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第21話:禁断の三重奏と虚無への調律
しおりを挟む「深淵の囁き」の核――脈動する巨大な黒い影――を前に、俺はルナとシルフィに向き直った。彼女たちの瞳の奥に宿る、狂気と献身、そして破滅への誘惑にも似た妖しい光。それは、俺自身の歪んだ魂と共鳴し、背徳的な旋律を奏で始めていた。
『……イイ……もっと……もっとヨコセ……オマエタチの魂の歪みを……』
影からの「囁き」が、粘つく蜜のように俺たちの精神に絡みついてくる。それは、純粋な悪意というよりは、飢餓に近い、根源的な渇望のようだった。
「ルナ、シルフィアさん……いくぞ」
俺の声は、自分でも驚くほど冷たく、そして甘美な響きを帯びていた。もはや、ためらいも罪悪感も、この歪んだ高揚感の前では些細なノイズでしかなかった。
俺は両腕を広げ、額と腕の刻印を紫黒の光で明滅させる。ゼータによって強制的に「最適化」された「情動調律」の力が、俺の意思とは無関係に、ルナとシルフィの魂の最も深い場所へと触手を伸ばしていく。
「まずは……ルナ。君の奥底に眠る、あの日の絶望を……思い出してごらん……」
俺の囁きは、催眠術のようにルナの意識へと浸透する。彼女の脳裏に、過去の忌まわしい記憶――例えば、故郷の村が盗賊に襲われ、家族が目の前で傷つけられた日の光景――が、鮮明に蘇る。
「いや……やめて……見たくない……!」
ルナの美しい顔が絶望に歪み、その蜂蜜色のオーラは濁った血のような深紅色へと変貌する。彼女の体は小刻みに震え、細い指が虚空を掻きむしる。その無防備な姿、恐怖に引き攣る表情、そして、くすぐったいであろう脇腹や首筋が晒される様に、俺の嗜好はまたしても激しく疼いた。
「そうだ……その絶望……その悲しみ……それが、今の君を最も美しく輝かせる……!」
俺は、その深紅の感情エネルギーを吸い上げ、鋭利な刃のような精神の波動へと変換し、「深淵の囁き」の影へと叩きつけた。影は苦悶するかのように蠢き、その表面に亀裂が入る。
次に、俺はシルフィへと向き直った。
「シルフィアさん……あなたの誇り高い魂が、今、何を求めている……? 故郷の森を蝕む病への怒り……無力な自分への苛立ち……そうだ、その激情を、もっと剥き出しにして……!」
シルフィの翠の瞳が、燃えるような怒りの炎を宿す。彼女の脳裏には、病に倒れ、枯れ果てていく故郷の神木と、嘆き悲しむ同胞たちの姿が映し出されていた。エルフとしての誇りが、無力感によって踏みにじられる屈辱。
「許せない……絶対に……!」
シルフィの体から、森の全てを焼き尽くさんばかりの、激しい憎悪と破壊衝動のオーラが迸る。それは、美しい緑色から一転し、黒い炎のような禍々しい輝きを放っていた。彼女のしなやかな体が弓なりに反り返り、苦悶と怒りに満ちた喘ぎ声が漏れる。その光景は、俺の倒錯した美意識を強烈に刺激した。
「素晴らしい……その怒りこそが、お前を真の戦士へと昇華させる……!」
俺は、その黒い炎のエネルギーを束ね、灼熱の槍のようにして影へと突き刺す。影は、これまで以上の苦悶の叫びを上げ、その輪郭が大きく歪んだ。
だが、「深淵の囁き」も黙って抵抗を止めるわけではない。それは、俺たちの精神的な絆の歪さ、その倒錯的な関係性そのものを攻撃してきた。
『……フフ……面白い……実に面白い共鳴だ……。愛か? 憎しみか? それとも、ただの歪んだ依存か……? お前たちの魂は、なんと醜く、そして美しい……』
「囁き」は、俺とルナ、そしてシルフィの間に、嫉妬や不信感、独占欲といった負の感情の種を植え付けようとする。ルナの脳裏には、俺がシルフィの苦悶する姿に恍惚としている幻影が、シルフィの脳裏には、俺がルナの絶望を貪るように味わっている倒錯的な光景が映し出された。
「違う……レンさんは……そんな……!」
「……レン……お前は……!」
二人の感情のオーラが乱れ、俺たちの「三重奏」に不協和音が生じ始める。
(まずい……このままでは、俺たち自身が内側から崩壊する……!)
その時、バルドの叫び声が、辛うじて俺の意識に届いた。
「レン殿! その影の核は……おそらく、純粋な『無』、あるいは『渇望』そのものじゃ! 我々が持つような複雑な感情では、完全に打ち消すことはできんのかもしれん!」
純粋な無……渇望……。
俺は、ハッとした。ならば……俺たちの持つ、この歪みきった感情、この倒錯的なまでの欲望、そして、この絶望的な状況に対する諦観……それら全てを、一つの巨大な「虚無」へと調律し、ぶつけるしかないのではないか?
俺は、ルナとシルフィの乱れた感情のオーラを、強引に掴み取った。
「二人とも……俺に……全てを委ねてくれ……。君たちの恐怖も、怒りも、絶望も……そして、もしあるのなら……この状況に対する、ほんの僅かな……歪んだ快感さえも……!」
俺の言葉は、もはや懇願ではなく、命令であり、そして甘美な誘惑だった。
ルナとシルフィは、一瞬抵抗を見せたが、やがてその瞳から理性の光が消え、俺の「調律」に完全に身を委ねるかのように、陶然とした表情を浮かべた。彼女たちの体の奥底から、これまで隠されていた、最も暗く、最も純粋な「負の感情」が、濁流のように溢れ出してくる。
俺は、それら全ての感情を、そして俺自身の歪んだ嗜好と、この世界に対する微かな絶望を、一つの巨大な渦へと練り上げていく。それは、もはや紫黒でも深紅でも黒炎でもない、全ての色を飲み込み、光さえも吸収するような、絶対的な「虚無」のオーラだった。
「これが……俺たちの……魂の……答えだ……ッ!」
俺は、その「虚無の感情」の奔流を、「深淵の囁き」の影の核へと叩きつけた。
それは、音もなく、光もなく、ただ、全てを無に帰する絶対的な静寂の波動だった。
『……ナ……ゼ……コノ……ワタシが……コノヨウナ……感情ニ……』
「深淵の囁き」の影が、初めて明確な「困惑」と「恐怖」を示したように見えた。その巨大な影は、内側から急速に色褪せ、まるで砂の城が崩れるように、サラサラと収縮していく。
やがて、影は完全に消滅し、後には、親指ほどの大きさの、吸い込まれそうなほどに黒い、脈動するオーブだけが残された。森を覆っていた瘴気と精神的な圧力が、嘘のように霧散していく。
「……はぁ……はぁ……っ」
俺は、その場に崩れ落ちた。ルナとシルフィも、糸が切れた人形のようにぐったりと倒れ伏し、浅い呼吸を繰り返している。彼女たちの表情は虚ろで、その瞳には、深い疲労と、そして言葉にできない、何か決定的なものが失われてしまったかのような空虚さが浮かんでいた。
ゴルドたちが駆け寄ってくる。彼らの顔には、安堵と、そして俺たち三人の異様な姿に対する畏怖と困惑が浮かんでいた。
その時、俺の額の刻印が再び疼き、ゼータのテレパシーが響いた。
『……任務完了を確認。被検体アルファの“情動調律”能力の危険性と有効性は、予測値を大幅に上回る。対象の精神構造及び世界の因果律への影響を再計算し、新たな監視プロトコル及び能力制御プロトコルを構築する』
それは、俺の力が認められたというよりは、より厳重な管理下に置かれるという宣告に他ならなかった。
残された黒いオーブは、バルドとカイトが慎重に調査を始めた。それは、負のエネルギーの凝縮体であると同時に、未知の法則で成り立つ異次元の物質であるらしかった。
「これが制御できれば……あるいは、この世界の理を超えた何かが生み出せるやもしれん……。だが、その代償は……」バルドの呟きは、新たな技術や資源の発見という「王国発展」への期待と、その倫理的危険性という重い課題を示唆していた。
俺は、自分の手のひらを見つめた。そこには、以前の幾何学模様の刻印の上に、さらに複雑で、どこか有機的な、禍々しい紋様が重なるように浮かび上がっていた。
俺の人間性は、この戦いで、また一つ、大きく変質してしまったのだ。そして、ルナとシルフィとの間に生まれた、この歪で、あまりにも濃密な絆は、もう決して元には戻らないだろう。
俺たちの「王道ではない」物語は、さらに深く、そして暗い深淵へと、その歩みを進めていくのだった。
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