俺様エリートは独占欲全開で愛と快楽に溺れさせる

春宮ともみ

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本編・第三部

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 とんとん、と。通関処理に必要な資料を纏めていきながら、大きめのダブルクリップでひとつの束にしていく。ラメ入りの指サックでそれらを捲りながら、抜けが無いかを再チェックしていく。

 食品の輸入を行うには、植物防疫・動物検疫が完了した後に膨大な数の書類が必要になる。

 商業送り状インボイス梱包明細パッキングリスト保険証券インシュランスはもちろんのこと。
 輸入承認証I L原産地証明書G S P、海上運賃明細書、課税価格の計算の基礎を記す評価申告書。
 梱包された貨物のひとつひとつの重量が不規則な不定貫ふていかん貨物の場合はウェイトリストも必要だ。
 貨物が加工品の場合は製造工程表、添加物一覧表、事前確認書も求められる。

 そうして一番大事な船荷証券B/L。有価証券でもあるこの船荷証券無しでは原則として貨物の引き取りができない決まりになっている。

 この膨大な必要書類をもとにして税関に輸入納税申告書の作成を行っていく。書類の抜けがあれば輸入許可が降りなかったり、税関から訂正を求められたり等、輸入手続きが一時停止する。荷主、要は私たちの得意先である商社等は、スピーディな商売を求められていることが多い。私たちが行う輸入手続きに不備があれば荷主さんたちは損害を被ってしまうこともある。そのため、この必要書類に抜けが無いかどうか、十分に確認しなければならないのだ。

 自分の目でも確認し、右隣に座る南里くんの様子を視界の端で窺う。彼もいくつかの書類を捲って確認をしているようだった。

「……南里くん。これ、再チェックお願い出来る?」

 自分だけでは思い込みでチェックをしていることもある。そのため、こうして南里くんに再チェックをしてもらっている。最も、入社直後はこうしていろんな書類に触れてもらう事で業務の流れを掴んでもらう意図もあったけれども、二重チェックをし合える環境を整えることで貿易の流れを止めてしまう事態を招いてしまうことを未然に防ぐ目的もあった。

「あ、了解です。のもお願いできますか」

 私の問いかけに、南里くんが手元に広げていた書類を纏め出した。そうしてお互いに交換した書類に目を通していく。


 南里くんは本当に成長した。公の面でも、私の面でも。

 公の面では不安だった言葉遣いや態度なども改善されたし、こうして仕事中は自分のことを『俺』ではなく『僕』とさらっと口にできるようになった。

 私の面では、仕事の合間を縫って運転免許を取得したらしい。入社直後、私がグリーンエバー社に社会科見学に連れて行った時に、営業に行く時に使うから免許はあったほうがいいよとアドバイスしたからか、もしくは徳永さんとのデートに行ける距離を広げようとしたのかは定かでないけれども。いろんな面での努力が垣間見える。

 配属されて一目惚れしたと三木ちゃんに言い寄っていた時にはどうなるかとヒヤヒヤしていたけれど、やっぱり根は素直で真っ直ぐな子のようだ。


 しばらくしてお互いにチェックを終えて、書類を返却する。南里くんが担当している書類に2箇所の不備を発見し、訂正するように促しつつ、周囲の雰囲気を窺う。

 既に終業時刻を30分ほど過ぎている。昨日は退勤するタイミングが同じだった徳永さんにくっついて退勤したけれど、今日は徳永さんは定時で上がってしまっている。ふい、と、南里くんの向こう側に視線を向けると、加藤さんが消しゴムのかけらを集めて足元のゴミ箱に放り込んでいるところだった。

(……今日は加藤さんにくっつかせてもらおう…)

 お盆期間中。遠方の花火を観に行って、屋形船で智と約束した。黒川さんがいるかもしれない帰り際は、ひとりにならない、と……指切りをした。


 智曰く、黒川さんは陰湿だけれども、非常に臆病者ではあるのだそうだ。狙いを定めている私には横柄な態度をするだろうが、それ以外の人間には手を出せないだろう、だから誰かと一緒にいれば何かあったとしてもその人が目撃者となるし、ほぼ安全と言えるだろう、というのが智の大まかな見解。


 あれからもう1ヶ月が経っている。その約束通り、帰りは通関部の女性陣の誰かと一緒に最寄り駅まで歩くようにしている。通関部の女性陣はみな、私の行動がだと思っているようで、事情を聞かれることもない。それほどに彼が私を待ち伏せして付き纏っている、ということは、極東商社内での周知の事実のようだった。

 私に彼氏がいる、だから彼の行動に辟易している、ということは徳永さんも加藤さんも…もちろん三木ちゃんも知っているから、彼女たちは嫌な顔ひとつせず協力してくれている。本当に感謝しかない。

 彼の相変わらずな態度には正直うんざりしている。黒川さんのこともあるのに、彼のことも考えなければならない。通関士の試験も3週間後に迫り、私自身、精神的に余裕が無いなかでの付き纏いは本当に迷惑極まりない行為だ。

 さらに言えば、彼は契約社員でいた頃は通関部に所属していた。だから私がもうすぐ通関士の試験を受験することは知っているはず。だというのに、飽きもせず休日デートに出かけようだとか、そんな風に口説いてくるのだ。そんな時間が私に存在することもないとわかっているはずなのに。それがさらに、私が片桐さんに向ける怒りに拍車をかけている。

 ふつふつと込み上げる怒りを抑えながら、南里くんにチェックしてもらった資料を所定のレターケースに仕舞い込み、加藤さんに合わせて席を立っていく。彼女とは乗る電車が同じで、一緒に帰るときは通関士のテキストを広げながら質疑応答のような会話をしている。

 彼女は来年受験だ。仕事の合間を縫って彼女もしっかりと勉強に取り組んでくれているのがわかるから、協力してくれていることを抜きにしてもなんだって答えてあげたい。

「帰りましょうか、主任」

 私の意図を察した加藤さんが、こてん、と小首を傾げて私を見つめている。その動作に、視線だけで『いつもありがとう』と謝意を述べながら、「うん、帰ろうか」と短く返答していく。

 他愛もない話をしながら更衣室に滑り込み、彼女と一緒にエレベーターホールでタイムカードを打刻しながら、エレベーターに乗り込んだ。

 1階のエントランスに到着し、扉が開くのを待ってゆっくりと足を踏み出す。シトラスの香りがして、顔をあげると……いつものヘーゼル色の瞳が視界に飛び込んでくる。

「………やぁ、知香ちゃん。今日もお疲れさま」

 彼が私の後ろにいる加藤さんの姿を認めた瞬間、精悍な顔立ちに浮かぶ、へにゃり、とした笑みが―――ぺたり、と。何かを貼り付けられたような……そんな微笑みに変わった。そのままいつものようにひらりと右手を挙げていく。

 どうやら、片桐さんは加藤さんが苦手らしい。そう気が付いたのは、前回……加藤さんと一緒に駅まで歩いた時のことだ。三木ちゃんや徳永さんと一緒に歩くときは彼女たちにも話しかけるのに、私が加藤さんと歩くときは彼女には一切話しかけない。

 初めは、通関部畜産チーム、しかも今年の新入社員の加藤さんと、農産販売部の片桐さんはこれまで仕事上の接点が全くない。三木ちゃんや徳永さんは、彼が通関部に所属していた頃から接点がある。

 だから接点がない加藤さんに話しかけ辛いのか、と思っていたけれども。人懐っこく、初対面だとしても他人の懐にぽんと入り込んでいく彼が、特定の誰かを避けるということは珍しいように感じている。

 おおかた、彼女が入社した直後……南里くんと加藤さんの顔見せついでにベネフィット認証の資料を持って農産販売部に赴いた、あの時のあの出来事が関係しているのだとは思う。加藤さんが片桐さんに対して初対面の挨拶もせず声をかけたことに関しては加藤さんに非があると思っているが、それにしては冷酷ともいえる応対をしていた片桐さんは、恐らく加藤さんに対して寝覚めが悪いのだろう。


 彼女にあの時は機嫌を悪くして悪かったと一言謝ればいいのに、それをしないあたり自分は悪くないと思っているのだろうか。私の一環した拒否意思を無視して、こうやって待ち伏せを何ヶ月も続ける自己中心的な彼らしいとは思っているけれど。


 片桐さんがかけてきた労いの言葉をいつも通り無視して、加藤さんと一緒にエントランスを歩き、出入り口の自動ドアをくぐり抜けて最寄駅を目指した。私と加藤さんのヒールの音、それから彼のトゥースチールの音が、ランダムなタイミングで響いていく。

「そういえば、再来週は役員懇談会なんだね?俺、初めて参加するから知香ちゃんのドレスアップした麗しい姿も初めてだね~ぇ。俺、別に役員の人たちに興味ないし?それが目的になっちゃってるよ。こういう飲み会は参加するのは億劫だったけど、楽しみだなぁ」

 くすくす、と。彼はいつものように、私たちの背後から愉しげに声を上げた。

 役員懇談会では、結婚披露宴などが行われるような宴会場を貸し切って立食パーティーのような形式で行われる。ドレスコードは正装となっており、男性は仕事上はクールビズ期間だけれども、懇談会の場ではジャケットにネクタイのスーツ、女性はパーティドレスを着用する決まり。

 再来週は片桐さんに見せるために着飾るわけではない。普段はほとんど接することのできない取締役や執行部のメンバーと懇談することが目的だというのに、それを楽しみにされるのは正直不快だ。

 カツカツとヒールの音をさせながら階段を降りていく。背後を降りてくる片桐さんは、相変わらず私の隣の加藤さんに話しかける気はなさそうだ。彼女に謝罪のひとつでもすれば私も少しは片桐さんを見直すというのに。

(見直したところで……だけど!)

 心の中で盛大に悪態をつきながら、ホームに繋がる階段を降り切ると、個人的に無視できない言葉が背中に投げかけられた。

「俺、知香ちゃんには深い群青色とかが似合うと思うんだ。そんなドレス、俺と買いに行かない?」

「行きません!」

 背の高い片桐さんを睨み上げ、くるりと振り返りながら即答する。

 再来週着用するパーティドレスは既に智に見繕ってもらって購入している。しかも、片桐さんが口にした色とは全く違う色だ。

「えぇ~。じゃぁもう買っちゃってるんだ。残念」

 通関士の試験も近く片桐さんに構ってる暇はない。その事情をわかっているはずなのに、デートのお誘いなんて。相手のことを全く考えていない、非常識極まりない行為だろう。

 私の怒った表情に、片桐さんは戯けたように肩を竦めていく。妙に芝居がかったその仕草が、余計に私の苛立った感情を煽るようだ。

「そういえば、主任にお薦めされたお店でドレス買いました。ドレス、というより、セパレートのパンツドレスですが」

 私の真横を歩いていた加藤さんが淡々と口を開いていく。彼女の落ち着いた声に、煽られて波打った感情が急速に凪いで落ち着いていくように思えた。

 ゆっくりと彼女のお人形さんのような冷静な表情に視線を移すと、ここが公共の場であることをふっと思い出す。

「……加藤さん、あのお店行ったんだ。あのお店、よかったでしょ?」

 私の言葉に、加藤さんははにかんだように微笑みながら言葉を返してくれた。

「はい。彼と一緒に行きました。司会も務めますし、エレガントな印象になるような装いのものを揃えたんです」

 まだ心の中にはさざ波が立っているけれども、加藤さんは私を落ち着かせようとしてくれている。それを察して、私は今度こそ片桐さんの存在を無視して加藤さんと会話を続けていく。


 案の定、加藤さんと会話している間は片桐さんは口を挟まない。片桐さんはそれほど彼女に対して気が引けているのだろう、と察する。


 目の前に滑り込んできた電車に、加藤さんとふたりで乗り込んでいく。

「……また明日ね、知香ちゃん」

 乗り込んだ電車のドアがプシュ、と軽快な音を立てて閉まる瞬間に、ホームから投げかけられた、いつもの言葉。その言葉をいつものように聞こえない振りをする。


 車両が進行方向に動き出す。私と加藤さんの身体が慣性の法則に従ってくんっとつっぱった。

「うれしそうなのに、さみしそうな、目をするひとですね。あの人は」

「……え?」

 目の前の加藤さんは、よろけた身体を元に戻しながら。進行方向とは反対の方向を向いて、そんな言葉を、小さく呟いていた。

「……………私の記憶の最後にある、彼みたいな。そんな目を……して、いました」

 彼女の淡々としたその言葉の意味を噛み砕けずにいると、加藤さんは肩にかけた鞄から、するり、と、会社支給の通関士のテキストを取り出して。

「主任。そういえば、この部分がわからないのですが」

 広げたテキストを指差しながら彼女に投げかけられた質問に―――噛み砕けなかったその言葉が、私の無意識の奥底に流されていった。
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