俺様エリートは独占欲全開で愛と快楽に溺れさせる

春宮ともみ

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本編・第三部

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(……え?)

 いるのに、

 あのヘーゼル色の瞳が―――ダークブラウンの瞳に挿げ替わって。私の目の前にあった。

(………どうして…)

 どうして。そんな、泣きそうな、顔を。智が、しているんだろう。

 呆然とその表情を見ていると、智が、ふい、と。私から視線を外した。

「……すまん、ちょっと一服つけてくる」

 智はそう口にして、手に持った鞄を私に差し出した。いつもの癖でその鞄を受け取りながら、灰皿が置いてあるベランダに向かった智の黒い背中を眺める。

 普段……智は、食事の前に煙草は吸わない。煙草を吸うと舌が鈍くなって、食べ物の味がわからなくなるからだと言っていた。だから、食事を作る前も吸わないし、食事の後にしか吸っていない。なのに。

「……どうして…?」

 どうして、食事の前に、煙草を吸っているんだろう。
 いつもと違う智の行動に、私を見つめるその瞳に、胸がざわざわする。

 智から受け取った鞄を、寝室のPCデスクの上に置いてリビングに戻り、ベランダにいる智の表情をそっと見つめる。
 火をつけた煙草をゆっくりと吸い込んで、紫煙を大きく吐き出している。左手の指先から立ち上る煙が、時折風にあおられて大きく揺れている。どこか遠くを眺めている、ダークブラウンの瞳。

(……お仕事の、こと?)

 私は煙草を吸わないからわからないけれど……イライラした時とか、ほっとしたい時とか……気分転換をしたい時とかに、吸うのだと聞いたことがある。新部門のことで思うような形にならなくて、イライラしているのだろうか。

 でも、それだと。あの瞳の意味が、分からない。


(………)

 話す気になってくれるまで、そっとしておく方がいいのだと思う。お仕事のことだったのなら、取引先に勤めている私は口を挟まない方がいいだろうし。

 そう考えて、一度火を止めたコンロを点火しようとキッチンに足を向けた。さっきまで温めていたから、点火してすぐ、フライパンに広がっているルゥにぷくぷくと気泡が立ちのぼっていく。オーバルの器に白米を盛って温めたルゥをかけ、硝子天板のテーブルに置いた。
 ルゥを飲み込むと汗をかくくらい辛かったから、飲み物は冷水がいいだろう。冷凍庫を開いてグラスに氷を入れ、浄水器の水を注ぐ。スプーンを手に持ってリビングに向かうと、智はもう、リビングに戻っていて。スーツのジャケットを脱いでいるところだった。

「ん、ありがと。遅くなってすまねぇな」

 脱いだジャケットをハンガーにかけ、赤いネクタイの根元を片手で緩めながら、私にふうわりと笑いかけてくる。ネクタイを緩める仕草が色っぽくて、一瞬、どくんっと心臓が跳ねたけれど。

(……)

 ソファに沈み込んだ、ダークブラウンの瞳を、じっと見つめる。その瞳は、ちゃんと……私を、見ていて。

(……私の、勘違い、なのかな)

 つい、数時間前。三木ちゃんに迫る南里くんを咎めた片桐さんに、そんな目を向けられたから。だから、私が勘違いをしてしまったのかもしれない。……そう結論付け、ざわざわする気持ちを押し込めて。私も智に、いつものように笑い返した。

「ううん。お仕事、遅くまでお疲れさま」

 カタリ、と音を立てて手に持ったグラスをテーブルに置いて、智の隣に沈み込む。

「あのね。私、今日付けで主任になったよ」

 沈み込ませた身体を智の方に向けながら、昇進の報告をする。自分で口にすると、ちょっとこそばゆい。

「そうなのか!よかったな、おめでとう」

 ダークブラウンの瞳が驚いたように見開かれ、そして嬉しそうに細められて。智の大きな手が、私の髪を撫でてくれる。

 智が帰ってくるまで、ここで想像していた……その予想通りの智の行動に、思わず笑みが溢れる。

 ニコニコと笑っていた智が、急に何かを企むように、口の端を吊り上げて。ソファに沈み込んだ身体を起こして、長い足を動かし、ハンガーにかけているジャケットに手を伸ばした。

 そのジャケットの内ポケットから名刺ケースを取り出して。

「今まで新部門のことはおおっぴらに出来なくてな。営業3課にいるっつう設定だったんだ。で、今日からちゃんと……この名刺が使えるようになった。……改めて。三井商社、企画開発部の邨上です」

 目の前に、すっと。名刺が差し出された。それを受け取り、じっと眺める。
 その名刺は、課長代理 邨上 智……となっていた。

 自分の視線を、受け取った名刺から目の前の智に向ける。ダークブラウンの瞳と視線が交差して。

(……あ。なるほど)

 智の意図を汲み取って、弾かれたように自分の鞄に駆け寄った。ごそごそと鞄の底から名刺ケースを引っ張り出す。
 ぱたぱたとソファに戻って、にこり、と。営業スマイルを貼り付けて。今日、田邉部長から手渡された新しい名刺を智に差し出した。

「極東商社、通関部の一瀬です」

 智が、私が差し出した名刺をゆっくり受け取って、じっと。名刺を見つめて、ぽつりと呟いた。

「……こうして考えたら、知香の名刺、初めて貰うな」

 言われてみれば。まだお付き合いが始まる前に、銀行の近くで偶然鉢合わせをした時に……智から『改めて』と名刺を貰って、その時は私が名刺を持ち合わせていなくて。結局、その後も業務で関わりがあるわけではなかったから、名刺交換をすることもなく。

「確かに……初めてだね、智に名刺渡すのって」

 というより。主任、と書いてある名刺を誰かに渡すことが初めてだ。やっぱり、なんだかくすぐったい気持ちになる。

「私も、今日からこの名刺。だから、智が渡した人第一号」

 私の言葉に、智が私が手渡した名刺を口元に当てながら、にやり、と。その切れ長の瞳を歪ませた。

「……そっか。俺、知香のハジメテを貰ったんだな」

「………えっ!?」

 ハジメテ、という単語を強調するように言葉を紡いだ智の意地悪な瞳を見つめながら、強調されたハジメテ、という単語の意味を噛み砕いて、一瞬で耳まで沸騰する。

「ちょ、ちょっと……名刺渡しただけなのにそういうこと言わないで!」

 そう口にしながらも、少し……心が萎んでいく。

(………やっぱり、男の人って…処女ハジメテが欲しいもの、なんだろうか)

 初めての彼氏だった凌牙と別れたからこそ。今、心から好きだと、心から愛している、と思える智と出会えたことは理解している。

 でも、やっぱり。処女ハジメテを智にあげられなかったことは、後悔……というより、残念な気持ち、だ。そういう感情も持ち合わせては、いる。

 翳った私の表情を、その私の考えを汲み取ったかのように、智が優しく頭を撫でながらやわらかく言葉を紡いだ。

「すまない、知香を落ち込ませるつもりじゃなかった。元カレは処女性を求めるそういうヤツだったかもしれねぇが……前にも言ったろ?俺はあいつが求めてたようなことは知香に求めねぇって」

「うん……」

 そうだ。付き合い始めた時に……そういうことを言われた。あの時は生理中で……智の視線で奉仕を求められたと勘違いした時のこと。

「俺だってハジメテじゃなかった。お互い年齢的にもいい大人だし、仕方ないことだ。これから先……知香のハジメテをたくさん貰れば、俺はそれでいい」

 ゆっくりと。智が、その角ばった長い指で私の頬の輪郭をなぞっていく。そして……低く、甘い声で、小さく囁いた。

「………ま。俺、知香が思ってるより、知香のハジメテ、結構貰ってるからな。……知香が人生で初めてイッたあの瞬間とか」

「……っ、」

 囁かれた言葉に。どくり、と。身体の奥が震える。付き合い始めたあの夜の記憶が蘇って、顔が一瞬で赤くなっていく。
 私のその表情に、智がふっと、小さく笑った声がした。

「こんなの知らない、って涙目になってたあの瞬間とか」

 つぅ、と。ダークブラウンの瞳が細められて。

「気持ちいいのから逃げれらんなくて………イき狂って啼いてるあの表情とか」

 目の前にある、その意地悪な表情は。本当に……いつもの、智で。
 やっぱり、さっきのは……私の勘違いだったんだろうなと、そうぼんやり考えつつ、紡がれた言葉の意味を噛み砕いて。……はっと我に返る。

「っ、だからっ、どうしていつもそっちに話しを持っていくの!?」

 雰囲気に流されそうになっていた自分を叱咤して、目の前のダークブラウンの瞳をぎゅうと睨みあげる。

 あぶない。性欲おばけの智のことだから、このままこんな会話を続けていたら、今すぐここで襲われかねない……!!

 智が私の表情をみてニヤリと口の端を歪ませた。

「身体だけじゃなくて言葉も重ねようっつったのにな?だから俺、間違ってねぇと思うけど?」

 智は悪びれることもなく、くすくすと笑いながら、私の名刺を智の名刺ケースに仕舞いふたたびソファに沈み込んだ。

 その様子を眺めて。

(よかった……いつもの、智だ)

 心の中で、ほっと息をついた。


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