【R18】たまゆら漂う恋心

春宮ともみ

文字の大きさ
2 / 7

無自覚な君と。 下

しおりを挟む
「あ……うん、忘れてた……。ありがとう、瑞貴」

 あやめはにこりと笑った瑞貴の表情を見つめ、箱に視線を移していく。そのまま、差し出された箱を両手で受け取りながらあやめははにかむように微笑んだ。
 ふわふわと、そしてひたひたと。あやめの心の中に、あたたかいなにかが沁みていく。くすぐったいような、うまく言葉にできないような。そんな感覚を覆い隠すように、あやめは眉を下げた。

「なんか……照れ、るなぁ」
「えぇ? そうかな」

 ひとりごとのように囁いた言葉は瑞貴にも聞こえていたらしい。瑞貴は整った顔立ちをくしゃりとさせ、いたずらっ子のように艶やかに笑っていた。
 祝ってもらえたということも嬉しいが、それ以上に、瑞貴が自分の誕生日を覚えていてくれていた事の方があやめはとびきりに嬉しかった。瑞貴が家元の代理で担っている仕事や門下生たちに向けて行っている稽古等、日々忙しくしていることを、あやめは知っている。そんな中で、幼馴染みとはいえ一友人の誕生日など忘れていて当然だ、と思っていた。

「ありがとう……」

 あやめは込み上げてきた面映ゆさを隠すように開けていいか、と瑞貴に確認する。彼の手がどうぞ、とジェスチャーをし、あやめはそれに従いそっとその箱を開封した。

「わ……! これ、ネットで話題になってた……!」
「そそ。金木犀の香水。今回のフランス出張で立ち寄った店で見つけてね。あやめが好きそうだなぁって思って。仕事中は無理だろうけど、お休みの時とか使ってくれたら私も嬉しい」

 あやめが手にしたその小瓶は雫型で、切子のような繊細な細工が目に入るデザインだ。全体的に磨り硝子加工が施されていて、中には黄色っぽい液体が入っていた。外側のラベルにはブランドにあまり詳しくないあやめでも知っている世界的に有名なブランドのロゴマークが印字されている。そのロゴマークの下には筆記体で小さく『Osmanthus』と記されていた。

「うわぁ、嬉しい。本当にありがとう、瑞貴~!」

 喜びのあまり、あやめは思わず瑞貴に抱きつく。顔を寄せた瑞貴の着流しから香るせっけんの匂いに包まれて、忙しさでささくれ立っていたあやめの心もゆっくりと解れていく。そんなふたりの様子を後ろで頬杖をついてつまらなさそうに見ていた晴臣が仏頂面で声を上げた。

「はいはい、おふたりさん。職場でいちゃつくな」
「違うもん。単なるスキンシップです~」

 晴臣の言葉に頬を膨れさせたあやめが後ろを振り返り、ぎゅっと晴臣を睨んだ。反抗的な妹の様子を見遣った晴臣が呆れたようにため息をつく。

「次期家元サマは他人ヒトサマの好きな物のこともご存じなんスねぇ」
「幼馴染みのことだから、ですよ。なんでも知ってるわけじゃないですし」
「そうかぁ? 俺にはそー見えねぇけどな」
「晴臣さんにもお土産ありますから、すねないでください」
「……話を逸らすな。んで年上を子ども扱いすンな、コラ」

 晴臣の辛辣な言葉に苦笑を落とした瑞貴はもうひとつの紙袋を近くのテーブルに置いた。すると、事務室の電話が大きな音を立てて呼び出し音を奏でていく。あやめは弾かれたように走り出し、受話器を取り上げる。

「はい、和菓子屋梅津です。あ、的場まとばさん! お世話になっております~。……え、もう仕上がったんですか?」

 電話は梅津家が長年お世話になっている的場畳店からだった。喫茶スペースの椅子は的場畳店が手がけた畳椅子を使用しており、秋の例大祭前に修繕が必要な一脚の畳の張り替えをお願いしていたのだった。それの修繕が先ほど仕上がったらしい。

「少々お待ちくださいね。……お兄ちゃん! 的場さんのところに、椅子を取りに行って欲しいんだけど」
「あ? 俺は今日工房から離れられねぇよ。明後日オヤジに取りに行ってもらえば?」
「そんなこと言ったって、的場さんだって作業場に置きっぱなしにはできないでしょ? アレ幅もあって場所も取るし」
「ん゛~……どうすっかなぁ」

 そんな兄妹の話をなんとなく聞いていたのだろう、瑞貴が事務室の入り口の扉にもたれかかったまま、すっと手を上げた。

「あやめ。私、一緒に行こうか? 荷物持ちならできるよ。というか、私もこのあと的場さんのお店に寄るつもりだったから」
「おお、瑞貴。そりゃ助かるわ、俺からも頼む」
「うん、いいよ、晴臣さん。あやめ、今から行くって的場さんに返事して?」
「え? え、瑞貴、ほんとに?」

 想いもよらぬ幼馴染みの申し出に晴臣は躊躇なく乗っかり、あやめは驚いて目を瞠る。お土産を渡しに来た幼馴染みをこき使うようで悪いけれど、今は猫の手も借りたいくらいなのだ。兄妹そろって厚かましいが、ありがたくその申し出に乗っかろうと判断したあやめは電話を切り大急ぎで財布を握り締める。

「ごめんね、瑞貴……」
「ううん、いいんだって。茶室の畳の裏返しをお願いしないといけなかったから」

 平身低頭に頭を下げるあやめに、瑞貴はふたたび苦笑いを落とした。そのままゆっくりとふたりは茶屋街を歩いていく。見渡す街並みは道行く人々の喧騒に紛れ、次第に広がっていく。
 10月になったとはいえ、日中はまだ日差しは強い。じりじりと照りつけるような太陽の眩しさにあやめが目を細めると、瑞貴は手に持った日傘をパチンと差してそっとあやめを太陽から庇った。

「本当に人手不足なんだね、梅津家は」

 瑞貴は優しい。彼の心配りに、あやめはありがとうと頭を下げた。瑞貴は男性とは思えないくらいに女性の心の機微に気が利く。肌や髪にも気を使い、物腰も柔らかなうえに日頃から私服でも中性的な服装を好んでいるからこそ、あやめは瑞貴をなんでも話せる親友のように感じていた。

「うん……パートさんでもいいから、一人増員してくれってお父さんに頼もうと思ってる」
「それがいいよ。だって、将来晴臣さんが結婚して奥さんがお手伝いしてくれることになっても、あまりにも仕事の負担が大きかったら逃げられちゃうかもしれないし」
「……その前に、学生のころからの初恋を拗らせてるあのお兄ちゃんに彼女ができるかが心配よ、妹は」
「あはは、それは言えてる。私も心配かも」

 他愛のない会話を交わしながらふたりは街角を曲がり、小さな路地に入った。ここを少し行った先に的場畳店がある。この茶屋街は、近くに神社仏閣が立ち並んでいることや茶道の家元である白木院家があることから、神具・仏具をはじめ、茶道や華道に関連したお店を営む商店が多い。

「それはさておき。あやめもいつか彼氏ができて結婚して家を出るとなったら、和菓子屋のみんなも困るでしょう? それまでになんとかなってないと、あやめの性格だったら家のことが心配すぎてプロポーズも断っちゃいそうよねぇ」
「……」

 瑞貴から投げかけられた言葉に、あやめは目を瞬かせた。考えたことも――なかった、けれど。

(……そ、っか)

 和菓子屋や甘味処を回していくことで頭がいっぱいだったが、自分もいつか。兄と同じように――誰かに恋して、そのひとと人生を共にしようと心に決める日がくるのだろうか。それを認識すると、なぜだか妙な違和感があやめを包んだ。

(……なん…だろう)

 胸を刺す、小さな棘。わけもわからず眦に生まれた涙が零れそうになるのを、あやめは必死に堪えた。

「……あやめ? どうしたの、具合でも悪い?」

 ひょい、と。瑞貴は腰を曲げ、あやめの顔を覗き込んでいた。その言葉にあやめは否応なく現実に引き戻される。瞬きを数度すれば、至近距離にある瑞貴の整った顔が視界に飛び込んできて、あやめは思わず悲鳴を上げそうになった。

(ちょっ……)

 どくん、と、大きな鼓動が耳をつく。心臓に悪すぎる。そんな言葉があやめの心の中に落ちてきた。顔を上げ深呼吸をひとつして、あやめは顔に笑顔を貼り付けた。

「う、ううん。なんでもない。まぁ、私のことはどうでもいいんだけど、人員のことをほんとにどうかしないと。頑張ってくれてるスタッフさんたちにいつまでも負担かけ続けるわけにはいかないし。私もちゃんとお休み取りたいし!」

 あやめは、今は考えても詮のないことを思考の端の端まで追いやり、瑞貴に椅子を運んでもらったあとの今日の仕事をどう片づけるか、ということに思考を巡らせ始めた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【R18】幼馴染がイケメン過ぎる

ケセラセラ
恋愛
双子の兄弟、陽介と宗介は一卵性の双子でイケメンのお隣さん一つ上。真斗もお隣さんの同級生でイケメン。 幼稚園の頃からずっと仲良しで4人で遊んでいたけど、大学生にもなり他にもお友達や彼氏が欲しいと思うようになった主人公の吉本 華。 幼馴染の関係は壊したくないのに、3人はそうは思ってないようで。 関係が変わる時、歯車が大きく動き出す。

ウブな政略妻は、ケダモノ御曹司の執愛に堕とされる

Adria
恋愛
旧題:紳士だと思っていた初恋の人は私への恋心を拗らせた執着系ドSなケダモノでした ある日、父から持ちかけられた政略結婚の相手は、学生時代からずっと好きだった初恋の人だった。 でも彼は来る縁談の全てを断っている。初恋を実らせたい私は副社長である彼の秘書として働くことを決めた。けれど、何の進展もない日々が過ぎていく。だが、ある日会社に忘れ物をして、それを取りに会社に戻ったことから私たちの関係は急速に変わっていった。 彼を知れば知るほどに、彼が私への恋心を拗らせていることを知って戸惑う反面嬉しさもあり、私への執着を隠さない彼のペースに翻弄されていく……。

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

年上幼馴染の一途な執着愛

青花美来
恋愛
二股をかけられた挙句フラれた夕姫は、ある年の大晦日に兄の親友であり幼馴染の日向と再会した。 一途すぎるほどに一途な日向との、身体の関係から始まる溺愛ラブストーリー。

認知しろとは言ってない〜ヤンデレ化した元カレに溺愛されちゃいました〜

鳴宮鶉子
恋愛
認知しろとは言ってない〜ヤンデレ化した元カレに溺愛されちゃいました〜

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

Melty romance 〜甘S彼氏の執着愛〜

yuzu
恋愛
 人数合わせで強引に参加させられた合コンに現れたのは、高校生の頃に少しだけ付き合って別れた元カレの佐野充希。適当にその場をやり過ごして帰るつもりだった堀沢真乃は充希に捕まりキスされて…… 「オレを好きになるまで離してやんない。」

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

処理中です...