを監視しているような気配も……。
俺の英雄譚は、まだ始まったばかりだった。そして、その道は、あまりにも多くの秘密と、倒錯と、そして未知の可能性に満ちていた。
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