俺様エリートは独占欲全開で愛と快楽に溺れさせる

春宮ともみ

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本編・第三部

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「……」

 ただただ。重い沈黙が続く。

 終業後、帰社しようとする水野課長を捕まえ、通関部のブースの近くにある打ち合わせスペースに呼んで。あれ以降、黒川さんから返信がないことを報告し、智から伝え聞いた、この輸出が不正な取引ではないのか、という推測も含めて相談をしていた。

 銀縁メガネの奥に輝くつり目の瞳が。じっと、考え込むように打ち合わせスペースのテーブルの1点を見つめている。

 そうして、耳にかかる程度に揃えられた黒髪をさらりと揺らして。

「今の段階で、『この通関が不正である証拠』と呼べるものがない。極東商社こちらとしては動きようがないわけだ。……三井商社あちら側から証拠を押さえ、通関依頼をキャンセルしてもらう以外に方法はない。あくまでも、俺たちは顧客に依頼されて通関を行っているからだ」

 確かに、水野課長が口にしたように。私たちは顧客の依頼を受けて業務を行っている。極東商社こちらから「この通関は請け負えない」と断ることも可能だが、明確な理由がない状態で今回の依頼を断るのは、大きな取引先である三井商社とのトラブルの引き金になりかねない。

 三井商社と極東商社は通関部だけでなく、営業課と各販売部もそれぞれ取引を行っている。私の一挙手一投足によって、その全てに影響が出る恐れがあるのだ。

「……はい…」

 現段階で、何も打つ手がない、ということにひどく無力感を感じる。じくじくと胸の奥が痛むのを堪えるように、膝の上に置いた手のひらを握りしめた。

極東商社うちが不正な取引であるという認識をしていたという言質だけは、その黒川とやらに取らせるな。お前の彼氏から池野さんにも報告しているなら、そういった不本意な形は防いでくれるだろうが。……今、お前が出来る手段はそれしかない」

 黒川さんとの遣り取りをする際の言動に気をつけるしか、今は取れる手段がない。水野課長のつり目の瞳を見つめながら、「わかりました」と返答した。

 水野課長がテーブルに肘をつきながら、頭をガシガシと掻いた。

「明日にでも池野さんから黒川とやらを通さずに裏で通関依頼をキャンセルしてもらうという手もある。……が、ゴールデンウィーク明けまでに証拠が揃うという確約があるのならば取れる手段だろうな…」

 ゴールデンウィークまで、あと3週間。事情を知っているのは、池野さんと智だけ。そして智は2週間後から日本を離れる。それまでに証拠が揃うのかは、神のみぞ知る、と言ったところだろうか。

 テーブルについた肘をそのままに、ほう、とため息をついて。水野課長がつり目の瞳を細める。

「俺は正直、この短期間で証拠が揃うとも思えん。裏で通関依頼をキャンセルしてもらって、証拠が揃わなかった場合、通関が切れず輸出出来なくなる。そうなった場合は通関が切れなかった極東商社こちらの責任になる。……保管倉庫のグリーンエバー社、そして税関にも迷惑をかけることになるだろう」

 そうして、もう一度。水野課長は、魂すらも一緒に抜け出て行きそうな、深い深いため息を吐き出した。

「………不正な取引。俺にはそれの検討すらつかん。入社してからずっと通関一筋だったからな。こういう時に、販売部に在籍していたやつが通関部に異動してきていたのなら話しは別だったろう」

 水野課長は総合職でありながら、入社当時から10年以上通関部に在籍している。それほどに水野課長は通関部に無くてはならない存在。異動の話しが出ても田邉部長が握り潰しているという噂もある。

 私にも、商品を売り込む営業の知識はない。不正な取引というのは通関業務にも関わるような、産地偽装だとか独占禁止法だとか、その辺りの知識しかない。

 遣るせ無さを噛み締めながら水野課長の顔を見つめていると、私の視線に気がついたようで。水野課長がバツが悪そうに眉を顰めた。

「……今のは商品開発部から異動してきた西浦を責めているわけじゃないからな。誤解するなよ、一瀬」

「え……?あ、はい」

 私の視線が、先ほどの水野課長の言葉に対する非難のように思えたのだろうか。そんなことは一切考えていなかったのに。

 思いもよらない言葉に目を瞬かせていると、水野課長が、ガタリと音を立てて椅子から立ち上がった。

「とにかく、今は言動に気をつけろ。黒川あいつに言質を取られるな。俺からはそれしか言えん」

「……はい。お時間をいただきありがとうございました」

 席を立った水野課長の動作に合わせて、ぺこりと頭をさげる。銀縁の眼鏡が、オフィス特有の蛍光灯の白い光をキラリと反射している様子を視界の端で捉える。

「田邉部長には俺からはそれとなく伝えておく。進展があればすぐに俺に連絡すること。休日だろうが深夜だろうが構わん。いいな」

 そうして、水野課長が椅子を元の位置に戻しながら私を真っ直ぐに見つめた。その言葉に、「はい」と短く返事をして、同じように私も席を立って。打ち合わせスペースを退出しようとする水野課長の黒い背中を呼び止める。

「あの。つかぬことをお訊ねしますが」

「ん?」

 ピタリ、と、水野課長がその場に足を止め水野課長が私を振り返る。さらり、と、艶のある黒髪が揺れた。

「………片桐さんからの香典返し、中身はなんでしたか?」

 私の問いかけは予想外だったのだろう。水野課長はぽかんとした表情をその顔に貼り付けている。そうして、はたりと自分を取り戻したように、数度瞬きを繰り返した。つり目の瞳と視線が交差する。

「紅茶だった。イギリスのブランドの。なんでも、この前の長期休暇でイギリスに帰っていた時に買ってきたと。……一瀬も同じものじゃなかったのか?」

 水野課長の答えに。やはり片桐さんは私だけに。智に向かって宣戦布告をするためだけに。違うものを用意したのだろう、と察した。

 その事実に、どくどくと心臓が跳ねている。

 跳ねる心臓を隠すように、ふわりと水野課長に微笑んで見せた。

「……いえ、同じでした。あれ、結構お高いブランドだと思ったので、お返しとしては貰いすぎではと判断に迷いまして。ありがとうございます」

 ぺこり、と、水野課長のふたたび頭を下げる。私のその動作に、水野課長が不思議そうな表情を浮かべ、踵を返して打ち合わせスペースから退出した。











(……結局、打つ手なしってことね…)

 会社の最寄駅で電車待ちながら、改札に翳したばかりのパスケースを胸の前で弄ぶ。水野課長との会話を脳裏で反芻させ、小さくため息を吐いた。
 今の段階では、私には何も出来ることはない。ただただ、それを突きつけられた時間だった。強い焦燥感が私の胸の中を満たしていくこの感覚が、ひどく不快で。

(シンポジウムに参加するはずの……片桐さんのこともあるのに)

 そう。黒川さんが依頼してきた通関は、ゴールデンウィーク明けだけれど。ゴールデンウィークの直前に開催される予定の、国主催の農産品にかかるシンポジウムに片桐さんが参加することになっている。
 彼のことを考えると、自然と気分が落ちる。特に、昨晩……智に、今までの前提が覆っているのではと指摘されたから、余計に。ふぅ、と、肩を上下させてふたたびため息をつく。


 黒川さんのこと。片桐さんのこと。……その全てが、出口のない迷路に迷い込んだみたいだ。


 一応、智に水野課長に相談したこと、そして打つ手なしと言われたことをメッセージアプリで伝えようと、鞄からスマホを引っ張り出そうと手を差しいれると、ふわり、と、嗅ぎ慣れた香りが漂って。ゆっくりと、その香りがする方向に視線を向けた。

「あ~もう、結婚式の準備ってなんであんなにコザコザしてんだよ~。衣装のことで嫁と喧嘩するしさぁ。マジで勘弁してくれよ~~今日帰りたくねぇ~~」

 短く切り揃えられた短髪に、二重のぱちりとした瞳が印象的な人物が大袈裟に肩を落として嘆いている。その人の横に、ダークブラウンの瞳があって。

「ま、結婚式って、女性の晴れ舞台だからな。娘の晴れ姿なんて親からしてみれば特別なもんだろ。そこは浅田が汲んでやんねぇと」

 ぽんぽん、と。その人の肩を智が苦笑しながら叩いている。智が私をチラリと確認して、少し驚いたように切れ長の瞳を瞬かせたあと、ふい、と。視線を外した。

(……この人が、浅田さん…)

 イタリア出張に一緒に行ったという畜産チームのひと、なのだろう。その人にも私の存在は隠したいと言っていたから、視線を外されるのも納得がいく。智の思惑を察して、私もふたりから視線を外す。

 鞄に入っているスマホを手に取ろうとしていたことを思い出し、ゆっくりと手に取ったスマホを鞄から引っ張り出す。

 ホームの床に点線で引いてある待機列。私が並んでいる隣の待機列にふたりが並んだ。手に取ったスマホを操作して、先ほどの水野課長との遣り取りの詳細をメッセージを送ろうと考えて。

(……う~ん、でも、浅田さんが同じ電車に乗るとしたら……黒川さんのこの件は送らない方がいい、かな?)

 浅田さんがどの駅で降りるのかわからない。万が一、そのメッセージ画面が浅田さんの目に入ってしまえば、内密に動いているはずの智の努力を無に帰してしまう。それだけは避けなければ。となると、どんな要件であれ智にメッセージを送るのは憚られる。

 そこまで考えてスマホを鞄にすっと仕舞ったところで、電車がホームに滑り込んでくる。ざぁっと大きく風が吹き付けて、思わず髪を押さえた。電車のドアが開き、隣のふたりと同じ車両に乗り込んでいく。

 乗り込んだ車両をさっと見回すも、座席は空いていなくて。出入り口の近くのポールを握りしめてバランスを取ることにした。

 少しだけ声を抑えたような二人の会話が聞こえてくる。いけないとわかっていても、なんとなく聞き耳を立ててしまう。
 智はよほど浅田さんを信頼しているのだろう、口調も私と接する時よりも随分と砕けた話し方をしている。

「っつうより邨上、お前はどうなんだよ」

「何がだ」

「彼女と。いつ結婚すんの?」

(っ、ちょっ!?)

 思わぬ方向から私の話題になり、本気で心臓が口から飛び出てきそうだった。全身が跳ねそうになるのを必死で抑え、素知らぬふりをして顔を動かさず目だけをチラリとふたりの方向に向ける。

「俺のことはいーから。そう言えばお前の結婚式のスピーチの原稿、仕上がってるから。当日楽しみにしとけよ」

 智は私が近くにいると気付いているからだろうか、しれっと話題を変える。そんな智を浅田さんがジト目で睨みつけていた。

「……煙に巻こうとしてんじゃねぇよ」

「………チッ…」

 智が顔を逸らして大きく舌打ちをしている。その様子に、浅田さんに対して本当に心を開いているのだなと感じ、心の内でくすりと笑みを浮かべた。

「……考えてはいんだが、いかんせん今の仕事が落ちつかねぇとな」

 左手でさらりと前髪を搔き上げながら軽く息をついて、智がその双眸を浅田さんに向けた。

「まぁ、お前は最年少幹部候補だしなぁ」

 浅田さんが智のその言葉を受けて少しばかり首を竦める。

「お前は一度長すぎた春を経験してっから、俺に言われるまでもねぇか」

 そうして、苦笑したように浅田さんが智に笑いかけ、頬を掻いた。智は浅田さんの視線を受けて、つり革を掴んでいた右手を左手に替えて。

「……まぁ。彼女の今年の誕生日までには。全部片付けるつもりだ」

(………!?)

 低く甘い声で告げられた、予想もしていないに。小さく息を飲んだ。


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