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本編・第二部
【幕間】"偽りの"愛と快楽に溺れて *
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「……んぁっ……っう、ぁぁっ、……っう、…はぁっ……」
こんな筈じゃなかった。
こんな、筈じゃ。
ぼんやりと空を見上げていた小林が、そのまま……ふっと、消えてしまいそうで。
この手に掴んでいないと、ふらり、と。真横の交差点に飛び込んでしまうような。
そんな、危うい雰囲気があった。
気がついたら。経験もないのに、ホテルに連れ込んでしまっていた。
この手に掴んで、生きるということを刻みつけないと。ふうっと息を吹きかければ、命の灯火すら……消えてしまうような。そんな、気がして。
抑えようとしても、声が漏れてしまう。声が、上がってしまう。
小林の長い指が、硬くなったふたつの蕾を、嬲りつづけている。
―――私の背中に舌を滑らせている小林の髪がざわりと、肩甲骨に触れる。その瞬間でさえ、愛しかった。
正直。自分で、口にした言葉が、未だに信じられなかった。
『先輩だと思って、私を抱きなさい』
焦点の合わない光を宿した小林の瞳が。とても……とても、痛かった。
だけど。もう、止めて欲しかった。
でも、自分から、言い出したこと。ここで拒絶する訳には、いかない。
手荒く、服を脱がされている時も。恥ずかしさで抵抗しそうになるのを、唇を噛み締めて必死に堪えた。
心が……バラバラに、千切れそうだった。
………いっそ、この心が砕かれて、壊れてしまえば、いいのに。
小林に抱かれて悦んでいる自分。
その小林は、先輩を重ねて、私を抱いているのだ、と…俯瞰して、見ている自分。
どうせ叶わぬ恋。そのまま身を任せて愉しんでしまえ。そう囁く、私。
……小林は、私を好きで抱いている訳じゃない。だから……期待しては、ダメなのだと。落胆する、私。
心の中に、思考の中に、強い嵐が吹き荒れている。
小林の指が、ふたつの膨らみをくだって、気が付かないうちに濡れそぼっていた秘裂の奥に潜り込んだ。
「んんんっ! ……んーっ、ぅぅっ、う、あっ……」
初めて異物を受け入れた、ソコ。
……違和感で、初めてだと、気づかれる、だろうか。
気づかれてしまえば、一貫の終わり。だから……気づかれないように、手慣れた振りをして、応じなければならない。
そうして、千切れそうになる心に……蓋をした。
秘裂の奥に滑り込んだ小林の空いた指が、ぷっくりと膨れ出した秘芽を捉えた。
「あああっ!! あっ、うぁっ、…くぅっ」
出てくるのは、自分でも信じられないほど、淫らな声。
……声は、なるべく、あげたくない。
先輩を重ねて抱いている小林を、現実に引き戻したく、なかったから。
だから、バックが好きだと告げて。顔を見させないように、キスもさせないように。
枕を噛んで、声を抑えた。溢れる唾液と……止められない涙が、吸い込まれていく。
小林の指が、壁を確かめるように何度も何度も擦り上げていく。
初めて得る感覚に、これが気持ちいい、ということか、とぼんやりと、考えた。
小林の空いた片手で、再び蕾を転がされていく。指の腹で、優しく撫でられて。
「あ、ああ、ああっ、あぁああっっっ!!!」
強烈な感覚に、まぶたをキツく閉じた。まぶたの裏が、真っ白に弾けて、がくり、と身体が弛緩した。
肩を大きく上下させて、荒くなった呼吸を整えていると。
先ほどまで小林の指があった場所に、信じられないほど熱い昂りが押しつけられた。
ぐっと。一気に腰を押し進められていく。
激痛で声も上げられなくなった。
ただただ、枕を噛んで、握り締めて。
血が滲むような、心の痛みを……堪えて。
ぎゅっと閉じられた目の端から、痛みを逃そうと生まれた涙が、幾筋も零れて、枕に吸い込まれていった。
ぼんやりとした思考の中で。バックで良かった、と感じた。
こんな惨めな表情を、小林に…好きな人に、見られたく、なかったから。
挿入されたあと、引き出され、また奥まで押し込まれる…律動、という動作を、知識として知っていたから。
小林がそのまま動かないことに、疑問を抱いて。
意識を、小林に向けてしまった。
「……い、ちのせ、さん…………」
痛みを堪えて、世界が飛んでいたままにしておけば、よかったのに。間違いだった。
心が、ガラガラと。崩れていく音がした。
それでも。
……それでも。
小林が私を何とも思っていなくても、私はずっと小林が好きだった。
一目惚れ、だった。
甘く、それでいて、憂いを帯びたような、小林の瞳に……心を、射抜かれた。
初めての人が、小林で。
本心では泣きたいほど幸せなのだから。
初めてを、好きな人に捧げられたことが。
途方もなく…………嬉しかった。
それが、決して想いの届かない、相手だったとしても。
それが、私を、先輩に……重ねて、いたとしても。
小林の律動が早くなる度に、激痛が襲う。
「っ……っ……う、っ……ううっ……!」
唇を噛み締めて、必死で。
小林が、吐精するのを、待った。
小林が小さな呻き声を上げて果てた後。ずっしりと、重くなった。
「……こ、ばやし?」
首を捻りそっと見遣ると、どうやら私にのしかかったまま、意識を飛ばしてしまったらしい。
「……」
痛む身体を捩じりながら熱い楔を抜き取った。
「……良かった…」
ちゃんと、避妊してあった。
私を先輩と思って抱きなさい、と言ったから、私を私と認識して、厄介事にならないように、という配慮なのか。
……先輩を重ねて抱いたから…先輩を大事にしたいから、なのか。
「……どう考えても、後者…よね…」
ぽつり、と呟いた。
先輩の名前を、呼んでいたから。どうせ、後者だ。
そうぼんやり考えて、上半身を起こす。身体の奥の違和感が、私の顔を再び歪ませた。
小林を起こさないように、小林の身体をゆっくりと反転させ、布団をかけた。
規則正しい寝息が続く。目の下の隈が、小林がこの1週間どれほど苦しみ、悩みぬいたのかを物語っている。
「…あんた、本当に………ばか、よね」
その隈をそっと指で撫でた。
片桐に揺さぶられた、ということは、何となく察していた。先輩も、同様に揺さぶられていた、ということも。
片桐は、私が1番苦手なタイプだ。飄々とした見た目の人間ほど、裏では狡猾で口が上手い。
本当に悪い人間は、ニコニコと笑いながらターゲットに近づいていくのだから。
「……」
先輩を揺さぶり、小林を揺さぶり。あわよくば、先輩を自分のモノにしようとしている。
それを防ぐ一番効果的な方法は、あの人の闘争心をさらに焚き付けて、先輩への揺さぶりを逆に利用し、あの人と先輩の関係を強化すること、だ。
「………そこに行き着くまで、あんたはどれだけ苦しんだの……?ばかよ、本当に……」
再び、目の下の隈を撫でた。規則的な寝息が深くなっていく。
きっと、これはもう朝まで起きない、だろう。
なら、今のうちに身体を清めてこよう。そう考えて、痛みで軋む身体を叱咤し、半身を起こした。
私がいた場所に目を遣ると、鮮血の痕。
……夢のようだった。
腰が、足が、震えている。懸命にバスルームに向かった。
湯船に立ち、深く呼吸をすると、身体から立ち上るにおいが………いつもと、違う気がした。
―――小林の、香水の香り。
そんなものですら……強烈に、愛しかった。
でも、それ以上に。この身体を引き裂かれそうなほど、哀しかった。
シャワーを浴びながら、声を殺して、泣いた。
このまま、帰ってしまおうかとも思った。
けれど。小林の寝顔を、ずぅっと見ていたかった。
先輩が、幸せになってくれて、良かった。
でも、小林の想いが届かなかったのも…悔しかった。
だからこそ…一歩を踏み出さなかった小林に、腹が立って。喫煙ルームで、厳しい言葉を投げかけてしまった。
あの日の言葉は…今も、ずっと後悔している。
髪を撫でながら、愛しい顔の輪郭をなぞって。
私が数時間前に叩いた頬を、痛みが取れるように、ゆっくり撫でた。
「……騙し打ちにした私を、赦さなくて、いい」
だから。今日だけは、隣で…眠らせて。
翌朝。シーツに着いた血を見て、現状を把握して、蒼白な顔で土下座してきた、小林。
謝らないで、欲しかった。
私は元の顔立ちが派手なこととメイクが好きなこと、野外フェス好きが相まって、いろいろと経験豊富にみられるけれど。元来の気の強さもあって、付き合っても振られてばかりだった。
だからこそ、好きな人に初めてを捧げられたことが、とても。本当に、嬉しかった。
それが偽りの関係だとしても。それでも……幸せだったから。
「セカンドバージンなの。だから、気にしないで」
その幸福感に酔いながら、ふわり、と微笑んで。
手慣れたように、衣服を身につけて、手慣れたように、部屋から出た。
週明け。
何食わぬ顔で、仕事をした。
何食わぬ顔で、仕事の話をした。
お互いに。何も、なかったかのように。
けれど、その週の金曜日…無意識で。
会社から離れた、小林が空を見上げていた路地に足を向けると。
そこに、小林がいて。
……どちらからとなく、ホテルに向かった。
2度目も、バックで抱いて、と口にして。
今回は、痛さだけでなく…身体の奥から…疼くような、迫ってくるような甘い感覚があって。
「あぁっ、んっ……ああっ」
ぐっと、枕を噛んだ。どうしても、声は…聴かせたくなかった。
小林が突き上げるごとに揺れるふくらみをやわやわと揉みしだかれると、甘い感覚が大きさを増す。
「んんっ…あ、はっ、んっ」
「…っ…はぁっ」
小林の呻き声が漏れ、叩きつけるようなストロークが早くなっていく。
押し込まれる苦しさと引き抜かれる喪失感に、必死で耐えた。
甘い感覚が、弾けそうなほど大きくなって。
初めて感じる感覚に恐れを感じながらも、小林から与えられる快楽に…溺れて、いく。
「あああっ、っっっ―――――!!!」
「……っ……!」
目も眩むような高さから。言いようのないほどまばゆい、真っ白に染まった空間に、一気に放り投げられた。
気が付くと、小林はもういなかった。そういう、関係…ということを、嫌というほど思い知らされた。
翌週は生理が来ていた。小林の連絡先は、知らない。けれど、あの交差点で待ちぼうけにもさせたくなくて。
裏紙に『生理中』とだけ走り書きをして、そっとデスクの引き出しに突っ込んだ。
週明けに…先輩から、彼氏とは順調なのかと聞かれた。
もともと、彼氏なんかいない。ここ数年は、彼氏を作る気もなかった。
何食わぬ顔で、順調です、と笑えればよかったのに。小林の顔がよぎって。
「振られました」
とだけ、伝えた。先輩は、それ以上聞かなかった。
先輩が平山さんに振られた時に私がしたように。何も聞かず、何も触れず。ただただ、普通に接してくれた。
恋敵のはずなのに。不思議と、先輩には…嫌な感情なんてこれっぽっちも湧かなかった。
幸せになってほしい、と……心から願えるほど、先輩のことを尊敬していたから。
生理が開けての金曜日。またあの交差点に足を向けた。
いつものように、交差点の電灯に凭れかかって待っている小林がいて。
『もう、こんな関係、やめましょう』
その言葉が喉まで出かかったけれど。どうしても……口に出せなかった。
その翌週も、同じように……今度は、私が電灯に凭れかかって、待った。
小林が、来なければいいのに。こんな関係、やめられるのに。
そう思っていたけれど、小林の顔を見て…悦びに打ち震えた自分もいて。
「三木ちゃん、昨日はいろいろ手伝ってくれてありがとう。お礼にお食事に行きたいんだけど、金曜日、予定空いてる?」
先輩から、バレンタイン翌日に声をかけられた。
先輩が先輩らしくない初歩的なミスをして、昨日はバタついた。けれど、昔、先輩が私のミスをカバーしてくれたように、私も先輩の力になりたかった。
仕事の順番を瞬時に入れ替えて、なんとかカバーできた。それの、お礼、ということだろう。
でも。……でも。金曜日は。
ふわり、と。電柱に凭れかかる小林の姿が浮かんだ。
背が高く、整った顔立ち。甘く、それでいて。
―――何かの恐れを孕んだような、憂いた瞳。
「…先約が、あって……すみません」
気がついたら、先輩の誘いを断っていた。
「そっか…お約束があるなら、仕方ないね。じゃぁ、来週のどこかで行きましょ?」
「はい! 予定、空けときますから」
金曜日以外なら。それなら、大歓迎だ。
そう、思っていたのに。
その、金曜日。『今日は行けません』という走り書きが、デスクの引き出しに入っていた。
行けません、と書いてあったけれど。飲みに出たのか、残業なのか。
もしかしたら。……本当に、もしかしたら。
用事が終わったら、来てくれるかも。
……あの交差点で、電柱に凭れかかって。ずっと………ずっと、待っていた。
「……」
結局、小林は、日付が変わっても、来なかった。
雪混じりの雨が降る。
私の、心と同じように、しとしとと。乾いた大地を潤すように、止めど無く降り注いでいく。
「……傘、持ってきてない…………」
好きで好きで、ただそれだけで。
小林を、こんなにも愛しているのに。
それ以上、望めないことは分かっていて。
分かっているけど、だからこそ……ただ、ただ好きで。
もう、私は。小林から与えられる感情の、その全てに。
その偽りの愛情に、偽りの快楽に、ただただ、溺れて、いるのだ。
……いつも待ち合わせたこの交差点に響く、小林の吐息の儚さに、しがみついていたい。
あの、憂いを帯びた瞳が抱える恐れに、触れたい。
小林に……抱きしめて、もらいたい。ただ、それだけなのに。
『すべての出来事には意味がある。人間が生きて、楽しんで、わらって、藻掻いて、苦しむことって。その意味を理解することだと思うの。真梨は、後悔してはだめよ』
ひと月前に天国に登った祖母の言葉がよぎった。
祖母は戦争を経験し、祖父はシベリア抑留で亡くなった。その後の人生で学んだ言葉なのだと思う。
全てを捧げても届かない先輩を重ねて、私を抱く小林。
身を引き裂くような選択をした小林を痛みから救いたくて、その身体を求めている、私。
どう考えても。傷の舐め合いでしかない、偽りの関係。
「こんな……こんな、傷の舐め合いの関係になっても……それに、意味があるの? おばぁちゃん……」
自分で選んだ道だ。けれど、今は。その意味さえ、見出すことはできない。
それでも。それでも……私は、自分の選択を背負って、この人生を歩いていかなければならないのだ。
後悔、しないために。
「……お互いを責めあって、でも、お互いを選んで……なにに、なるというの……?」
ポロポロと、涙が零れる。2月の雪混じりの、雨とともに。
こんな筈じゃなかった。
こんな、筈じゃ。
ぼんやりと空を見上げていた小林が、そのまま……ふっと、消えてしまいそうで。
この手に掴んでいないと、ふらり、と。真横の交差点に飛び込んでしまうような。
そんな、危うい雰囲気があった。
気がついたら。経験もないのに、ホテルに連れ込んでしまっていた。
この手に掴んで、生きるということを刻みつけないと。ふうっと息を吹きかければ、命の灯火すら……消えてしまうような。そんな、気がして。
抑えようとしても、声が漏れてしまう。声が、上がってしまう。
小林の長い指が、硬くなったふたつの蕾を、嬲りつづけている。
―――私の背中に舌を滑らせている小林の髪がざわりと、肩甲骨に触れる。その瞬間でさえ、愛しかった。
正直。自分で、口にした言葉が、未だに信じられなかった。
『先輩だと思って、私を抱きなさい』
焦点の合わない光を宿した小林の瞳が。とても……とても、痛かった。
だけど。もう、止めて欲しかった。
でも、自分から、言い出したこと。ここで拒絶する訳には、いかない。
手荒く、服を脱がされている時も。恥ずかしさで抵抗しそうになるのを、唇を噛み締めて必死に堪えた。
心が……バラバラに、千切れそうだった。
………いっそ、この心が砕かれて、壊れてしまえば、いいのに。
小林に抱かれて悦んでいる自分。
その小林は、先輩を重ねて、私を抱いているのだ、と…俯瞰して、見ている自分。
どうせ叶わぬ恋。そのまま身を任せて愉しんでしまえ。そう囁く、私。
……小林は、私を好きで抱いている訳じゃない。だから……期待しては、ダメなのだと。落胆する、私。
心の中に、思考の中に、強い嵐が吹き荒れている。
小林の指が、ふたつの膨らみをくだって、気が付かないうちに濡れそぼっていた秘裂の奥に潜り込んだ。
「んんんっ! ……んーっ、ぅぅっ、う、あっ……」
初めて異物を受け入れた、ソコ。
……違和感で、初めてだと、気づかれる、だろうか。
気づかれてしまえば、一貫の終わり。だから……気づかれないように、手慣れた振りをして、応じなければならない。
そうして、千切れそうになる心に……蓋をした。
秘裂の奥に滑り込んだ小林の空いた指が、ぷっくりと膨れ出した秘芽を捉えた。
「あああっ!! あっ、うぁっ、…くぅっ」
出てくるのは、自分でも信じられないほど、淫らな声。
……声は、なるべく、あげたくない。
先輩を重ねて抱いている小林を、現実に引き戻したく、なかったから。
だから、バックが好きだと告げて。顔を見させないように、キスもさせないように。
枕を噛んで、声を抑えた。溢れる唾液と……止められない涙が、吸い込まれていく。
小林の指が、壁を確かめるように何度も何度も擦り上げていく。
初めて得る感覚に、これが気持ちいい、ということか、とぼんやりと、考えた。
小林の空いた片手で、再び蕾を転がされていく。指の腹で、優しく撫でられて。
「あ、ああ、ああっ、あぁああっっっ!!!」
強烈な感覚に、まぶたをキツく閉じた。まぶたの裏が、真っ白に弾けて、がくり、と身体が弛緩した。
肩を大きく上下させて、荒くなった呼吸を整えていると。
先ほどまで小林の指があった場所に、信じられないほど熱い昂りが押しつけられた。
ぐっと。一気に腰を押し進められていく。
激痛で声も上げられなくなった。
ただただ、枕を噛んで、握り締めて。
血が滲むような、心の痛みを……堪えて。
ぎゅっと閉じられた目の端から、痛みを逃そうと生まれた涙が、幾筋も零れて、枕に吸い込まれていった。
ぼんやりとした思考の中で。バックで良かった、と感じた。
こんな惨めな表情を、小林に…好きな人に、見られたく、なかったから。
挿入されたあと、引き出され、また奥まで押し込まれる…律動、という動作を、知識として知っていたから。
小林がそのまま動かないことに、疑問を抱いて。
意識を、小林に向けてしまった。
「……い、ちのせ、さん…………」
痛みを堪えて、世界が飛んでいたままにしておけば、よかったのに。間違いだった。
心が、ガラガラと。崩れていく音がした。
それでも。
……それでも。
小林が私を何とも思っていなくても、私はずっと小林が好きだった。
一目惚れ、だった。
甘く、それでいて、憂いを帯びたような、小林の瞳に……心を、射抜かれた。
初めての人が、小林で。
本心では泣きたいほど幸せなのだから。
初めてを、好きな人に捧げられたことが。
途方もなく…………嬉しかった。
それが、決して想いの届かない、相手だったとしても。
それが、私を、先輩に……重ねて、いたとしても。
小林の律動が早くなる度に、激痛が襲う。
「っ……っ……う、っ……ううっ……!」
唇を噛み締めて、必死で。
小林が、吐精するのを、待った。
小林が小さな呻き声を上げて果てた後。ずっしりと、重くなった。
「……こ、ばやし?」
首を捻りそっと見遣ると、どうやら私にのしかかったまま、意識を飛ばしてしまったらしい。
「……」
痛む身体を捩じりながら熱い楔を抜き取った。
「……良かった…」
ちゃんと、避妊してあった。
私を先輩と思って抱きなさい、と言ったから、私を私と認識して、厄介事にならないように、という配慮なのか。
……先輩を重ねて抱いたから…先輩を大事にしたいから、なのか。
「……どう考えても、後者…よね…」
ぽつり、と呟いた。
先輩の名前を、呼んでいたから。どうせ、後者だ。
そうぼんやり考えて、上半身を起こす。身体の奥の違和感が、私の顔を再び歪ませた。
小林を起こさないように、小林の身体をゆっくりと反転させ、布団をかけた。
規則正しい寝息が続く。目の下の隈が、小林がこの1週間どれほど苦しみ、悩みぬいたのかを物語っている。
「…あんた、本当に………ばか、よね」
その隈をそっと指で撫でた。
片桐に揺さぶられた、ということは、何となく察していた。先輩も、同様に揺さぶられていた、ということも。
片桐は、私が1番苦手なタイプだ。飄々とした見た目の人間ほど、裏では狡猾で口が上手い。
本当に悪い人間は、ニコニコと笑いながらターゲットに近づいていくのだから。
「……」
先輩を揺さぶり、小林を揺さぶり。あわよくば、先輩を自分のモノにしようとしている。
それを防ぐ一番効果的な方法は、あの人の闘争心をさらに焚き付けて、先輩への揺さぶりを逆に利用し、あの人と先輩の関係を強化すること、だ。
「………そこに行き着くまで、あんたはどれだけ苦しんだの……?ばかよ、本当に……」
再び、目の下の隈を撫でた。規則的な寝息が深くなっていく。
きっと、これはもう朝まで起きない、だろう。
なら、今のうちに身体を清めてこよう。そう考えて、痛みで軋む身体を叱咤し、半身を起こした。
私がいた場所に目を遣ると、鮮血の痕。
……夢のようだった。
腰が、足が、震えている。懸命にバスルームに向かった。
湯船に立ち、深く呼吸をすると、身体から立ち上るにおいが………いつもと、違う気がした。
―――小林の、香水の香り。
そんなものですら……強烈に、愛しかった。
でも、それ以上に。この身体を引き裂かれそうなほど、哀しかった。
シャワーを浴びながら、声を殺して、泣いた。
このまま、帰ってしまおうかとも思った。
けれど。小林の寝顔を、ずぅっと見ていたかった。
先輩が、幸せになってくれて、良かった。
でも、小林の想いが届かなかったのも…悔しかった。
だからこそ…一歩を踏み出さなかった小林に、腹が立って。喫煙ルームで、厳しい言葉を投げかけてしまった。
あの日の言葉は…今も、ずっと後悔している。
髪を撫でながら、愛しい顔の輪郭をなぞって。
私が数時間前に叩いた頬を、痛みが取れるように、ゆっくり撫でた。
「……騙し打ちにした私を、赦さなくて、いい」
だから。今日だけは、隣で…眠らせて。
翌朝。シーツに着いた血を見て、現状を把握して、蒼白な顔で土下座してきた、小林。
謝らないで、欲しかった。
私は元の顔立ちが派手なこととメイクが好きなこと、野外フェス好きが相まって、いろいろと経験豊富にみられるけれど。元来の気の強さもあって、付き合っても振られてばかりだった。
だからこそ、好きな人に初めてを捧げられたことが、とても。本当に、嬉しかった。
それが偽りの関係だとしても。それでも……幸せだったから。
「セカンドバージンなの。だから、気にしないで」
その幸福感に酔いながら、ふわり、と微笑んで。
手慣れたように、衣服を身につけて、手慣れたように、部屋から出た。
週明け。
何食わぬ顔で、仕事をした。
何食わぬ顔で、仕事の話をした。
お互いに。何も、なかったかのように。
けれど、その週の金曜日…無意識で。
会社から離れた、小林が空を見上げていた路地に足を向けると。
そこに、小林がいて。
……どちらからとなく、ホテルに向かった。
2度目も、バックで抱いて、と口にして。
今回は、痛さだけでなく…身体の奥から…疼くような、迫ってくるような甘い感覚があって。
「あぁっ、んっ……ああっ」
ぐっと、枕を噛んだ。どうしても、声は…聴かせたくなかった。
小林が突き上げるごとに揺れるふくらみをやわやわと揉みしだかれると、甘い感覚が大きさを増す。
「んんっ…あ、はっ、んっ」
「…っ…はぁっ」
小林の呻き声が漏れ、叩きつけるようなストロークが早くなっていく。
押し込まれる苦しさと引き抜かれる喪失感に、必死で耐えた。
甘い感覚が、弾けそうなほど大きくなって。
初めて感じる感覚に恐れを感じながらも、小林から与えられる快楽に…溺れて、いく。
「あああっ、っっっ―――――!!!」
「……っ……!」
目も眩むような高さから。言いようのないほどまばゆい、真っ白に染まった空間に、一気に放り投げられた。
気が付くと、小林はもういなかった。そういう、関係…ということを、嫌というほど思い知らされた。
翌週は生理が来ていた。小林の連絡先は、知らない。けれど、あの交差点で待ちぼうけにもさせたくなくて。
裏紙に『生理中』とだけ走り書きをして、そっとデスクの引き出しに突っ込んだ。
週明けに…先輩から、彼氏とは順調なのかと聞かれた。
もともと、彼氏なんかいない。ここ数年は、彼氏を作る気もなかった。
何食わぬ顔で、順調です、と笑えればよかったのに。小林の顔がよぎって。
「振られました」
とだけ、伝えた。先輩は、それ以上聞かなかった。
先輩が平山さんに振られた時に私がしたように。何も聞かず、何も触れず。ただただ、普通に接してくれた。
恋敵のはずなのに。不思議と、先輩には…嫌な感情なんてこれっぽっちも湧かなかった。
幸せになってほしい、と……心から願えるほど、先輩のことを尊敬していたから。
生理が開けての金曜日。またあの交差点に足を向けた。
いつものように、交差点の電灯に凭れかかって待っている小林がいて。
『もう、こんな関係、やめましょう』
その言葉が喉まで出かかったけれど。どうしても……口に出せなかった。
その翌週も、同じように……今度は、私が電灯に凭れかかって、待った。
小林が、来なければいいのに。こんな関係、やめられるのに。
そう思っていたけれど、小林の顔を見て…悦びに打ち震えた自分もいて。
「三木ちゃん、昨日はいろいろ手伝ってくれてありがとう。お礼にお食事に行きたいんだけど、金曜日、予定空いてる?」
先輩から、バレンタイン翌日に声をかけられた。
先輩が先輩らしくない初歩的なミスをして、昨日はバタついた。けれど、昔、先輩が私のミスをカバーしてくれたように、私も先輩の力になりたかった。
仕事の順番を瞬時に入れ替えて、なんとかカバーできた。それの、お礼、ということだろう。
でも。……でも。金曜日は。
ふわり、と。電柱に凭れかかる小林の姿が浮かんだ。
背が高く、整った顔立ち。甘く、それでいて。
―――何かの恐れを孕んだような、憂いた瞳。
「…先約が、あって……すみません」
気がついたら、先輩の誘いを断っていた。
「そっか…お約束があるなら、仕方ないね。じゃぁ、来週のどこかで行きましょ?」
「はい! 予定、空けときますから」
金曜日以外なら。それなら、大歓迎だ。
そう、思っていたのに。
その、金曜日。『今日は行けません』という走り書きが、デスクの引き出しに入っていた。
行けません、と書いてあったけれど。飲みに出たのか、残業なのか。
もしかしたら。……本当に、もしかしたら。
用事が終わったら、来てくれるかも。
……あの交差点で、電柱に凭れかかって。ずっと………ずっと、待っていた。
「……」
結局、小林は、日付が変わっても、来なかった。
雪混じりの雨が降る。
私の、心と同じように、しとしとと。乾いた大地を潤すように、止めど無く降り注いでいく。
「……傘、持ってきてない…………」
好きで好きで、ただそれだけで。
小林を、こんなにも愛しているのに。
それ以上、望めないことは分かっていて。
分かっているけど、だからこそ……ただ、ただ好きで。
もう、私は。小林から与えられる感情の、その全てに。
その偽りの愛情に、偽りの快楽に、ただただ、溺れて、いるのだ。
……いつも待ち合わせたこの交差点に響く、小林の吐息の儚さに、しがみついていたい。
あの、憂いを帯びた瞳が抱える恐れに、触れたい。
小林に……抱きしめて、もらいたい。ただ、それだけなのに。
『すべての出来事には意味がある。人間が生きて、楽しんで、わらって、藻掻いて、苦しむことって。その意味を理解することだと思うの。真梨は、後悔してはだめよ』
ひと月前に天国に登った祖母の言葉がよぎった。
祖母は戦争を経験し、祖父はシベリア抑留で亡くなった。その後の人生で学んだ言葉なのだと思う。
全てを捧げても届かない先輩を重ねて、私を抱く小林。
身を引き裂くような選択をした小林を痛みから救いたくて、その身体を求めている、私。
どう考えても。傷の舐め合いでしかない、偽りの関係。
「こんな……こんな、傷の舐め合いの関係になっても……それに、意味があるの? おばぁちゃん……」
自分で選んだ道だ。けれど、今は。その意味さえ、見出すことはできない。
それでも。それでも……私は、自分の選択を背負って、この人生を歩いていかなければならないのだ。
後悔、しないために。
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